11月17日(火)・二日目 晴れ
今日は、今回の旅で妻が最も楽しみにしていた倉敷巡りです。岡山から山陽本線で16〜17分、近いですね。駅前から10分強歩くと、蔵屋敷が立ち並ぶ「美観地区」に到着です。
倉敷川沿いに歩いて、まずは倉敷館へ。此処は大正6年(1917年)に町役場として建てられた洋風木造建築で、現在は観光案内所&無料休憩所になっています。此処で川船遊びのチケットを購入します。川船は20分おきに出ますが、1艘6人なので、早めに時間指定券を購入しておかないといけないのです。
これで準備万端、私にとって倉敷最大の目的は大原美術館です。「密」を避ける10分おきの入場制限ということで、入り口で少し待たされました。ギリシャ神殿風の正面が格調高くて印象的ですね。
(遠景) (正面玄関) (館内)
玄関の正面右に立つブロンズ像は、ロダン作の「カレーの市民、ジャン・デール」です。
1階は児島が買い付けた作品が並んでいます。“一流は一流を知る”で、有名画家たちの優れた作品が並んでいます。例えば・・・モネは「睡蓮」シリーズのほかにも「積みわら」をテーマにした多くの作品(25作品以上と言われる)を制作し、そのうちの1点は2019年サザビーズNYのオークションで122億円で落札されたほどであるが、私的にはそれより、此処の「積みわら」の方が好きですね。
(シャヴァンヌ/幻想) (マネ/薄布のある帽子の女) (モネ/積みわら)
(参考:122億円の「積みわら」)
(ピサロ/りんご採り) (ゴーギャン/かぐわしき大地) (モネ/睡蓮)
(モディリアーニ/ジャンヌ・エビュテルヌの肖像)(ジョヴァンニ・セガンティーンヌ/アルプスの昼寝) (ロートレック/マルトX夫人)
(シニャック/オーベルシーの運河) (ジュール・フランドラン/花を持つ少女)
(ピカソ/頭蓋骨のある静物) (キリコ/ヘクトルとアンドロマゲの別れ)
ここで一つ疑問が湧いてきました。ゴッホの絵が一点もありません(所蔵リストにもありません)。・・・ゴッホが亡なったのが1890年。児島が大原の命で絵の買い付けを始めたのは1920年。そのかなり前の1905年にゴッホの弟テオの妻ヨハンナが奮闘し、アムステルダムで大規模な回顧展を開催して大きな反響を呼び.これを契機にゴッホは一躍有名な画家となっていました。児島がゴッホの存在を知らない筈はありませんから、彼はゴッホを評価しなかったということでしょうか?
さて、1階のメインルームに並ぶのは,児島と略同時代の画家たちですが、2階に上がると、“特別コーナー”といった感じで唯一の「古典」が展示されています。それがエル・グレコの「受胎告知」です。よくこの傑作を取得して持ち帰ったものだと感心します。
2階の部屋の一角を占める大作はレオン・フレデリックの「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」です。彼が25年をかけて制作した作品で、児島はこの作品を見て、レオンの代表作として残るであろうと考えて、“手放したくない”というレオンに特別に頼み込んで譲ってもらったということです。のちに美術館を建設する際にはこの絵の横幅が、美術館の横幅を決めたそうです。それにしても物凄い人数が描かれています。しかも全て女性なんですね。
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個々の作品が傑作揃いであることはわかりましたが、展示点数が意外に少なかったのは(期待が大きかっただけに)ちょっと残念な気がしました。(リピートを増やすため、所蔵品の入れ替えをしているのでしょうが・・・)
奥に進むと、日本人画家の作品が並んでいます。もちろん児島の作品が多くあります。彼は47歳の若さで亡くなっており、無知な私は此処で初めて彼
(朝顔)
(睡れる幼きモデル) (初秋) (里の水車)
児島以外の著名な画家の作品も並んでいます。
(岸田劉生/童女舞姿) (関根正二/信仰の悲しみ) (満谷国四郎/緋毛氈)
(青木繁/男の顔) (藤田嗣二/舞踏の前) (古賀春江/深海の情景)
(中村
彝/頭蓋骨を持てる自画像) (安井曾太郎/外房風景
「絵画館」を出た所に、“サービスコーナー”として、“睡蓮”と写真を撮るスポットがありました・・・睡蓮の中に入ってしまいました!
「古代オリエントやイスラムの古美術」、「東洋の古美術」といったコーナーもありますが、これらは質・量ともそれほどではありません。
(女神イシス=プトレマイオス朝) (ファラオ木像=末期王朝) (猫=26王朝) (彩紋土器の壺=BC2000頃)
(一光三尊仏像=北魏) (菩薩頭部=北魏)
別棟の「民芸運動ゆかりの作家たち」・・・河井寛次郎、富本憲吉、濱田庄司、バーナード・リーチの陶芸作品は素晴らしい作品が数多く並んでいて見応えがあります。
(河井寛次郎/三色彩扁壺) (富本憲吉/白磁蓋付壺) (バーナード・リーチ/楽焼走兎図大皿)
また棟方志功の版画が代表作の「二菩薩釈迦十大弟子」をはじめ、多数展示されていました。棟方の凄まじいばかりのエネルギーを感じます。
(二菩薩釈迦十大弟子)
(美尼羅牟頌板画柵
4図) (流離抄板画柵)
(美術館域内の屋外の様子)
2時間弱で見物を終了し、昼食へ。アートロイヤルホテルの横を奥へ入ると、蔵を改造したフレンチ・レストランの「八間蔵」があります。
中へ入ると、シックで落ち着いたいい感じです。予約をしてあったので、奥の席に案内されます。
(スパークリングワイン) (アミューズ=生ハム&クリームチーズ) (パンも美味しい)
(海鮮のサラダ) (マッシュルームのスープ・・・素晴らしい!) (牛ヒレのカツレツ)
デザートのケーキには“アニバーサリー・プレート”が添えられています・・・実は、今日は48回目の結婚記念日なんです!
ホテルの経営ですから、雰囲気よし、係のサービスよし、料理は素晴らしい。そしてこの「アンバーサリー・ランチ」の値段が、なんと二人で5千円(税・サ込)なんです。本当にいい記念日ランチになりました。
1時間でランチを終えると、午後1時前。当初、美術館でもう少し居る予定で計画を立てていたので、川船の予約は2;30。十分余裕があるので、街を散歩します。
川を離れ、蔵通りを行くと、高台に観龍寺というお寺がありました。約千年前の創建で、寛永元年(1624年)に現在の場所に移転し、その後火災にあい、本堂は寛延2年(1749年)に再建されたらしいです。
(本堂) (境内から美観地区の眺め)
寺から降りて、さらに蔵屋敷通りを散策します。ちょっと場違いなトルコ人の経営するショップもありました。(トルコ人も逞しい!)
時間になったので、船に乗り込みます。約20分間、のんびりと倉敷川に浮かびます。船頭さんが、両岸の建物をユーモラスな語り口で説明してくれます。
(橋を潜り抜けます) (大原孫三郎が夫人の為に建てた別邸)
(船頭のサービス!・・・この枝の下を通り抜けます)
船を上がると、次はアイビー・スクエアに向かいます。此処は明治時代の倉敷紡績所・発祥工場の跡地で、その外観や立木を限りなく保存し再利用して生まれた複合観光施設だということです。ホテルもあります。
紅葉した蔦の絡まる建物の入り口を入ると、中は土産物コーナー。そこをさらに抜けると、四方を赤レンガの壁に囲まれた大きな広場(=アイビー・スクエア)になっていました。
スクエアから出て壁沿いを右に辿ると,陸橋があり、その上から旧工場らしき建物が見えたので、橋を渡って行ってみました。
右手に鳥居がありました。城山稲荷です。鳥居の奥の参道が直角に曲がって本殿へと続いています。明応2年(1493)に城主・小野好信が伏見稲荷大社より勧請したのが始まりだそうな。
左手から奥には工場跡の建物がありました。
夜は美観地区で食事をする予定なので、又川沿いに戻って、蔵屋敷通りを歩きます。来る前は、川沿いの道だけに蔵屋敷があると思っていましたが、かなり広い範囲に渡って海鼠(なまこ)塀と白壁の蔵屋敷が広がっているのに驚きました。よくこれだけのエリアを保存したものです。
鳥居がありました。石段がずっと上の方まで続いています。夕日が見えるかもしれないと、地元の高校生(野球部員?)がトレーニングをしている石段を老骨に鞭打って登りました。門が見えてきました。鶴形山の山頂に鎮座する阿智神社です。
古くは此処一帯は島で、神功皇后の西征の際、海の守護神として鎮り、東漢氏(やまとのあやうじ)の祖、阿知使主(あちのおみ)が祀ったと伝えられる創起1700年を超える古社だということです。
境内の端からは、思った通りの綺麗なサンセットが見えました。
下で待っていた妻と、灯りがともり始めた通りを歩きます。途中老舗のお茶屋さんを見つけて、香り高いほうじ茶を購入。(愛飲してます!)
すっかり日も落ちた5時半に、今夜の食事処の桜草に到着。
此処も(昨夜と同じく)個室に案内されます。料理人の技が光る工夫を凝らした会席料理で、どれも本当に美味しい。量が程々なのが嬉しい。
(前菜盛り合わせ) (お造り) (あさり豆腐)
(秋鮭と子芋のグラタン) (揚げ物=牛蒡真薯・鯛竜田揚げ) (酢の物=蟹・木耳、林檎)
(ご飯・ちりめん山椒煮、合わせ味噌汁) (栗羊羹・薩摩芋餡)
〜〜この料理で3500円(税・サ別)ですから驚きです。大勢の客で賑わっていた理由がよくわかりました。昼といい、倉敷には優れた料理の店があります。
ほろ酔い機嫌で美観通りから駅へと戻ります。大原美術館がライトアップされて漆黒の闇の中に浮かび上がっています。いやぁ、倉敷を丸一日堪能しました。(21,800歩を歩いていました。)
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