11/11 (パムッカレ〜コンヤ〜カッパドキア)
早いもので、旅も半ばとなりました。今日は今回のツアーで、一日として最長の640kmも走破するというので、又々7時出発です。(でもチャナッカレ以降ほぼ同じ日程をこなしているパパのときは、パムッカレ午前4時半出発だったというから、それにくらべれば、だいぶ楽な段取りです)
朝一番に、この地区のもう一つの観光スポット、ヒエラポリスへ立ち寄ります。ローマ時代に栄えた都市で、その後の地震やセルジュクトルコによる破壊のせいで崩れが激しい。でも建築や土木工事に秀でたローマ人の築いた都ですから、ガイドブックなんかによると結構「見所」もあるようですが、なにしろ時間の余裕がありません。
それでほんの“かすめる程度”というか、ネクロポリス(死者の都=巨大墓場)のあたりを見ただけでオシマイ。(パパのときもそうだったみたいで、日本の“駆け足ツアー”はみな同じなのかな?)
せかされるようにして見終わると、サッサッとバスに乗り込み、コンヤ目指して410kmの道のりをひた走ります。12時過ぎに無事コンヤへ到着し、先ずは昼食==トルコ風ピザ(生地がぺラペラでチーズが少なく、ちょっとピザのイメージと違います)、ソーセージとサラダ、スイーツのアラカルト、・・・・トルコのお菓子はどれも“超・甘&甘”です!==
で、コンヤはセルジュクトルコ(といっても歴史に弱い私にはよくわかりませんが・・・)の首都として13世紀頃に最も栄えたようです。平野の真っ只中にあるといった感じで、結構大きな都市です。通りではスカーフを被った女性が多いです。
コンヤはイスラム教神秘主義のメブラーナ教発祥の地でもあります。で、食後は先ずメブラーナ博物館へ。下の写真は博物館の外観。トルコブルーの尖塔がちょっとユニークで綺麗です。
建物の中に入ると、イスラム教は偶像崇拝禁止で、彫像なんかは一切ありませんが、その代わり、華麗な内装に目が奪われます。(写真下右は、コンヤ美人です!)
装飾を施した棺が並んでいます。一番立派なの(下の写真右)が教祖メブラーナのものかしら?
メブラーナ教は“踊る宗教”として有名で、今はそのパフォーマンスは見れませんでしたが、人形と古い絵で、その様子をイメージすることが出来ます。
次はインジミナーレ神学校へ移動します。セルジュク様式を今に伝えるという、入り口の壁の繊細なレリーフが印象的です。(下の写真ではちょっと分かりかねますが・・・)
さぁ、この後は230km走って、カッパドキアへ向かいます。今夜のお宿はデデマン カッパドキア。いちおうAクラスということで、まずまずのホテルです。
夕食はブッフェ。隣の席に結婚記念日のパーティーをしている家族がいました。そこのお茶目なちびちゃんと仲良しになり、美味しいケーキもいただいちゃいました。
なぜかブッフェに並んでいるケーキより数段美味しかったです。ご馳走様でした。ご家族お幸せに!
(元・少女) (みんなホントに可愛いいわ!)
11/12 (カッパドキア〜カイマクル〜カッパドキア)
朝、早起きしてホテルの裏庭に回って見ました。目の前に“信じラレナ〜〜イ”景色が広がってます
食事を済ませると、いよいよカッパドキアへ入っていきます。ほんとに巨大なキノコの山に分け入ったような感じです。岩を掘って住居になってるとこもあります。
(ギョレメの谷で全員集合!)
お昼は洞窟レストランへ。入り口は整備されすぎて洞窟っぽくありませんが、中へ入るとそれらしい雰囲気です。メニューは、近くの川で採れる川マスの塩焼き。結構美味しいですが、でもちょっと焼きすぎ?!
食事のあとは、お約束事その2、トルコ絨毯工房です。はなから買う気はないので、隅っこで腕組みして眺めてたら、「マダムは買わないの?」と、背は低いがちょっとイケメンの青年が話しかけてきました。
「私んちは、すっごく狭いからこんな立派な絨毯を敷くとこはないの」
「そう・・・マダムと少しお話したいな。ボク、愛知県に行ったことあるんだよ」
「そうかぁ、それで日本語上手なんだぁ」
「ファイアを見て“火”とか、朝叩かれて、“コラ、起きろ!とか、そんなにして覚えたんだヨ」
(絨毯美人?) (皆さん、達者な日本語で商売上手!)
(この山の下に都市が) (途中の“参道”) (入り口)
地下見物が終わると、下の写真のようなルートを辿って再びホテルデデマンへ戻ります。2泊するあたりが10日間の旅の余裕といえます。
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