7日目(3月10日・火)

フィレンツェ〜ローマ

 

今朝は9:04発のユーロスターでローマに向かいます。約1時間半の旅です。今回の列車は最新鋭のタイプでしょうか、先日ヴェネツィアから乗車した車両より上等で、シートの座り心地も快適です。火曜日の朝とあって空いており、ボックスを二人だけで占拠してリラックスムード。

    

 今日も快晴。車窓から移りゆく景色を楽しんでいるうちにローマ・テルミニ駅へ到着です。

    

  

                                                    (テルミニ駅の外観)

 お昼は“駅構内で軽く”ということで、スーパー・コナドの近くにあった“アジアン・エスニック”といった感じのちょっと風変わりな店へ。奥の壁にはインテリアとして清酒の薦被りがズラッとはめ込んであります。(ローマで酒樽の薦被りがあるのに驚きました!) カメラを向けると、店の人に「ノーフォト!」と叱られたので、アップが撮れませんでした。

「グリーンライス(=野菜タップリの炒飯)」と「炒麺」をオーダーすると「アレルギーはないか?」などと尋ねてくれたりするのですが、出てきたのものは、なんと「紙のランチボックス」に入っていました。(まぁ、味は並でした)

  

(奥の壁に薦被りが!)  (ペーパーボックスのランチ)

 

 ローマのホテルは「インペロ」。地図で見ると駅のすぐ近くですが、首都ローマはヴェネツィアやフィレンツェと違って、それぞれの建物がデカイ(=1区画が広い)ので、徒歩10分以上かかりました。

  ホテルの外観はちょっとシャビーですが、部屋に入ると、天井が高く室内は広くて寛げます。床はフローリングで清潔、ベッドはセミダブルと申し分なし。バスはシャワーのみですが、仕切りはちゃんとしており、シャワーが漏れることはありません。これは“当たり”のホテルでした。

      

荷解きを終えると、さぁ市内見物に出発です。今日は半日なので、ホテルから徒歩圏内の近場を回ります。まずは「国立博物館=マッシモ宮」です。ホテルからほど近くの四角の建物です。(入場料€10) 

博物館はもともとディオクレチアヌス浴場跡にあったのを老朽化のため、主要展示物をこちらに移したのだそうです。紀元前2〜紀元4世紀あたりの品々を展示してあるということです。入ってみると「国立」らしく超真面目な展示方法になっています。でも数多くの素晴らしい品々がてんじされていて、“遺跡好き”には堪りませ〜〜ん!

 館内に入ると、まずは彫刻。

      

(最高神祇官姿のアウグストス) (瀕死のニオペの娘)  (ローマ軍の将軍)   (恥じらいのヴィーナス)

      

                           (ボクサー) (ペルガモンのアッタロス2世?)

 奥の部屋にも多くの作品が並んでいます。

    

(蹲るヴィーナス)

 その中の傑作がこれ!=「円盤投げの像」。躍動の一瞬を捉えた素晴らしい作品です。4世紀の作品で、1871年に発見されたという。ローマの彫刻はギリシャ時代の作品を模したものが多いが、これも「原作」は紀元前5世紀のギリシャの彫刻家・ミュロンの作品と伝えられる。

 ミュロンの作品(ブロンズ像)は残っておらず、それを縮小復元したのがミュンヘンのグリュプトテーク(美術館)にあるらしい。此の場にも不完全ながらもう一体が並んでいるが、そのポーズは微妙に異なっている。それにしてもこの一体がよく完璧な姿形で残っていたことよ!

             

                                                                           (ミュンヘンにあるミュロンのブロンズ像==縮小復元版)

 もう一つ印象に残ったのが・・・横になってまどろむ、絶世の美女。ところが前に回ってみると、股間には、なんと「ジュニア」が付いているではありませんか!・・・これはギリシャ神話のヘルメスとアフロディーテの子供で、エルマフロディーテという両性具有神だそうです。

  

 ブロンズ製では、メデューサが見事ですね。ライオンや狼の首も大迫力です

  

 石棺の彫刻も素晴らしい。ローマ軍とゲルマンの戦いを描いたシーンがビッシリと彫られています。↓左から2番目の(細部を拡大した)人物像は、夫がしっかり者の妻から「あなた、もっと頑張りなさいよ!」と叱られているような感じがしませんか?

      

                                  (妻に叱咤激励される夫?)

 歴代皇帝の胸像が並んでいます。其々個性的な表情で、きっと本人の特徴を的確に捉えているのでしょう。在任順にならべてみましょう。概ねローマ帝国最盛期の皇帝たちです。(カッコ内は在位期間)

      

ウェシパスアヌス(6979) ネルヴァ(9698)  ハドリアヌス(117138) アントニヌス・ピウス(138161

      

マルクス・アウレリウス(161180) ルキウス・ウエルス(161169) コモドス(180192) カラカラ(198217

 

ネルヴァ〜アウレリウスはいわゆる“5賢帝”で(何故か、もう一人のトラヤヌスの像を見受けませんでした)、皆それぞれ20年前後の長きにわたって治世を行い、穏便な権力の継承を行っています。まさに帝国黄金時代の皇帝たちですね。(その後は暗殺による帝位簒奪が常となっていきます・・・コモドスもカラカラも暗殺されました)

 皇帝達に混じって、珍しく名前の表示がついた女性像がありました。LUCILLA=ルキッラ・・・マルクス・アウレリウスの娘で、彼と共同統治したルキウス・ウエルスの妻にして、次の皇帝コモドスの姉・・・です。映画「ローマ帝国の滅亡」と「グラディエーター」でこの父・姉・弟の相克が描かれており、西欧ではローマ帝国史を語る上で著名な存在なのでしょうか?

 フレスコ画は帝国繁栄期の豊かな暮らしを伝えています。

      

                                                     (ナイル川の風景)

    

(ポンペイ秘儀荘の赤色に似てます)

 色大理石のモザイク画は朽ちることのない鮮やかな色彩を今に残しています。

  

 中でも目を奪われるのは、アウグストスの妃・リヴィアの夏の別荘から発掘されたフレスコ画で、鮮やかなブルーの色彩と、優しく細やかな表現が印象的です。

  

 そして、彫刻と並ぶコレクションがモザイク画です。写実的な絵画から現代にも通じる幾何学模様まで素晴らしい作品群です。

      

 モダンな感じの幾何学紋様のもあります。

      

 満足したところで、ディオクレティアヌス浴場跡へ向かいます。(チケットは共通券です) ディオクレティアヌスはそれまでの軍人皇帝時代の混乱を収拾して284〜305年の間在位。確固たる帝国の運営に心をくだいた彼は、皇帝権と帝国防衛を強化するため軍事力を強化して官僚制を整備し、また課税強化を行った。専制的な皇帝が官僚制を通して人民を支配したことから、この仕組みは「ドミナートゥス(=専制君主制)」といわれる。

その一方で彼は広大な領土を一人で統治するのは困難と考え、軍の同僚であったマクシミニアスを共同皇帝として西方を統治させ、自らはニコメディア(現在のトルコ・イズミット)を拠点として東方を治めた。後の帝国の東西分裂の因を作ったと言える。

 さて浴場はそんな彼が306年に建設したローマ最大且つ豪華な浴場施設。ローマの地位を低下させた罪滅ぼしとして、市民へのご機嫌取りに造営したものでしょう。そのままの保存ではなく、いろいろと利用されたので、往時を偲ぶ縁(よすが)はあまりありませんが、壁に近づいて仔細に見ると、薄いレンガの層をビッシリと積み重ねた実に堅牢な建築で、基本構造が今日までしっかり残ったわけがわかります。

      

                (マッシモ宮から見た浴場跡)

 中に入ると、夥しい「石造の作品」が展示されていますが、主だったものは、先ほど見た「マッシモ宮」に移設されていますから、あまりめぼしいものはありません。一つ面白かったのは「イシス」の像です。

ローマは多神教で、自ら30万とも言える多くの神を奉じているのに、それでも満足しなかったか、征服した地域の神まで自国の神に組み入れました。それで古代エジプトの女神イシスがこんな可憐な姿になっていたのですね。

      

                          (イシス)     (アフロディーテ)

 次に「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」へ向かいます。此処は法王が認めた、サン・ピエトロ寺院などと並ぶローマの四大バシリカの一つだそうです。古代キュペレ神殿があった場所に5世紀中頃に建設され、バシリカ様式(=古代ローマの聖堂様式)の原構造を唯一残した建物だと言われる。(さて、バジリカ様式とはどんなものなんでしょうか?)

近くに来てみると、なるほど巨大な文字通りの大聖堂です。裏正面から近づきましたが、裏と表正面では、まったく建物の趣が異なっています。

    

(裏正面)            (表正面)          (正面右横側)

 中に入ると、中央の身廊の両横に狭い側廊がある3廊式の教会になっています。さすが四大バジリカと言われるだけあって豪華絢爛です。身廊天井の飾り格子の見事なこと! 

      

 振り返ると後部の絵画やステンドグラスも素晴らしい。壁のフレスコ画は5世紀のものという。

    

 主祭壇には半地下の礼拝室があって、司祭らしき方(もしかして教皇?)の像が膝まづいて拝む目線の先には・・・豪華な銀の壺のようなものが安置してあります。中には聖遺物の「イエスが生まれた時に使った“かいば桶”の木片」が入っているそうです。あなたは信じますか?

    

  側廊の天井は身廊とは打って変わってモダンな感じです。

  

 ドメニコ・フォンターナ(16世紀後半の建築家)が教皇シクストゥス5世のために造ったので、「システィナ礼拝堂」と呼ばれている礼拝室があります。周りの壁のフレスコ画が鮮やかです。  

因みにシクストゥス5世(在位1585〜90)は教皇庁の財政立て直しに辣腕をふるい、公共事業を盛んに行って、都市ローマを現代に近い形に整備した、ある意味では傑出した教皇であったそうな。

      

(13世紀末に、5世紀のモザイク画をあつめてヤーコポ・トッリッティが描いた「聖母戴冠」)

 パオリーニ礼拝堂は17世紀の後期バロック様式ということですが、礼拝が始まるというので閉められてしまいました。

外へ出ると、目の前のマッジョーレ広場には大きな塔があります。頂きの像は誰でしょうか?

  

 広場の向こうに「ズマ」というスーパーがあったので、ミネラルウオーターなどを購入してホテルに戻ります。

  

 ホテルで一休みすると、夕食です。事前に調べておいた、狙い目のトラットリアへ行くとシャッターが降りています(定休は日曜のハズですが・・・)。仕方がないので、次の候補「アンティーカ・ボエム」へ。

 イタリアのトラットリアの例に洩れず、間口は通り過ぎてしまいそうなほど狭いのですが、中へ入ると、半地下〜地下1階とどんどん広がって行きます。6時半頃に行ったので、我々が最初の客。7時を過ぎると、次々とやってきて、帰る頃(8時すぎ)には満席になっていました。

    

    

(前菜盛り合わせ)     (シーフード・パスタ)         (リゾット)

  

(ティラミス)         (レモンケーキ)

 ホテルのすぐ近くには「オペラ座」があります。1880年にドメニコ・コンスタンツィが私財を投じて建設した歌劇場で、1926年ローマ市庁によって買収され、その後パブリックなオペラハウスとして運営されている。

  

(オペラ座)         (ホテル・インペロ)

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