3日目  5月25日(金)   アスワンへ⇒アブシンベル⇒アスワン

 11時間以上走ったでしょうか、外が明るくなりました。ナイル川の傍を走っています。

       

 「ちょっと車内探訪してきます」と、妻は部屋から出て行きました。

    

(食堂車兼サロンカー・・・さすがに寝室よりは豪華です!)

 8時になると朝食が運ばれます。3種類のパンとコーヒー(又は紅茶)、ハチミツ&バターです。

 此処の食事は一切口をつけないと決めている妻はレトルトの“海鮮おかゆ”と“米クリームブラン”にエナジージェリーとカゴメ野菜ジュース。(まぁ、これだけ食べれば十分でしょう)・・・お粥は常温でも美味しいそうです。私も此処のパン少しに加えて、玄米ブランに野菜ジュースでお腹を満たします。〜〜こうしてなんとか列車での2食をクリアすることができました。

列車は最初の遅れを取り戻すどころか、更に1時間遅れて10:48にようやくアスワンに到着。13時間の長旅でした。

    

    

(アスワンの駅と駅前通り)

 ナセル君(ガイド)に追い立てられるようにしてバスに移動し、乗り込むや否やバスは急発進。ドラバーはクラクションを鳴らし、何やら喚いてます。

(添乗員)「皆さん、ドライバーは前方に向かって口汚くののしっているように見えますが・・・実はその通りなんです。実はアブシンベルに行くには11時までにツーリトポリスのオフィスに行って彼を乗せないといけません。時間を過ぎるとアブシンベル行きがダメになるのです」

(一同)「?!・・・・」 絶句です。いやはや、エジプトツアーは本当にリスクがいっぱい!です。

腕時計を見ると、もう11時です。“オーマイガッ!” どうなることやらと気を揉んでいると、11:03にオフィスに到着。二人のポリスが乗り込んできました。一人は若くて精カンな感じですが、もう一人はパリッとしたスーツ姿の白髪頭のおじさんです。一同ドライバーに向かって拍手です。

バスはオールド・アスワンダム(=灌漑&洪水防止用に1902年に建設)の橋を渡って郊外へ。

    

早々と「今日の昼食です」と言って、弁当が配られます。(アブシンベルにレストランはありません!)鶏カラアゲと厚焼き卵に胡瓜の浅漬けにおにぎり2個。しばらく後で頂戴しましたが、卵焼きは純和風で美味しかったです。

 やがてヌビア砂漠へ出ます。真っ直ぐに伸びたアスファルトの道の両側はどこまでも褐色の砂漠が広がっています。

 正確にいえば、砂丘ばかりというわけではなくて、アブシンベルに向かって右側は送電用の鉄塔とケーブルが、これまた何処までも続いています。そして、砂漠は砂丘だけではなく、時折太陽に焼かれて黒茶けた岩肌の小山が現れます。(中にはピラミッドみたいな形をした小山もあります)

  

 長時間ドライブになるということで、古いビデオの上映=“アブシンベル・史上最大の引越作戦”=がありました。・・・1960年代に計画されたアスワンハイダムの建設によって神殿がナセル湖の湖底に沈むというので、ユネスコが主導して64年〜68年にかけて、神殿を分割して約60m上方へ移設するという途方もないプロジェクトが実施された、その詳細な記録映像で、興味深く拝見しました。

(当時の移設工事)

この人類の偉大な遺産保存のために多くの国(特に西欧諸国)が一致協力して多大な支援を惜しまなかったというのは実に感動的なことで、現在の世界の混沌、西欧とイスラムの対立等を考えると、なんとも複雑な気持ちにさせられるのであります。

 走り続けること280km=3時間弱、午後2時前に漸くアブシンベルに到着しました。バスを降りると「ワンダラー、ワンダラー」と声をあげて、土産物売りが殺到します。記念にコットンのスカーフを買い(2ドル)、ターバンのように巻いてもらいます。

(アラビアのロレンス気どりです!)

 さぁ、いよいよ大神殿の見物です。午後2時過ぎとあって、猛烈な暑さ。45度くらいでしょうか?、乾燥サウナに入ったような感じです。こんな時間帯とあってか、見物客は我々一行の他はほんの数人だけでした。

    

 まるで聖地を訪れる巡礼のように歩を進めると、ナセル湖が見えてきて、赤褐色の丘を廻ると・・・

 大神殿です。

  

    

 4体は全てラムセス2世です。左から2体目は、残念なことに崩れ落ちていますが、顔をアップしてみると、左から

青年⇒(?)⇒壮年⇒高年と表情の変化が分かります。  ラムセスU世はBC1302年頃に生まれ、24歳で父セティT世の後を受けて即位し、実に66年もファラオの地位にあって90歳で没したといわれるから、此処にその66年の変化が表現されているわけである。

  

 壁には絵や象形文字がぎっしりと彫り込まれています。↑写真・左の人物群は戦争勝利の証としての捕虜の絵と思われます。

 それでは中に入ります。

  

 中に入ってすぐの大広間には8体(写真では6体しか写せませんが)の石像があります。オシリス神の姿をしたラムセスU世です。

     

 広間の奥の部屋の、向かって右の壁にはカデシュの戦いのラムセスUの奮戦ぶりを描いたレリーフが薄明かりの中に浮かび上がります。

 カデシュの戦いはBC1274年にシリアのオロンテス川一帯で起きたエジプトとヒッタイトの戦いです。ラムセスは治世4年目にヒッタイトの属国アムルを奪ったが、ヒッタイト王ムワタリはやがて奪還の兵を挙げ、両国の全面戦争となった。

 当時世界最強を自負していたであろうエジプト軍も、鉄器を有するヒッタイト軍には大苦戦し、稀代の軍略家ムワタリの戦略によってラムセスは絶体絶命の窮地に追い込まれたが、外人傭兵隊の救援によってかろうじて死地を脱するという有様であった。互いに多くの死傷者を出して膠着状態に入ったところで、ムワタリから停戦の申し入れがあり、ラムセスはこれを受諾し、世界最初の国際平和条約が締結された。

 この神殿では「戦いにおいてラムセスとエジプト軍は輝かしい勝利を納め・・・」というふうに記録されているのであろうが、実際のところ、戦局はエジプト軍に不利であり、停戦申し出は渡りに船であったといえよう。

それはエジプトは新たな領土を得ることが出来なかったばかりか、戦いの発端となったアムルが結局ヒッタイトの領地に復したことで窺われる。ヒッタイトの王女を王妃として迎え入れたことも又然りである。(ラムセスが寵愛したというネフェルタリ第一王妃はこの婚姻をどう思ったことであろうか?)

尤も両帝国のその後は対照的で、強力な軍事力を誇ったヒッタイトはムワタリの死後内紛により100年足らずで滅亡し、一方エジプトはラムセスの長期政権下で繁栄を謳歌し、19王朝から次の20王朝と強勢な新王国時代はなお200年近く続くのである。

    

 脇へと分かれた部屋があり、そこの壁にも様々な絵が描かれています。中央を進んで一番奥が至聖所で、此処に4体の像があります。左からブタハ神、アメン・ラー神、ラムセスU世、ラー・ホルアクティ神(ラーとホルスが習合した神)・・・ラムセスが神々に囲まれているというか、それともラムセスも神になったということなのか?!・・・そしてこの至聖所は1年に2回(2/20と10/20)だけ太陽の光が差し込むように設計され、但し闇を好むブタハ神だけには日光が当たらないそうです。なんと古代エジプトの設計技師のスゴイことよ!(尤も移設された現在では2/22と10/22になっているそうです)

         

 最後まで残っていたら、見張り番のおじさんが扉に付いていた鍵を「これが“生命の鍵”だよ」と渡してくれて、ツーショットも撮ってくれました。感謝、感謝。

 

次は小神殿。此処は愛と美の女神ハトホル神と王妃ネフェルタリに捧げられた神殿です。といっても正面の6体の像はラムセスとネフェルタリ(各3体)と、ちゃんと此処にもラムセスU世が鎮座しています。

    

 では、中に入ってみましょう。

         

 入り口を入ると、大神殿と同じように列柱室があり、柱にはハトホル神が彫刻されています。壁にはハトホル神に蓮の花や貢物を捧げるネフェルタリやラムセスUが描かれています。

 

 集合場所の休憩所に戻ります。持参の水が生ぬるくなっているので、売店でコーラを買います。冷えてないのが2ドル、冷たいのが5ドルもしますが、ここは思い切って(!)冷えたコーラを手にします。今までで一番美味しく感じたコーラかもしれません。

 再びバスに乗ると、アスワンへと戻ります。たっぷりと時間があるので、商売上手なナセル君が「エジプトのお土産になる食べ物は?という質問がありました。干したナツメヤシが有名ですが、中に虫が入っていたりするので、オススメできません。今日は最近出来たお土産でチョコレートを持ってきました。中にドライナツメやイチジクやナッツなどが入った6種類があります。1個ずつ試食してください。お気に召したら注文票に記入してください。」・・・と大盤振る舞いの試食タイム。エジプトチョコにしては上品に仕上がっておりましたが、何もエジプトに来てチョコを買わなくても・・・。お腹一杯になって、来たときと同じような砂漠の景色を眺めていたら何時の間にかZZZ・・・気が付いたら、すっかり日は落ちて、アスワン市内に入っておりました。

 いよいよナイルプレミアム号に乗船==3泊4日のナイル川クルーズの始まりです。

 上の写真は後日別の寄港地で全景を撮ったもので、実際は、出発のアスワンだと数多くのクルーズ船が停泊しているため、岸壁からその姿は見えず、桟橋に横つなぎになった何隻もの客船のデッキフロアを渡り次いでようやくナイル号に到着します。ロビーはシャープなラインでモダンな感じ。

         

 部屋に入ります。この船の部屋は殆どが「ジュニアスイート」というクラスで23u弱の広さがあるということですが、なるほど結構ゆったりとして大きな窓もあり、ホテルの部屋と変わりません。白と黒のツートンカラーヲベースにしたモダンなデザインです。

      

 少し小さいですが、バスタブもあります。尤もあとでお湯を張ると、うっすらとですが、淡緑色になっていました。ナイルの水をくみ上げて使用しているのでしょう。この色を見て、此処でもやはり歯磨きもミネラルウオーターです。(ミネラルウオーターは2リットル×5本ほど持参していましたが、毎日かなり消費するので、バスで追加購入。500t2本で1ドルと良心的です)

 ミニ冷蔵庫も備え付けてあり、これは有難い。空調も調節できて、設備的には(水質以外は)及第点です。

 荷物を置くと、直ちに夕食。朝・昼・夜全てブッフェです。

    

    

    

パンフレットに「2日目と3日目の朝食には和食を用意します」と説明があって、“何もナイルで和食なんて・・・”と思っていましたが、“うるち米”のご飯・味噌汁・茄子の煮びたし・厚焼き卵・・・とちゃんとした「和の味」で、これは有難かったです。後で聞くと、ちゃんと和食が出来る料理人が乗船していたそうです。

今夜はイベントは無いので、食事を終えると部屋に戻ります。お風呂を済ませ、ゆったりとした気分に。空調も程よく、岸辺から離れているので静寂に包まれています。いやぁ、昨夜の列車のベッドのことを考えると“天国”です。ベッドに横になると、ほどなく深い眠りに・・・。    

                                                                

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