五日目(2/24・月)

サン・ジャン・ド・リュズ〜オンダリビア

 連日同じような内容の朝食を済ませると、1時間ほど走って国境を越え、フレンチバスクへ入ります。EUになってから国境検問は無くなった(=だから、東欧の貧しい人たちや、難民がどんどんと、豊かなフランスやドイツに入っているわけだ!)と聞いていたのですが、フランス側に入ると、なんとバスが止められ屈強のフランス国境警備員が二人バスの中に入って全員のパスポートをチェックしたではありませんか! 

 で、着いたのはサン・ジャン・ド・リュズ。人口13千人余りの小さな町であるが、ニヴェル川の河口に開けた、陽光溢れるフレンチバスクの観光・リゾート地として人気が高い。冒頭の「スペイン王家の系譜」で触れたように、166069日に太陽王ルイ14世(当時22歳)と、スペイン王フェリペ4世の王女マリア・テレーズ・ドートリッシュ(22歳)の結婚式が此処のサン・ジャン・バティスト教会で行われたことでも有名である。

因みに太陽王は多くの愛人がいたが、正式な結婚相手(王妃)はマリア・テレーズ一人である。(彼女の死後も後添えは迎えなかった。)王は王妃を愛さなかったが、王妃は慎ましく穏やかで信仰心厚い女性であり、二人の間には人の子供が生まれた。そのほとんどは幼少期に死亡し、成人したのは長男のみであったが、彼も父王より早く亡くなり、 その三男(王の孫)アンジュー公が5歳でルイ14世の後を継ぎルイ15世となった。

 バスを降りて街に入るとすぐに、その結婚式の折にルイ14世が40日間滞在したという館があります。壁には14世の肖像が描かれています。1643年に建てられた当時裕福な船主の家であったそうで、以来その子孫がずっと住んでいると。€6.5で内部見物もできるそうです。(↓写真右は当時を描いた絵)

      

 奥の港の方へ行くと、マリア・テレーズが滞在した「王妃の館」があります。ピンク色の壁が綺麗です。

    

 町中へ入ります。10時を回っていますが、月曜日は休みの店が殆どで、人通りもなく、街はまだ眠っている感じです。白壁と赤い木枠のコントラストが美しい街並みを形成しています。

      

 さて、結婚式が行われたサン・ジャン・バティスト教会は、こじんまりとした教会です。

    

 自由に入れるというので、中に入ってみましょう。外観は“地味”ですが、中は豪華です。

    

 小さな教会なので、2階にテラス席を設け、男性陣はこのテラスで礼拝したそうです。14世の結婚式の時もフランスとスペインの王侯貴族が此処に並んだのでしょう。

      

 王室御用達のパティスリーであった「メゾン・アダム」がお祝いに献上したのが「元祖マカロン」。メレンゲにアーモンドパウダーと砂糖を混ぜて焼いた素朴な菓子だとかで、この地を訪れた観光客は皆これを買って帰るそうです。私も土産物として楽しみにしてきたのですが、Mさん「現在、本店も支店も2か月の改装に入っており休業中です」。「エェッ!、そんな・・・」

 近くにPARIES1895年創業という老舗があり、此処でマカロンとガトー・バスクを見つけました。ともに日持ちのしない品ですが、冬場だから数日は持つだろうと買って帰りましたが、どちらも大変美味しかったです。マカロン(1個=€1)はいわゆるマカロンよりも“ヘビー”な感じで食べ応えがあります。ガトーバスク(1個=€2)は、当然というかサンセバスティアンの地下駐車場の売店で買ったものとは(値段は同じですが)段違いの美味しさで、これがバスク名物であるというのを納得しました。

      

(店舗)         (ショーウインドウが面白い)         (マカロン)              (ガトー・バスク)

 

 オンダリビア

  最後に訪れるのが、スペイン側に戻ってオンダリビア=バスク語で“砂の浅瀬”・・・ビダソア川を挟んで、対岸がフランスのアンダイエというまさに国境の町です。(人口約17千人)

(手前がオンダリビア、川向うがアンダイエ)

 サン・ジャン・ド・リュズから45分ということでしたが、ドライバーは優秀でよく道を知っており、近道を通って僅か15分で到着しました、2時間の滞在予定でしたからこのプラス30分は大きかったです。(お蔭でバルでゆっくり昼食を摂ることが出来ました)

 町は河口に沿って南北に細長く伸びています。中央のロータリーで下車すると、先ずは南の旧市街へ。この町も綺麗な家並みです。サン・ジャン・ド・リュズは「白壁に赤い格子」でしたが、こちらは緑や青が主流ですね。

      

 ビダソア川を眺める高台へ上がります。

  

 10世紀に要塞が築かれ、16世紀にはカルロス1世の居城の一つとなった。壁には砲弾が撃ち込まれた跡が数多く残っています。非常に頑丈な石造りで、猛攻に耐えたのでしょう。今はパラドールとして経営されています。カフェもあって、宿泊客以外でも休憩利用できるらしいですが、そこに立ち寄る時間はありませんでした。

      

 城塞前のアルマス広場と、カラフルな家並み。

    

 城塞の奥というか、隣に15世紀に建てられたサンタマリア教会があります。これも教会というより、城塞のような堅牢な外観です。

  

 門を抜けると、見晴らしがよく、対岸にアンダイエの景色が広がります。

  

 アルマ広場側に戻って、教会の反対側に行ってみます。下り坂に面して、入口がありましたが、残念ながら門は閉じています。扉の上の彫刻はマリア様でしょうか?

      

 石畳の細い道を抜け、家並みを眺めながら進むと、川が見えてきました。

    

 坂を下って川沿いに向かって北に延びる新市街へ向かいます。中央の大通りはプラタナスの並木道。ブルゴスもそうでしたが、枝打ちしたプラタナスの幹は奇妙なオブジェのようです。

    

今は葉を落としていますが、夏場に来ると↓こんな光景になるようです。プラタナスの木って、面白いですね。

 この町にも多くのバルがあります。月曜日は人気ナンバーワンの店をはじめ、殆どの店が閉まっているというので心配していましたが、幸い何軒かはオープンしていました。お目当ての店はまだ開いてなかったので、通りの奥のARDOKAに入ってみます。此処は軽く・・・チャコリと、ピンチョス2個、ツナのクリーム和えと、マグロのソテーのミニバケット。(チャコリ€1.8×2、ピンチョス€2×2=€7.6))

      

 道を戻って、お目当ての店はサルダラ=SARDARA.、オープンしていました。テーブルとイスがあって、広々とした綺麗な店です。

    

メニューの中から選んだのは・・・「オリーブ、ベビー玉葱、ベビー胡瓜のピクルス」・・・このピクルスがシャキシャキとして抜群に美味しい!これだけで、チャコリが2、3杯いけそうです。パウチのビニール袋を持っていれば2、3パック買って帰りたかったです。

 次は「イカのリゾット」・・・ちょっとお上品な盛り付けで量が少ないですが、味は文句なし。きれいな緑色はなんと生の「青のり」で、磯の香りが香しい。そして「牛ほほ肉の赤ワイン煮込み」・・・こちらは2人前かと思うほど、ボリュームたっぷり。柔らかく煮込んであり、大満足です。まる4日間のバル巡りツアーの打ち上げに相応しい店でした。(チャコリ€2.1×2、ピクルス€3、リゾット€16.5、牛煮込み€12=€35.7)

    

 あとはバスに乗りこむと、一気に562km走って、マドリードを目指します。

〜〜〜〜

ホテルに着いたのは8時半過ぎ。最後の宿はマドリード中心部から車で20分くらい離れて、しかも野菜市場の中に位置し、周りには倉庫しかないというとんでもない立地のホテル・・・メルカデール。今夜は此処で大人しく過ごすだけですが、中にはタクシーを呼んで、再びサンミゲル市場近辺へ出かけた元気な面々もいました。

 部屋は新しく、広々としているのが救いです。

  

Mさんがホテルのレストランを進めないので、妻が緊急時に備えて持参した「ドン兵衛」と「おかゆ」が我が家のスペイン最後の晩餐となりました。

(Mさん)「カップ麺は、フロントでお湯を入れてくれます」・・・そこで部屋に落ち着くと、まず「どん兵衛」を出して1階のフロントへ〜〜なんと、フロントがバーを兼ねており(と言っても、生ビールサーバーとネス・コーヒーマシーンがあるだけ)受付の女性がコーヒーマシーンからお湯を注いでくれました。2度目に向かうと、同じようにカップ麺を抱えたMさんとすれ違いました。久しぶりの和食・・・こういう所で食べる「どん兵衛」は美味しいです。

 シャワーを浴びてサッパリすると、途中の休憩所で買った赤ワイン・ボトルを開け、おかきと酒悦の「茎ワカメ煮」をつまみにします。しめはリゾットならぬおかゆです。〜〜こうして最後の夜は更けていきました。

六日目(2/25・火)

 今朝は飛行機に乗るだけですから、ホテル出発は10:45とゆっくりです。窓を開けると、綺麗な朝焼けが広がっています。遠くにマドリード市街の建物が見えます。

    

 遠くを見てるときれいですが、下を見ると・・・全く殺風景そのものです。よくこんなところにホテルを建てたもんだ。そしてよくそんなところを見つけて、ツアーに組み込むもんだ!

  

 食事を終えて外に出ると、ホテルの外観はこんなでした。

    

 〜〜こうして、旅は終わりを迎えました。                                                       

 

あとがき

 出発前はいろいろなことを心配し、いささか心晴れぬ心境で出発しましたが、天候にも恵まれ、素晴らしい旅になりました。添乗員Mさんの手綱さばきが見事で、行く先で自由行動が出来てバスクの景色と食べ物を楽しむことが出来て何よりでした。

 出発日において、スペイン本土の武漢ウイルス罹患者は1名でしたが、帰国から2週間余たった今(3/14現在)は、バルセロナのあるカタルーニャ州を中心に患者は4千名を越え、非常事態宣言が出されています。そういう意味では僥倖に近いチャンスの旅であったわけです。

 日本もまだまだ峠が見えません。なるべく早く世界中で武漢ウイルスが収束に向かうことを祈るばかりです。                         (完)

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