(59)夏の箱根小旅行
2021・7・20〜22
藤田嗣治に出会う旅
2回目のワクチン接種が漸く終わったということで、箱根に小旅行。近くて遠きは箱根かな・・・で、なんと11年ぶりとなります。宿は妻がネットで見つけた「ゆこゆこネット」で検索。このサイトで人気一番という、「リ・カーヴ箱根」を予約。「足」は小田急の箱根フリーパス(3日間・6100円)を利用し、新宿から箱根に向かいます。
1日目7月20日(火)
いい天気です。今日も暑くなりそう! 新宿〜小田原〜箱根湯本と乗り継いで、此処から箱根登山バスに乗り換えて仙郷楼前で下車し、徒歩5分弱で、宿に到着。
時刻は午後1時過ぎ。チェック・インは3時〜なので、手続きだけ済ますと、湿生花園へ向かいます。ススキ通りを抜けて宿から徒歩15分弱です。
今は、残念ながら花が少ない時期です。
そこで、「食虫植物」のコーナーが設けられており、目を惹きました。
(ヘリアンフォラ)
(サラセニア) (サラセニア・ドラキュラ)
木立ちを抜けて・・・
(水芭蕉の花は既に終わっています)
見晴らしのいい場所に出ました。
(池にはカモがいました)
ホテルに戻りました。スタンダード・ツインの部屋は結構広く、セミダブル・ベッド2台に、ソファーもあって合格点です。
さぁ、ひとっ風呂浴びましょう!・・・ 露天風呂と内湯の一つは、当ホテル自慢の、大涌谷から引湯しているという白濁かけ流しの湯で、温泉気分に浸れます。
食事は夜&朝ともブッフェ。(夜は90分、朝は50分)。一年中カニ食べ放題がウリで、「アスパラの豚バラ巻き‣揚げ」が名物。たしかにこのアスパラ揚げは美味しかったです。コロナ対策として、その他の品は“ミニ小鉢”で提供されます。鰈の揚げ煮、焼き胡麻豆腐、タコ・蓴菜・オクラの酢の物、アサリの和え物、出汁巻き卵など中高年には嬉しい小鉢が並んでいます。(家族連れの子供向きのメニューは少ないかな!)・・・で、危険な食べ放題と相成りました。
2日目・7月21日(水)
朝食は、「湯葉とろ丼」やふかふかの「揚げパン」が名物です。モリモリといただきます。
今日は先ず、バスで桃源台へ。ここでロープウエイに乗り換えて大涌谷に向かいます。平日の朝とあって、車輛は“貸し切り”状態。
富士山や芦ノ湖が見えてきました・・・そして噴煙をあげる大涌谷へ。
大涌谷は火山活動の活発化の為、2019年5月に立ち入り禁止となり、半年後に解禁となったというニュースがありましたが、自然研究路から先は、残念ながら今も立ち入り禁止です。それで延命地蔵尊にお参りし、傍らに「湯かけ地蔵」があったので、「神泉の湯」をかけて“健康長寿”を祈願しました。
(これより先は立入禁止!)
駐車場の先は展望スポットになっていて、富士山がきれいに見えました。
富士山を眺めながら、名物黒卵をいただきます。1個食べると、7年長生きできる・・・!
再びロープウエイに乗って、桃源台へUターン。次は海賊船で芦ノ湖遊覧です。以前乗船した時はたしか英国の戦艦がモデルで、“海賊船”の雰囲気がありましたが、今日の「クイーン芦ノ湖」はちょいと優雅な和の趣き。人気の工業デザイナー、水戸岡鋭治氏が手掛け、2019年に就航したらしい。11:50に出発。
(水戸岡さんならではのデザインです)
「ロワイヤルU号」と行き交います。18世紀フランス艦隊の旗艦ロワイヤルをモデルに2013年に就航したもので、こちらの方が“海賊船”の雰囲気がありますね。
(ロワイヤルU)
(平和の鳥居※)
(※)「平和の鳥居」は1952年に、現上皇の「皇太子・明仁親王」としての立太子の礼を祈念して建立されたもので、扁額は東京オリンピックと鎮座1200年を記念して1964年に掲げられ、「平和」の文字は吉田茂の揮毫だという。
箱根町港を経由して、12:30元箱根港に到着。岸壁にはもう1艘の「ヴィクトリー号」が停泊しています。
湖畔から杉木立の参道を進むと、大鳥居。石段を上がって、鳥居を潜ると・・・
箱根神社は、8世紀ころから山岳信仰の神仏一体の箱根権現として尊崇されきたが、鎌倉幕府の篤い崇敬と保護を受け、関東武士の信仰の拠り所となった。
箱根神社の隣には「九頭竜神社」。757年に萬巻上人が湖に住む九頭の毒龍を調伏し、湖の主・竜神として鎮斎したのが始まりとされ、現在の社は1999年に建立された。鳥居前の「九頭竜の手水」がインパクトがありますね。
周りには杉の巨木が茂っています。樹齢千年を超える「安産杉」は・・・特に塔神社を尊崇した頼朝が政子の安産を祈願したところ、無事実朝が誕生したことから、
(樹齢千年を超える「安産杉」)
まだ陽は高いですが、13:50の船に乗って、早めの帰還。温泉にゆっくりと浸って疲れを癒します!
3日目7月22日(木)
9時過ぎにチェック・アウトすると、荷物を預けて、ポーラ美術館へ向かいます。此処は初めてなので、どんな絵が見られるか楽しみです。・・・まずガラス張りの建物のシャープなフォルムに強いインパクトを受けます。誰の設計か?と思ったら、著名な建築家ではなく、「日建設計」としての設計だそうです。それにしても森と斬新で硬質なデザインが調和した見事な建築ですね。
企画展として、「フジター色彩への旅」・・・藤田嗣治(1886〜1968)展を開催していました。私にとってのフジタとは・・・随分昔(30年程前か?)に秋田を訪れた際に平野政吉美術館へ行き、そこで超大作の「秋田の祭り」を見て感動し、「北平の力士」の力強い表現や、素描群の卓越したデッサン力に感心した記憶が蘇ってきました。
(秋田の祭り1937)
(こんな超大作です!・・・秋田美術館)
秋田の資産家平野家の三代目・政吉は、1929年の個展を見てフジタに惚れ込み、以降彼の作品を収集するとともに、「世界のフジタに世界一の超大作を」と、大壁画の制作を依頼し、フジタは平野所有の米蔵をアトリエとして制作に着手。二人は1936年に急死したフジタの愛妻マドレーヌの鎮魂の為美術館建設を構想しますが、戦争で中断を余儀なくされ、壁画制作から30年を過ぎた1967年に秋田県との連携により、県立美術館=平野政吉美術館が開館し、30年代のフジタの作品が多数展示されました。
今回、此処でもその所蔵品から、数点が展示されています。(私的には、この時代の作品が一番優れていると思いました)
(街芸人1932) (カーナバルの後1932) (ちんどん屋三人組1934)
(北平の力士1935) (我が画室1936)
その他にも、ポーラ所蔵のほか、国内各美術館から集めた作品が並んでいます。制作年順に見てみましょう。
(朝鮮風景1912) (巴里城門1914) (十字架の見える風景1920) (坐る女=部分1921)
(長い髪のユキ1923) (タピスリーの裸婦1923) (イヴォンヌ・ド・ブレモン・ダルスの肖像1927) (眠れる女1931)
2番目の妻フェルナンドと別れた後、1931年に、新しい愛人マドレーヌを伴って南北アメリカへと渡ります。色彩が一段と鮮やかになった感じですね。ブエノスアイレスの個展には6万人が訪れ大成功を収めたそうです。「ラマと〜」は、ラマの描写も素晴らしいですが、4人の女性の顔がインディオ女性の個性を見事に表現しているのに感心させられます。民族衣装も見事です。私的には一番印象に残った作品です。
(ラマと4人の人物1933) (メキシコに於けるマドレーヌ1934) (客人<糸満>1938)
(優美神1946〜48) (姉妹1950) (二人の祈り1952)
↑の「姉妹」あたりから、フジタの描く女性の対象がぐんと若返り(=少女や童女へと!)、画風もメルヘンタッチに変わっていきます。どういう心境の変化があったのでしょうか?
(誕生日1956) (たまごを持つ少女1956) (少女1957) (つばめと子供1957)
(二人1959) (朝の買い物1962) (猫を抱く少女1962) (少女と果物1963)
(十字架1966/木彫)
1958年から1年間をかけて、フジタは15cm四方のファイバーボードに115点を描き、カンパーニュ=プルミエールの自宅の壁に飾っていました。そのうちの96
(自宅のボード) (当館の展示)
その一部をアップしてみましょう。さすが、フジタ! 小品とは思えない趣きと、そしてユ^モアに溢れた見事な作品群です。
(モナリザをキッチリと描いているのに感心しました!)
〜〜いやぁ、200点を超えるフジタの作品を堪能することが出来て,大満足です。 ところで, 当館は、印象派を中心とした欧州絵画のコレクションでも知られています。
(ルソー/エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望1896〜98))(同/飛行船レピュブリック号とライト飛行機のある風景1909) (ピカソ/裸婦1908)
(モディリアーニ/ルニア・チェホフスカの肖像1917) (マリー・ローランサン/ヴァランティーヌ・テシエの肖像1933) (キスリング/パリ-ニース間の汽車1926)
(マチス/リュート1943) (ゴッホ/アザミの花1890) (スーラ/グランカンの干潮1885)
(セザンヌ/ラム酒の瓶のある静物1890) (ルノアール/水浴の女1887)
モネは国内最多の19点を所蔵しているそうです。今回は建築家・中山秀之氏の会場構成で、「モネー光のなかに」というタイトルで、11点が展示されていました。
中山氏の意図に従って、展示順に見てみましょう。これだけの名画を写真撮影できるのは嬉しいですね!
(サルーテ運河1908 (国会議事堂、バラ色のシンフォニー1900) (エトルケの夕焼け1885)
(ヴァランジュヴィルの風景1882) (グラジオラス1881)
(ジヴェルニーの冬1885) (セーヌ河の日没、冬1880) (ジヴェルニーの積みわら1884)
(睡蓮の池1899) (ルーアン大聖堂1892)
折角ですから、名画とジョイントしましょう!
上記の絵のほかに、ルノアー16点、セザンヌ8点、ゴッホ2点、ピカソ21点等を所蔵しているそうですから、たいしたもんですね。今回の「モネ展」のように、「ルノアール展」や「ピカソ展」も企画されるのでしょう。
日本の画家もありました。
(岡鹿之助/掘割1927) (海老原喜之助/行軍1930) (猪熊弦一郎/猫を抱く人物1955)
(荻須高徳/ジャン・ジョレス界隈、ジュマップ河岸1958)
もう一つ、“特別展”で、「ラファエル・コランと黒田清輝―120年目の邂逅」がありました。“日本洋画の父”黒田清隆(1866〜1922)は、留学先のフランスで画家ラファエル・コラン(1850〜1916)に師事し、油彩画の技法を習得しました。1900年に2度目の渡仏をした黒田は師の作品「眠り」に強いインパクトを受けたか、帰国後「野辺」を制作しました。
「眠り」は1900年のパリ万博で展示されて以降長年所在不明であったのが、数年前パリで、女子美大特任教授の三谷里華さんによって発見され、今回師弟の絵が箱根で120年ぶりの邂逅を果たした!・・・と言うことなんだそうです。確かによく似た構図ですね。
(コラン/眠り1892) (黒田/野辺1907)
コランの柔らかいタッチの裸婦像は、他にもあります。
(フロレアル1888=オルセー美術館蔵) (今・会場でのパネル写真)
岡田三郎助(1869〜1939)は、1897年(明治30年)第1回の文部省留学生としてパリに渡り、コランに師事しました。コランに学んだ日本人の中で、師の優美な女性表現を最も忠実に引き継いだと謂われているそうです。特に「花野」はコランの「眠り」屋黒田の「野辺」に繋がるように見えてきますね。
(花野1917) (あやめの衣1927) (裸婦―水辺に立てる1931) (裸婦1936)
和田英作(1874〜1959)は1900年に文部省留学生として渡仏し、コランに木版画と油絵を学びましたが、“優美な女性表現”は継がなかったようです。
(和田英作/薔薇1932)
陶芸作品・・・北大路魯山人、加藤土師萌、岡部嶺男、荒川豊蔵、金重陶陽などの展示がありましたが、特に目を惹いたのが、↓この豪奢な作品。陶芸の枠を超えた革新的な作品ですね!桑田さんは1981年生まれで、その独創性で内外で評判が高いそうです。
(桑田卓郎 茶埦)
ロビーには彫刻もあります。
(ブールデル/バッカント) (同/パリジェンヌ1907) (エミリオ・グレコ/水浴の女U1957) (ファッツィーニ/踊り子1937)
いやぁ、企画展もよく、全体に充実した内容で、大いに楽しむことが出来ました。ポーラ美術館のコンセプトは「箱根と自然と美術の共生」ということだそうで、その言葉どおり、建物は広大な森の中にあります。森の中の遊歩道を歩いてみます。
森林浴そのものも楽しいですが、木立の中のあちこちに彫刻作品があって、これも又楽しい。
〜〜こうして、最後は芸術を堪能して、小旅行は終わりました。
(完)