ジャック・パランスJACK  PALANCE) 本名 :Vladimir  Palanuik

                 1919年、アメリカ/ペンシルヴァニア生まれ                                                       

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                              (シティスリッカーズ) 

 本名からロシアの血をひいていると分る(実際はウクライナ系)が、かつてモンゴルが支配したロシアの外れの草深き草原(ステップ)から生まれ出てきたような、東洋的で強烈な個性のマスクの持ち主で、まさしく悪役になる為生まれてきたという感じがする。それも巨悪―組織の大物といった役処ではなく、あく迄自分で動いて相手に対峙する、鋭角的な一匹狼の悪役といったところに相応しいキャラクターである。(因みに、彼は‘39に名門スタンフォード大を卒業、第二次大戦中に乗っていたB−17機がロンドンで墜落し奇跡的に助かったが、顔を整形手術して、もともとのルックスに更に凄みが加わったとか)

  50年に戦争アクション物の「地獄の戦場=Halls of Montezuma」(監督・ルイス・マイルストン、出演・リチャード・ウィドマーク、ロバート・ワグナー、カール・マルデン)でデビューしたが、なんといっても広く世に知られるようになった出世作は、黒いベストの粋なガンマンスタイルが強烈な印象を残した53年「シェーン=Shane」(監督・ジョージ・スティーヴンス、出演・アラン・ラッド、ジーン・アーサー、ヴァン・ヘフリン)のジャック・ウイルソン役であろう。 (・・・出番は少なかったが、よほど演技がよかったか、はたまた印象が強かったのか、早くもアカデミー助演男優賞にノミネートされたのである)

  この早撃ちの殺し屋の圧倒的な存在感が効いたゆえか、傑作西部劇の「ヴェラクルズ」で名を挙げたロバート・アルドリッチ監督が55年に「Big Knife」(=暗黒街物/共演・ロッド・スタイガー、シェリー・ウインタース)、56年「攻撃!=Attack」(戦争物/共演・エディ・アルバート、リー・マーヴィン)と主役に抜擢。続いて57年「Lonely Man」(西部劇/監督・ヘンリー・レヴィン、共演・アンソニー・パーキンス)、58年「Man Inside」(活劇/監督・ジョン・ギリング、共演・アニタ・エクバーグ)と立て続けに主役を張っている。

だがやはり野におけ蓮花草ではないが、このマスクで主役を張り続けるには少し無理があったのかもしれない。この後暫くの間ハリウッドを離れて、欧州(イタリア)に活躍の場を求める。同時代の東映チャンバラ映画の如く、ギリシャ・ローマ時代を主な舞台にした歴史活劇がイタリア映画界独特のバイタリティで粗製濫造(?)されていた時代である。60年「カルタゴの大逆襲=Rivak the Rebel」( 監督・ルドルフ・マテ)、61年「ビザンチン大襲撃=Sword of the Conqueror」(監督・カルロ・カンボガリアーニ、共演・エレオノラ・ロッシ=ドラゴ・・・美人だが、名前の響きは恐い―、ガイ・マディソン・・・彼もアメリカからの出稼ぎだ―、音楽・カルロ・ルスティケリ)と主役で登場。

次に61年「蒙古の嵐=I Mongoli」(監督・アンドレ・ド・トス&レオポルド・サヴォーナ、共演・アニタ・エクバーグ、アントネラ・ルアルディ、フランコ・シルヴァ)これは、戦闘シーンの見応え、メリハリの効いた演出等この種スペクタクル史劇としてはかなりの出来栄えの「B級大作」であるが、なんといってもジンギスカン幕下で、武闘派の先頭に立って遮二無二東欧侵略を押し進めるオゴタイ役はまさに彼をおいて他に人はないといった感じのハマリ役であった。又情婦役エクバーグの凄みのある存在感も印象深い。(尤も歴史考証的には無茶苦茶で―例えば、実際の征西軍は総大将・ジンギスカン−司令官・オゴタイではなく、総大将オゴタイ−司令官・バトゥであり、ジンギスカンは征西のかなり前の西夏遠征時に亡くなっている。

  又、過激武闘派の中心は次男・チャガタイであり、後継者争いの中で、三男・オゴタイは穏健派ゆえにジンギスカンの後を継いで第二代・大ハ−ンとなったのである。史実無視のシナリオはイタリアらしいというか、或は白人からすれば、東洋の細かい歴史事実なぞどうでもよい、ストーリーを面白くして突っ走れということであろうか?)

そして62年「バラバ=Barabas」・・・キリストの処刑の代わりに死刑囚から救われて、不死身と噂されるようになった悪党バラバのその後を描いたキリスト物・番外編といった作品である。(監督・リチャード・フライシャー、大プロデューサー・D・ラウレンティスが製作しただけあって、キャストは、アンソニー・クイン=バラバ役、シルヴァーナ・マンガーノ、アーサー・ケネディ、アーネスト・ボーグナイン、ヴィットリオ・ガスマンと賑やかだ) ここではコロセイムでバラバと戦って死ぬ、冷酷無比の花形剣闘士役をピタリと決めてA・クインを引き立てている。

  同じ62年「戦闘=Warriors Five」(監督・レオポルド・サヴォーナ)に主演の後、フランスで彼の唯一の(!?)芸術作品、ジャン=リュック・ゴダールの「軽蔑=le Mepris」(出演・ミシェル・ピッコリ、ブリジッド・バルドー,音楽・ジョルル・ドルリュー)に登場している。

  以後一旦米国に戻って、アラン・ドロンのハリウッド進出第1作・65年「泥棒を消せ=Once a Thief」(監督・ラルフ・ネルソン、出演・アン・マーグレット、ヴァン・ヘフリン)、次に66年「0011ナポレオン・ソロ対シカゴギャング=The spy in the green hat」(監督・ジョセフ・サージェント、出演・ロバート・ヴォーン、ディビッド・マコ−ラム、ジャネット・リー)で女嫌いの悪ボスとしていい味を出している。  続いて、リチャード・ブルックス監督の傑作西部劇・66年「プロフェッショナル=The Professionals」(出演・バート・ランカスター、リー・マーヴィン、ロバート・ライアン、ウッディー・ストロード、ラルフ・ベラミー、クラウディア・カルディナーレ)では、ヒロイン=カルディナーレをかっさらった大悪人と思いきや―意外や意外の儲け役といった役処で、ブルックス監督の粋な(?)キャスティングにほほぅ!と感心させられたことであった。

  67年、B級活劇・「ドラゴン爆破司令=Kill a dragon」(監督マイケル・ムーア、共演・フェルナンド・ラマス)に主演の後、再びイタリアへ―68年に、「マルキ・ド・サドのジュスティーヌ=Marquis de Sades Justine」(監督・ジェス・フランコ、出演・ロミナ・パワー、クラウス・キンスキー)、「ラスベガス強奪作戦=They came to rob Las Vegas」(監督・アントニオ・イサシ、出演・ゲイリー・ロックウッド、エルケ・ソマー)、「激戦地=La legione dei Dannati」(監督・ウンベルト・レンツィ、共演クルト・ユルゲンス)に出た後、クリント・イーストウッド、リー・ ヴァン・クリーフに遅れること4年にしてマカロニウエスタンに登場する。

セルジオ・コルブッチ(監督)―フランコ・ネロ(主演)―エンニオ・モリコーネ(音楽)の強力トリオと組んで68年「豹(ジャガー)=IL Mersenario」(共演トニー・ムサンデ、)、70年「ガンマン大連合=Vamos a matar companeros」(共演トーマス・ミリアン、フェルナンド・レイ)に主演。71年「明日なき夕陽=Brothers Blue」(監督・ルイジ・バゾ−ニ、共演ティナ・オ−モン)というのもある。

取って返して同時期に、ハリウッド西部劇で70年「モンテ・ウオルシュ=Monte Walsh」(監督・ウイリアム・A・フレイカー、主演リー・マーヴィン、ジャンヌ・モロー、音楽・ジョン・バリー)、71年「チャトズ・ランド=Chatos land」(マイケル・ウイナー監督、主演・チャールズ・ブロンソン、ジル・アイアランド)と忙しい。

一方、リチャード・フライシャー監督のドキュメンタリータッチの異色アクション、69年「ゲバラ!=CHE!」(音楽ラロ・シフリン)では、オマー・シャリフのチェ・ゲバラに対してフィデル・カストロを共にソックリさん風に演じている。 異色アクションといえばもう一本、珍しや!アフガン騎馬民族を描いた71年「ホースメン=The Horsemen」(監督・ジョン・フランケンハイマー、出演・オマー・シャリフ、・・・脚本・ダルトン・トランボ、撮影・クロード・ルノアール・・・ルノアールの子息・・・、音楽・ジョルル・ドルリューとスタッフは一流だ!)がある

73年にはスタンリー・クレイマー監督の「オクラホマ巨人=Oklahoma  Crude」(出演ジョージ・C・スコット、フェイ・ダナウエイ、ジョン・ミルズ、音楽・ヘンリー・マンシーニ)にも顔を出しており、この2〜3年が作品的には一番充実していた時期ではなかろうか。

  この後,74年〜86年にかけての実に13年間の長きに亘って日本の映画館のスクリーンからプッツリとその姿を消してしまう。私はテッキリ亡くなったと思ったが、どっこい彼自身は変わらぬペースで出演を続けており、その作品が1〜2の例外を除いて殆ど輸入公開されなかったということである。

この中にはマカロニウエスタンの人気者ジュリアーノ・ジェンマがウルスラ・アンドレスと組んだアクション物の75年「アフリカ特急=Africa Express」(監督・ミケーレ・ルーポ)、76年「サファリ特急=Safari Express」

(監督・ドゥッチオ・テッサリ)の如き快作(勿論、彼は敵役としてワサビを効かせている)もあるが、やはりそのほとんどがB級愚作のオン・パレードであり、結構悪食(いかものぐい)の我が国の洋画配給元でもさすがに触手を動かさなかったのも無理はないかもな!という次第である。

  しかして、かくも長き不在の後、87年から鮮やか(!?)に日本のスクリーンに復活するのである!

 87年「バグダッドカフェ=Bagdad Café」(監督・パーシー・アドロン、出演・マリアンネ・ゼーゲブレヒト、CCH・バウンダー、懐かしや!かつての名花クリスチーネ・カウフマンも女刺青師の役で出演)・・・ハリウッドの奥座敷(?)といわれるモハヴェ砂漠の寂れたモーテルに忽然と現れた、太っちょのドイツ女が荒んだ人々の心を癒し、やがて小さな奇跡を起こす・・・始めは不条理劇かと惑わせて、次第に西洋版山田洋次の世界とでもいった、風変わりな人々が巻き起こす人情劇へと変わり、不思議な感動を呼ぶ作品。ジャックはモーテル脇の古バスに住まうヒッピー風の衣装を纏った風変わりな老人役。それまでの荒々しい悪党のイメージとは全く異なり、飄々淡々。この作品で後の名演技へと繋がる、いわば枯淡の境地とでもいうべき新境地を切り開いたのである。

その後は出演作品の公開が相次ぎ、88年「ヤングガン=Young Guns」(監督・クリストファー・ケイン)で若きビリー・ザ・キッド役のエミリオ・エステベスやキーファー・サザランド、チャーリー・シーン(エステベスの実弟)等ヤングスターの脇を固めて存在感を発揮。

89年シルベスター・スタローンとカート・ラッセルの息がピッタリと合ったマンガチック・アクション「デッドフォール=Tango & Cash」(アンドレイ・コンチャロフスキー監督、但しパランスの悪役の描き方もマンガチックで凄みに欠けたのは残念)。

同じく89年「バットマン=Batman」(監督・ティム・バートン、主演・マイケル・キートン、キム・ベイジンガー、ジャック・ニコルソン…ここではなんと言ってもコメディタッチの悪役=ジョーカーの演技に異常なまでの執念を見せたニコルソンの存在感が圧倒的であり、その前には流石のパランスも、そして主役のキートン=バットマンも影が薄い)

90年には学習研究社が大胆(というか無謀)にもハリウッドに乗込んで製作した「クライシス2050=Solar Crisis」(監督・リチャード・C・サラファイン、主演チャールトン・ヘストン、別所 哲也、音楽・モーリス・ジャール)がある。これは案の定というか、監督自身が恥じ入った程の見事なまでの失敗作(内容、興行共)で、不思議な老人役のパランスの怪演のみが印象的である。

そしてそして、遂に栄光の時がやって来た!・・・91年「シティ・スリッカーズ=City Slickers」(監督・ロン・アンダーウッド、主演・ビリー・クリスタル)、都会の生活に疲れたエリートビジネスマン3人組が癒しの為に出掛けたキャトルドライブツアー(牛追い体験ツアー)のガイドとして登場するのが、老カウボーイ・カーリー、それは恰も「シェーン」のあの黒尽くめのガンマン、ウイルソンが風雪を経て帰ってきたかのようであり、約40年に亘るキャリアを凝縮した演技に、画面の中の主人公同様に観客も思わず、ウ〜ン、本物のガンマンって凄いなあ!と頷いてしまった。専門家も同じとみえ(!)、パランスはこの演技でなんと72才にして初めてアカデミー賞(助演男優賞)の栄誉に輝いたのである。(53年「シェーン」で初ノミネートされてからなんと38年振りの授賞である!) ゴールデングローブ賞とのダブル受賞でもあったところにこのガンマンの演技の高い評価の程が分かるのだ。

尤もこの栄光の後は、94年「シティスリッカーズU」(才人B・クリスタルが「T」の好評とその最大の要素がパランスの存在にあることを認識して、なんと死んだ筈のカーリーを双子の弟という設定で復活させ二匹目のどぜうを狙ったものの…出来栄えはというと・・・作らないほうがよかった!)、98年「マルコポーロ」と80才の御年のゆえもあってか流石に出番は少なくなっているのが惜しい。

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