オランダベルギールクセンブルグ

2012412421

(パンフレットです。本当にこんな景色を見ることが出来るのか?)

@ 4月12日(木)      出発〜アムステルダム〜ハーグ

目の前イッパイのチューリップの花を見てみたい!・・・しかも今年は10年に一度の、花と緑の祭典「フロリアード」が開催されるという〜〜これはもう行くっきゃない!と、ベネルックス3国の旅へ出掛けることにしました。

さて、当日。成田集合8:40ということで、5時起きして自宅を出発です。空港に集まった一行は33名。我々以外にもオランダへ発つ団体がそこかしこにいます。 珍しいことに、ターミナルビルからバスに乗ってKLMオランダ航空862便(=ボーイング747)へ搭乗。

“春はオランダ”という次第で(?)、いくつかの団体がオランダへ向かうということで、機内は満席。座席は横に3−4−3で、我が夫婦の席は最後尾の窓側2席、私は通路側が好みですが、妻は窓側が落ち着くと先ずは満足の表情。

離陸すると先ずはドリンク。KLなら当然「ハイネッケン」です。ビールを飲みながら窓の外を見ると、千葉のゴルフ場〜田沢湖(?)〜北海道へと景色が変わっていきます。

    

ほどなく機内食が配膳されます。下左は和食で、てんぷら(というよりフライに近い!)。右の、妻が選んだ洋食はイタリアン風の「耳たぶのクリームパスタ」に「鶏のカラアゲ」・・・「パスタは美味しくない!」とのことで、これは和食の勝ち。

  

 アムステルダムまでの飛行時間は約12時間。エコノミー症候群になってはいけないので、時折通路側のおじさんにお願いして最後尾に行き、屈伸運動をしたりドリンクをもらったり・・・窓から外を見ると、広大なシベリアの大地です。

  

 ビデオは最新の映画が入っており、日本語版も多く、及第点です。「サッチャー」と「戦下の馬」を楽しみました。〜〜そうこうするうちに、北海の上空へ。干拓地が見えてきて、オランダです。

    

 ほぼ定刻(15:05)で、スキポール空港へ無事到着。

    

 天気予報では、真冬並みの寒さということでしたが、外へ出ると、それほどでもありません。バスに乗り込むとハーグへと向かいます。

  

 バスの窓からチューリップ畑が見えてきました。畑のチューリップは球根栽培用なので、花が咲くと直ぐに切ってしまうそうで、巻頭にあったような“見渡す限りチューリップの花”という状態はなかなか見られないそうです。

  

 バスの中がやけに暑い。エアコンが調整できないようです。みんな汗だくになってしまいそう。悪いバスに当たったようでいやな予感。(今回もこの予感は的中します!)

 40分ほど走って最初の宿「クラウンプラザ プロムナード」へ到着・・・と思ったら運転手が進入路を間違えて道路へ逆戻り、さらに入り口を見落としてもう一周・・・いやはやトンデモナイ運転手です。(柔和な表情で、人柄は悪くないようなのですが、地理感は乏しく、恐らく超繁忙期とあって、引退していたのを引っ張りだされたのではないかと想像されます。まぁ、事故がないだけでも良しとしなければ・・・)

 ホテルはハーグ郊外の緑の木立に囲まれた一角です。新館だったので、室内は奇麗で、バスタブや洗面も清潔で、(立地を除けば)まずまずです。

    

 5時過ぎだとまだまだ明るいので、荷物を置くと、早速周辺の散策に出掛けます。芽吹き始めた木立の薄緑が奇麗です。国土が平坦なオランダは自転車が市民の足で、道路の薄茶色いラインは自転車専用です。専用とあって結構なスピードで走ってきますから、ぶつからないように注意しなくてはいけません。色鮮やかなトラム(市街電車)が走っています。

    

 違う方向へ歩いてみます。立派な教会がありました。残念ながら扉は閉まっており内部を窺うことはできません。

 マンションの前の植え込みにはチューリップの花。木立の向こうの瀟洒な戸建ての前庭には木蓮の白い花が咲きほこってます。ハーグの郊外は、清閑な佇まいの羨ましい住環境が広がっています。

    

 しかし、驚いたのは、ビルの並ぶ大通りから住宅街までかなり歩いて一軒のレストランやカフェも見当たらなかったことです。どこかで軽く夕食でも(=ツアーでは今夜の夕食はセットされていません!)とも思っていたのですが・・・この辺りの人は「外食」はしないのでしょうか?・・・“質実剛健”のダッチ気質を実感した次第です。

 仕方が無いので、ホテル前のガソリンスタンドで少し食料を調達して、部屋で“晩餐”(パックツアー初日の恒例デス!)

湯沸かしポットがあったので、〆はカップ麺!(これも恒例?)・・・そうこうするうちに午後9時前にやっと外が暗くなっていきました。まだ4月中旬前ですが、既に日は長くなっているようです。

 

A 4月13日(金)      ハーグ〜デルフト〜キンデルダイク〜ブルージュ

 今日は9:45ホテル出発という余裕の日程ですが、朝はゆっくりとしたいので、6時過ぎと早めに起床。7時頃には厚い雲の下から朝日が顔をのぞかせました。雲が飛んで晴れてくれるといいのですが・・・。(北海から風と雲が流れ込むオランダの気象は“一日のうちに全ての天気が現れる”というくらい、変化が激しく、天気予報はあてにならないそうです)

 朝食はブッフェ。品数は結構豊富で、パンも美味しく、たっぷりといただきました。

 時間の余裕があるので、食後、ホテルの向こうのスヘフェニンフェン森林公園を散策。整備された道の両側には雑木林が広がっています。地元の人たちが犬を連れて早朝散歩です。

  

 芽吹いたばかりの木立ですが、チラホラと花が咲いています。あと2週間もすればアチコチで一斉に花開いて奇麗な眺めを楽しむことができるのかもしれません。ハーグ郊外は素晴らしい環境に恵まれています。

    

 ホテルを出発して、大使館などが並ぶ高級住宅街を抜けると、最初の観光スポットは平和宮=国際司法裁判所 1913年鉄鋼王カーネギーの寄付により完成し、現在は国連の管轄下、国際司法裁判所として使用されている。

 正門前の花壇は季節によって様々な花で飾られており、今朝もカラフルで華やかです。(門も格調高いです!)

    

此処は写真撮影の為の立ち寄り。竹島の決着をつけるため、早く韓国を此処の法廷に引っ張り出したいものだ・・・との思いに耽る間もなく、撮影を終えると足早に立ち去りです。

 次はビネンホフへ向かうということですが、ここでドライバーが地理不案内の本領を発揮!途中何故かチャイナタウンの路地(ハーグにも堂々たる中華街があるんだとビックリ!)に2度も迷い込んで、30分以上も時間をロス。(=ハーグでたった2つしかない観光スポットの間を移動するのに、道に迷ってどうするんダ!と、どやしつけたいところです)

 添乗員も判断が悪く、散々時間を無駄使いした挙句,漸く途中でバスを降りて大通りを歩き出します。(それなら最初からそうすればいいのに・・・)

  

(モダンなハーグのメインストリートと、 堂々たる佇まいの聖ヤコブ教会?)

 さて、ビネンホフは、13世紀後半から建設されたかつての歴代ホラント伯爵の宮殿をベースにして、現在は国会議事堂、総理府、外務省などの中央官庁が入っているオランダの政治の中心ということです。

宮殿横のホフファイファ池から眺めるのが一番のビューポイントということらしいですが(下・写真左)、我々はそんな余裕もなく急ぎ足で、銅像のある広場(=ブイテンホフ広場?)から建物の中へと直行・・・。

  

 アーチ門を潜ると、一転して中世の趣、石畳の中庭広場に出ました。正面に見えるのは13世紀末にフロリス5世が建てた騎士の館。現在は国会議事堂の一部として、毎年9月の第3火曜日に国王の国会開会宣言が行われる場所だそうです。・・・ちょっと雲と逆光で暗いので、青空の下の姿が右デス!

    

 広場から奥に進んで、門を抜けると、その左先の建物がマウリッツハイス王立美術館

    

小さな美術館ですが、此処が人気の訳は、フェルメールの37作品中の最高傑作と謳われる「デルフトの眺望」と人気一番の「真珠の耳飾りの少女」、それに「ディアナとニンフたち」の3作品や、レンブラントの傑作「テュルプ博士の解剖学講義」などを展示しているからで、ハーグ観光の最大のメダマといえます。

 ところが、誠に残念なことに、4月初めから改修工事に入って閉鎖。主要作品がハーグ市立美術館で公開されるのが4月24日からという、なんというタイミングの悪さ!・・・出発前から分かっていたことですが、チューリップ見物を優先し、諦めることにした次第なんですが、こうしてその場に立つと改めて無念の思いが募ってくるのでした・・・。

      

 で、慌ただしくビネンホフを後にすると、少し早目の昼食へ。北海に面したビーチリゾート、スヘフェニンヘン(Scheveningen・・・英語式に発音すると、スケベニンゲンとなる!)エリアにあるレストラン。いつの間か雲が飛んで青空が広がり,陽光燦々。昼食の立地としては申し分ありません。

   

 で、メニューは

    

         (前菜=ツナ)    (メイン=舌平目ソテー、野菜添え)  (デザート=ババロア)

前菜はツナをほぐしてマッシュ状にしただけのもの。メインの舌平目は、新鮮で淡泊な旨味があり、魚にうるさい日本人の舌を満足させるものでした。

食後は外へ出てプロムナードを少し散策。ビーチリゾートといっても、北海の水は夏でも冷たく、集まる客はもっぱら日光浴だそうです。今は早春とあって、辺りに観光客の人影はありませんが、青い海と空を見てスカッとした気分になりました。海の遠く向うに山影が見えます(某女)「ねぇ、あれはイギリスかしら?」・・・(周囲)「う〜〜ん?!」

    

 ビーチに別れを告げると、15kmほど走ってデルフトへ〜〜。

(デルフト中心部の俯瞰)

 デルフトは、13世紀半ばに都市として形成された古い歴史を持つ。1572年に、オランダ独立国家の初代君主といえるオラニエ公ウイレム1世が居を構え、それから陶器業を軸に商業の中心地として発展し、17世紀から18世紀にかけて最盛期を迎えたが、その後陶器業の衰退とともに勢いを失った。現在その古都の雰囲気と、フェルメールが43年の生涯を送った町として再び脚光を浴び、またヨーロッパ屈指の名門大学「デルフト工科大学」の本拠地としても知られる。

 バスが旧市街に入ると、運河とその周りの煉瓦造りの建物、奥のちょっと傾いた教会の塔・・・と、古都の雰囲気たっぷりです。

    

 バスを降り、路地を歩いて視界が開けると、そこはマルクト広場。正面に高くそびえるゴシック様式の荘厳な塔は新教会で、ウイレム1世の子孫にあたる歴代のオランダ王室の人々が眠っているそうです。その故か正面の扉はピタリと閉じて、内部を窺うことはできません。

    

 教会の前に立つ像は フーゴー・グローティウス(1583〜1645)で、彼は自然法の第一人者として国際法の基礎を作ったことから、「国際法の父」と称される。此処デルフトで生まれた彼は幼いころから神童として知られ、僅か11歳で当時北ヨーロッパで最もアカデミックな教育を行うことで有名であったライデン大学に入学し、法学者としての人生を歩み始めたという。

  

 広場を挟んで教会の対面の赤い鎧(よろい)戸が目を惹く派手な建物は、市庁舎。ルネサンスとバロックの混合様式で、13世紀に建設されたという。(曇り空でちょっと暗くて分かりにくいので、晴天の下では写真・右の感じデス)

  

 さて、教会を見て路地を左折すると、フェルメールセンターがあります。フェルメールが長年に亘って画家ギルド長を務めた「聖ルーカス・ギルド」を再現して2007年に建てられたもので、謂わば“フェルメール研究センター”です。(地元に彼の絵は一枚も残っていないので、資料だけはしっかり収集・保存しようということでしょうか?)

ハーグでマウリッツハイス美術館を拝観出来なかった替わりとして、此処で彼の全作品37点の「複製」を見せますという次第。館内は同じような主旨で訪れた団体で大混雑ですが、「複製」といっても精巧なものではなく、写真パネルを展示しただけ。しかも照明焼けしています。まぁ、原寸大というのが取り柄なので、想像力を逞しくして大画家の力量を偲びましょう。

    

(製作年順に複製パネルがズラリと並んでいます)

では、そのパネル全てを現場のほの暗い照明の下で撮影した、渾身の労作(?)を以下に並べてみましょう!・・・縮小サイズは不統一で画像も不鮮明ですが、1655〜75年の20年余りに亘る、フェルメールの作風の変遷を窺うことは出来ます。

        

                 (聖プラクセディス) (マリアとマルタの家のキリスト) (ディアナとニンフたち)  (とりもち女)  (眠る女)

                  (1655年)     (1655年)         (1655〜56年)      (1656年)   (1657年)

        

                 (窓辺で手紙を読む女)  (小路)    (士官と笑う娘)  (牛乳を注ぐ女)  (紳士とワインを飲む女)

                       (1657年)       (1657〜58年) (1658〜60年) (1658〜60年) (1658〜60年)

      

                    (ワイングラスを持つ娘) (中断された音楽の稽古) (デルフトの眺望)     (音楽の稽古)

                    (1659〜60年)      (1660〜61年)      (1660〜61年)     (1662〜64年)

          

                  (青衣の女)   (天秤を持つ女) (水差しを持つ女)(リュートを調弦する女)(真珠の首飾りの女)(手紙を書く女)

                 (1663〜64年) (1664年)    (1664〜65年) (1664年)       (1664年)      (1665年)

          

                (赤い帽子の女)  (真珠の耳飾の少女) (合奏)    (フルートを持つ女) (絵画芸術)  (少女)

                (1665〜66年)  (1665〜66年)   (1665〜66年)(1665〜70年) (1666〜67年) (1666〜67年)

          

                   (婦人と召使)  (天文学者)   (地理学者)    (レースを編む女)  (恋文)     (ギターを弾く女)

                   (1667年)    (1668年)   (1669年)     (1669〜70年)  (1669〜70年) (1670年)

        

                  (手紙を書く婦人と召使) (信仰の寓意)  (ヴァージナルの前に座る若い女)(ヴァージナルの前に座る女)(ヴァージナルの前に座る女)

                  (1670年)         (1671〜74年) (1670年)            (1673〜75年)     (1675年)

 次はデルフト焼き工房=ロイヤルデルフト。バスを降りると、大勢の観光客で賑わっています。少し待ってから一行が部屋に案内されると、なんと日本語解説の映像でデルフト焼きの歴史が説明されます。(陶器好きの日本人観光客がが多い証拠!)

・・・デルフトには14世紀頃から窯があったが、17世紀にオランダ東インド会社によって運ばれた中国の染付陶器に啓発され、陶器業が勃興。 コバルト染料による“デルフトブルー”で欧州一帯の人気を博し、17世紀後半から18世紀にかけての最盛期には30を超える窯元があったという。その後マイセンなどの磁器に押されて次第に衰退し、現在1社だけ残った「ロイヤルデルフト」が伝統を保持し、再び、その気品ある“デルフトブルー”で高い評価を得ているという・・・。なかなか上手に演出した映像で楽しめました。  

 館内には立派な作品群が展示されています。(トイレもなんと“デルフトブルー”の便器でした!)

    

                         (受付)            (階段上のレリーフも見事)

    

                                        (デルフト焼きによる「夜警」・・・見事です) (世界地図を製作中)

 デルフト焼きは此処1社ということは、此処のショップで買えば、どれも“ほんもの”ということなので、妻の希望でこんなものを買ってしまいました。

 これで、デルフトを離れ、約30km走ってキンデルダイクへ風車見物に。風車は15世紀頃より干拓地の排水用に使用されてオランダの代名詞でしたが、その後電動ポンプにとって代わられ、今は此処キンデルダイクが多くの風車が残る場所として、人気スポットとなっているという。

    

 キンデルダイクに近づくと、それまでの晴天がうそのように黒雲が広がり、見物の途中で急に強い雨が降ってきました。風車の近く迄行って、そののどかな雰囲気に浸ろうと思っていたのですが、慌ててバスの中へ駆け戻らざるを得ません。オランダ名物(?)“天気の急変”を実感させられました。

 これで本日の見物は終了。約180km走ってブルージュを目指します。EU体制になって旅行者にとっていいことの一つは国境検問が無くなったことで、バスは何時の間にかオランダからベルギーに入っています。30分もすると、先ほどの雨がウソのように青空が戻って、奇麗なサンセットを見ることが出来ました。

    

予定より大幅に遅れ、8時半過ぎに漸くブルージュに到着。荷物を下ろすと、ホテルから歩いて10分のマルクト広場にあるレストランに直行。室内中央には暖炉の日が燃えて、洒落たインテリアになっています。

ベルギーといえば、ビール。様々な種類がありますが、面白いのは、ビールによってグラスやジョッキが異なることです。私は「ヒューガルデン・ホワイト」=上面発酵のエールビールで、淡黄色の見た目どおりの爽やかな飲み口です。妻は“フランボワーズ・ビール”にしましたが、これはちょっと甘過ぎて「ビールというより、ソフトドリンクみたい」とのことでした。

    

    

 前菜は、パイにチキン入りクリームソースをたっぷりとかけたもの。メインはローストポーク・・・ボリュームたっぷりですが、肉は固くパサついて旨味が全くありません。デザートも素っ気ないババロアです。質実剛健で料理に執着しないオランダと違って、ベルギーは食事が美味しいとの定評ですが、このレストランは例外なのかもしれません。

 味気ない夕食を済ませると、もう10時半を回っていました。外へ出るとライトアップされた鐘楼州庁舎が闇夜に浮かび上がって印象的です。

  

 もう遅いので急ぎ足でホテルへ戻ります。ホテルは「NH・ブルージュ」・・・“旧市街に至近のデラックスホテル”というのがツアーパンフレットのウリで、確かに立地は文句なしですが、17世紀の修道院を改装したというだけあって、低層(3階建)の外観はちょっと古めかしいホテルです。但し、十分な改装が行われたようで、室内は広く、ベッドもセミダブルで、浴室も清潔で、熱い湯の出具合も順調・・・と、先ずは快適なホテルでした。

    

  

 風呂上がりに窓から外を見ると、近くの尖塔の上に浮かぶ満月が印象的でした。

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