≪たいぺい・たべあるき≫

(2003・12・27〜2004・1・2)  

       

                     

まえせつ(その1)

その昔ポルトガル人がその緑濃く美しき島影を見て「フォルモサ!=麗しの島よ!」と呼んだその「麗しの島」は、神が恩寵を拒否したか、はたまた試練を与えたもうたか、近世史上幾たびかの苦難・困難に見舞われてきた。しかしこの島とそこに住まう人々はなんとも“健気”である。幾重の困難に屈することなく、逞しく繁栄への道を切り開いてきた。それは、あたかも島まるごと“おしん”のようでもある。

・・・大清帝国の頚城(くびき)から離れたかと思うまもなく新興帝国主義国家の植民地となり(この国の統治は比較的上手くいったほうであり、その間に社会資本形成がなされたことも事実であろうが、しかし被支配と圧政に苦しんだことは間違いない)、その国が大戦で敗れ撤退すると、代わって大陸から“戦勝国”である筈の勢力がやっていた。

健気な人々は“解放者”として迎えようとしたが、やってきたのは夜盗の如き集団で、前支配者にも増しての苛斂誅求が始まった。それでも人々はその支配に耐え、やがて合い携えて国家発展への道を歩みだす。すると広大な版図と人民を支配する対岸の巨人は、この“健気な乙女”が自立することを決して許さず、あの手この手で恫喝懐柔また恫喝を繰り返し、世界からの孤立化へと追い込んできた。

はてさて“国家”成立の三要素が“領土と、人民と、人民が自ら選んだ政府”であるとすれば、台湾はまごうことなき「国家」である。しかも中華文化圏の歴史上初めて実現した“人民が自由な意思で選んだ政権”を擁する“民主国家”である。しかし彼の巨人を慮ってか或いは恫喝に屈してか、かつての宗主国も又その存在を「国家」と認めず、そして、その旧宗主国を敬愛してやまない前元首が入国することさえ容認しない有様である。

最近では大地震が島を襲い、そのダメージを克服したかと思うと、次には「巨人」を源とするSARSの猛威が経済の根幹を揺るがした。しかし我が国が久しく戴いたことがないような、徳・知・勇を併せ持った高潔な二代のリーダー達に率いられたこの国は、さらに逞しく前進しようとしている・・・。

まえせつ(その2)

〜〜さて、その逞しきパワーの秘訣をさぐって今後の参考に!・・・なんて高邁な発想からではなく、今回も暦の関係で年末・年始が9連休となったので、じゃあ何処かへ行こう・・・、そうだ!久方ぶりに台湾を訪れよう!と思いついたのがマウイ一人旅の余熱も冷めた10月半ば。女房にも「どう?」と尋ねるが「そうもいかないでしょう」との返事。(彼女は末っ子の修学旅行期間を利用して同じ立場の友達と12/16〜23までニュージーランドへ出かける予定なのだ)

“久方ぶり”とは、実に37年振りということで、初回訪台は大学四年生の昭和42年夏。AIESEC(国際経済商学学生協会)の活動の一環として、海外初体験をしたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

少し話は横道に逸れるが、この学生団体はUNESCOと各国の理解ある企業の支援を得て加盟国間で交換研修を行う、今で言うならNPOのハシリみたいな活動をやっていた。旅費は自前乍ら、滞在費と宿泊施設は研修受入企業が支援するというシステムなのだ。

「〜貴社が海外からの学生を一人受入れていただければ、代わりに日本の学生が一人海外で研修を受けることが出来るのです。将来の日本を担う国際人養成に是非ご理解とご支援を!・・・」と大手企業の寛容を期待して丸の内や虎ノ門界隈を勧誘に歩いて廻ったものである。そして当の本人はというと、ビンボー学生で金はないが、そうやって汗を流したからには自分もどこかへ行ってみたい!・・・という訳で、バイトで旅費を工面して行けるところが台湾であったという次第。

さて、私の受入れ企業は台北市内にでんと本社を構え、当時ヴェトナム特需があって絶好調の“左団扇&右扇風機”。なにしろ1階の営業部で見ていると、客が「どうぞ製品を分けて下さい」とやってきては現金を山積みにする。(当時の最高額紙幣が百元だから山積みになる!・・・因みに当時1元=10円と元は結構強かったのだ!)会社はそれを受取って製品納入は1〜3ヶ月後というのだから、まことにいい商売で、なんとも“古き良き時代”ではあった。

そんな絶好調の会社で2ヶ月の間お世話になったのであるが、東京では貧民窟のような学生寮でインスタントラーメンを3人で分け合って啜るような生活を送る“苦学生”にとって、鷹揚にして寛容な会社の厚遇はまさに夢のような2ヶ月間。オフタイムは台湾大学のクラブの仲間がいろいろと面倒を看てくれて、台湾の将来について熱く語り合ったりもしたのでありました・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

かくして37年の歳月は巡り、不幸にして就職した会社は台湾と縁がなかったこともあって、今日に至るまでの間、私にとっては、なんとも“近くて遠い国”となってしまっていたのである。

まえせつ(その3)

そんなこんなで、行こうと決めたら例によってネットによる手配開始。

先ずは航空券==昨年末「バーゲントラベル」で危ない橋を渡った記憶も新しいところであるが、“懲りない人”である私は、またぞろ「ネット旅行社」を検索。アジアに強いところは何社かあるが、台北への年末料金(但し中華航空)は何れも5万円前後(往復)と意外に安い。(SARSの後遺症か?)その中から支払い&キャンセル条件が一番緩やかな「イーツアー」で手配を決める。(金繰りが楽なんだろうという推定乍ら、ネット企業の信用度のホントのところは分からない。しかし、なにしろ信じなければ格安旅行への道は開けないのダ!) 

次はホテル==ハワイフリークには「モーハワイ.com」という強い味方があるが、台湾好きにも「TAIPEI NAVI.com」という実に強力な援軍があることを発見。ここでリピーター達から寄せられた体験情報などをもとに様々なホテル情報をゲット。その昔、かの「宋一族」が経営して1泊10万円といわれた豪華絢爛の「園山大飯店」が今や1万円で宿泊可能(但し窓無し部屋)だという。しかし繁華街から離れており何かと不便だし、又途中でのホテルチェンジも面倒なので断念し、交通至便で部屋&サービスで評判のよい「老爺商務会館」で通すことに決定。シングル1泊3、300元(朝食付き、税込み、サ別)のところをネット割引で2400元也(=約7,800円)。レイトチエックインの旨送信すると早速予約係から返信メールが来たので、まあこれで大丈夫であろう。

今回は台北でのんびりとする(?!)予定なので、手配はこれで完了。あとは故宮博物館見学とともに今回のもう一つの目的であるくいだおれ”情報の収集に専念だぁ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次へ   HPトップへ戻る

inserted by FC2 system