3日目(10/14・水) ベネツィア

 朝食は、昨日より品数は減ったものの、パンは美味しく、ハム・チーズ、缶詰果物、ヨーグルト、コーヒーとあって及第点。充分腹ごしらえをしてバスに乗り込み、約1時間走って、ベネツイアを目指します。快晴の昨日と違って少し雲が多いですが、まあ大丈夫でしょう。しかし朝は一段と冷え込んでます。

              

ベネツィア本島の対岸から船で渡りますが、先ずその前にトイレ休憩。ベネツィアは物価が高い(強気の商売に加え、輸送コストが嵩むのも大きな要因)のですが、対岸のトイレでさえ、1.5ユーロもします。が、ここで用を足さないわけにはいきません。

ボートに乗り込んでラグーナを40分、寺院の尖塔やドームが目に入ってくると、塩野 七生女史の「海の都の物語」が脳裏をよぎり、何やら気持ちの高ぶりを感じます。それで寒さも忘れて甲板に出ずっぱりで、近づく景色を眺めておりました。いよいよサン・マルコ広場に上陸です。

             

   (こんな船に乗り込みます)   (舳先には翼獅子のベネツイア旗)   (広場の鐘楼が見えてきました)

上陸すると、広場をあたふたと横切って、先ずはオプショナルツアーのゴンドラ遊覧。運河を流れる水の汚染が進んで、夏場だとかなり臭うらしいのですが、この時期はそんなこともなく、水の都の風情を満喫することができます。1艘に4人、大半の人が申し込んだので、大水路に数艘のゴンドラが並ぶと壮観で、まるで、ゴンドラ艦隊です。

             

真ん中の船に歌い手の爺さんと伴奏者が乗り込んで定番の「サンタ・ルチア」などを高らかに歌い上げます。すれ違った船には若い歌い手が居て歌合戦。ちょっとかすれ声だった爺さん、「若い者には負けらんねぇ!」とばかりに声量を上げ、この勝負はこちらの爺さんの勝ち。

40分ほどの遊覧でしたが、結構楽しめて5千円の値打ちは十二分にありました。

            

         (歌い上げる爺さん歌手)     (沈みいくベネツィア?)

 ゴンドラから上がると、再び広場にとって返し、現地ガイドと遭遇。「コンニチワ、私の名前はアントニオ。でもイノキじゃないヨ」と笑いを取るスキンヘッドの彼はチョイ悪親父の雰囲気十分。でも行きかう連中と顔なじみで、実力派ガイドと察せられる。彼の解説で、ポイント箇所を見て廻る。(別に解説が無くてもこの辺りのことは分かるんだが・・・)

                  

                     (囚人たちが通った、ため息橋)  (ドゥカーレ宮殿)  (サン・マルコ寺院)

                 

                      (図書館)            (鐘楼)           (サン・マルコ広場)

 

  アントニオ曰く、「では、予定には入ってないおまけデス。サン・マルコ寺院は一日1回11:30から1時間堂内がライトアップされます。私、案内シマス。それまでは・・・」ということで、次は“決まりごと”のベネツィアガラス工房見学。ササッとグラスの形を作る職人の手並みは鮮やか、リチャード・ギア似のセールスマンの日本語も滑らか。「もう島内で製作している工房はごく僅かデス。みやげ物屋で安いのは中国製ですから、気をつけてくださいネ・・・」

11時半過ぎに寺院前に戻る。訳知りの人々でごった返しているが、勝手知ったるアントニオは警備員に目配せして、要領よく我々を聖堂内へと導く。壁から天井全て黄金で覆われており、それがライトアップされて、まさに黄金色に輝いている。使われた黄金は4トンを超え、ヴァチカンをも凌ぐという。しかもこの聖堂はドーシェ(共和国総督)とその家族だけの為の教会であったという。最盛期のベネツィアの富と権力に圧倒される感じだ。

残念ながら写真撮影禁止で、超ド級の豪華絢爛は自分の瞼に焼き付けるしかない。(・・・いろいろ探していたら1枚こんな写真がありましたので、日々弱っていく記憶力に代えて・・・)

(サン・マルコ寺院の内部)

 これにて観光は終了。アントニオに教えられた横丁のバールで、ジェラートを。因みにジェラートは何処でも2スクイズの小カップで2。この店のピスタチオは美味しかった。更に奥のカフェでエスプレッソを。濃くて甘くて美味しいが、ふたくちで飲み干せてしまう。イタリア人は大好きだというが、こんな少量は私の性分に合わない。

           

   通りの店で仮面の飾りや、ピノキオ人形などの小物を(妻が)買いながら、迷路のような道を進んでレストランへ。本日のメニューはサラダとイカスミのパスタ。サラダは何故かレタスが苦くて閉口したが、イカスミ・パスタは意外にも(!)美味しかった。ワインは白のハーフ(375ml)で、.5もしました。さすがベネツィアです。

             

   食後は広場から船に乗って本土の港へ戻り、西南西へ250km、一路フィレンツェ(の町外れ)を目指します。

今夜の宿はノルド・フローレンス。加田添乗員から「今日からバスタブが付きます」と説明があったものの、かなりくたびれたホテルで、不安がよぎります。

果たせるかな、部屋に入ってバスタブの蛇口をひねると、水に近い湯しか出ません。しかも浴槽に少し溜まった湯(いや水)を見ると、薄茶色をしているではありませんか!思わずエジプトの悪夢を思い出しました。まあ、エジプトと違って、少し流すと透明にはなりましたが、その後も一向に温度は上がりませんでした。これなら「バスタブなんて贅沢は言わない、シャワーでいいから熱いお湯を出してっ!」と叫びそうになりました。(この夜は一行の殆どの人が顔だけ洗って寝たそうです)

  この(酷い)ホテルの唯一の利点は今までの“草地の中の一軒家”と違って、近くに商店街があるということ。

そこで、夕食は添乗員さんに断って外で食べることにし、ついでに徒歩5分でスーパーがあるというので、早速行ってみることにしました。

日本人はイタリア料理が大好きだが、本場イタリアでは意外と美味しいレストランが少ないし、値段も高いと謂われる。値段の高いのは、マフィアへの上納金が含まれているからだそうであるが(?!)、その一方で、スーパーでの食品価格はビックリするほど安いということである。(この物価水準の安さが、イタリア人が気楽に暮らせる所以かもしれない)

で、実際にスーパーに入ってみると、評判どおり、本当に信じられな〜いくらい安い!・・・この日の結果で示すと、イタリアでは「ワイン法」によって4段階に格付けがされているが、その最上級「DOCG」のラベルの付いた赤ワイン1本が1.99(約270円)、ミネラルウオーター1.5L/0.14(約20円)、トマト6個/0.95(約130円)、オレンジ1kg/1.25(約175円)、チーズ6個/1.19(約160円)、アフターエイト・ミントチョコ/1.99(約270円)・・・といった次第。

特に赤ワインは眉唾もので買ってきたが、あとで飲んでみると、芳醇で申し分のない味わい。トマトも、「本場」だけあって、香り高くて日本の桃太郎トマトより遥かに美味しい。

                  (スーパーでの買出し8点・・・〆て8.84=約1,200円也)

事前にホテルの近くに美味しいピッツァリアがあるとのネット情報を得ていたが、スーパーの帰り道、通りの向こうにその看板を見つけました。ピッツァリア・PIZZAMANです。ホテルへ帰って引き返すのもホネなので、重い荷物を抱えてそのままレストランへゴー!

通常イタリアのレストランの夜の部は7:30過ぎから。まだ7:15過ぎなので、恐る恐るドアを開くと「Ok!」とのこと。もちろん今夜、我々が最初の客。

 観光客相手の店ではないので、メニューは当然イタリア語。うろ覚えの単語を引っ張り出して、“え〜っと、アンティパストはプロシュートとモッツアレラね” ・・・“あっ、ワインはこのピッツァマンのロッソね”・・・客がいないので、一度にオーダーしてドッと出てきても困るので、一品毎のオーダーにします。

 生ハムはイタリア中の何処で食べても美味しい(=この後もそう!)のですが、モッツアレラは此処までのところ(その後も)美味しくないというか、全く味がなかった。元来淡白なこのチーズは日本でいうなら「豆腐」でしょうか。「豆腐」も銘柄によって旨味とコクがあるのとそうでないと千差万別ですよね。で、目の前に出てきたモッツァレラは淡白な中にも旨味とこくがしっかりとあり、大変おいしかったです。

 次はここのメイン料理・ピッツアからマルガリータ。アツアツをほうばると、チーズが濃厚で、日本のマルガリータとは一味も二味も違います。8時を過ぎると地元客が入ってきましたが、近くのテーブルの若夫婦と7〜8歳くらいの男の子が、各々大きなピザを1個ずつ食べてます。イタリアでは“ピザは一人1枚”というのは本当なんだぁ!と再認識しました。

 小食の二人はこれで充分なのですが、折角だから(?)と、ボンゴレのパスタを追加。ウエイターはアジアの高齢者が大丈夫?というような表情を見せて下がりました。・・・出てきたスパゲッティは生めんで、アルデンテではないものの美味しかったです。満腹になって35(=10%のチップ込み)

 はじめは一行と別れて食事することに批判的だった妻も満足の表情。妻が言うには「日本だと、イタリアンレストランはガーリックの臭いがプンプンしてるんだけど、此処も、そういえばお昼のレストランでも全く臭わないわねぇ」・・・確かにガーリック特有のあの臭いはこの後も皆無でした。

       

       

さて、翌朝の食事は、狭い食堂に我々とJ●Bの一行、それに韓国の団体が一緒になったものだから、そして品数(=パン、チーズ、ヨーグルト、コーヒー)も、その量も少ないものだから、食料争奪戦の様相を呈しました。

 

4日目(10/15・木) 午前=フィレンツェ

 ホテルを1歩出ると、思わず「さぶ〜〜い!」。毎日気温が下がって今朝はなんと2度だそうです。

今日はホテルから30分でフィレンツェ市街へ到着。先ずは木立の中の丘を登ってミケランジェロ広場へ。ここから、ドゥオモベッキオ宮殿などフィレンツェ歴史地区が一望できます。朝日を浴びて、まさに絶景かな!

       

          (ドゥオーモとクーポラ)  (サンタ・クローチェ教会の塔?)  (ヴェッキオ橋)

ベッキオ橋をはじめアルノ川に架かる様々な様式の橋も絵になります。後を振り返ると、ミケランジェロのダビデ像。もっともこれはレプリカで、ミケランジェロ広場ということで、置いたのでしょう。

          

         (ダビデ像)       (サンタ・マリア・ノヴェッラ駅)   (サンタ・マリア・ノヴェッラ教会)

この広場での許された時間は僅か15分なので、急いで写真を撮り終えるとサッサとバスに乗り込み、ドゥオーモ方面へと向かいます。バスを降りて少し歩くと、巨大なクーポラの姿が見えてきました。ルネッサンス様式で、色違いの大理石を組み合わせた建物の表面の鮮やかさに目を奪われます。

       

 

               

                                             (ジェットの鐘楼)

ドゥオーモかジェットの鐘楼のどちらかに登りたいところですが、“特急ツアー”にはそんな時間の余裕がありません。逆光を避けながら写真を撮り終えると、ゾロゾロと歩いてレブッブリカ広場から新市場Mercato Nuovo)へ。市場の傍らにはポルチェッリーノ(=子豚)と呼ばれる猪くんの像があります。この鼻を撫でると、またフィレンツェに来ることが出来るということです(妻はしっかりと撫でてました!)

        

さらに進むと、ヴェッキオ橋。両側を貴金属店などが覆ってますから、「もう、橋の上ですよ」と言われても「エッ?」という感じです。中央の店舗の壁が途切れた所で、初めて「アルノ川の上にいるんだぁ!」とわかります。

        

重なるアーチが見事な回廊をぬけて、川沿いに少し歩くと、今までその上にいた橋の全貌を見ることが出来ます。

       

通りを渡ると、ウフィッツィ美術館の建物。ラファエロ、ダ・ヴンチ、ミケランジェロなどメディチ家のコレクション、なかでもボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」と「春」が有名で、是非とも見たいものですが、それはさきほどの猪くんに願掛けして、今回は建物の外観をしっかりと留めておくことにします。

       

次は、シニョーリア広場へ。ヴェッキオ宮殿の前には見事な彫刻が並んでいます。中央のダビデ像はレプリカ。もともと此処にあったホンモノは、今はアカデミア美術館に収まってるそうです。

       

                                         (横の建物にも彫刻群があります)

       

 さて、だいぶ時間が経過したので、トイレ休憩を兼ねたお買い物タイム。私はその間店を抜けて広場に出ると、目の前に立派な教会がありました。あとで調べるとサンタ・クローチェ教会。13世紀後半から建設されたフランシスコ派の最大の教会で、聖堂の中にはミケランジェロ、ガリレオ、マキャヴェッリ、ロッシーニといった有名なイタリア人(いや、フィレンツェ人)たちが埋葬されておりpantheo delle glorie italiane(イタリアの栄光のパンテオン)」として知られているそうです。ゴシックとルネッサンス様式の合わさったような感じで、大理石の表面がきれいです。

 聖堂内は見所がいっぱいの人気スポットらしいですが、我々の見学コースに入ってないので、買い物タイムが終わると、ガイドは無視して通り抜けます(勿体ない!)。

      

     (広場)           (教会正面)      (正面入り口アップ)  (左横には誰かの立像)

 石畳の路地を縫って、どこをとっても絵になるような古い町並みを抜けると、再びアルノ川沿いの大通りへ。

これにて“駆け足フィレンツェ見物”の終了です。

       

 

4日目(10/15・木) 午後=シエナ

  約70km(1時間20分)ほど走ってシエナへ到着。シエナはルネサンス期には、フィレンツェと拮抗し、金融と芸術の中心として栄えた都市。丘の上に広がっているので、エスカレーターを何度も乗り換えて中心部へと入る。近年設置されたそうだが、それ以前は結構大変であっただろう。高い建物と建物の間の隙間のような坂道を縫うようにして進むと、突然視界が開け、その前はカンポ広場。石畳が扇形に広がった(見ているほうからは、すぼまった)世界一美しいと言われる広場(あれっ、サン・マルコ広場でもそんなこと言ってなかったったっけ?・・・)

    

               (バスを降りると、高い城壁が!・・・そこでエスカレーターで上がります)

 

             

見物の前にとりあえず昼食。SPADAFORTEという店で、お昼には珍しく、デザート付きの3品。結構おいしかったです。ワインは5百ml=€6.

     

         (螺旋状のパスタ)      (チーズ入りオムレツ)     (ミルフィーユ)

      

広場の周りは見所いっぱいですが、ここも残念ながら時間の余裕がありません。高いところからの一望にとどめます。扇の要にあるのが、プッブリコ宮殿Palazzo Pubblicoで、1階は現在、市役所として使われているそうです。その横の鐘楼はマンジャの塔。扇の上部にガイア(歓喜)の泉。丘陵都市のポイントは水源で、14世紀半ば、サイフォンの原理でこの水源を確保したときに、街の人々は歓喜したそうで、それが名前の由来とか。

       

さて、慌しく広場をあとにすると、坂道を下っていきます。途中で遠くを見やると、絵になる景色がいっぱいありました。此処ももっとゆっくりしたいところです。

     

(シエナの大聖堂)

 

         

 

 駐車場近くの広場には、噴水があります。回りは城壁で取り囲まれて、中世の城砦都市のものものしさを感じます。

 シエナ観光を終えると、435km(約5時間)南に走ってナポリ近郊のカステルヴォルトゥルノへ。途中何度かのトイレ休憩がありますが、立ち寄ったドライブインで、一度食べたいと思っていた、ナポリ名物の焼き菓子スフォリアテッラ (Sfogliatella)を見つけました。イタリア語で、“ひだを何枚も重ねた”という意味だそうです。貝殻をかたどった何層ものパイ生地の中にリコッダチーズのクリームが入っています。オーブンで焼いたパイ生地はパリパリとして硬く、1個で軽食代わりになるほど食べ応えがありました。

今夜からの2泊はホリデーイン・リゾート。海に近く、ゴルフ場もあるリゾートホテルで、規模・設備的には今回の中で一番豪華でした。バスタブもあって、熱いお湯もちゃんと出ます。

 

         

 ホテル到着が20:20と遅くなったので、取り敢えず夕食へ。ロビーもダイニングルームも広々として立派で、白いクロスの上には綺麗な皿がセットされています。ユニフォームに身を固めた給仕が数人、颯爽と料理を配ってくれます。豪華なディナーの雰囲気です。

    

・・・と、ここまではよかったのですが、肝心の料理は極めて大雑把。メインは仔牛のクリームソテーですが、対面の女性は「まぁ、柔らかくて美味しいわ!」、ところが私のソテーは、「なんだ、固くて筋ばかりで、食べるところが無いじゃないか!」といった具合。デザートのケーキも、大きいのをまるで乱切りしたように、人によって形はマチマチでした。(ワインは1リットルで€10)

       

         (いわゆるマカロニ)     (ゴムみたいな仔牛肉)    (チョコレートケーキ)

 野菜類が一切なかったので、部屋に戻ると、昨夜スーパーで買ってきたトマトとオレンジでカバーします。(部屋にソーサーがあるのは有難い)

翌朝の朝食は、半ブッフェ・・・パン・ジュース・コーヒーは自由ですが、その横で給仕の女性がスクランブルエッグとベーコンを皿に乗せてくれます。テーブルに着くと中央に人数分のハム、サラミ、チーズのスライスが置いてあります。・・・といった、必要な量しか出さない合理的なシステム。

     

                 (夜食?)             (朝食)

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