ビルバオ
今日も雲一つない快晴です。9時出発で、バスク地方最大の都市、ビルバオへ向かいます。
(途中の車窓からの景色・・・結構変化に富んでいます)
途中トイレ休憩したパーキングにはアーモンドの花が満開でした。(右2枚は後日・別のパーキング)。アーモンドの花といえば、シチリア島のアグリジェントの谷が有名ですが、スペインの北部でも2月半ば過ぎには満開になるようです。花はピンクと白の2種類があって、同じバラ科なので、遠目には桜の花か?と間違えますね。
ビルバオの町に入る前に、まずはビスカヤ橋へ。この橋はネルピオン川に架けられた世界最古の”運搬橋“です。建築家アルベルト・パラシオ(ギュスターブ・
本当は上の橋を歩いて渡りたいところですが、それにはエレベーターで乗降しなければいけないので、時間の余裕がありません。そこで8分間隔で往復するゴンドラに乗って両岸からの景色を楽しみました。(2室のゴンドラの間に車両を載せています。)
(ゴンドラで対岸へ)
(設計者アルベルト・パラシオの胸像)
ビルバオの町に入ります。車窓から、ビルバオのシンボル=グッゲンハイム美術館の姿が見えてきました。
ビルバオは中世以降、スペイン北部の商業の中心として栄え、19世紀以降は鉄鋼業を中心にバルセロナに次ぐ、スペイン第二の工業都市に変貌したが、その後鉄鋼業の衰退とともに町も衰退。しかし、1990年代半ばから都市の再生に取り組み、特にグッゲンハイム美術館の建設を起爆剤として、第三次産業を中核とする文化観光都市として復活、世界中から観光客を集めて繁栄し、世界中から都市再生のモデルとされている。
(A氏)「バスクといえば、激しい独立闘争で凄く危険な場所だという印象だったが、この豊かで平和な光景は信じられないねぇ!」・・・バスク地方はピレネー山脈を挟んでスペイン側に約210万人、フランス側に約30万人が住む。スペイン側の約40万人がバスク語を話すという。
(バスクの位置と、バスクの旗)
第二次大戦後に独立運動が強まり、アイルランド共和軍を参考にして、「反フランコ独裁政権」を旗印に、1959年に武闘集団ETA(バスク祖国と自由)が結成された。68年から爆弾テロや要人暗殺などの過激テロを展開し、73年にはマドリードでスペイン首相のブランコ(フランコ総統ではない!)を暗殺している。
75年バスクに対し徹底した強硬路線を貫いたフランコ総統が亡くなり王政復古した後、77年にはバスク地方初めての総選挙が行われると、左派民族主義派が勝利。79年には自治権を認められバスク自治州となった。
しかしその後も中央政府との武力抗争は続いたが、政府側の攻勢は激しく、2011年にETAは休戦を宣言。2018年になって漸くETAは解散を表明し、過去の闘争を謝罪する声明を発表した。中央政府の「ムチ」(=武力攻勢)とともに、「アメ」(=寛容な自主徴税権の賦与)が功を奏したといえる.。
〜というわけで、A氏の言う通り、バスクに平和が戻ったのはごく最近のことなんですね。2017年10月のビルバオではまだこんな光景が見られたそうです。・・・2017年9月、カタルーニャ独立派の旗と、バスクの旗=右=を掲げて独立を訴えるビルバオの市民たち(=ロイターによる)
今、目の前にする光景といい、先ほどのビスカヤ橋周辺でも小奇麗な住宅が立ち並び、街が豊かであることが感じられ、激しい闘争の名残りのかけらもない。平和は繁栄の源ですね。
さて、ビルバオ・グッゲンハイム美術館はNYのグッゲンハイムの分館の一つ。1991年バスク州政府はグッゲンハイム財団に分館を建設することを提案し、財団は“誰も見たことが無いようなユニークなデザインを求めた。設計コンペでフランク・ゲーリー(カナダ生まれでアメリカで活躍する)の案が採用され、総工費89
世界的に圧倒的な評価を得ている建物は、とにかく奇想天外としか言いようのない複雑な構造で、周りを歩いてみると、見る角度によってフォルムが違ってくる。チタニウムで覆われた表面が太陽を浴びて、様々な反射光を放っています。
(建物と、周辺の立体模型)
高台の方へ行ってみると、建物とその周り、そしてビルバオ川とサルベ橋が全部で一体となって、素晴らしい景観を作り出していることがわかります。
サルベ橋は1972年完成のスペインで初めてのつり橋で、美術館完成の10周年の2007年にダニエル・ビュラン(仏)の設計によってこのユニークな赤いゲートが追加されたそうです。
(上から全貌を見てみたい!と思ったら、ウイキペディアにこんな写真がありました)
建物そのものが素晴らしい芸術作品ですが、周辺に3つの有名な野外オブジェがあります。一番人気が美術館のマスコット、ジェフ・クーンズ(米国)作の
因みに、パピーの向こうに建つビルはバスク州で最も高い(41階建て、高さ165m)「イベルドローラ・タワー」。イベルドローラ社の本社として2012年に完成。
つぎは、ルイーズ・ブルジョワの「ママン」。蜘蛛のオブジェで、NYやベルリンなど世界9か所にあるそうで、六本木ヒルズにもありますね。毎正時にはママンの近くから霧が湧き出るとか。これは北海道出身のアーティスト中谷芙二子氏の作品だそうですが、生憎くと時間の都合で霧を見ることができませんでした。
(ママン。⇒右は六本木ヒルズのママン)
そして「パピー」のジェフ・クーンズ作の「チューリップ」。9年の歳月をかけて完成させたそうで、素材がステンレススチールとは思えない、色鮮やかで艶々のチューリップです。
一回りすると、ツアーはビルバオのバル巡りに移動しますが、我が家は、折角なので中の展示品も見てみたい。「そうしよう}と言ってくれたA氏と3人で残って美術館に入場します。有難いことにシニアの入場料は半額で€6です。内部の構造も曲面・曲線とそして直線がミックスされた斬新なアート”です。
1階には2作品。一つは文字でアートを表現するので有名なジェニー・ホルツァーの作品。巨大な9本の電光掲示中に文字が流れています。政治的なメッセージが表現されているそうですが、アルファベット文字が流れますから私なんぞには読み取れません。「へぇ〜〜?」と眺めるだけです。
そしてもう一つは、びっくりするほど巨大な「マター・オブ・タイム」。作者はアメリカの彫刻家&映像作家のリチャード・セラで、かつて鉄鋼の町であったビルバオを象徴するような、厚い鉄鋼の板を円筒形に丸めて造形されています。
後で2階から眺めてみると、こんな全体像になっていました。
3階に上がると、そこは現代絵画の展示室。作品数は少ないですが、大きなカンバスに描かれた作品はインパクトが強いです。アンディ・ウオーホールとバスキアの作品はすぐわかりました。撮影禁止なのでイメージで表すと・・・ウオーホールは例によってモンローの顔を色の変化をつけて並べたもの、(下の写真の背景をもっとダークに、顔をカラフルに変化させたものです。)、一方バスキアはした(右)のNYのMoMA(近代美術館)にある絵とよく似た絵でした。ともに二人の“18番”なんですね。
(ウオーホール/モンロー) (バスキア・・・MoMA所蔵の絵)
2階に降りると、ポップな作品群が並んでいます。奇妙な造形物や、面白い仕掛けがあります。(此処だと少し撮影ができます)
カラフルなライトの前に立って体を動かすと、壁に面白い姿が投影されて楽しいです。又、天井に黄色い蛍光灯が一杯の”黄色い部屋”では、不思議な感覚になります。
(夫婦とA氏・・・本当は空間全体が薄黄色ですが、撮影するとオレンジ色になりました)
〜〜モダンアートは好みではないのですが、奇抜な作品の連続で案外楽しめました。今はオフシーズンなので特別企画展は無く、その点ちょっと物足りなかったかな!
2時過ぎには外に出ました。旧市街での集合時間(4時)迄には十分時間があります。トラムに乗ると10分強だというので、乗ってみようか?と思いましたが、乗り場がどこだかよく分かりません。A氏の「いつ来るかわからないし、歩いたほうが早いよ」という意見に従って、川沿いをテクテクと。快晴で気温は25℃くらいでしょうか。春爛漫といった感じで、汗ばんできます。
優美なデザインのスビスリ橋を渡って対岸へ。床はなんとガラスのタイルになっています。スビスリとはバスク語で「白い橋」だそうで、この一帯の再開発の一環として1990年に着工し、1997年に完成したそうです。 設計はスペインのサンティァゴ・カラトラバ。彼はアテネオリンピックスタジアムも手掛けたそうですが、湾曲した独特のデザインが高く評価される一方、雨の多いビルバオではガラスタイルの床は滑りやすく実用性に反すると、市民からは厳しい評価もあるとか。今日は天気がいいので、気持ちよく渡れましたが・・・。
リバーサイドはよく整備された親水公園になっています。
旧市街に近づくと、大勢の人だかり。ポップな音楽が流れ、踊りの輪もあります。騒ぎを横目に(集合場所となる)サン・ニコラス教会を過ぎて旧市街の中に入ります。バルが密集しているというヌエバ広場は周りを建物で囲まれています。
回廊を歩くと、仮装した人々で一杯で、ちょうど渋谷や川崎のハロウイン状態です。後でMさんに聞くと、「2/8〜2/28がバスクのカーニバルなんです」とのことで、カーニバル最後の週末とあって、昼間っから大いに盛り上がっているということです。
このエリアのバルでは「グレ・トキ」と「ラ・オラ」の人気が高いですが、仮装の群れを楽しみながら回廊をぐるっと回って(反対に回ればよかったんだよ!)、「ラ・オラ=La
Olla」に入ります。店内はラッシュアワー状態です。店員も仮装しています。
人混みを押し分けてカウンターに近づき「オラァッ!」と大声を出すと、こちらを向いてくれます。すかさず好みのピンチョスを指さして皿にとって貰います。キャッシュ・オン・デリバリーです。奥の方にテーブル席があったので、そこを確保して遅めの昼食。よく歩いてお腹も空いていたので、結構取っちゃいました。どれも美味しかったです。(ピンチョス6個で€12.5、ビール€2.5、チャコリ€1.95で,〆て(税込み)€16.95でした)
(バスクで最初のピンチョスを前にご機嫌の3人)
此処の地下のトイレの「手洗い」が面白かったです。
この後、橋を渡って、(ここが百貨店がある最後になるというので)デパートの「エル・コルテ・イングレス」へ。6階のスーパーマーケットで、ドライいちじくやオリーブ等を購入して、集合場所の教会前へ戻り、無事バル巡りをした一行と合流してホテルへ。
今夜のホテル「エルシーリャ」は有難いことに新市街の中心にあります。近年改装したようで、部屋は広く清潔で綺麗です。総合的に今回のツアーでベストです。
一休みして、新市街のバルエリアに出かけます。通りは仮装した人たちでにぎわっています。目指すはビルバオのバルでナンバーワンとの評判の「ラ・ヴィーニャ・デル・エンサンチェ」。到着したのが6時過ぎと宵の口なのでまだ空いています。入った直ぐの場所にテーブル席があるのは有難い。
(カーニバルの人たち)
(ラ・ヴィーニャ・デル・エンサンチェ)
注文したのは、先ず当店の名物、小鍋に入った「フォアグラ・マッシュルーム・卵黄入りポテトクリーム」・・・小ぶりですが、味は濃厚で、さすが名物と謂われるだけのことはあります。
次は「生ハム」。当店はホセリート社のハモン・イベリコを出しているというのが人気のもとだという。ホセリート社は19世紀に創立され、スペインの食材では最高峰の評価を受けているらしい。大皿に大盛りで登場しました。食べてみると・・・ウマイ!・・・塩気は全くなく、ほのかな甘みと芳醇な旨味が口の中に広がります。今までフィレンツェでパルマ産、バルセロナでハモン・イベリコと一応“本場”と言われる品をいろいろと“旨いなぁ!”と感じながら食べてきましたが、それらは一体何だったんだろうか?これが本当の生ハムなんだ!と感動ものです。
サイドのバケットもトマト風味のソースを載せて食べると、これも美味しい。最初は二人でこんな量(120〜130g位?)を食べきれるだろうか?と思いましたが、あまりに美味しいのでパクパクと完食してしまいました。少し後でやって来たツアー仲間のマダム3人組も大喜びで食べていました。 (小鍋€4、生ハム€27、チャコリ€1.9×2、合計€34.8と、値段もリーゾナブル)
満足で店を出ると、通りは大賑わいです。いっしょにはしゃいでる日本人もいます!
次は近くの「エル・グロボ」へマダム3人組と一緒に移動します。7時半を回っているので店内は混み合っています。どんどん人が入ってくるので、例によって人混みをかき分けて前に出て「オラァ!」・・・カウンターの向こうはなんと女性オンリーで忙しく立ち働いています。我々は5人で注文する人、運ぶ人、席を確保する人と「ワンチーム」で協力して、着席して食べることが出来ました。後からMさんもやってきて盛り上がりました。
此処で注文したピンチョスは「イカ墨ペーストとベシャメルソース」、「チャングロ=カニの身と味噌入りクリーム」。温めてから出してくれるので、バケットもカリッとして文句なしに美味しい!(ピンチョス4個で€8、ビール€2.4、チャコリ€1.8 〆て€12.2)
流石に人通りの少なくなった(意外と早いですね!)大通りを歩いて(=歩行者天国になっています)、モユア広場の噴水前を抜けてホテルへと戻ります。ビルバオ・・・いい街です。
大通りに立派な銅像(写真・右)がありました、誰でしょうか?⇒明日、ゲルニカでその正体がわかります。
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