(‘08/8/98/17

(絵&写真=妻 ・ 文章=夫)

 

    

はじめに

 一年で最大の楽しみ(!)の夏休み。例によって準備は会社カレンダーが決まった1月にスタート。今年は趣向を変えてというか、来年はフリーになるので、海外は気ままな日程が取れるその時まで繰り延べに決定。

 コンセプトは“涼しいところでのんびりと”・・・となると先ず頭に浮かぶは「軽井沢」。で、早速、“貸し別荘”でネット検索をしてみると、頃合いの物件が3件ほどが見つかった。

妻が「ここがいいわ!」という物件(=池のそばの1戸建てコテージ)に連絡すると「昨年泊まった方が気に入って翌年も予約済みです」と。残念ながら断念せざるを得ない。(なにしろお盆時期だからね!)

さて、次なる物件からは「OKです!」との回答。写真で見る限り、コンドミニアムというよりアパートという感じで、妻は「リゾートムードにはちょっとねえ・・・」との印象であったが、駅から近いし、何処へ行くにも便利そうということで、ここに決定。キャンセル違約金の設定はあるものの、予約金は無しで、「支払いはチエックイン時にお願いします」というおおらかさ。施設の中身は行ってみてのお楽しみということに・・・。

 あとは、1ヶ月前に妻が新幹線の切符を手配し、3日前に荷物(大型スーツケースと1週間分の食料・飲料を詰め込んだダンボール箱)をクロネコ便で発送して、休みが近づいてまいりました。  

8月9日(土)・・・1日目

 宿のチェックインが15時ということなので、ゆっくり目のスタート。新幹線あさま519号は東京駅発11:16⇒軽井沢着12:22と、乗車時間は1時間ちょいで、じつは普段の通勤時間よりも短いのだ。

昼食代わりにと、Dean & Deluca(グランスタ=東京駅“エキナカ”にある)で妻お気に入りのキッシュを買い、これを肴にビールを飲んでると、上野〜大宮〜高崎と過ぎて、アッという間に軽井沢へ到着。改札を出ると、爽やかな風が頬をなで、高原に来たことを実感する。

先ずはアウトレット(ウエスト)へ向かう。8月週末とあって、手前レストラン通りからして芋の子を洗うような賑わい振りである。妻の本日のお目当てはアウトレット入り口にあるベーカリー。〜〜昨年のG/Wに「軽井沢・黒部・上高地バスツアー」に参加したが、その折此処のベーカリーで買ったパンが美味しくて、“再会”をささやかな楽しみにしていたのである。ところがずらりと並んだ棚をつぶさに見ても、昨年あった品々が無い。

「去年はこんな美味しいパンがあったんだけど・・・?」と妻が店員に尋ねると、「あっ、この春に経営が変わったんですよ」とのこと。それじゃあ仕方が無いと、何種類かを明日の朝食用に購入し、宿へ向かう。

   

(アウトレット・レストラン通りの賑わい)

到着時は青空がのぞいていたが、いつの間にか雲に覆われ、遠くでゴロゴロと雷が鳴っている。今年の夏は気圧が不安定で、ゲリラ豪雨が東日本のあちこちを襲っているが・・・と一抹の不安がよぎる。(果たして後日その不安は的中するのであるが・・・)

旧軽通りを北上し、途中商店街の人に道を教えてもらったりしながら、駅から徒歩25分くらいで離山通りから少し入ったところにある宿に到着。入り口で出迎えてくれた奥様の案内で、建物2階にある部屋へ。

  

ドアを開けると、入って直ぐがDK、横に洗面&風呂、DKの奥にリビングとその奥が6畳和室。築2年ということで、全て新しく清潔。コンパクトな造りであるが、生活に必要なものは殆ど備わっており、HPの写真で見るより現物のほうがはるかに上等。「あら、いいじゃない!」と予約時に心配顔であった妻も満足の表情。

     

               (玄関からDK)        (リビング)        (和室=窓の向こうは木立)

ほどなくご主人が現れて「昨日まで、昨年の直木賞作家の松井さんが泊まってたんですよ。気に入ってくれましてね」 とにこやかにご挨拶。(松井さんのことは後述)

階下からハワイアンのメロディが流れてくる。「いや、今日はミニコンサートをやってましてね。後で下にいらしてくださいな」と。

部屋の使い方を教わり、送っておいたスーツケースや段ボール箱を開けて荷解きを済ますと、せっかくのお誘いだからと、階下の大家さん宅を訪問。なんでも北住さん(=大家)は大のハワイ好きで、年に2回は訪れているという。

「ルアナ軽井沢」をキャッチフレーズに、「軽井沢ハワイ化計画を推進するんです!」と張り切っている。誇り高い軽井沢地元人がこれに賛同するかどうかは甚だ疑問であるが、「あのハワイのホスピタリティの精神を観光軽井沢に!」という北住さんの考え方には賛同である。

夫妻はハワイアン音楽が大好きで、今日は同好の士が集まってのコンサートというよりは練習会。彼(=ウクレレとスチールギター)、もう一人のおじさん(=ギター)の演奏と歌をバックに、奥さんと二人の女性がフラダンスを披露。奥さんのダンスは優雅、もう一人の女性は腰の動きが実にシャープでなかなかのレベル。北住さんの演奏も堂に入ったもので、何でも先年、カラカウア大通りで、スチールギターのストリートパフォーマンスを演じたらしい。( 「7ドルくらいの投げ銭がありました」 と)

ハワイの美味しいコーヒーとメロンを頂戴しながら、暫しパフォーマンスを楽しませていただく。ハワイ好きの私としては、このまま長居をして快適な午後の時間を過ごしたいところであるが、我々は9日間のライフラインを構築しなければならない。 

奥さんにスーパーの場所を教えてもらって買出しに出掛ける。六本辻から木立の道を歩いて国道18号線に出て、少し中軽井沢寄りに進むと、地元唯一のスーパー「まつや」がある。結構広い店内には何でも揃っており、高原野菜は当然ながら都内のスーパーよりも新鮮で安い。殻付帆立貝、サザエ、大型有頭エビ、イカ等のシーフードがたくさん並んでいるのは別荘族のバーベキュー用のものであろう。あれこれと買い込んで重くなったキャスターをゴロゴロと引っ張って帰り道を急ぐ。徒歩30分弱かかるが、直木賞作家も何度か歩いて通ったというからには我々も負けちゃあいられない?・・・。

食器類は一通り揃っているが、電気釜が無い。「ハワイのコンドにだって置いてあるのにねぇ」とボヤいていた妻は、普通の鍋での炊飯を、米の事前処理をすることでクリア。先ほど調達した食材をちょちょいと手を加えて初日の夕食が出来上がり。

食後は北京オリンピックの観戦。(TVはミニサイズで、いくら狭いリビングでもせめて14インチくらいは欲しいねぇ!・・・ヤワラちゃんの銅メダルは残念でした!)

窓を開けっぱなし(網戸)にしておくと、ザーァッと一雨あったこともあり、爽やかな冷気が入ってきて肌寒いくらい。就寝時は窓を閉め切っても朝までちょうど良い感じで、昨日まで暑さで“うだって”いたのとはまさに別天地であります。  (本日の歩数は、移動日に付き14,000歩)

8月10日(日)・・・2日目

 目覚めて先ず空を見ると、一面雲に覆われていたが、暫くすると、雲の間から太陽が顔を覗かせ、やがて青空が広がった。(滞在中殆どこのパターンで、早朝から快晴というのは1日のみ。過去=10数年前=2度のつたない滞在経験では夏の盛りは快晴続きだったと記憶しているのだが・・・)

 ひんやりと澄んだ空気がなんとも爽やかなので、狭いベランダの丸テーブルで朝食を頂くことにする。大家さんから提供されたハワイのフレーバーコーヒーをドリップしてカップに注ぐ。

 ワイキキのABCストアに並べてあるフレイバーコーヒーは“義理土産品”であるとしてバカにしていたが、久し振りに飲んでみると、このマカデミアコーヒーが実に美味しいのに我ながらビックリ。う〜ん、ワイキキより軽井沢にマッチするのかなぁ?と、軽井沢ハワイ化計画を納得です!(妻は「私はこれ前から好きヨ」ということで、以降毎朝このコーヒーを楽しませていただきました)

  

 (うなぎの寝床のベランダ!で朝食です)

 時間をかけて食事を楽しんで、軽井沢スローライフのスタート(!)。天気も良くなったので、さて今日は何処へ出掛けましょう・・・旧軽エリアのメインスポットといえば「雲場の池」。住まいからは徒歩10分強くらいです。大ぜいの人が、のんびりと池の畔を散歩しています。我々も緑の木陰をゆっくりと散策です。

     

 池を一回りしてベンチで一休み。1時近くになったのでお腹も少し空いてきました。下調べしておいたレストランリストの中からプリモ ピアットPrimo Piatto)へ行ってみることにします。池からは15分くらい。通りから少し入った木立ちの奥に、黒ずんで目立たない建物があります。入り口にシャキッとした感じの女性が立っています。「フリーですが大丈夫ですか?」、「お二人ですね・・・ハイ、どうぞ」 (ホッ、よかった!)

 中に入ると、(外観とは一転して) 磨き上げたフローリング、インテリアも上品でシックで落ち着いた雰囲気です。ウエイターの応対も丁寧で申し分ありません。

 昼のメニューからランチパスタセット。先ずはビールをグビッと一杯。(生ビールはなく、キリン/ハートランドとエビス・ブラックからチョイス) 軽いウオーキングの後の乾いた喉にしみていきます。(盛り合わせの前菜を取ってみましたが、各一品が小粒すぎて、味わう前に舌から喉へと消えていき、これはちょっとNGです)

最初に3種のパスタから1品==妻は「小柱とバジルのパスタ」、私は「渡りカニソースのリングイネ」を選択→→濃厚な渡りカニのソースが絶妙の味わいです。

メインは==妻は「尾長鯛のグリル」、私は「イベリコ豚のロースト」。互いに1/3ほど交換して(!)両方をテイスト。尾長はカリッとグリルされ淡白な中にも上品な旨味があります。(高原の中で新鮮な風味の魚介類を味わえるはちょっとした驚きです。) イベリコ豚は咬むほどに独特の旨味と甘味が出て申し分ありません。

あとはデザート==アイスクリームと桃のコンポーネントに上から紅茶のジュレをかけたという手の込んだもの。最後のコーヒーも香り高く申し分ありません。量が少ないのが珠にキズではありますが、フレンチとイタリアンを融合したこのレベルの高さとサービスで、1,995円(基本コース税込み)は、感動ものです。

     

     

 大満足で外に出ると、明日のバスの時間を確かめに駅前の草軽バスの事務所へ。丁度、駅前⇔軽井沢銀座間のシャトルバスがきたので(150円也)これに乗って軽井沢銀座へ。お盆休み/日曜日の昼間とあって通りは大雑踏。しかしやっぱり、軽井沢に来たからにはこの人混みに身を置いて初めて得心がいくというものなんです。

 そして此処での約束事がミカドコーヒーモカソフト。面白いもんで、アウトレットのレストラン通りの支店は便利な場所にあるのにあまり人だかりがなく、こちら本店は長蛇の列です。やっぱりここ本店で並んで手にしたモカソフトをなめるというのがミソかもしれません。

 表通りを奥に進んで路地を左に入ると神宮寺があります。お参りを済ますと、次は反対側の路地へ入る。大通りの賑わいが嘘のような静かな細道を下っていくと、鬱蒼とした木立の中に室生犀星記念館があります。昭和6年に建てられ、犀星氏は亡くなる前年の昭和36年まで毎夏をここで過ごしたそうである。二棟の家屋はどうということもないが、庭の緑の苔がなんとも鮮やかです。

 (係員)「この辺りは軽井沢別荘の発祥地です。いつも霧が湧くので苔がよく育ちます。というか苔しか生えないんですよ。触ってみてください。厚みがあって実にしっかりとしているのがよくわかりますよ」  なるほど!まさにコケの絨毯です。

       

 更に木立の道を進むと、溶岩石の石畳を敷き詰めた坂道、幸福の谷(ハッピーヴァレイ)に辿り着く。流石にここまで来ると誰もいない静寂の世界。

  

 少し奥へ行くと急に道が開けて、万平ホテルが見えてくる。1894年というから100年以上前に開業したという超老舗ホテルである。(尤も1997年に森トラストの傘下に入ったらしい) 緑の木立の中に白壁のクラシックな建築が映える。二人のドアマンの間を通って建物の中へ。

ここのカフェテラスで優雅にお茶をするのが軽井沢ライフの一つのシンボルで、午後3時過ぎというのに、席は満席、かなりの人たちが席の空くのを待っている。我々はそれを尻目に奥に設けられた「史料室」へ。

老舗の歴史を物語る品々が展示されている。1972年8月、田中角栄首相とキッシンジャー補佐官(国務長官か?)の会談※(注)が行われそうで、その時二人が座った大きな椅子が展示されている。その4年後に、ジョン・レノン&ヨーク夫妻が4夏続けて滞在し、当時メニューに無かったロイヤルミルクティーを伝授した〜〜というようなホテルの歴史を勉強しました。

※(注)ちなみに、なんでキッシンジャーがわざわざ軽井沢までやってきたかいうと・・・当時は日米貿易摩擦が日米間最大の懸案事項で、8月末にはハワイでのニクソン=田中会談が予定されており、それに向けて不均衡是正への突っ込んだ話し合いが行われた。そしてその裏では、田中総理から航空機輸入が提案されたという。これが後の「ロッキード事件」へと繋がるわけで、まさに“そのとき(少し)歴史が動いた”「椅子」であるといえるかもしれません。

     

 てくてくと銀座通りへ戻り、此処の2大ベーカリー、「フランスベーカリー」と「浅野屋」で数種類のパン、「軽井沢ベジ」(=みやげ物店)でジャムやペーストを試食した上で気に入ったペーストを、次に角の八百屋で地元のブルーベリーを購入して帰館。(因みに、このブルーベリーは大粒で甘みもあり”お値打ち品”です) のんびり過ごすつもりが結構歩いてしまいました(14,983歩)。

 一風呂浴びたあとは、ビールです。フランスベーカリーのフランスパン(=これもレノンが気に入って毎日j買いに来たそうで、なるほど外はパリッとして、中の生地がきめ細かいのが特徴です)に買ってきたペーストを塗ると、ちょっとオツなつまみになります。

食後はオリンピック・・・内柴選手(柔道66K級)の強烈な押さえ込み1本の鮮やかな金メダル獲得で、気持ちよく寝られそうです。

 

8月11日(月)・・・3日目

  今日は“活動日”。7時過ぎに起きて食事を済ませると、妻が手早くおにぎりをこさえ、更に菓子類・飲料をデイバッグに放り込んで出発。

(妻)「時間があるから、○○(=以前の勤務先)の寮がどうなったのか、ちょっと寄ってみましょうよ」

・・・それで、東雲交差点の3叉路を横に入ってみます。「たしかここだったよな?」〜〜古めいた3階建ての建物がひっそりと・・・あまりに薄汚れているので一瞬見間違えたかと思いましたが、確かにかつての「厚生寮」です。 

 スマートな感じだった入り口は雑草が生い茂って「遺跡」のような感じです。〜〜此処に一家で泊まったのは来春社会人になる三男が小学校低学年だった頃で、夕食にはフランス料理のコースが用意され、大勢の家族の笑い声で賑わっていたのに〜〜“身から出た錆”とはいえ、公的資金導入後の悲しい結末のひとつの証拠を目の当たりにして、うたた感慨を禁じえませんでした。(それにしても建物はちょっと放置するとアッという間に朽ち果てていくものです。・・・呆然として写真を撮るのを忘れました)

 気を取り直して、駅前広場・草軽バスの乗り場へ。10:10発のバスで25分ほど走って(=これで780円とは、ちょっといい料金ですヨ、草軽さん!)峯の茶屋で下車。昔はここから浅間山の雄姿を眺めることが出来たように記憶しているのですが、木々が生い茂ったせいか、その姿を捉えるのに一苦労です。(今回、毎日雲が多くて、その後浅間山の姿を見ることはなかったので、下は貴重な!ショットです)

ここから信濃路自然遊歩道。林をぬって緩やかな下り道を白糸の滝へと向かう。「クマが出ます」との注意書きを見た妻は枝切れを手にすると、木立を叩いてカンカンと音を立てながら「あなたものんきに音楽なんか聴いてないで、大きな声でおしゃべりしなさいよ!

足もとの地面は溶岩と火山灰が風化したものであろうが、奇妙なことに、まるで道標として流していったかの如くに、白く乾いた砂が帯状に伸びている。(どう見ても山砂である) 雑木林から突然カラ松林に変わったり、羊歯の群落があったりと植生の変化が面白い。

     

小一時間ほど歩いたであろうか、高台を登って下ると白糸の滝へ到着。トップシーズンとあって大勢の観光客でごった返している。幸い大きなベンチが空いていたので、ここでランチタイム。妻手製の梅干を詰めたおにぎりが実に美味しい。空腹を満たしたあとは、後方から眺めたり、近くによってマイナスイオンを浴びたりして、都合1時間ほどの休憩をとる。

     

白糸ハイランドウエイを横切って、再び山の中と分け入り、滝から流れ出た渓流に沿って進む。周囲は殆んど雑木林であるが、森の主のような大木があった。更に進むとハルニレの説明札があった。北海道ではでエルムといい、寒冷地でも大きく育つということで、先ほどの大木も壮であったかもしれない。

        

更に進むと、龍返しの滝に辿りつく。こんな滝があるなんて知らなかったが、なかなかの名滝であります。 100Mくらい近づいたところで早くも気温がぐっと下がってきたのが分かる。滝からの大量の飛沫が生み出すマイナスイオンのせいでしょう。更に近づくと、ゴウゴウと音を立てて落下する迫力に暫し見惚れる。白糸の滝をやんごとなき女御とすれば、こちらは逞しき益荒男といったところであろう。

       

 橋を渡って広い道に出て、暫く歩くと有料道路の小瀬温泉入り口に出た。バス停では若いカップルがおしゃべりしながら待機中。10分、20分・・・そして40分、待てど暮らせど帰りのバスは来ない。妻が朝もらった時刻表を取り出して、「あなた、絶対おかしいわよ。事務所に電話してみたら」 妻の指示に従って電話を入れる。

《私》「小瀬温泉駅にいるんだけど、バスが来ないよ。渋滞なんて無いんだから、事故でもあったの?」

《係員》「え〜、20分ほど遅れているという連絡が入ってますけど・・・」

《私》 「冗談じゃないよ、さっきからもう40分以上も待ってんだよ!

《係員》 「・・・、そうですか、じゃあこれから迎えをやりますから」

《私》「ん?迎え??・・・ (なんだかよく分からないけど)、じゃあ、バス停で待ってるからネ!

〜〜それから15分弱で、黒塗りのタクシーが到着。

《運転手》「お待たせしました!いやぁ、なんでもバスが故障したらしくてね。アッ料金はバス会社から頂いてま」すから」

先に待ってたカップルも同乗して旧軽へ。(彼らには感謝されました)。

いやぁ、結果オーライとはいえ、もし事務所に連絡しなかったらどうなっていたのでしょうか?よく考えると草

軽交通バスのいい加減さに怒りが込み上げてくるのでした・・・。

《妻》「私の、電話したら?という一言が良かったでしょう!」 、《私》 「ハイ、その通りです」 ・・・改めて携帯電話の有難さを実感しました。

 旧軽銀座で買い物をして宿へ戻る。部屋に入った直後に激しい夕立。TVでも東日本各地でのゲリラ豪雨を報道しているが、軽井沢もその例外ではないようだ。

 TVでは北島の100M平泳ぎ連覇の映像。何度見ても素晴らしい。

で、本日の歩数は22、247歩。妻が「今日はさすがに疲れたから、明日は、遠出は無しですヨ!」と。

 

8月12日(火)・・・4日目

 夫婦としてはゆっくりめの8時前に起きてカーテンを開くといい天気です。ゆっくりと朝食を楽しみます。

(私) 「天気もいいし、近場で小諸あたりでも行ってみようか?

(妻) 「そうね、でも小諸は昔行ったしね。上田へ行ってみたいわ。お城もあるでしょう」

  (アレッ、昨夜は、「遠出は無しヨ」と言ってなかったっけ?)

 〜〜ということで、在来線(しなの鉄道)で上田へと向かう。

上田の駅ビルを出ると既に11時をまわっており、日差しが強い。先ずは真田昌幸夫人が開いた大輪寺へ向かう。普通はタクシー利用であろうが、我々は街中をウォーキングしたいとテクテク歩く。

駅前からの大通りに車の往来はあっても整備された歩道に人影が無い。人口16万人を越えるそこそこの都市なのに・・・カンカン照りのせいでしょうか? 途中に池波正太郎真田太平記記念館なんていう観光スポットもあります。(記念撮影のみ!)

   

 18号線から路地へ入ると大輪寺。規模は小さいものの参道から中門〜山門となかなか格調高い名刹の雰囲気です。階段を上がって回廊をから境内に入ると芝生の庭の向こうに本堂があります。

 辺りに人影は全くなく静寂の中の簡素な佇まいは清冽な真田一族に相応しい趣きで、夫婦して静かに手を合わせたのでありました。折角だから裏山に回って、この寺を建立した寒松院(=真田昌幸正室)のお墓参りを済ませます。

     

    

 お昼過ぎになりました。再び炎天下の中を駅方向へ向かって30分ほど歩きます。赤瀬川源平さんではありませんが、街中を歩いていると時々面白いものに出くわします。上右の写真の建物はなんと、教会なのです!(どう見てもお寺です)

 更にしばらく進むと、人通りの無い通りにそこだけ行列が出来ている箇所がありました。ガイドブックに出ている名物そば屋の刀屋です。1時を回っているというのに、20分ほど待ってようやく店内へ。

 この蕎麦屋がなんでこんなに人気かというと、“盛りがデカイ”ということ。妻は名物の真田そば(味噌・ナメコ・削り鰹節に、汁を混ぜたものをタレにして食べる)、私は天ざる。太めの田舎そばで、味わいはまあまあといったところ。しかし、なるほど盛りはデカイ(並みでも普通の店の大盛りより多いくらいです!) しかも「ざるそば」以外はそばの盛り具合(小でも大でも)の値段は同じというアバウトさ。私はついついお代わりしちゃいました。フーッ、お腹がパンパンです。

       

                       (炎天下の行列)      (真田そば・小盛り)   (天ざる・これで並み盛り)

 腹ごなしにと、再びウォーキング。大通りを横切って、いよいよ上田城址へ向かいます。先ずは上田藩主屋敷門と掘跡へ。藻のせいで緑の絵の具を流したような色彩の堀と石垣に囲まれた門構えを抜けると、中は県立上田高校。学び舎としての環境抜群です。

  外には立派な同窓会館があります。高校で同窓会館を保有しているなんて!さすが勉学の県・長野の名門校と感心しました。(小生の母校も自他共に許す県随一の名門校ですが、同窓会館なんて想像外です)  

     

  学校を抜け、市役所前の大手通りを進むと上田城址に到着。

         

(近年に再建された大手門と北櫓)             (石垣の大石・真田石)

《上田城ものがたり》

 ・・・城を築いたのは戦国の名将・真田昌幸。真田家はもともと信濃の地侍で、武田家の近習として成長した昌幸は主家滅亡のあと、信長に仕え、その死後北條・徳川・上杉の間を当代随一と謂われた智謀と武勇で生き抜き、秀吉配下で戦国大名となり、1583年(天正11年)に上田盆地の北側に城を築いた。

 戦国時代に拘らず、山城ではなく、平地のまっ只中にあり、攻撃されたら大丈夫?と(今見ても)心配になるが、軍略の天才・昌幸が築城しただけあって、難攻不落。二度にわたる徳川氏の猛攻を寄せつけず、特に2度目は僅か2千人で篭城し、徳川秀忠軍38千人の猛攻を耐え凌いだ。このため関が原の合戦に遅れた秀忠は家康の激しい怒りをかったという。(司馬遼太郎の「関が原」にもそのような記述があったっけ・・・)

 関が原では昌幸と次男・真田信繁(幸村)は西軍についた為、慶長6年(1601)上田城は破壊されるが、嫡男信之は東軍につき、その働きを家康に評価され(正室が家康の養女であった為とも謂われる!)、上田領土を安堵されたが、城は徳川氏の怨念により徹底的に破壊されており、三の丸跡地に館を構えた。(これが先ほどの藩主屋敷跡である。但し私たちが見たのは最後の藩主松平氏の館跡)

 それから21年後の元和8年(1622)真田家は松代に移封され、あとに小諸から仙石忠政が入り、城を再建。(但し完成には至らなかった)仙石氏三代85年の後、田島・出石藩の松平忠周と交代し、以降松平氏が最後の藩主となる。(それにしても、上田⇔出石とは戦国時代の“転勤”もスゴイなあ!単身赴任なんてもんじゃなく、藩あげての引越しですからネ!)

 ちなみに松平忠周はその人柄を8代将軍吉宗に買われ、京都所司代を経て幕府老中を勤めている。

 明治に入り、廃藩置県により、城は荒れるに任せていた(一部は遊郭になったという)が、篤志家の手によりかろうじて崩壊の危機を免れたという・・・。

   大手門をくぐり、南櫓から北櫓に登る(有料)。近年再建されたもので歴史的値打ちはないが、折角やってきたのだから、窓から遠くを望んで真田の昔を偲びましょう。(現実には松平氏の城跡なんですが、上田といえば、やっぱり真田なんですよネ!城内にある社は六文銭の旗が揺れる真田神社なんです) 

                         

                     (石垣の向こうには新幹線) (これは江戸時代から現存する唯一の櫓)  (内堀)

 いやぁ、それにしても暑いです。軽井沢と此処がとても同じ信州とは思えません。軽井沢が避暑地というのを納得です。持参のドリンクを飲み干し、自販機のペットボトルをガブ飲みしながら、それでもしっかりと歩いて駅へ戻ります。

 夕刻軽井沢に帰り、疲れた足を引きずりながら、アウトレット・ウエスト内のベーカリーからスーパー・マツヤを廻って食料品を調達し、漸く宿へ戻りました。帰り道ポツポツ来たと思ったら、その後又も激しい夕立です。駅に着くまであんなにいい天気だったのにねえ!やっぱり今年の夏はちょっと変です。

 「明日は軽くネ・・・」のハズが、結局は23,698歩も歩いてしまいました。あ〜ぁ、くたびれました・・・。

 

8月13日(水)・・・5日目

 今日は今週のハイライト!、戸隠高原へ「遠征」です。新幹線を外して在来線で出掛けるため、6時前には起きて仕度開始。(誰だ、“軽井沢でスローライフを満喫しよう!”なんて言ってた奴は?)

  7:39軽井沢発の在来線、小諸乗換えで9:10に長野着。駅ビルを出ると、強い日差しが肌を刺して、昨日の上田と同じく、長野も暑い暑い!

   長野駅の向かいの乗り場から、川中島バス9:30発に乗車。善光寺正面からぐるりと廻って市内〜郊外から山道へと入っていく。飯綱高原を越え10時半過ぎに中社宮目で下車。先ず、青空に聳え立つ杉の巨木が眼に入る。樹齢900年近いということである

             

         

この山地一帯は平安時代に密教と神道が習合した修験の場として、“戸隠三谷三千坊”とも言われるほど多くの修験者や参拝者を集めたという。1千年以上も昔に、都からは言うに及ばず、当時はまばらであったろう人里からでさえ遠く離れた信州の山奥のその又奥に、修験の大道場が設けられたとは!まことに驚異であり、神仏に帰依する人々のエネルギーの凄まじさに驚嘆のほかは無い。

 そうした遥けき歴史に想いを馳せつつも、現実を忘れることなく、妻の忠告に従って(=妻は以前友人と一度訪れているのです) 先ず名物蕎麦屋の「うずら家」で予約を済ませてから、鳥居を潜り、急な石段を登って本殿へ。神域というに相応しい雰囲気の中で夫婦して神妙に礼拝を致しました。

 うずら家に戻ると大勢の人がそこかしこで待機中。ここは10時30分の開店と同時に一杯になるようで、結局40分ほど待たされた。その間周辺をぶらついてみると、道の先にもう一軒確かな構えのそば処がある。こちらは11時半開店であるが、暖簾を出しても誰も入ろうとしない。その対比にびっくり!。

            

         (朝から行列)     (名物の深山おろしそば)  (ざるそば=大盛りにしては??・・・)

  〜〜で、漸く2階の席に案内され、先ずはビール。茸の煮たもの(=付き出し)と、おろし金に載せた本山葵(=そば用)が運ばれる。それからしばらくして、妻の「深山おろしそば」と私の大盛りざるそばが登場。

私は蕎麦に関して素人であるが、細切りで腰が強く、蕎麦の香り豊かで、のど越しよく上品な味わい。なるほど、行列の出来る人気店の実力を納得であるが、上田・刀屋の超大盛りを体験した翌日とあっては、「これで大盛りなの?」と、量の面で物足りなさが残る。

 次の客に追い立てられるように店を出て、緩やかなのぼり道を歩き始める。目指すは鏡池。私は高原ウオーキングでご満悦であるが、妻は先年の旅行で池までは経験済みなので、「バスで行けばいいのに」と不満顔。

 15分ほどで鏡池入り口に到着。ここから池まで上って下って30分。途中蜂にしつこく纏わり付かれて些か往生する。(蜂は黒いものに集まる習性があるので、黒い日傘に寄ってきたらしい)

 妻の忠告どおり(=「この前は車でもけっこう走ってから着いたんだから、結構歩くわよ」と・・・)いい加減くたびれたところで、鏡池に到着。清明な季節の無風時は、鏡のような湖面に写る山並みの景色が絶景とのことであるが、本日は夏の真っ只中とあって、雲が多く少々もやった感じで、湖面はさざ波が立っており、残念ながら「鏡池」を納得できる状態ではない。

           

(一瞬の「鏡」状態)

  しばらく休憩してから、植物園を目指して林の中へ分け入る。「クマに注意」の立て札を見て、妻は「ここなら本当に出そうだわ」と、ロッジで買った鈴をチャリンチャリンと鳴らしながら、木立を進む。通常ハイカーは公園→池と廻るらしく、すれ違う人は結構いるが、反対は「逆コース」とあってか我々のみ。

         

   しばらくして、案内板のある広場に出た。「水芭蕉園」のほうへ向かう。そこかしこに沢が流れる湿地帯とあって木立を縫うように木橋の道が伸びており、整備の良さに感心する。足元周辺には水芭蕉の葉っぱがびっしりと広がっている。満開の折に訪れたらさぞ美しいことだろう。

         

                                                                                     (サンデッキのような休憩所もあります)

木橋の歩道を進むと、奥には白樺の木立、手前は色とりどりの野の花が咲き、大型の黒揚羽蝶がひらりゆらり。人影もまばらな静寂の緑の空間が広がり、贅沢な森林浴を楽しむことが出来た。

             

              

途中から神社奥社参道杉並木方面へ行きたかったが、ここまでのんびりと行程をとってきたので、時間が足りない。園内をぐるりと廻って、出口(=正確には入り口)に近づくと、池が見えてきた。ちょうど水面は滑らかで、周囲の木立を鮮やかに映し出し、こちらのほうがまるで「鏡池」のような様子である。・・・豊かな自然と、その中の整備のバランスがよく、ハイキングに最適の場所でありました。

          

                                                         (こちらのほうが鏡池?)   (最後に、入り口の看板!)

1時間に1本のバスを待って乗車すると、偶然というか、来たときと同じ運転手さんでした。街中に入って善光寺に近づいたところで妻が「せっかくだから、お参りしていきましょうよ」というので、本堂裏手の公園口で急遽途中下車。

前回初めてお参りしたのは、平成9年のご開帳(=6年ごと)で大賑わいのときだったから、じつに11年ぶりのお参りとなる。午後6時近くで、本堂内でお参りを済ませて廊下に出てみると、外は激しい夕立に見舞われていた。本堂前広場では盆踊りが開かれていたが、ゆかた姿の少女たちは慌てることなく、山門の庇の下に逃れる。

私は先の北京五輪聖火リレーの際の善光寺さんの対応(=圧制に苦しむチベット仏教徒を想い、リレーの参道立ち入りを事実上拒否したこと)を高く評価するものであるが、こうして本堂前を盆踊りに開放しているところなども宗教が生活に活かされている感じで、気持ちが豊かになる。

そういえば、本堂内などですれ違うお坊さんの表情が柔和でとてもいいのである。名刹であっても、護摩焚で並んだ僧侶の顔つきを見ると、東映ヤクザ映画の面々かと見まがうような場合もあるが、やっぱり善光寺さんはたいしたもんだなぁ!と感心することしきりでありました。

        

(雨の善光寺)

   大雨の間本堂内にいて、ずぶぬれを免れたのも何かのご利益かもしれません、小降りになったところで、表の参道を戻り、バスで長野駅へ。予定の列車には間に合わなかったが、丁度上田までの快速が発車直前。快速代200円かかるが、上田で前の列車に追いつき、当初予定通りの7時40分に軽井沢へ帰還。

 駅を出ると外は雨足が結構強く、人通りも殆ど無い。肌寒く晩秋のような気配の中を歩いて、夕食は東雲三又路の台湾料理店・萬里へ。旧軽の一帯では場違いな、“蒲田のはずれの大衆中華料理屋”的なちょっと小汚い(蒲田のひと、すいません)佇まいであるが、値段のほうも“大衆的”で、バブル崩壊後も変わらず繁盛している。

 先ずは餃子でビールをグビッ。妻は“スタミナ補給”ということで、「レバニラ炒め」、私は「角煮丼」=八角の風味と共にとろりと柔らかく、これはまさしくトンポーローで、「台湾料理」の看板を納得しました。 

本日の歩数は23,316歩でした。)

 

8月14日(木)・・・6日目

 流石に連日の強行軍でつかれたので、本日は地元でのんびり。(妻・・・やっと軽井沢スローライフになったわ!) ゆったりと朝食をとってから家事を済ませると13時を回っておりました。「お昼はアトリエ・ド・フロマージュのチーズ・フォンデュを食べたいわ!」 という妻のリクエストで、大通りに面した店に着いてみると1時半をまわったというのに長蛇の列。

  室内の予約表を見ると13組待ち!・・・「これじゃあ昼飯どころか晩飯になっちゃうよ!」〜〜というわけで、今回はパス。駅に近い“純・和食堂”の三喜の暖簾をくぐってランチ定食。妻は焼き鯖、私は鮭の味噌漬。意外に美味しかったです。

 腹ごしらえを終えたあとは、妻のお目当て=アウトレットへ出陣です。あちこち見て回って、COACH(コーチ)の店で気に入ったバッグを手にしてご満悦の表情。

         

                                       (軽井沢駅)            (アウトレット前広場と離山)

 3時過ぎになると、今日もまた大粒の雨が降ってきました。しばしベンチで休憩し、小降りになったところで、もと来た道を引き返すと、「晩御飯はやっぱりアトリエ・フロマージュにしましょう!」と・・・妻の執念が実りました。

 生チーズが”売り”のレストランだけあって、チーズ・フォンデュはなかなかコクがあって美味しいです。 ピッツァ・マルガリータもイケます。パスタはあまり選択枝ガ無く、シーフードパスタは平均的な味。初期高齢者二人でこれだけ食べるとお腹イッパイになりました。

           

本日は軽めに動く予定だったのですが、広大なアウトレット内を歩き回ると、いつの間にか歩数は19,628歩になっていました。

 

8月15日(金)・・・7日目

 昨日はゆっくりしたので、今朝は7時前には目が覚めた。カーテンを開くと珍しくも早朝から澄み切った青空が広がっている。慌てて妻を起こして朝飯前の早朝散歩に出掛ける。離山通りを横切って小さな橋を渡ると舗装をしていない、砂利の小道が奥へと繋がっている。

   鬱蒼としたカラマツ林に守られて、昔からの別荘地帯は入り口の石垣は苔むして、、しっとりとした雰囲気を醸し出しています。早朝とあってあたりに人影はなく、黄金の静寂に浸ることが出来てまことに贅沢なひと時=正に早起きは三文の得とはこのこと=である。

           

 ロッテの別荘辺りで道は行き止まりになったので、少し引き返して舗装道路に出て暫く下っていくと入り口に 「鳩山」と大きく書かれた標識があった。相当に広い敷地内に数棟のハウスが建っている。これはきっとあのポッポちゃん(=民主党幹事長)一族の別荘だろうと見当をつける。

鳩山邸を過ぎると、なにやら既視感のある景色が・・・いつの間にか、雲場池に来ておりました。前回と反対側から入ります。池面には霞みが棚引いいてちょっと幻想的な景色です。(でも気温が上昇するとアッという間に消えてしまいました) 

池の陰から「カッカッカッ」という音が聞こえてきます(黄門さまではありません!)何かしら?と水面を見やると、小型のカモ一家がゆらりと泳いできました。音は先頭の母鳥が警戒音を発しているのでした。長い足が赤っぽくこれまで見たことが無いカモでした。

     

            (霞が分かります?)       (カモ一家)        (鏡池?)

 満足の散歩を終え宿に戻って朝食を済ませると、本日は長野在住の妻の親友Hさん母娘が訪ねてくれます。ちょうどというか、三男坊も泊まりにやってきます。双方が到着するのはお昼どき、ランチをどこで食べようか?と思案しましたが、やっぱりこれはもうプリモ・ピアットしかありません。(8/10参照) 

お盆休み近くになったので、5名の予約手配で苦労しましたが、行ってみると個室が用意されてました。Hさんの愛娘は可愛らしい”花の女子大生”になってました。息子もちょっと照れくさそうにご挨拶。会話も弾んで、和やかなランチを楽しみました。

 話の尽きない女性3人を残して、私は息子を宿に案内したあと、旧軽銀座の奥のショーハウスなどをぶらついてのんびりといた1日を満喫しました。 でも17,929歩も歩いておりました。

8月16日(土)・・・8日目

 2泊3日の息子にとっては貴重な1日。峰の茶屋からのウォーキングを薦めると、妻の用意したおにぎりを持って朝早く出かけていきました。

夫婦はというと、久しぶりに碓氷峠に出かけます。最近は目的地までバスが走っているのですが、我々は当然横道にそれて山道を進みます。途中バスが走る道に架かった鉄橋を渡ってなおしばらく歩くと峠の見晴台へ。雲が多く一望千里といかないのがちょっと残念です。浅間山も雲に隠れて稜線しか拝むことができません。

     

 峠の茶屋辺りへ戻ると熊野神社がありました。碓氷峠は群馬県と長野県の県境にあり、利根川水系と信濃川水系を分ける分水嶺になるらしい。そこでこの神社にも本殿を挟んで、長野側と群馬側にそれぞれ社があるのがなんとなくほほえましいのであります。

     

 神社の石段を降りると、早くも雨が降り出しました。いやはや今夏の天気は徹底して「意地悪」です。仕方がないので帰りはシャトルバスに乗ります。バスだとわずか5分で旧軽銀座に到着です。

     

宿に帰ると、ほどなく息子も帰ってきました。先日、夫婦が半日かけて歩いたところを2時間で走破し、そのあと旧軽銀座まで歩いて下ってきたそうです。いやぁ、若いってやっぱり羨ましいですね。

 一息入れると、息子が夕食はアトリエ・フロマージュに行きたいというので、リクエストに応えて今回2度目の足を運びます。3人なので、ワインのボトルも開けてチーズ・フォンデュとピッツアなどを楽しみました。

本日の歩数は17,630歩でした。

 

8月17日(日)・・・9日目=最終日

 いよいよ最終日です。私は翌日の出勤のこともあるので、昼過ぎに帰ろうと考えていたのですが、妻が「せっかく涼しい所へ来てるのに、暑い東京へ慌てて帰ることはないんじゃありませんこと?」というので、18時過ぎの新幹線を手配。

で、最終日でもたっぷりと時間はあります。・・・といってもチェックアウトは10時なので、早起きして冷蔵庫の残り物を胃袋に収めると、部屋の掃除を済ませ、(北住さんのご指示どおりに)郵便ボックスに鍵を放り込んで、お世話になった宿を後にします。駅で、早めに帰る息子を見送ると、荷物を大型ロッカーに預けて身軽になります。

11時半近くになったので、アウトレット入り口にあるナチュラルブッフェで腹ごしらえ。大きなガラス窓の向こうは元ゴルフコースの広い芝生の庭ですから、リゾート感はたっぷりです。

ガニエというとちょっとおしゃれですが、蒸した野菜に練り味噌だのアンチョビー入りペースト等を塗って食べると、高原野菜の甘みとマッチしてなかなかいけます。(これが昨今の軽井沢ヘルシーライフの人気フードのようです)数多くのナチュラルフーズを二人して「美味しい、美味しい!」と舌鼓をうっていると、お腹イッパイになってしまいました。

   

  曇り空に霧が出て、気温もグングン下がって、半袖シャツだと肌寒さを覚えるほどです。食後はバスに乗って旧三笠ホテルへ。有名観光スポットですが、近場にありすぎて、これが初めての訪問。明治38年に日本人の設計施工によって立てられた木造洋館で、昭和55年に重要文化財に指定されたという。

訪れたとき、ちょうどフロント跡の広間で女性トリオによるビオラダガンバのコンサートが開かれていて、なんとも優雅な雰囲気を味わうことができました。

     

 帰りは日本街路樹百選にも選ばれた、カラマツ並木がきれいな三笠通りをゆっくりと歩いて、これが今回の休暇の“ラストシーン”です。

     

(あとがき)

 さて、大家さんの話にあった直木賞作家の松井さんとは、昨年(07年)「吉原手引草」で137回直木賞を受賞した松井今朝子さんのこと。彼女のブログを読むと、この部屋がいたくお気に召したようで、部屋や周辺の様子を詳しく記載してある。「もう少し逗留したいのだけれど、あとの予約が入っていて残念・・・」といった記述があった。

〜〜ということは私のほうが彼女より早く予約をしたということで、こちらの予約手配が遅れていたら、彼女にずっと押さえられ、「予約済みデス」ということで、一生この部屋にはご縁がなかったということになっていたハズ。“旅行の手配は早めがいちばん!”と、あらためて実感したのでありました・・・。      

                                                              (完)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

旅行記トップへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system