新春台中台北食歩記
(07・12・30〜08・1・6)
はじめに
今回の年末・年始は久しぶりの9連休。それでは「暖かい処へ!」ということで、“お気に入り”の台湾へ行くことにしました。 この時期の気候は南部=台南&高雄がベストなのですが、両所は2年前に廻ったので、今回は台中からスタートして台北へ北上する計画。台中は夫婦それぞれに学生時代に訪れて以来約40年振りというセンチメンタルジャーニーとなります。
12月30日 台中へ
今回のフライトはEL2103便(全日空=エア・ニッポン)で9:20成田発・・・ということは早朝4時半起きで、大森 5:49→品川5:55/品川6:01→空港7:37 (JR快速利用) という、とんでもないスケジュールになります。
成田空港の朝9〜10時台は結構出発便が多いのですが、今年末の出発のピークは昨日(29日)だったようで、それほどの混雑もなく無事機内へ。TV(勿論個別ではありません!)の番組はつまらないアメリカン・コメディしかやってないし、音楽はというと、イヤホンの音質は最低。
こうなれば4時間のフライトの楽しみは酒と食事しかありませんが、機内サービスのGASTON(仏産)ワインは白・赤とも結構いけます。食事はメインが写真左=「海老とポークのクリーム煮&ピラフ」、写真右=「カニご飯・鮭の蒸し焼き・野菜の煮物」で、これにローストビーフと枝豆、なめこうどんがセットですから、ハワイ便より頑張っているかもしれません。
ほろ酔い気分になっているうちに、ほぼ定刻の12時前に桃園国際機場に到着。(暫く前から陳水扁総統は非・蒋介石化を推進しており、以前は中正=蒋介石国際機場と称していたのを近年この名前に改称したのである)
成田でやや遅めのチェック・インだったせいか、珍しくも早めにスーツケースをピックアップし、両替所へ急ぐ。今回のレートは1元 ≒ 3.6円。政治的に問題が多く、経済も思わしくない状況の台湾なのに、数年前と比べてずいぶんと円安で、“衰退するニッポン”と謂われる我が国の厳しい現状を身をもって実感する・・・。
旅は先へと続くのでそんな感慨に耽る暇もなく、スーツケースを転がしてバスの切符売り場へと急ぐ。台中へは空港から直行バスがあるので有難い。何社かあるなかで一番評判の良い統聯バスを選択。台中までは270元(≒970円)也。 →台湾の交通費は安いです!
空港ビルの外のバス乗り場へ出ると、どんよりとした曇り空で、冷たい風が吹き付けてとにかく寒い。これじゃあ日本と変わらないや。
27日夜に一足先に台北入りした三男から「深夜でもけっこう暖かいよ!」というメールが届いていたのだが、なんと、本日台湾にこの冬初めてという大寒波が襲来したのでそうです!(トホホ・・・)
郊外へ抜けてしばらく走ると薄日がさしてきました。(ホッ) 渋滞もなく順調に走って、出発から丁度2時間で台中SOGO前に到着。大通り(台中港路)の向こうに金色に輝くビルがぬっくとばかりに建っています。今回のホテルのある金典ビルです。向こうへ渡ろうとすると、なんと、直ぐ近くの交差点には横断歩道がありません!重いスーツケースを担いで地下道へ降りるわけにはいかないので、右手遠くの横断歩道へ向かいます。
台湾の歩道は各建物の軒下になりますが、これがバリアフリーの思想はゼロ。各建物それぞれの床の高さが違うのでスーツケースを運ぶのがたいへんです。
やっとこさ向こう側にたどり着いてみると・・・金典ビルはホテル=日華金典酒店が12階〜23階で、その下は商業施設の複合ビルなのですが、大通りに面した箇所は全面空室になっておりまるで廃墟のような感じです。現在台湾の景気は悪いとのことですが、それを象徴するような有様です。
右折して、建行路に入るとホテルの正面。台中を代表するホテルとあって、流石にこちらは豪華な感じです。
風変わりなマントを羽織ったドアボーイに案内されて12階のレセプションへ。担当の女性が流暢な英語でテキパキとことを運びます。もっとも笑顔は無く、なんだか官庁の受付でやりとりしているような感じです。
部屋は16階。ベッド(セミダブルのツイン)や家具が大きいせいか、室内はあまり広く感じません。長所は風呂場エリアで、大きなバスタブとシャワールーム、トイレが独立しており、洗面台も綺麗。この辺りは一流ホテルの趣きです。(お湯の出も良く、大きなバスタブが短時間で一杯になるのは有難い)
このホテルは、長所&短所相半ばといったところですが、ガッカリしたのは・・・遮光性のよいカーテンを開いて窓の外を見ると〜〜眺望ゼロ!テラスの壁しか見えないのです。16階だというのに!・・・これは明らかにもともとの設計ミスということでしょう。先ほどのクールな受付嬢と部屋替えの交渉をするのもおっくうなので、「まぁ、どうせ寝るだけだから・・・」とそのまま甘んじることにしました。
本来なら、下のような景色が見えるはずなんですが・・・
(ホテルの別の箇所からの、台中の目抜き通りの眺望)
荷物を置くと、早速ホテル内を探訪。15階にはスポーツジム、サウナルームや屋外プールがあります。温水プール(水温29度)ということで、普通の気候状態なら泳げないこともありません。 しかし、なにしろ寒波襲来で、風も強い。いちおう水着は持参しているのですが、ここで蛮勇を発揮してその結果風邪をひいては洒落にならないので、残念ながら諦めざるを得ません。でも蛮勇を発揮している若者が一人おりました。寒そう!
4時過ぎ、まだ明るいので次は外へ出て、近場の探訪。ホテルの近くに大きな公園があって、その中に国立自然科学博物館と植物園があります。緑濃い公園の中央は芝生の広場で、綺麗な紋様を持った大石があちこちに置いてあります。広々として時間がゆったりと流れているような、気持ちのいい広場です。
道路を渡ると巨大な温室が見えます。5時閉館ということで、僅か20分ほどしかありませんが、入場料20元なので入ってみます。台中なら何も温室がなくても大きな樹木が育つわけで、室内と外の樹木を比べてさほど変わりはありません(笑)。隅っこに大きな水槽があって、巨大怪魚・ピラルクーを始め、アマゾンの不思議な魚たちが悠然と泳いでいました。こういうのが好きな私には、これは楽しい“おまけ”ではありました。
(巨大温室) (温室内と外を比べて樹木の繁茂振りに変わりはありません) (巨大怪魚ピラルクー)
探訪を終えて、ホテルへ戻ると、6時近くになりました。初日の夕食は向かいのSOGO(=そごう)の16階に
一気に注文すると一気に出てきて、冷めたものをつっつくことになるので、少しずつオーダーを出していきます。先ずは小籠包。熱々を蓮華にのせて薄皮を破ると、味はいいのですが、スープが少ないのがちょっと物足りない。この後オーダーしたのは「蟹みそ豆腐」、「湯葉と高菜と枝豆の煮物」、「五目ヤキソバ」、デザートに「タピオカ&ココナツミルク」・・・上海料理だけあって、どれもあっさり上品な味付けで結構美味しかったです。
支払いを済ませて(1,320元=4750円・・・料理内容にしてはちょっと高め)、改めて店の看板をよく見ると、隅っこに滬 豐(フーファン)と書いてあるではないですか!ここは台南の名店の支店だったのです。それで値段を納得しましたが、小籠包は台南のほうがずっとおいしかったような・・・。
帰りがけ、エスカレーターで館内の各階を探訪していきます。品揃えやレイアウトは場末のローカル百貨店といった感じです。でも何故か陶磁器エリアは充実していて、例えば日本のデパートにもあまり無いLladro (リヤドロ=スペインの最高級磁器人形の工房)のショップがあったりするチグハグ振りがなんとなく可笑しい。
そんなこんなでホテルに戻ると、そそくさと風呂→寝仕度==じつは明日も5時起きなんです。(女房・・・今回はゆっくりした旅にすると言ってたのに、なんで毎日早起きしなくてはいけないの?!・・・)
(なお、本日の歩行数=15,720歩)
12月31日 日月潭へ
早起きの理由は、台北ナビを通して「埔里の酒造場&日月潭1日ツアー」(一人1、500元=5,400円)というのを申し込んだところ、迎えが朝7時半になったという次第。幸い朝食が6時半からなのでオープンと同時にバフェ・レストランに入り、中・洋・和が揃ったメニューをじっくりと味わうゆとりも無く適当に掻き込んでロビーへと急ぎます。(いやはや、なんとも慌しい)
「●●さんデスカ?」 元気のよさそうな女性が二人待ち構えていて、マイクロバスへと案内されます。それから、とあるビジネスホテルで1組の中年カップルをピックアップ(どうやら日本人と台湾女性のようです)すると、ガイド嬢は「これから新幹線の駅へ台北から到着するお客さんを迎えに行きます」と。(これが我々が7時半の迎えになった理由なんだな・・・)
ガイド嬢によると「私、普段は建設現場の監督をしてマス。新幹線の現場にもいました。週末にガイドのアルバイトしてマス」とのこと。(逞しい女の子だ!) 客が少ないときはガイドは一人だが、今日は10人なので二人で来たそうで「だから、今日のお客さん、ついてますヨ!」だと。
横からもう一人が「私見習いデス。シズといいます。よろしくお願いシマス」・・・シズちゃんというより、体型的には“はりせんぼん”の近藤春菜に似ています。(ゴメンネ)
配られた日程表の下に「よろしければ、ガイドに対して、お一人さまに付き100元のチップをお願いします」とあったので、私にしては珍しく(=台湾に来ると何故か性格がやさしくなるのです)素直にチップを渡す。(他の客は渡さなかったのか、私のチップの効果はテキメンで、その後二人、特にシズちゃんはつきっきりで我々の面倒を見てくれました)
駅で無事6人をピックアップすると、バスは一路埔里(プーリー)を目指します。途中ほっそりとした椰子の木の群落が目立ちます。「あの椰子の種類はなんというの?」と尋ねたら「あれが檳榔(びんろう)ですよ」と。
9:30に埔里の酒造場に到着。プーリーの辺りは水質がよく、紹興酒造りに適しているのだとか。見学といっても、例えば日本のビール工場の、「酒造りの現場を見て、試飲をする」というのを想像していたら当て外れです。1階は単なる観光ショップで、おおっぴらに試飲コーナーがあるわけではありません。購入する予定があるならともかく、こちとらは全くその気はないので、2階の展示場に向かいます。説明員がいるわけでもなく、これも単なる展示場ですが、紹興酒の瓶を並べてある箇所は酒造りが盛んな様子を窺わせるそれなりの雰囲気がありました。
次は広興紙造場へ向かいます。いかにも純朴な感じの爺さんが出迎えて敷地内を案内してくれます。一回りしたところで紙つくり過程を体験し、次にうちわの製作。大きな版木に墨を塗り、その上に紙を乗せて湿らせ、上から叩いて文字や紋様を転写します。その紙を、糊を塗ったうちわの骨組みに貼り付けると「うちわ」の完成です。そのあと、プロが漉いた紙を一枚一枚ていねいに皺(しわ)を伸ばしながら乾燥させていくおばちゃん達=職工の“職人”に見惚れていると、見学の終了と相成ります。
さぁ、これから日月潭を目指します。湖のほとりに正午前に到着したので先ずは食事。メニューは純・台湾料理のコースで、内容はというと、先ず「豚足煮込み+細切り筍添え」がど〜んと出てきます。それから「海老の素揚げ」、「小魚の唐揚」、「蒸し鶏」、「空芯菜」、「なまことエリンギの煮込み」、「薬膳スープ」、「白身魚の蒸し物」、そしてライスとフルーツ(オレンジ)といった按配。一行10名、年配者が多いのに、皆さん食欲旺盛で、くせのつよい豚足なども完食でした。 (下右の写真はガイドの二人・・・左=シズちゃん、右=現場監督の張さん)
食後は1時間ほど周辺を自由散策。ようやく薄日が差してきましたが、結構寒いです。
(高台にはパルテノン神殿風の教会があります)
全員集合すると、次は船に乗って湖上周遊です。湖の天候は変わりやすく、再び雲が厚くなってきました。遠くの山は霞んで“幽玄の雰囲気”ともいえますが、やっぱりここは晴れ渡って山紫水明を見晴らしてこそでありまして、誠に残念。「湖中央のラルー島に上陸!」というのがこのクルーズの“唄い文句”でしたが、その島は数年前の大地震で打撃を受けたあと沈下が激しく、現在盛り土をして「再生中」の様子で、上陸など論外と、これまた残念!水面を渡る風がかなり冷たいですが、船内に籠もっているのもなんなので、「日台カップル」とともに冷たさに震えながらもデッキに陣取って廻りの景色をしっかりと眼(まなこ)に納めます。
船は丁寧に湖を回っていきますが、なにしろ素人ガイドなのでどういう行程で進むのか、さっぱり分かりません。(あとでガイドの心得を注意しておきました)
途中で、とある養魚場へ上陸&小休止したあと、次は玄光寺へ。
ここは1955年に建てられ、玄奘=三蔵法師の遺骨を祀っています。日中戦争の折に、南京を占領した日本軍は玄奘法師の霊骨を運び出し、埼玉県の慈恩寺に奉納していました。1952年に霊骨は台湾へと戻り、玄光寺の完成後、ここに奉納されたということです。
長い石段を上がって寺に到着。御堂の前が日湖と月湖を左右に一望できる、日月潭一帯で一番見晴らしがいいところだそうです。(尤も素人ガイドの二人から一切そんな説明は出ません!)今日は生憎の曇り空のため、絶景の展望とはまいりません。残念!
(晴れておれば、こんな景色が眺められたはずです)
観光船は此処で終了となりますが、我々は約600mの山道を歩いて慈恩塔へ向かいます。
寺を出て裏手に行くとバスが待っており、しばらく湖畔をぐるっと走って、次は文武廟へと向かいます。
〜〜日本時代、日月潭のそばには二つの廟がありました。水社村の龍鳳宮と卜吉村(現在のイタサオ)の益化堂です。やがて発電所の工事が始まって、日月潭の水位が上昇したため、二つの廟は撤去されることになりました。廟は電力株式会社によって買い上げられて、それで得たお金で記念の廟が建てられ、1934年に二つの廟は合併されて日月潭の北側に再登場しました。これが今日の文武廟だということです。なかなか壮麗な廟で、鮮やかな黄色の甍が印象的です。
外部や御堂内、そして天井の装飾は例によって派手派手です!
これにて観光を終了し、一路台中へと向います。年配組は“オヤスミタイム”といきたいところですが、サービス精神旺盛(?)なガイド二人は「では、カラオケをやりましょう!」・・・一同沈黙ですが、「義を見て歌わざるは情なきなり(?)」と、小生が口火を切ります。(早く歌いたくてうずうずしてたんでしょう?⇒妻の目が笑ってます!)
次に日台カップルの男性が「青葉城恋歌」を披露したあとはガイド二人にリクエスト。テレサ・テンを皮切りに台湾語のコミカルな歌などを熱唱。(シズちゃんの少し調子っ外れがご愛嬌) 私が誤ってリクエストした曲を男性の相方の台湾女性が歌います。見事な歌いっぷりにアンコールをかけると、次に「津軽海峡冬景色」・・・いやぁ、こんな低性能のマイクでこれほどの声が出るとは!石川さゆりも顔負けの見事な歌唱力に脱帽です。
彼女の熱唱で盛り上がったところでお開きとし、新幹線
「今夜はどこで食べようか?」
「きのう見かけたSOGOのフードコートの鍋の店がいいわ!」
〜というわけで、SOGO15階(=このフードコートは、台・韓・日の鍋屋が競っています)で一番繁盛している鍋屋(=台湾系)に向かいます。やっぱり満員ですが、タイミングがよかったか、10分少々でテーブル席に着くことが出来ました。(既に大盛りの野菜を入れた桶がおいてあります) 店員がメニューを持ってきますが、地元の人達しかこない店のようで、オール漢字(当然か!)
「黒豚肉」と「特上海鮮」がメインの具ということまでは分かりますが、その後はどう注文してよいか、しばし途方にくれます。妻は横の席の女性に(かたことの)英語と身振り手振りでアドバイスを求めます。突然声をかけられた女性も驚いた様子で、彼女は英語も日本語もダメで、殆んど身振り手振りですが、ところがこれが不思議とお互い理解しあえるようで、彼女のアドバイスで店員も了解して、めでたく(!)オーダー完了。
コーナーへ行って2種類のタレ(=ポンズ風醤油と、ゴマ)に刻みねぎや、カリカリにんにくなどの薬味を好みで調合します。熱々の豚肉や海老をタレに付けて口にすると じつに美味しい! 〜〜満腹になって590元=2,120円。いやぁ、一夜にしてすっかり台湾式鍋のファンになってしまいました。
(隣の席の即席・鍋仲間?とツーショットです)
部屋へ戻って一休みすると・・・大晦日の夜はまだまだ続きます。〜〜帰りの車中で、妻は張さんに「どこかでカウントダウンはあるかしら?」と尋ねると、ホテルから近い場所を教えてくれました。地図をみると、どうやら“台中のシャンゼリゼ”・精明一街の近くのようです。今夜はかなり寒いので、日本と同じくらいに着込んで、明かりもまばらな夜道を急ぎます。目当てのビルの角を曲がると人通りが盛んになりました。
若者や家族連れで賑わう精明一街は、もう少し暖かければ軽くお茶をしてもいいような、ちょっとおしゃれな通りではあります。(シャンゼリゼはちとオーバーではありますが・・・) カウントダウンまではまだ時間があります。近くに統元豆花という店を見つけて、ここで一休み。二人とも2年前の訪台で、豆花の熱烈ファンになっていたのです。ほのかに甘くのど越し滑らか・・・どんぶり1杯30元(108円)の幸せです。
頃合いをみて精明一街の奥を右折すると黒山の人だかり・・・その先に特設ステージがあって、ライトに照らされて二人の女性シンガーのライブが行われています。キュートな感じの二人のパンチのある歌唱力はなかなかで、観衆もみんな手拍子と歓声でおおいにノッテます。(私たちもリズムに合わせながら30分ほどライブを楽しんだでしょうか)
0時近くになると、商店街の幹部らしい一団(そのトップが女性というのが、女性が頑張る台湾らしい)がステージに上がり、シンガーのリードでカウントダウンの開始・・・10,9・・・3、2,1、ゼロ!==バン、バーン!爆竹が鳴り、発煙筒(又は照明筒?)が光ります。 (通りは人で埋め尽くされているので大きな花火は上がりません・・・残念)
明けましておめでとうございます! 2008年の幕開けです。
セレモニーが終わったので、帰り道を急ぎます。時折遠くのほうで花火が上がるのが見えます。深夜、初老(?)の二人が初めての町通りを歩いても安心なのが台湾のよいところ。帰り着くと12時半過ぎ。
TVでは台北のライブコンサートが中継されています。夜明け近くまで賑やかに年越しのステージは続くのでしょうか。・・・これにて長〜〜い大晦日(〜元旦)の一日が終了です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・