B 4月14日(土)      ブルージュ〜ゲント〜ブルージュ

 今日は8:30出発の予定。朝は“ゆっくりとマイペース”でいきたいので、6時前に起床。窓を開けると、青空が広がっています。(一日中こんな天気だといいんだがなぁ・・・)中庭には桜の花が咲いていました。朝食は昨朝とほぼ同じ感じです。

    

 朝食後、ホテル周辺を散歩。気温は低く(=7〜8度?)、キリッと身が引き締まる感じ。土曜日とあって噴水と(オランダらしく)サイクリストの像のある広場では週末のマーケットの準備が始まっています。

    

 バスに乗ると、午前中はゲント観光。日本人女性がガイドとして添乗。ご主人は駐在員として10数年前に来訪。夫婦してベルギーが気に入り、転勤命令が出た時次の赴任地が意にそわない国だったので、現地雇いに身分を変えて此の地に残ったのだとか。「給与は激減しましたよ。ベルギーでは所得税率はほぼ50%と高率ですが、子供の教育費はゼロなので、3人を子育て中ですが、夫婦力を合わせればなんとかやっていけます・・・」と語っていました。インテリジェンスの高い女性で、この先のガイドの内容は的を得ていて興味深く、大変参考になりました。

 ブルージェからゲントは約50km。冷え込んだ後、快晴で気温が上がったせいか、途中辺りは朝靄に包まれました。

 土曜日とあって道は空いていて、10時前にはゲントへ到着。青空が広がって気持ちがいいです。

    

                               (市庁舎)

ゲントは日本人にはあまり馴染みの無い都市ですが、神聖ローマ皇帝カール5世(=スペイン国王カルロス1世・・・1500〜1558)の生誕の地である。彼はヨーロッパ諸国から新大陸まで“太陽の沈まぬ”広大な領土を統治した大君主でしたが、生まれ故郷に強い愛着を持っており、その庇護の下、ゲントは15世紀から16世紀にかけて織布業を中心として繁栄し、当時の人口はパリに匹敵するほどの大都市であったという。ただ彼の死後勃発した80年戦争(1568〜1648)以降は勢いを失い停滞した。その停滞のお陰で(!)中世の雰囲気が良く残り、今ではブルージェとともに人気観光都市となっている。  

バスを降りると、行く手に高い塔が見えてきます。ベルフォート(=鐘楼)です。鐘楼は14世紀に、その下の建物=繊維ホールは15世紀前半に建てられたそうで、鐘楼のカリオンの音色は素晴らしいとか。その左手には王立劇場。半円形の壁にはフレスコ画が描かれています。

    

                             (ベルフォート)    (王立劇場)       (?)

 聖バーフ広場を囲むようにして、鐘楼の反対側奥にそびえるのは、聖バーフ大聖堂で、カール5世が洗礼を受けたゲント最古の教会。12世紀から建築が始まり16世紀に完成したそうです。

    

(逆光でよく見えません)    ⇒ (アップにすれば・・・)

堂内には初期フランドル派の最高傑作といわれる祭壇画「神秘の子羊」があることで有名。当時の裕福な商人Joost Vijdtの依頼でフーベルト・ファン・エイクが描き始めたが、制作途中の1426年に亡くなり、弟のヤン・ファン・エイクが後を継いで完成させたという。

富裕とはいえ、一介の商人にすぎなかったVijdt(なんと発音するのでしょう?)はこの絵を寄進することによってその名前を歴史に永遠に留めたわけである。

 で、堂内に入ります。荘重な雰囲気、彫刻やステンドグラスも華麗ですが、オッと目的はそれではありません。

      

 廊下を右に進むと小部屋があり、その中には「神秘の子羊」のコピーが架かっています。ここで15分ほどガイド=我々一行は例の在留女性の要領を得た説明を聞いて、それから堂内の反対側奥へ進み、ガラスケースに収められた「本物」にご対面となります。なるほど!私のような素人にも素晴らしい大傑作であることがよく分かります。(中央のキリスト?像を見てもその描写の凄さが分かります)

  

(↑左=扉を開いた状態。・・・・・・・・↑右=閉じた状態・・・下段の左右の赤い衣の人物はVijdt夫妻)

  

 堂内にはもう1点、ルーベンスの大作「聖バーフの修道院入門」がありました。巨匠ルーベンスらしいダイナミックな大作です。

 堂内地下にも多くの宗教画などが展示されているそうですが、我が一行に時間の余裕はなく、この2大作をしっかりと目に収めて退散です。

 聖堂を出ると、徒歩でゲントの中心部(?)を散策。聖ニコラス教会(13世紀に建てられたゴシック様式の傑作↓写真・左)が見えてきます。その他にも風格ある建物が目を惹きます。

    

 レイエ川に架かる聖ミヒエル橋を渡ります。川の右手がグラスレイ、左手がコーレンレイ

    

 両岸にギルドハウスが並んでいます。中世から近世にかけて此処が一大商業地であったことが分かります。(好天気の週末とあって、多くの観光船が出ています。)

橋の反対側には聖ミヒエル教会があります。往時のゲントの繁栄ぶりが偲ばれる素晴らしいエリアです。

    

コーレンレイの川沿いを歩いてコーレン・マルクト広場へ。いろんな店が軒を並べています。

    

                          (中世の肉市場の建物) (広場の商店街)      (おばあさんがちょっと休憩)

 ベルギーに来たら、ワッフル!というので、広場のとある店に入ってみました。プレーン(表面に砂糖がかかっています)とチョコの2品。「どちらも美味しいワ!」と妻は満足の表情。

    

 皆さんもワッフルを食べたりと休憩タイムなので、私はササッと動いて、聖ミヒエル橋からチラッと見えたフランドル伯爵城へ足を延ばしてみます。この城はバイキングの侵略を防ぐため9世紀半ばにボードワン侯爵が建てた要塞が起源で、1180年にフランドル伯フィリップ・ダルダスが築城。古城の風格十分です。城の中にも入ってみたいところですが、我々の見物コースには入っていないため、城門を潜って広場を見たところで引き返します。

      

 これにてゲント観光は終了。再びブルージュへと戻ります。ブルージェ旧市街は卵型の運河に囲まれ、その内側にも縦横に運河が走っています。

 ブルージュは12世紀にフランドル伯フィリップ・ダルザスのもとで町中に水路が巡らされ、交易に便利な港湾が整備された。やがて13世紀になるとハンザ同盟の商館が置かれ、又ジェノヴァ商人も訪れるようになり、金融・貿易の拠点として繁栄したが、15世紀になると運河に土砂が堆積して大型船の通行が不可能となり衰退してしまった。

 しかし時代の趨勢から取り残されて、中世の都市がそのまま残ったことが幸いし、現在では“中世ヨーロッパ”の雰囲気を残す街として、ゲントとともに、ベルギー有数の観光スポットになっているという次第。

外郭運河の南南東側のカテリネ門近くでバスを降りて橋を渡ります。左に折れて少し歩くと、見えてきたのは愛の湖。なんともロマンチックな名前ですが、ガイド嬢の説明によると・・・ベルギー語では、「愛」と「公共」が同じ発音なので、「公共の湖」が「愛の湖」ということになったのだそうな。「湖」というよりは「池」に近い広さです。でも折角ですから、ロマンチックな思いに浸りましょう!

    

 赤レンガの古い家並みの小路を歩き、白鳥が遊ぶのどかな池の畔を過ぎて歩を進め小橋を渡ると、ペギン会修道院。此処は1245年にフランドル伯爵夫人・マルガレーテによって設立され、爾来1928年迄一般の尼僧院とは異なり、自律&自立の生活を営む女性たちの館として運営されてきたそうです。中庭に一歩足を踏み入れると草叢の中に水仙の花が満開で、静謐な環境に相応しい雰囲気でした。

    

    

修道院を出ると、観光客で賑わう商店街へ。観光馬車が目立ちます。

    

 で、本日の昼食。(写真上右のレストラン)

        

 先ずは一杯・・・本日は黒ビール=香り豊かです。野菜スープはちょっと塩ょっぱくてNG.メインは「カルボナード」=ベルギーの郷土料理で、牛肉をビールで煮込み、とろみをつけたもの=ビーフシチューよりも淡泊で、これは美味しかったです。デザートはアイスクリーム。フランスだと、メインは大したこと無くても、デザートはちょっと洒落た一品が出てくるのですが、オランダやベルギーでは事情が違うようです。

 エネルギーを補給すると、これから旧市街の本格的散策がスタート。なにしろ中世がそのまま残ったような街並みですから、見どころがいっぱい!。どちらを見ても素晴らしい景観です。

      

    

 多くの高い塔が立ち並ぶ街並みにあって、122mと一番高い尖塔を持つのが聖母教会13〜15世紀にかけての建築。ブルゴーニュ公国シャルル公一族の礼拝堂で、“突進公”シャルル4世(1433〜77)と、一人娘公女マリーの霊廟となっている。

シャルル4世は、当時フランス統一を進めていたルイ11世に対抗する最大の勢力で、本人はハプスブルグ家を乗っ取り、神聖ローマ皇帝の座につくという野望を抱いていたというが、77年ナンシーの戦いで戦死し、事実上最後のブルゴーニュ公となってしまった。自身の欲するまま突っ走って破滅してしまった生きざまが“突進公”と呼ばれる所以である。

尤も彼の野望は、一人娘マリーが嫁いだ相手ハプスブルグ家のマクシミリアン1世が後に神聖ローマ皇帝となり、二人の間に生まれた長男(=突進公の孫)フィリップも又カール5世として神聖ローマ皇帝となったことで叶えられたといえよう。

マリーは近世ヨーロッパの支配層人脈の「もと」となったキー・ウーマンともいえるが、領民たちからは「美しき姫君」、「我らのお姫さま」と大変慕われたという。その美貌は肖像画からも充分窺われるのである。

    

(マリーの棺と肖像画)

 

(突進公の棺と肖像画)

 さて、この教会は二人の棺もさることながら、ミケランジェロの彫刻「聖母子像」があるというので有名である。ミケランジェロの作品がイタリア以外にあるというのは大変珍しく、その所以か、教会内への立ち入りは自由であるが、「聖母子像」(そして上の写真のシャルル親娘の棺)を見るには別の入り口で入場料を払わなければならない!

    

(ミケランジェロの「聖母子像」           そしてファン・エイクの「十字架上のキリスト」も見事!)

 一般入り口から入っても、堂内はなかなか見応えがあります。

        

 3時になると、運河クルーズ。小さなボートに33人がぎゅうぎゅう詰めで乗り込みます。30分のクルーズでしたが、船上から見る光景も素晴らしく、古都の風情を堪能しました。

    

 ボートを降りると、あとは自由行動です。珍しいことに、今日は朝から晴天が続いているとあって、運河沿いからマルクト広場〜そしてその奥のブルグ広場にかけて、沢山の人が繰り出して大賑わいです。

    

 そぞろ歩きの途中、此処で又々ワッフル。今度は上にクリームが乗っかたのを・・・これも美味しい!

   

 ブルグ広場の市庁舎に隣接して聖血礼拝堂があります。「キリストの血」が奉納されていることからこの名前で呼ばれているそうです。

イエスの聖遺物は「聖十字架」、「聖杯」、「聖衣=聖骸布・・・これはトリノの聖ヨハネ大聖堂に保管」、「聖釘」・・・といろいろありますが、「聖血」はイエスを埋葬したアリマタヤ(=ユダヤとガラリアの山中にあった小さな村)のヨセフがイエスの遺体から沁み出た血を保存していたそうで、これを東ローマ皇帝が所蔵していたのを、第1回十字軍(1095〜99年)に参加したフランドル伯ロベール2世が(どういうわけか)手に入れ持ち帰ったそうです。

クリスタル香水瓶に封印された「聖血」は普段は凝固していて、イエス昇天の祝日には液体に戻り、その日訪れた巡礼者たちに顕示されるそうです。(信ずる者は皆救われる。アーメン・・・)

 で、堂内に入ると正面祭壇はキンキラキンで、なるほど「聖血」を祀ってあるだけのことはあります。

        

 次にマルクト広場に戻ってベルフォート=鐘楼へ。この鐘楼は高さ88mで、13世紀から15世紀にかけて作られました。ブルージュのランドマークです。15分毎に47個のカリオンが素晴らしい音色を奏でるということですが、この近辺を結構ウロウロしていたに拘わらず、その音色を聞くことができなくて残念。366段の螺旋階段を上ると素晴らしい眺望がみられるそうですが、これもその時間(というか意欲)が無くてこれも残念。

 で、アーチ門を潜って中庭に入ると、外の喧騒がうそのようにヒッソリとしていました。の字になった建物の中に入ると、そこは、書画(漢字の掛け軸もありました!)の展示即販コーナーというえらく現代的なコーナーになっていました。

        

(奥の階段から塔の上まで上がれるそうです)

 あとはチョコチョコと買物をして一旦ホテルへ戻ります。少し休憩すると、夕食へ。今日はマルクト広場の手前の建物5階にあるちょっと小奇麗なレストランです。

  

    

ビールで喉を潤したあとは、先ずは「野菜コンソメスープ」・・・ちょっとショッパイ。メインは「シコン(=チコリ)のグラタン」これはベルギー名物料理のひとつです。柔らかくホロ苦いシコンとグラタンソースの相性がよく美味しかったです。デザートはアイスクリーム。

 日没は9時ごろですから、食事を終えてもまだまだ明るいですが、風が強くさすがに冷えてきました。でも今日は幸いなことに一日中天気が良く、古都ゲントとブルージュを大いに楽しむことが出来ました。(なんと、25千歩以上も歩いてました!)

  

(ホテル前の広場にて・・・午後9時前です)

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