来た! 見た! 通った!

イタリア紀行(10/12〜10/21、2009)

                  

 

はじめに

 夫(=私)がリタイアしたら、イタリアに行きたい!・・・というのが妻の念願。先ずはハワイでのんびりして、来年の春先に行こうか?と考えていたのですが、ハワイの整理もやっと落ち着いた9月下旬の或る日、妻が「ねえ、見て、見て。こんなツアーがあるわよ!」とトラピックスのパンフを差し出しました。アリタリア直行便で10日間・イタリアの北から南まで廻るツアーです。妻の気合いに呑まれて予約をしてしまいました。〜〜かくして半年繰り上げてのイタリアツアーとなった次第です。

 

1日目(10/12・月)=成田〜ミラノ

 ツアー・一行総勢33名、12:40成田発のアリタリア(AZ)787便にて出発。勤め人には長期休暇の取りにくい時期ですが、イタリアは人気があるとみえて、機内は満席(もっとも中型機で、座席は横に3―3−3)。延々 12時間のフライトなので窓側2席になったら悲劇ですが、中央列の2席(=一人は通路側)なので、先ずは一安心。

 離陸後2時間ほどで飲み物(やはりワインが美味しい!)サービスのあと、「夕食」。イタリアンと和食のチョイスなので、妻は「イ」、私は「和」。「イ」=チーズたっぷりのラザニア、ビーフシチュー&温野菜、生ハム&野菜、カットフルーツ。これに対し、「和」=白身魚のフリッター・餡かけ、しめじご飯、惣菜(卵焼き、ロールチキンのスライス、蒲鉾、春菊の胡麻和え)、カットフルーツ、ゼリー・・・といった按配。「和」も悪くはないのですが、これはもう「イ」の勝ちです。誰かが“アリタリアの食事はマズイ”とか言ってましたが、なかなかどうして結構いけます。

 全席ビデオ付きで、日本語音声の映画も多いのですが、私的には面白いプログラムがありません。唯一「サブウエイ123 激突」が、トニー・スコット監督のシャープな演出と、トラボルタの強烈な悪役ぶりが冴えて面白かったです。(デンゼル・ワシントンがかなりメタボになって最初彼とは分かりませんでした)

 長旅なので、エコノミー症候群にならぬよう、時々最後尾までウォーキング。最後尾にはワインやドリンク、ビスケットなどが置いてあって、これは有難いサービスです。

 映画を見たり、ウツラウツラしていると、「サンドイッチ、or,オニギリ」のサービスがありました。そして着陸2時間前ほどに軽食のサービス=2種類のハム、ポテトサラダ、パン、ケーキ。丸いパンを割いて手製のサンドイッチにすると食べ応えがあります。でも、これで明朝まで持つかな??

               

                    (和食)              (イタリアン)          (軽食)

 ほぼ定刻の18時過ぎに無事ミラノ到着。入管〜スーツケースピックアップを順調に済ませ、バスに乗って20分ほど走ると、19時過ぎにはミラノ郊外(?)のゾマロンバルトにあるヒルトンガーデン・インに入りました。空港到着後1時間ちょっとですから極めてスムーズと言えましょう。

                

                  (タラップを降りると・・・)    (バスで空港ビルへ)        (ミラノの日没)

  添乗員から「イタリアでは、ホテルの部屋に入ったら、直ぐ内部、特に水まわり=お湯の出をチェックしてください。私のほうから各部屋に電話しますから、結果を教えてください」という話があったので(=イタリアのホテルは結構トラブルが多いということなのか?・・・)早速蛇口をひねってみるが、このホテルは上質なビジネスホテルといった感じで全く問題なし。

コンパクトながら清潔で、湯沸しポットもあり、他の備品も充実。バスタブは無いものの、熱い湯がふんだんに出てくる。(この“熱い湯がふんだんに出る”というのは大変貴重なことであると、後で実感することになる。結果的に都合6つの宿泊ホテルの中で、内容・サービスにおいて此処が一番であった)

               

                     (ヒルトン・インの外観)      (ロビー)              (室内)

出発前、「今夜の夕食はありません・・・機内の軽食が夕食代わりです。お腹が空きそうな方は成田で何か用意されるといいかもしれません・・・」というアドバイスがあったので、カップ麺とオニギリを持参していましたが、ちょうど湯沸しポットがあったので、早速利用して、「鳥南蛮そば」とオニギリでお腹を満たす。そんなにお腹が空いていたわけではないが、1日3食の条件反射みたいなもんですな。

少しロビーフロアを見回ってから外へ出てみると、風が強く、かなり冷えこんできた感じ。事前に調べた天気予報でもイタリア北部はかなり寒いとの予報であったが、そのとおりになりそうな気配です。そそくさと部屋に戻ると、熱いいシャワーを浴びて温まり、明日からの行動に備えて眠りに就く。

 

2日目(10/13・火) 午前=ミラノ

 朝は余裕を持って!というのが妻の方針なので、モーニングコールの30分前には起床・・・ということは、これから毎日時半前後に起床ということになる。ところが皆さん結構早起きで、予定食事時刻(本日は6:45)前には既に数組が朝食に取り掛かっている。

 これも出発前に、「今回のホテルでの朝食は殆どパンとコーヒーだけと思っておいてください」との話があったが、此処はほぼアメリカンスタイルのブッフェで品数豊富。質的にも上等で、クロワッサンや生ハム、チーズが大変美味しい。カプチーノも文句なし。さすがヒルトン、モリモリといただきました。(朝食も此処が最高で、後は下がりっぱなしでした)

               

7:45にホテルを出発。ミラノの遥か郊外から1時間半ほど走って市内へ入る。天気は快晴なれど、気温はかなり下がっている。道行く人も本格的な冬の装い。(通りすがりの男女の着こなしが皆決まっているわぁ、イタリアね!・・・というのが、車窓から外を見ていた妻の感想)

昨日ロシアから寒気団が降りてきて猛烈な「風台風」に見舞われたそうで、今日は風が無くてシアワセと思わなくてはならない。

市内に入って最初に行くのが土産品店! ナヌッ?と思ってはいけないのであって、なにしろ朝食で美味しいコーヒーをたっぷり飲んだ後1時間半あまり走っているので、先ず「トイレ休憩」が必要なのであります。「自然の要求」と「商売っ気」の妥協点は此の種パックツアーには必須であり、無料トイレを借りるには(=買い物時間として)最低40分間の滞留が条件となっているようです。

見物をスタートする前に、全員出発直前に配られた「耳太郎」を装着。携帯音声ガイドで、名前はイカさないが、これで添乗員(或いはガイド)は小声でしゃべっても、かなり列から遅れた参加者でも聞き取ることが出来る優れモノ。パックツアーにも日本のハイテク技術が存分に発揮されているのだ。

土産品店から少し走ってバスを降りると、イタリア人ガイドとともにゾロゾロと歩いてドゥオモの背後に近づく。ドゥオモを目の当たりにするのは20数年ぶりであるが、ゴシック建築の代表といわれるだけあって、天までとどけというような尖塔が青空に伸びて、見る者を圧倒するかのように迫ってくる。次に、正面に廻ると、近年正面壁面の洗浄が行われたということで、きれいになった大理石の肌が輝いています。

                        

  (ドゥオモの尖塔)  (一番高い塔の上には黄金のマリア像)   (化粧直し成った正面)

暫しドゥオモの偉容に見惚れていると、ガイドにせかされて、ビットリオ・エマヌエ世ガレリアへ移動。ドゥオモとスカラ座を結ぶ位置にあるこのアーケードは、ガラス張りのアーチ型の天井と、通りの床一面のモザイク模様が豪華で美しい。

中央交差点の十字のモザイクは15世紀にミラノを支配したスフォルツア家の紋章。その横に窪んだ穴があり、ここに靴のかかとを入れてグルッと一周できると幸せになれるんだとか。

 又中央ドームの四面の壁にはフレスコ画が描かれているのが分かる。“世界一美しいアーケード”といわれるだけあって、そぞろ歩きしていると豊かな気分になってきます。

               

                

 アーケードのカフェでエスプレッソでも飲みたいところだが、ここから許された自由時間は1時間。さぁ、どうする?元気な数人はドゥオモの裏へ走る。エレベーターで屋上に上がってミラノ市内を一望することが出来るのだとか。私たちは、ドゥオモの中へ。前回は外観を眺めただけに終わったので、どうしても大聖堂の中へ入ってみたかったのです。入り口で手荷物検査がありますが、無事パス。中へ入ると荘厳華麗な様子に圧倒されます。

                        

美しい弧を描く天井、華麗なステンドグラス、特に床の大理石のモザイク模様は、素晴らしいの一語に尽きます。

 外に出ると、ドゥオモの前の広場にはエマヌエ世の騎馬像があります。1861年、ガリバルディの尽力により統一イタリアの初代国王となったこの御仁は、かのラムセス2世に似た顕示欲の持ち主か(?)、国の至るところに騎馬像が建っています。近代イタリア王国は僅か85年で国民の信を失い、1946年に共和国となり、国王一族は国外追放され、長く祖国の土を踏むことを許されませんでした。それでもこうして都市の中央の記念像はそのまま残っているところはイタリア気質というか、面白いところです。

 おっと、余計なことを考えている暇はありません。集合時間が迫っています。再びガレリアを抜けてダ・ヴィンチ像の前(=集合場所)に戻ります。通りの向こうにはスカラ座があります。

               

                    (エマヌエレ世)        (ダ・ヴィンチ像)           (スカラ座)

 ミラノといえば、此処のほかにスフォルツェスコ城とか、いや、最大のメダマ=サンタマリア・デッレ・グラツィエ教会の「最後の晩餐」があるわけですが、我々のミラノ観光はこれにてお終いで、昼食のレストランへと向かいます。レストラン・VOLTAのメニューはフィットチーネ(ミートソース)とミラノ名物仔牛のカツレツ。飲み物は別料金で赤ワイン500ml4。

味はともかく、30数人の料理をササッと出した手際の良さに感心しましたが、カツレツは殆ど衣だけかと思うほど中身の肉を薄く叩き延ばしてあります。ところで、この料理は“シュニッツェル”と称してウイーン名物でもあります。なんでも“行進曲”(ヨハン・シュトラウス1世作曲)で有名なラデッキー将軍が1848年ミラノの反乱を鎮圧した折、この料理を食べて甚(いた)く気に入り、ウイーン宮廷に持ち込んだとか。将軍はそれまであまり美味しいものを食ってなかったのかな?

           

 

2日目(10/13・火) 午後=ベローナ

 食事を終えると再びバスに乗り、160km=2時間半ほど走って、ベローナへ到着。此処は人口27万と中規模の都市であるが、古くはローマ都市として栄え、そして中世はベネツィアの支配下にあり、現在もその当時の町並みがよく残っているとして、2000年に世界遺産として登録されたとのこと。

バスはアディジェ川を渡って中心部へと入り、我々はその街並みを散策していくが、なにしろ地面を掘れば、至るところローマ時代の遺跡が顕れるということだし、その一方で、中世の面影もよく残っており、見所がいっぱいで、いや、忙しい。

         

                (アディジェ川沿いの景色)      (地面の下にはローマの遺跡)

   先ずは、ジュリエッタの家。そう、あの「ロミオとジュリエット」の・・・です。まぁ、熱海に行って“お宮の松”を見るようなもんですが、蔦の絡まったバルコニーはシェークスピアの名作の舞台そのものといった風情で、世界中からの観光客でごった返しています。バルコニーの下にはちゃんとジュリエッタの銅像があり、その胸に触るとシアワセになるということで、彼女の胸はピッカピカです。

         

                                   (触り方がちょっといやらしい?!)

 ついでに、こちらはロミオの家。ホンマかいな? いえ、壁の小さな看板にちゃんとそう表記してありました。

 次に1314世紀にベローナの黄金時代を統治したスカラ家の墓廟とスカラ家の教会サンタマリア・アンティカ教会。美しいゴシック様式といわれる墓標は修理中=柵の中で、全貌が拝めず残念。ちなみにこのスカラ家の娘がミラノへ嫁いだが、その館があったのが、現在の(ミラノの)スカラ座のところだとか。

           

          (2階正面に棺のようなものが安置してありますが、中にはスカラ家当主の遺骸でも?)

更にシニョーリ広場。かつてベローナの政治の中心であった場所。歴史的建物に囲まれた広場の中心にダンテの像(19世紀建立)がある。1302年、皇帝派のダンテはフィレンチェを追われ、国内を転々とした後、ベローナで亡命生活を送ったという。

その向こうの8つのアーチが美しい回廊は、ロッジア・デル・コンシリオ(市議会)・・・ベローナ・ルネッサンスの幕開けとなった建物。

12世紀の市庁舎であるラジオーネ館には、8角形の塔上部分が華麗なランベルディの塔がそびえたつ。高さ83mとのことで、エレベーターで屋上に上がればベローナの市街が一望できて素晴らしいことでしょう。

           

コスタのアーチをくぐるとエルベ広場。エルベ=ハーブ・・・野菜を意味し、ローマ時代から公共市場が開かれていたそうで、(当時のものは地下3.5m下に埋まっていると)、今は野菜・果物・肉といった生鮮品のほかに雑多な土産品のテントが並んでいてにぎやかだ。

広場の奥はマッフェイ宮殿17世紀ベローナのバロック様式を代表する建物。屋上にはギリシャ神話の神々の像がある。(正面入り口を潜ると、なんと、洒落たリストランテになっていた) その手前の円柱はサンマルコの円柱で、上には16世紀・ベネツィア支配の象徴である翼のあるライオンがある。更に手前の噴水はマドンナの噴水。巻紙を持つ女性は「ベローナのマドンナ」と呼ばれ、ローマ時代の彫像だとか。

         

 右横の茶色い古めかしい建物は、マザンティの家といって、壁面にはアルヴェルト・カヴェッリ(16世紀)が描いたフレスコ画が残っている。つまりこの広場はローマ時代からのベローナの歴史が全て見渡せるところで、しかも「遺跡」ではなく、中央のテント市場やマッフェイ宮殿のように現在も“生きている”のがスゴイところ!。

         

                                (活気溢れる市場)

 更に両横にブランドショップの並ぶ石畳の通りを歩むと、突然視界が開け、その向こうにアレーナ(円形闘技場)が見えてきた。紀元前1世紀の建物で、ローマのコロッセオ、カプアの円形劇場(=映画でも有名なスパルタクスの乱が起きた場所)に次いで3番目の規模を誇る円形闘技場だとか。

建てられた当時は長さ152m、幅122mという大きさで、44段の階段席には25.000人の観客を収容できたという。現在一番外側の壁は1117年の地震により殆ど倒壊したが、1層目、2層目はほぼ完全な姿で残っており、保存状態の良さでは、南仏アルル、ニームの円形闘技場と共に双璧だという。

現在でも夏は「アイーダ」などのオペラやジャズコンサートが開催されており、遺跡好きには涎が垂れそうな代物であるが、じっくりと見る暇はなく、写真を撮ると、次は広場地下のトイレを拝借して、それからバスへと急ぐ。途中、市街を取り囲むように延々と続く赤レンガの城壁(ガイドに尋ねると11世紀のものだとか)も立派でした。〜〜かくして駆け足の散策(?)でしたが、歴史が現在に息づく古都ベローナは見所いっぱいでありました。

           

再びバスに乗ると、115km(2時間弱)走って、今夜の宿はベネツィアに少し近づいたクアルトダルティーノにあるヴィメ・ベニスイースト。新しくて小奇麗な、リゾート・インといった感じのホテルです。

 

       

 荷物を置くと、直ちに別棟のレストランで夕食。若いお姉さんが一人で給仕するものだから、ス−プが出るまでに恐ろしく時間がかかった。じっと待つ女性陣から「私たちが手助けしたら3分で配膳できるのにねぇ・・・」

しかもこの野菜スープが具沢山なのはいいが、しょっぱくて、かなりの人が残しておりました。(私は殆ど食べちゃいましたが・・・)

反対にタラのソテー&クリームソースは全く味がしない。一緒に出てくれば、スープをタラにかけてなんとかなるかもしれませんが、一皿ごとなので,如何ともし難い。★(星)はゼロの夕食でした。

       

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