妻が行くトルコ紀行
(06・11・7〜11・16)
はじめに
9月半ばを過ぎたある日、なぜか? 突然「トルコへ行きたい!」と思い立ちました。ネットでいろいろ調べてみるとJTBのツアーが時期と価格でいちばん“お値打ち”のようです。
「パパ、行ってもいいかしら?」、「・・・!」 旦那様の苦笑いの表情を見て、早速予約の手配完了。
〜〜それから数日後トラピックス社のトルコツアーバスがコンヤ郊外で横転し、数名の死者が出たというニュースが飛びこんできました。このニュースを見た友人から「あなたそれでも行くの?」 私は「当然よ。行くと決めたら行くの!」と答えます。 土産は要らないからとにかく元気で帰ってきておくれ!・・・心配してくれる友人に有難う・・・応援してくれる友人に感謝・・・です。
出発の1週間前には近所の神社仏閣を総巡りして“道中安全”を祈願して回りました。
気分を落ち着けたところで、ガイドブックや経験者のパパの話(6年前に行ってるんです)を聞きかじって情報をインプットし、毎日週間天気予報をチェック。気温20℃の所もあれば、内陸部は2℃になる日もあります。衣類をどうすればいいのかが悩みのタネです。そうこうするうちにアッという間に出発の日となりました。
11/7 (羽田〜関空〜ドーハ)
夜6時半、羽田に集合。参加者は16名。あとで道中親しくなって分かったことですが、この中で、なんと私が最年少! なにしろこんな時期ですから、殆んどが「リタイア組」、皆さん海外旅行の大ベテランで元気一杯です。
20:15発のANAで関空へ。23:15にカタール航空便に乗り換えてドーハへ向かいます。5月の東欧行きは、チャイナエアーで成田〜台北〜アブダビというルートを辿りましたが、またまたアラビア半島周りです。これまで全くご縁のなかったアラブが急に身近になった(?)感じです。
(機内の様子。写真だと結構きれいに見えるのですが・・・)
機内食はこんな感じ。1回目は「うなぎ飯」、2回目は「スパニッシュ・オムレツ」です。
11/8 (ドーハ〜イスタンブール〜チャナッカレ)
約12時間のフライトで、朝5時前にドーハ到着(時差約7時間)。乗り換えで約4時間待ちとなります。空港ビル内はアブダビよりとても広いです。ドーハは12月1日からアジア大会が開催されるということで、遠くにはビル建設ラッシュの様子がうかがわれます。
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(アラブの景色もお馴染み?)(広い休憩室?) (民族衣装の行列が印象的でした)
9時過ぎにいよいよイスタンブール向けて出発。アナトリア高原の上を飛んでます(下の写真)
13時前にやっとこさイスタンブール到着。先ずは両替所へ。05年1月に、なんと「百万分の1」のデノミが実施されて、現在は 1リラ(YTL)=85.83円と、アラまぁ!リラのほうが強くなっていました。6年前にパパが訪れたときはデノミ前で、1千万リラなんていう世界最高額額紙幣があったそうですが、今は昔となりました。でもお札の肖像画はやっぱり“建国の父”アタチュルクです。今回は特に「お買い物」の予定はないので、お小遣い程度の両替に留めておきます。
スーツケースが揃うと、現地ガイドのセデフさんがお出迎え。アンカラ大学言語学を卒業した32歳の若い女性ガイドです。
(トルコのお札) (途中の景色=意外にモダンな住宅街と、羊が遊ぶ草原)
海峡を渡るフェリーの出発は00&30と30分おきだそうです。6:00の便に何とか乗れますように!・・・ドライバーさんが頑張ってくれたおかげで、ジャスト6時にエジェアバトの船着場に到着。
フェリー乗り場に着いたときはもうトップリと日が暮れて、ダーダネルス海峡に沈む夕日を楽しむことはできませんでしたが、そのかわり満天の星空を見ることが出来ました。
今夜の宿はイリスホテル。以前パパが泊ったエコノミーなホテル。話を聞いて期待してませんでしたが、その後改装があったとかで、意外と小奇麗でした。尤もバスタブはやっぱり“ミニ”で、どうやって入ろうか?と思案しました。(下の写真は翌朝のものです)
(窓からエーゲ海が見えます)
11/9 (トロイ〜ベルガマ〜イズミール)
今日から本格観光のはじまりです。8:30にホテルを出発、オリーブ畑の丘を進んで、先ずは伝説のトロイへ。数年前にパパと見た映画「トロイ」だと、ブラッド・ピット=アキレス(筋肉モリモリでした。アッ、関係ないですね!)を先頭にしたギリシャ船団は海岸からトロイの城砦を攻め上りましたが、小高い丘の遺跡からエーゲ海ははるか彼方です。木馬を見てトロイに来たんだワ!と納得。
トロイからエーゲ海を右手に見ながら220Kmほど走って、次はベルガマ(=昔ペルガモンと言ったそうです)。何せ16人の小団体で大型バス利用なので、座席はゆったりとして有難いです。皆さんとも次第にうちとけてきて、一人旅でもなんとか楽しくなりそうです。町に入ると、もうお昼を回っているので先ずはレストランへ。
(バスの中) (ベルガマの通り) (本日の昼食)
お昼は、煮込み料理のブッフェ。トルコ料理は“世界の3大料理の一つ”とか言われるそうですが、ちっともそれを実感できません!
食事を終えると、バスは丘を登って遺跡に到着です。ペルガモンは、アレクサンダー大王の部下の一人リシマコスのその又部下、フィレタイロスが治めて栄えた都だとか(エヘン、私も少し世界史を勉強しましたワ)
澄みきった青空に真っ直ぐに伸びた大理石の柱が鮮やかです。遺跡ってスゴイわ!と実感しました。
(遺跡への入り口) (ローマ時代の神殿あと)
(斜面の大円形劇場)
丘を降りると、次はアスクレピオン。ギリシャの医療の神様アスクレピオスからきた名前で、一種の「総合医療センター」。ギリシャ時代から都市には設置されていたそうですが、ここのは、ローマ時代の紀元前4年に建てられたものだとか。これも“まぁ、スゴイわ!”とうなっちゃう遺跡です。
遺跡を堪能すると、110km走って、今夜の宿泊地イズミールへ向かいます。
イズミールは、その昔、トロイと並んで栄えた港町とかで、トロイは遺跡になっちゃったけど、ここ
(大通り) (ピザ屋があります) (朝の景色、丘に家がイッパイ!)
今夜の宿は、ホテルアクサン。ここも以前パパが泊ったホテルです(笑)→日本のエコノミーツアーの定宿かな?!パパは「イリスに比べると良かったよ」と言ってましたが、実際は〜〜“それなり”のレベルでした。
食事は、メインはマカロニグラタン(パイ?)のようなものと、それとサラダ。ドレッシングといった気の利いたものはありませんから、塩をチョチョイと振りかけて・・・あ〜ァ、これなら東欧のほうがズッとよかったわ!
11/10 (イズミール〜エフェソス〜シリンジェ村〜パムッカレ)
イズミールから80km走って“遺跡の総本山”エフェソスへと向かいます。(その後パムッカレまでと、合計280kmくらい走るので、朝7時ホテル発と強行軍のスタートです。)
先ずは「聖母マリアの家」へ。木々が色づいた石畳の坂を上がっていくと、マリアの家があります。ここで聖母が晩年を過ごしたということなんだそうですが、本当なのでしょうか? 信じましょう! でもイスラムの国の中に小さな教会としてちゃんと残っているなんて不思議ですね。トルコ人えらいですね!
さて、いよいよエフェソスです。トロイとペルガモンでも感動しちゃいましたが、これはもう本当にスゴイです。ずぅ〜〜〜と向こうまで全部“遺跡”なんです。日本の感覚だと、ロープなんか張ってあって、ちょっと遠めに見ていくという按配なんでしょうが、ここはズ〜ッと中まで入っていけちゃうんですねぇ 手で触ってみて又実感!
エフェソスは今から3千年も昔にギリシャから来たイオニア人たちが都市を築いたのが始まりという古い古〜い歴史を持つ町らしいですが、今私たちが見ているエフェソスはローマ帝国から東ローマ時代まで繁栄し、その後アラブ人の攻撃を受けて放棄されたあと、山からの土砂に埋まってしまい、19世紀になって発掘されたものなんだそうです。(以上、ガイドさんの受け売り) 長い間埋もれていたおかげで、こんな立派なものを見ることが出来るんだわ!
(女神ニケ) (クレテス大通り)
(ハドリアヌスの神殿)(大円形劇場)
(公衆トイレ)(エフェソスのシンボル・ケルルス図書館)(アルカディアン通りから円形劇場)
トイレは便座の下を水が流れる“水洗式”とか。でも仕切りがありません! 当時のトイレは“ナニ”しながらおしゃべりする社交場だったとか。(これがほんとの“クサイ仲”と言うのでしょうか?)
(あら、まぁ! 失礼致しましたわ〜ん)
上の写真=クレテス通り沿いの住居床のモザイクが鮮やかに残ってます。ローマ人の細工ってスゴイ!右は「娼婦の館」の検問跡=当時も当然未成年は入場禁止。ところが証明書なんかありませんから、この足型より小さい人はアウト!だったそうな。ジャイアント馬場さんなら未成年でも入れたかも・・・(連想がちょっと古かったかしら?尚、快晴のため囲いの陰が写って足の大きさが一寸分かりません。すみません!)
感動と興奮の見学が終わると、ちよこっと移動して“おまけ”のアルテミス神殿。古代エフェソスのシンボルとして豊穣・多産の女神を祭る壮大な神殿が造営され、世界七不思議のひとつと言われたそうですが、今残っているのはこの柱1本だけです。(下・左)
今日の昼食は「チョップシン=羊の串焼き」とスープ&サラダ。(やっぱりイマイチです=上・右)
この後、少し走って、パックツアーのお約束事=革製品店へ。先ずサービスのチャイを飲みながらファッションショー(客もモデルにされて登場します)を見てそれから店内へ。これが迷路のようになっていて、ハハ〜ン、出来るだけ滞在時間を長くしようという魂胆だな。皆さん結構買い物意欲旺盛です。
ここで時間を取られては肝心のパムッカレに着くのが夜になってしまう・・・と催促のサインのつもりで“同考の士”3人でさっさとバスに引き返し、イライラしながら待ってました。
次は「トルコのいろは坂」とでもいうような山あいの道を登って、シリンジェ村へ。小さな村ですが、近年地ワインと手作りレースで有名になってきているのだとか。白壁の家並みはかつてギリシャ人が住んでいた名残りでしょうか?
ワインショップで一行が賑やかに試飲してたら地元のおじさんが話しかけてきました。どうやら 「Where From?」と言ってるみたいなので、後ろのほうから大きな声で「フロム ジャパン!」と応えたら、ニッコリと私のほうに近づいてきました。
「ジャパンに行ったことある?」 「うんにゃ、ないね!」 「それは残念。是非日本にも来て下さい!
I LOVE TURKEYよ」と言ったら、おじさん大きく頷いて満面の笑顔を見せました。ほんとうは、どこのガイドブックにも載ってないようなこんな村に立ち寄るよりも早くパムッカレに行きたいのに・・・と思ってましたが、これはこれで貴重な体験だったかもしれません。
(シリンジェ村) (ワイン工場とぶどうの箱)(果物が美味しそう)
(小学校と校庭の遊び場)
試飲のワインでちょっとご機嫌になりましたが、車窓からの景色も紅葉の時期ということもあっていろいろと変化して面白いです。
家を出るときパパから「土産は干しいちじくだけ買ってきておくれ」というリクエストがありました。なんでもトルコの干しいちじくは世界一なんだそうです。それでイスタンブールでバスに乗るときにガイドのセデフさんに尋ねたら「ずっと先ですが、いいのがあるところを教えます」ということで、それがシリンジェを下ったところのドライブ・インでした。
パパの“たっての願い”であったので、ちょっと試食して美味しかった干しぶどうも合わせて15袋=4kgも買ってしまいました。(帰国すると、パパは「6年ぶりの美味しさだなぁ!」と言って、トルコを思い出しながらご機嫌で食べてます)
畑の白い花のようなものは収穫前の「綿の実」です。街に入ると、通りに置いたテーブルの周りにはおじさんたち座って寛いでます。皆さん、あんなにのんびりでいいのかしら?〜〜〜そうこうするうちに行く手に白っぽい丘が見えてきました。パムッカレに近づいたようです。
日没前に到着してよかった! 素足で石灰棚に入れるそうなので、思い切って入場。やっぱり入ってみないとここの素晴らしさは実感できません。石灰石のかけらで“か弱い”足裏がチクチクしますが、程よい温度の足湯につかり、綺麗なサンセットも見ることが出来て、満足満足。
ガイドブックによるとバムッカレは女性に人気スポットだそうです。
こうしてトルコ観光のハイライトの一つを終えたあとは、15分くらい走ってスパホテル コロッセア サーマルへ。今日からホテルがAクラスにグレードアップになります。低層=2階建ての建物が山を背に広〜〜く伸びています。部屋に入ると、何故か3ベッドです。1人なんだからキングサイズのベッド1つのほうがいいんだけどなぁ・・・でも、ここはいいホテルで気に入りました。
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