8月1日()    

朝はのんびり、11時頃ワイキキビーチへ。今日も亀と出会い、ご機嫌です。帰ってくると、昼食はざるうどんです。

夕方、夫婦でアラモアナビーチパークへ散歩。沖合をサンセットクルーズの船(スター・オブ・ホノルル号)通り、手前ではサーファーが波乗りに興じています。

   

西側に雲が少なく、奇麗な夕日が見れそうなので、ベンチに座ってサンセットを待つことにします。〜〜予想通り山の向こうに沈む真っ赤な夕日を見ることができました。値千金のトワイライトタイムです。

    

7時過ぎにアラモアナのフードランドに寄って食材の調達をしようとしましたが、人気の店とあって、アヒポキコーナーはキレイに片付いていました。  「アヒポキはないの?」と店員に訊ねると、奥の冷蔵庫から最後に残ったのを出してくれました。何でも訊いてみるもんです〜〜で、夕食はスパイシーアヒポキ、アボカド&胡瓜、カリカリベーコンと目玉焼きです。                                                    今日は8,843歩でした。

 

8月2日(火)

10:40に部屋を出て、コスコ・カポレイ店へいってみることにします。(オアフのコスコでは一番新しい店舗です) アラモアナでエクスプレスCに乗り換え。ウエストコーストをマカハビーチまで走るこの長距離バスは結構時間がかかりますが、なにしろ時間はタップリある身ですから、オアフの西側は殆ど知らないし、新興住宅地として発展しつつあるカポレイの街並みなども拝見しようという魂胆です。

バスCはハイウエイをすっ飛ばし、途中は荒野が広がるばかりでしたが、やがて開発された小奇麗なカポレイの街に到着。街並みを少し走ったバス停の反対側の前にコスコがありました。

    

もう1時近くなので、まずは腹ごしらえ。此処は日本の店舗と同じ造りで、フードコーナーは店内にあります。名物のホットドッグと、妻が「あれが食べたいワ!」と言ったカルネをテイクして昼食。コーラ(お代り自由)がついて〆て6ドル弱と超経済的です。

    

じっくりと店内を見て回っていると、あれも欲しい、これも欲しい状態になりますがバス利用ですから量的な限度があります。そこで時どき交互に「拒否権」発動。〜〜なんとか持てる範囲に収めて帰還。帰ってくると、5時半で、まぁ、1日がかりのショッピングとなりました。 (やっぱり遠いので、此処は一度でいいかな!・・・)

夕食はコスコで求めたアトランティックサーモンのソテーにタマネギ炒めを添えて。それにポテトサラダ、昨日の残りのアヒポケ。サーモンは脂が乗っており、結構イケます。 デザートはマンゴー&ブルーベリー。                                                   6,669歩でした。

 

8月3日(水)

7:30起床。朝一番で買い求めておいた食パンを持ってビーチへ向かいます。クヒオビーチの向こうの突堤で魚の餌やり。これがワイキキ暮らしのひとつの楽しみなんです。

今日はちょっと波が荒く条件は良くありませんが、パン切れを投げ込むと、カンパチのような大型の魚が群がってきて迫力満点。さよりも現れました。私はご機嫌ですが、妻はカラフルな魚がいないと不満気なので、水族館近くに移動。ここだとお目当てのフムフムが顔を出します。妻が少しずつ投げ込んでいると、横にいたおじさんが、餌やりにもう飽いたか、「どうぞ」と残ったパンをくれました。

 やがて私たちも投げ疲れてベンチで一休み。私は貰ったパンを持って再び最初のスポットで再開。〜〜というわけで、充分に餌やりを楽しみました。(・・・残念ながら、波が荒いので写真は上手く撮れませんでした)

楽あれば苦あり・・・部屋に戻ると、遅い朝食のあとは洗濯に大忙し。

一休みするともう1時。日課(?)のビーチへ。今日は風が強く、波が荒いがかえって波乗りには面白くて好都合。童心に戻って楽しみます。浅瀬でいきなりカメと会って今日もハッピーな気分です。帰ってくると4時を回っていました。

 今日は動物園のコンサート。6時前なのに演奏が始まっていると思ったら、彼らは前座で、トリはフランク・デリマというおじさんで、なんとスタンダップ・コメディアンです。結構人気者のようで、これまでよりも観衆が多いです。ハワイ版綾小路きみまろといったところでしょうか。ポルトガル、日本、中国、韓国、フィリピンと言った国々のカルチャーギャップを笑いのネタにしてるようです。まぁ、30%くらいは理解できたでしょうか?・・・これも経験と最後まで必死で聞いておりました。それにしても1時間喋りっぱなしというのは凄いエネルギーです。

    

 

8月4日(木)   曇りのち雨、午後晴れ

朝食後はチャイナタウンへ買い出し。朝方に来たのは初めてですが、地元の買い物客で賑わっています。帰りはドンキーに寄って買い足し・・・ロングステイには生鮮品の買い出しが欠かせないのであります。買物を終えてバスに乗ると本降りの雨になりました。もっともワイキキの通りに入るとと青空が戻ってきましたので、極めて移動のタイミングが良かったといえましょう。

昼食は京鼎樓へ。台北から東京、千葉、横浜と出店し、ついにハワイにまで進出しました。チャイナタウンという強敵が存在するところへ果敢な挑戦。台湾人の積極性&バイタリティに敬服です。1時前店に入ると、ほぼ満席。結構繁盛しているようです。白とダークブラウンのカラーで統一された内装はシックで、派手派手の中華レストランとは一線を画しています。

ランチメニューの中から小籠包6個と坦々麺(ハーフ)のセットを選択。小籠包の薄皮を破ると熱々・旨味たっぷりの肉汁が溢れだします。東京・恵比寿と同じです。「美味しいねぇ!」店長に告げると「ええ、東京からチーフがきてますからね。今若い者を台北に修行にやってます」とのこと。坦々麺はやや薄口で、恵比寿の濃厚胡麻風味には劣りますが、ハワイ向けにアレンジしたということでしょうか。

    

帰ってきて、昨日餌やりをしたクイーンズサーフビーチでシュノーケル。小型のフィンを使ってみますが、どうもうまく使いこなせない。素足で泳いだほうがずっと楽です。水中で餌やりをすると、30cmくらいの大きいの(鱸=スズキに似た容貌)や、縞模様の小魚など4,5種類の魚が集まってきました。狙いどおりでニンマリです。尤も波が荒いので、水中餌やりは一度で止めて、突堤の反対側で少し泳いで帰還。

 夕刻は夫婦でアラワイ運河沿いを少し(4000歩ほど)散歩。日が傾く時間は多くの人がジョギングや散歩を楽しんでいますが、中には、赤ん坊を三輪の乳母車に乗せ、それを押しながらかなりのスピードでジョギングしている人もいてビックリさせられます。

 夕食は、ベーコン・アスパラ・マッシュルームの炒めもの、ポテサラ。デザートはパパイヤ。(チューハイのつまみには、コスコで大袋入りを買ってきたピスタチオが重宝してます)

8月5日(金)

8月に入ってから快晴続きとはいかなくなりました。昨日も朝方雨がありましたが、今日も曇り&シャワー、のち晴れで、朝方は虹が何度も出てました。

(向こうのコンド・ロイヤルクヒオのビルにかかる虹)

今日はハナウマへ行ってみましょう。2年前はチケット購入の段階で長蛇の列、結局ビーチに入るまで2時間くらいかかり、ウンザリしましたが、今日は朝方天気がもう一つなせいもあったでしょうか、ビデオ観賞(待ち時間を含めて)20分弱でビーチへ出ることができました。ビデオ観賞を待っている間は一面の曇り空でシャワーもありましたが、昼前には青空が広がりました。風が強く波が荒かったですが、4回ほどで大小色とりどりの20種類を超える魚と会えて、今回は満足のシュノーケルとなりました。以下は見た魚の一部を図鑑から。

    

(トゲチョウチョウウオ)    (チョウハン)           (ミヤコテングハギ)

    

(シマハギ)           (ソロイモンガラ)        (クロモンガラ)

 妻はその間、コンドのラナイでせっせと水彩画に勤しんでおりました。

    

 4時過ぎに帰還。5時ころに二人で夕方の散歩。今日はイリカイからヒルトンにかけてをそぞろ歩き。ヨットハーバーの水辺を覗くと魚がのんびりと泳いでいました。

    

 夕食はありあわせで、簡単に済ませます。今夜もヒルトンの花火が綺麗です。

    

 花金(?)なので、食後は久しぶりに“ワイブラ”。カラカウア通りは、日本人が増えて結構賑わってました。   9,793歩でした。

 

8月6日(土)   曇りのち晴れ

今日はひとりで遠出。アラモアナ9:35発の57番バスでワイマナロビーチへ出掛けます。ギャビー・パヒヌイ・ワイマナロ・カニカピラが開催されるのです。(ワイマナロは元横綱・曙の生まれた町で、母親が店を開いていて、日本人ツアーの人気スポットだったこともあります。)

スラック・キー・ギター(=ハワイ独特のオープンチューニングによるギター奏法・・・と書いてる本人はよく分かってません!)の巨匠としてハワイ音楽史に名を残すギャビーを偲んで、息子のシリル・パピヌイが企画して今年で4年目の野外コンサート。50組以上のロコミュージシャン(本土からも参加するらしい)が出演し、ワイマナロビーチパークで朝9時から延々夜にかけて繰り広げらるという。これはもう行かないわけにはいきません!

バスを降りて松林の向こうに目の覚めるような鮮やかなターコイズブルーの海が広がる。シーライフパークとラニカイの間、白砂青松の本当に美しいビーチ。波は荒くド〜〜ンと砂浜に打ち寄せ、大人も子供も泳ぐというよりは荒波と戯れている。

    

コンサートは1組3曲で次々と登場し、自慢の演奏と歌を聴かせる。観衆は芝生の広場から後方の松林に思い思いに場所をとり、ミュージシャンの熱演と裏腹に、なんとものんびりとした風情であります。

    

屋台で買ったランチボックス(カルアポーク、ポテトマックサラダ、アヒポケとライス=$7)を食べながら、私ものんびりと楽しみました。途中巨匠の息子(主催者)シリルを見つけツーショット(親父に良く似ています)

   

3時過ぎに切り上げて帰還。ドンキーに寄って買い物。(生活するためには、不足物資を適宜補充しなければならない)

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 一方妻は、一人でKCC朝市へ出かけ、かなり遅めのお出かけでしたが、お目当ての野菜や果物はゲットしてきたようです。

帰ってくると、隣の部屋(ホテル使用)のトイレと風呂が又も詰まったようで、セットになっているわが部屋にも影響が及び、半日がかりの修理となったようです。修理に来た担当者は「何しろ50年以上経ちますからしょっちゅうアチコチでトラブル発生なんですよ・・・」とのはなしであったそうであるが、う〜〜ん、それにしてもこの部屋はトラブル発生が多すぎる。2年前の部屋は40日で一度もなかったのに・・・。

(今日の買物のメダマは完熟のゴールデン・パイナップル・・・甘くてジューシィ)

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 〜と、ここまでは実に充実した一日で、何の問題もなかったのですが・・・帰ってきて部屋でパソコンを開いていると、突然強い悪寒に襲われ身体がガクガクと震えだしました。これは大変! 慌ててベッドに横になり、厚手のベッドカバーをかけてもらい、熱いお湯を飲みほしました。

しばらくすると震えは止まりましたが、吐き気を感じ、フラフラするといった症状です。このままでは心配なので、プリンセス・カイウラニ・ホテルにあるドクター・オン・コールへ向かいます。ハワイ滞在は数多くを重ねていますが、医者の世話になるのは初めてです。夜8時過ぎですが、結構多くの患者が詰めかけており1時間以上待ちました。

熱を計ると37.8度。医者の見立ては「ノロウイルスの可能性が高いですね。今日だけで10人以上の患者がありましたよ」と。薬を4種類貰って退散。このうちのZOFRAN・ODT=吐き気止め=は看護婦さんによると「これは癌患者にも投与するとても高価なお薬なの。保険に入っててよかったですねぇ」ということで、その場で1錠舌下に含んで服用。

 旅行保険証を出してあるので、帰りは病院の車で送ってくれる有難いサービス。この薬の効果かほどなく吐き気は収まり、悪寒も消えましたが、食欲は全くありません。大事を取って身体を洗うとそのまま就寝。

 いやあ、とんだことになりました。                                         11,376歩でした。

 

8月7日(日)

薬のおかげで、吐き気と悪寒はなくなって食欲もやや回復。ノロウイルスだと猛烈な下痢に襲われるそうだが、その「真逆」の状態で、気分はもうひとつスッキリしない。

まぁ、こうなりゃ妻の提唱するスローライフしかないが、一日中狭い室内にいても気が滅入るばかりなので、12時前にカピオラニ公園で開催されているナ・フラ・フェスティバルを見物に。

71回を誇る由緒ある地元のフラ大会だが、先月のウクレレフェスティバルと比べると観衆は少なく、しかもブッ通しで見る人は少ないから、遅く行っても、木陰の席が確保できて、そよ風に吹かれながらのんびりと楽しめるのがいい。

    

      

 2時間ちょっと楽しんで、遅めの昼食は「丸亀うどん」です。

帰ってくると、私は読書、妻はパソコン。日曜日だというのに、管理のT氏が来てくれて、食器類の補充(もっと早くお願いするんだった!)そして、流れの悪い洗面台の修理。彼の働きぶりには頭がさがります。

 

 夕食を済ませ、ちょっとワイブラでもしようかと言っていた矢先、再び悪寒に襲われ、しかも今度は右あばら骨のあたりが、まるで骨にひび割れでもできたのではないかというくらい猛烈な痛みが出て、おさまりません。

 これは尋常ではない!と、再度ドクターオンコールへ。今日も十二分に待たされて担当医に痛みのことを説明すると、

「これは病院で見てもらったほうがいいです」

「もう遅い(=12時近くになっています)ですから、明日にでも」

「いや、今すぐ行ってください。今紹介状を作ります。」

〜〜ということで、紹介状を渡され、手配してもらったタクシーで病院へ。

(全て旅行保険で処理するので、支払い手続きもなく流れ作業のように進行します)

 

 まさに、人生一寸先は闇。ここから楽しい筈のロングステイ日記は突如、青天霹靂の闘病記へと変わります!

 

8月8日(月)

タクシーは深夜の通りをどう走ったか、着いたところはSTRAUB病院。24時間の救急対応病院のようです。もう12時半を回ってます。

窓口で紹介状を渡すと、すぐ車椅子に乗せられて診療室へ直行し、ベッドの上へ。体温・血圧から始まって血液採取等々と検査が続きます。痛み止めを打ってもらっても一向に効き目はありません。次はレントゲン撮影。

現像を見た美人ドクター、「肺がおかしいです。CTスキャンを撮ります」

1時間以上待たされたあとベッドに乗せられたままスキャン室へ。ここでも美人の担当者が待ち構えていて20分ほどでスキャンを終え、再び診察室へ。時刻は既に午前3時過ぎ。

又、しばらく待って、夜もしらじらとして来ようかという時、スキャン結果を見た美人医師が同時通訳フォンで状況説明。

「肺炎です。これから入院してもらいます」

「えっ、でも今すぐ入院と言われても・・・」

「何か問題がありますか?」

「下着とか、洗面道具とか・・・」

「全て用意してあります。何も問題はありません!

ということで、直ちに3階の特別室へ。(何が特別かと言うと、酸素吸入装置などがあるということです)もう午前6時近くになっていたでしょうか。

部屋へ運ばれると、細野豪志に似た(声もそっくりなのだ)医師がいて、これからの段どりを説明してくれる。(彼が担当ではなく、日本語が話せるから呼ばれたとのこと)

ここの治療システムは担当医師の下、看護士1名、アシスタント3名が日替わりでチームを組むようだ。

移動ベッドから部屋のベッドにシフト。途端に今まで小康状態だったのが一変。再び右肺がキリキリと痛み出し、呼吸が乱れる。喉がゴロゴロと鳴り、差し出された吸引器に痰を送ると濃い桃色になっている。(ひえっ、血痰だぁ!)

鼻には酸素吸入セットをつけ、ゼイゼイと苦しそうに息をして血痰を吐く夫の姿を傍らで見て、妻の心配はいかばかりか。よく冷静に耐えてくれたと思う。

2時間くらいはこの苦しい状態が続いたであろうか、やがて呼吸は落ち着いたが、痛みは(少し弱くなったものの)続く。

やがて朝食が用意される。パンケーキ2枚、スクランブルエッグ、ジュース、スキムミルク、デカフェにパパイヤと結構なもの。普段であれば喜んでパクつくところであろうが半ば朦朧とした状態だし、それに昨日から「アウトプット」が無い。(こちらでは「ナンバー2」と言うらしい!)食欲はゼロであるが、体力維持を考えて無理やり押し込む。

1、2時間おきに、血圧・体温・心拍数のチエック、聴診、解熱薬・咳どめ薬の投与、点滴交換と4名が交替で看護にあたる。処置の都度、私のコードや投与薬、そして自分のコードをスキャンしてデータとともに備え付けのパソコンにインプット。患者名や投与薬のミス防止の徹底には感心させられる。

担当医師の問診は、朝1回で、聴聞器を当てて、簡単な状況説明・・・と、10分足らずで終了。データをチエックして指示を出しているのであろうが、治療現場は24時間看護士チームが全てを担当する。日本と違ってチーフ看護士はかなりの処置権限(と責任)を持っているようだ。(昨夜からそうであるが、医師、看護師と殆どが女性で、男性はレントゲン技師くらいのもの。特に医師が全て女性なのには驚いた)

〜〜かくて長い長〜〜い一日が終了というのは、オッと間違いで、なにせ24時間体制だから、1〜2時間おきの措置がエンドレスで続いていくのであります。

 

8月9日(火)

 徹底した治療のおかげか、胸の痛みもだいぶ和らぎ、呼吸も落ち着いてきました。でもまだ酸素吸入器はつけたままですし、39度近い高熱が続いています。

本人にとっていちばんの問題は、依然「ナンバー2」が無い!ということです。従って食欲もありません。体力をつけなくちゃあ!の思いひとつで、出された食事(初回内容で期待を抱かせたものの、その後はそれなりの内容=例えば今朝の朝食メインはライスとスクランブルエッグのみでフルーツは無し)をやっとの思いで、半分程度消化します。尤も今日から翌日の食事メニューが渡され、朝・昼・夕とそれぞれ好みの料理を選択できるようになり、これは有難いシステムです。

午後吸入器を外し、点滴セットを持って3階フロアの廊下をゆっくりと散歩。しばらくして6階の一般病棟(全て個室)へ引っ越しで、一段階回復が進んだ感じです。

保険会社からコンドで待機している妻に連絡が入り見舞状況確認とともに「早く回復してもらいたいですねえ。完全看護の病院だと一日2万ドルくらいかかるケースもあるようですから・・・」との話があったとのこと。この病院はなかなか立派な病院です。肺炎だと10日前後の入院はザラでしょうから、これは大変だ!保険限度額(=今回は10百万円)などアッという間にオーバーしてしまう。何としても5日以内には退院しなくちゃあ!・・・と夫婦して切迫感に襲われる。(保険会社の担当者も余計なことを言ってくれる・・・)

   

8月10日(水)

  朝、検査に来た看護婦が「今日退院出来るかも知れませんよ」との嬉しい話。しかし、自分自身の感じとしては“今日はちょっと無理だろうなぁ・・・”

  朝食の後、シャワーを浴びる。何しろ3日ぶりの「湯あみ」で、サッパリとし、グルーミーな気分も少し良くなる。

  果たしてやってきたドクター(中国系で、クールな感じの30歳前後の女性)は、「数値や聴診ではだいぶ良くなっていますが今日は無理ですね」

「早く退院させてください」

「とにかく熱が下がらないとだめです」

あとで看護婦に「ノーマルとフィーバーの違いは?」と訊ねると、「38度を超えるとフィーバーです」と。

 通訳の女性に「入院費は一日あたりどれくらいになるんでしょうか?

「それはイチガイに言えません」

「では、今までいくらになっているか確認してもらえませんか?」

「難しいですが、訊いてみましょう」

で、その結果は

「いろんな部署から集計しますから、正確なところは言えませんが、少なくとも2万ドルにはなってます」

「う〜〜ん!・・・」(1日2万ドルではないにしても、やはり恐るべき高額だなぁ・・・)

 一般病棟に移ったから「治療」はともかく、「計測」は減るかと思ったら、変化は無く、治療と計測、両方合わせて1〜2時間おきに担当者がやってくる。それが深夜1時・2時・4時・5時・・・といった具合に続くのである。「計測」のうち血圧・心拍数は緊急入院時でも、そしてそれ以降ずっと正常値を示しており、2時間おきの計測は無用であるが、全て手順どおりに措置するということだろう。しかし、これでは睡眠なんて取れっこない。回復過程にあることを感じるが、これでは睡眠不足で参ってしまう。

 そこで帰ろうとするドクターに直訴。「このままでは睡眠不足で参ってしまう。さらに入院が続くなら、夜の12時から翌朝6時までは、検査・治療をストップしてもらいたい」 ドクターは少し考えていたが、「分かりました。その通りにしましょう。ところで、私の担当は今日でおしまいです。明日からは新しいドクターになります」

 午後「ホノルル衛生保健局の者ですが・・・」と女性から電話が入った。「ワイキキには日本語を話せる担当者がいないので、マウイから電話してます」と。「何時ハワイに来られましたか? こちらでどんな人と接触しましたか? どちらにお泊りですか?・・・」などと質問が続いた。

 何で突然に役所の人が電話してきたかというと、肺炎にもいろいろあるが、今回の私の場合、肺炎菌によるもので、どうも肺炎菌の場合だと病院から保健局へ連絡が行くシステムになっているらしい。「菌」の場合は人から人ということなので、伝染蔓延予防のため、当局が病院に報告を義務付けてデータ収集しているということか。

ちなみに私の場合、ワイキキ入りしてから1カ月以上経ち、あちこち動いているが、人さまと密接に(別に変な意味でなくて)接触したことはない。でも何処かで「菌」を貰ったということになる。

 楽園ハワイでも、肺炎発生は結構多いということの証拠か。最初ドクターオンコールへ行ったとき、質問用紙に「肺炎の予防接湯はしましたか?」という項目があり、キョトンとしたが、これで納得がいく。肺炎は高齢になるほど発症しやすいが、アメリカの場合、高齢者(70歳前後?)の50%は予防接種を受けているらしい。

 あとでこの話を妻にすると「そういえば、昨日病院へ行く時に乗ったタクシーのドライバーも“旦那が肺炎だって?俺も3回経験してるよ”とか言ってたわ」

 (因みに、日本でも前もって予約すれば肺炎の予防接種は出来るらしい)

 朝からの体温は36度水準を維持しており、なんとかこのままいって欲しいと念ずるばかり。

治療は6時間おきに抗生物質の点滴(30分)、そして咳どめシロップのみとなった。

〜〜夜11時半3回目の点滴。その後の「測定」での体温も36度台。(よしなんとか明りが見えてきたぞ!)看護師は「今夜はこれで最後です。明日の朝6時に来ます」と。  さぁ、今夜は邪魔が入らずに眠ることができるぞ!と横になったものの、やはり寝つきはよくない。それでも3時間くらいは深い眠りをとることができただろうか?

 

8月11日(木)

 朝6時になると、待ちかねていたように、看護団がやってきて、4回目の点滴が始まると同時に「計測」・・・体温測定は器具の先端で額と耳裏をさっとなぞるだけ(こんなので、正確な体温が測れるの?)。しかしこの結果が全てを決する。そんな私の思いも知らず、担当女性はテキパキと事を終えると、部屋を出ようとする。

「ちょっと、待って。体温は何度?」「98度よ」

「それは「F」ね。「C」だといくら?」「ちょっと待ってね・・・36度くらいね」

 “やったぁ!昨日から一度も37度を超えていない。これで退院できるぞ!”

 気分よく朝食を済ませ、シャワーを浴びる。・・・ところがいつも9時半位に来るドクターが一向に姿を見せない。そういえば、今日から担当交代というのが気がかりだ。

 10時半過ぎ、やっとドクターがやってきました。にっこり笑って手を差し出し、「今日退院できます」「それは・・・あ、有難うございます」としっかりと彼女の手を握り返しました。彼女が女神に見えました。実際にイタリア系(?)のスラリとした美人でありました。

「条件があります。処方箋に従って抗生物質を1週間呑んでください。そして指定する日に病院に来て担当医のカウンセリングを受けてください」     

(ええ、退院できるなら、なんでも言うことはききますよ!・・・)

 〜〜というわけで、緊急入院してから4日で危機を脱する(?!)事ができたのであります。

 (後日談ですが、日本に帰ってきてから、念のため、近所の病院へ行き、病院でもらったDVDとデータを見せると、医師は「う〜ん、これはかなり重症の肺炎でしたね。よく4日で退院できましたね!」と驚いてました。)

(病院の全景)

妻とともにコンドに戻ると、なにか懐かしい我が家に久しぶりに帰ってきたような気分です。

 夜は久しぶりの日本食・・・ざるそばを茹でてもらい、丸亀うどんで買ってきてもらった揚げたて天ぷらを合わせて“天ざるそば”、そして湯豆腐でささやかな祝宴としたのでした。

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