4/29 (DAY・1)

             第一章・飛んでイスタンブール

4/29〜5/6(羽田―関空―トルコ)と4/30〜5/7(成田―トルコ)の2コースがあったが、最後1日の余裕と、この際、ついでに関空も見物しちゃえ(今後も関空へ行くことはまず無かろう!)と前者のコースを選んだ為、必然的にロスタイムが多くなった上、5日前に届いた確定日程表を見ると帰りは直行便ではなく、なんとフランクフルト経由となっている。

文句を言おうと思ってパンフをよく見ると、小さい文字で「欧州経由になることもあります」と書いてあるから仕方がない。旅に出たら全てプラス思考が基本である。約10年ぶりでフランクにも立ち寄ることが出来て有難いと考えよう。

というわけで、4/29はなんと早朝5時起きで羽田へ向かい、6時45分に所定場所へ行き、必要書類を受領し搭乗手続き。スーツケースはトルコ迄スルーとのことでホッとする。7時45分発のJALで関空へ。うーん、ヤッパリ眠いなぁ…。

9時関空着。機中少しまどろんだので頭がすっきりすると食欲も出てきた。もしこれが最後の朝飯だとすると…と考えて食堂街を歩いて選んだのは、「やよい亭」のきつねうどんとオニギリのセット。…昨日の昼も会社の弁当は止めて、駅前ビルで「つな八」のてんぷらを食った。やっぱりトルコだと、珍しく「もしや〜〜」と考えたりする。

だいたい私の周囲も「連休はどこかへ?」との問いに、「ええ、ちょっとトルコまで」と答えると、「へえ〜!(物好きな…)」とか、「なんでまた?」というのが大方の反応で、「いいですねえ!」とか「うらやましい」という人はまずいなかったのである…

2回目の集合迄の間、春霞の泉南の海を見渡したり、広いビルの中をブラブラして時を過ごす。淡路博の展示コーナーではこれ幸いとポケットティッシュをゲット(慢性鼻炎気味の身には不可欠の備品なのだ)。売店で携帯歯ブラシ代わりに「歯磨きガム」なんてのを購入。

最終チェックでゲート前に集結したのは、関東組・関西組併せて31名、結構大集団だ。今回は三食昼寝に添乗員、現地ガイド付きの完全バカチョンお気楽パックツアーで、この、北は新潟から南は沖縄(!)までの寄せ集め集団を率いるリーダー(添乗員)は大海嬢。添乗員には希な!(と言ったら他の添乗員嬢には失礼か)若き日の名取裕子似の華奢な美人である。高校大学を通して6年間のアメリカ生活を送り海外経験豊富ということ(この経歴は後日自己紹介の場で分かったこと)だが、細身で華奢な外見上からは大丈夫かな?とチョッピリ心配な感じがしないでもない。

で、家を出てから実に7時間をかけて、12時55分やっとイスタンブールへ向け機上の人となる。はてさてお気楽ツアーどころか、行く手には更にとんでもないことが待ち受けていようとは、この時は知る由もない…

                  トルコ航空

直行便はJAL−トルコ航空の共同運行システムで、この日はトルコ航空便(関空発は皆そうか)。当然機体は古いし、食事はマズイ(トルコワインは意外やまずまずであったが)。延々12時間の大我慢行となる。

「007/ワールド イズ ノット インナッフ」を上映するというので、イヤホーンを耳にするとよく聞こえない。コンセントを強く押すとアームの差込口がボコッと陥没してしまった。大声を上げるのも憚られるので、トルコ人スッチー(おばさん)にメモで「イヤホーンが壊れているので、席替えしてくれ」と頼んだが「満席デス」とスゲなく断られてしまった。(後で歩いてみると本当に満漢全席、イヤ全席満席で一席の空きも無かった)これでは絵を見て、あとはイマジネーションでの鑑賞といくしかない。(尤も007は絵だけでもだいたいのストーリーは掴めるが…ウーン、やっぱり少々くたびれる)

映画が終わったので、持参の池宮彰一郎の文庫でも読もうと思って、照明スイッチを押すとこれが点灯しない。あらためて周りを見回すと、我々の居る中ブロックの中央席列だけが灯がつかない。(余程日頃の行いが悪かったのか!)流石に頭に来て、厨房に日本人スッチーがいたので、「アト7時間も真っ暗とはチト殺生やおまへんか!ハヨなんとかしてーな」と抗議。「スイマセーン。機長に充電を頼みますので、もう少々お待ち下さい」、「ほんまに、ハヨ頼んまっせー」…この強硬抗議(実際はキツイ関東弁)が効いたかしばらくして点灯したのでホッとする。ま、やっぱりJALじゃないといろいろとたいへんだなあ・・・。

                  旅の友達

座席は横に3−4−3、一人旅は当然真ん中の4人席のうちとなる。私の左隣り通路側は若い女性。ジーンズにニットのカジュアルな身なりや素振りから旅慣れた処が覗われるが、「トルコワインって美味しいですか?」と尋ねられたのをきっかけに話し込むと、果たせるかなかなりの旅のツワモノである。なんでも今回は全くの一人旅で、イズミールにいる友達を訪ねて遊びにいくのだとか。互いの過去の旅行体験談に暫し話しが弾む。(成田離婚でもいいかなぁ…ウフフなどとのたもうておった)

右隣はツアー仲間と思しき中年のカップル。私の隣りに女性(正統派美人!…集合時に一番目立った)が座った途端に香水の香が漂ってきた。もう久しく脂粉の香漂う世界とは縁が無いので余計強く感じられて、こりゃ迷惑だなぁ、陽気な雰囲気の男性が隣りに来りゃあいいのに…と思う。聞くとも無しに聞こえてくる二人の会話から(女性は親しき仲にも礼儀ありといった感じで、非常に丁寧で奇麗な言葉遣いである…美しい日本語はいいものだ)これはどうも夫婦ではないな〜と分かる。

そのうち、男性のほうから、「一人旅ですか?隣りの女性と親娘かと思ってましたよ!」と声をかけられたのを契機に賑やかになった。なんでも千葉県・某市の歯科医師で趣味はダイビング、旅行は殆ど南の海で、既に300本以上も潜ったそうな。人生を楽しむのがモットーの真のエピキュリアン(快楽主義者)のようである。

「今回はこのママと一緒でね、久し振りの陸の旅行ですよ。実はこのコースしか取れなかったんですがね」 、 「私は二人も孫がいるんですのよ。でも娘が理解がありましてね、それでこうやって旅行が出来るんですのよ」

だとか。(こちらも2人の間柄についてそれ以上ヤボなことは聞かない。でもとても孫がいるようには見えない、フェロモン一杯の女性である。)

彼と小生の名前のイニシャルがT・Wと同じであることも分かり、マサに意気投合といった感じで、水割りのグラスを重ねて話しが弾む。こちらとしてはいい旅仲間が出来て誠に有難いことだ。

                     イスタンブール到着

こうしてなんとか12時間の時を過ごし、19時45分、漸く憧れのイスタンブールへ無事到着。入国手続きはカード記入の必要も無く、パスポートを見せただけで簡単にパス。荷物の出るのを暫く待ってから、銀行の両替窓口へ向かう。トルコはインフレが激しいから(今でも年率60〜70%か)、小出しに両替すべしとのことなので、取敢えず〈10ドル/日〉見当として70ドルを両替。1ドル≒600千リラで、手許に来たのは42百万リラ、なんだか急に大金持ちになった気分である。

因みに札の券種は10百万、5百万、1百万、50万、25万、10万で、硬貨は10万、5万、2・5万、1万。10百万リラ札は現在世界最高額紙幣ということで、記念に持って帰る人もいるらしい。又硬貨の1万リラは見掛けは立派な堂々のコインだが、実際は約2円だから、乞食にやっても怒って投げ返してくるとか。

私が替えた42百万リラだと5百万×8枚1百万×2枚という券種の組合わせで渡される。小額の券種はくれないから、これを崩すには何か買物をしてツリをもらうしかない。ホテルのフロントではまず小銭への交換はしてくれない。(尚、7日後ホテルで若干両替すると、1ドル≒530千リラだったから、銀行に比べて随分ボラれたことになる。一般にホテルでの両替は避けるべきだ)

30名以上の両替がやっと終わると、雨上がりの道路を歩いて迎えのバスへ乗込む(バスはキレイだ)。ここで現地ガイドの正式挨拶。「ハーイ、ミナサマ、トルコへようこそ。私の名前はデニーズです。日本に同じ名前のレストランありますね。運転手はジェンギスさん。ジンギスカンからきてるのでしょうネ。助手はちょっと変わった名前で・・・ヒダイエットさんでーす。どうぞよろしく」

なかなかに達者な日本語で感心する。当然ややブロークンだが、即射砲のように言葉が出てくる。なんでも後で聞いたところによると、英・仏・独・伊のガイドを務めた後、最後に日本語を学んで、現在日本人ツアーのガイドをしているという、マルチリンガルのスーパーウーマンである。

大卒の大変なインテリで博覧強記、何でもよく知っているから、自然教え魔になって、ガイドの時も解説に熱が入り過ぎて、肝心の見物の時間が足りなくなることもあるのが玉にキズ。回教に対してはクールだが、強い愛国者で、又ミスを指摘しても自説を曲げない。まさにケマル・アタチュルクのトルコ近代化革命の申し子(孫か!)みたいな女性である。地下のケマルもさぞや満足であろう…。

この時期、日没は8時と遅いが、既に9時を大きく回っているから、窓の外は暗闇。空港から都心部へは約30分かかる。マルマラ海を臨む中心部へ差し掛かると、ビザンチン時代の城壁とか建物がライトアップされているのが目に入る。当時の水道橋の大橋桁のアーチをバスが潜る時は、千数百年の時を超えたタイムトンネルへ入っていくような気がしてくる。(ワオー!コンスタンチン大帝の、ビザンチン・二千年の都へやって来たんだゾー!)  

      (水道橋)

 金角湾に架かるアタチュルク橋を渡り、ガラタ塔を右に見てアジア地区― 新市街へと進むと急な坂が多くなる。イスタンブールは坂の街なのである。商店街に入ると、花屋が道端に広げた色とりどりのバラの花束が夜目にも鮮やかで奇麗だ。(トルコはバラの一大輸出国でもあるという)

バスは盛り場をかなり離れたアパート街の急な坂道の途中で止まる。最初の宿ミムホテル。フロントで待つことしばし、そこで例のナベさんが「晩飯はどうなってんだ?」、小生「いや、今晩は機内食でおしまいですよ!」「腹減ったよ、機内食のオニギリもっと食っとくんだったなあ」 「持ってくりゃよかったですね」 「そう、機内じゃなにしろオニギリが一番ウマかったからなあ」

添乗員との諸打合わせの後、ルームキーを貰ってようやく部屋に入ると既に11時になっていた。(時差6時間だから東京だと午前5時!…今朝起きてからまる一日経過だ)ポーターがなかなかスーツケースを運んでこない。

おとなしく待っていたら何時になることやらと、降りていくと、殆どのバッグが保管場所に置いたまま。ヤッコラサと運んで部屋に戻る。スリッパやらを引っ張り出してから風呂の用意。湯を張ったバスタブに足を伸ばすと、疲れがドッと出てくる感じだ。湯はぬるいがバスタブが広いだけでもよしとせずばなるまい。(この後どこも湯はぬるかった。トルコ人はネコ舌ならぬネコ肌か?)

そもそも一人旅の追加料金の安さからしてホテルにはあまり期待していなかったが、ここはそれ以下。清潔なのはいいが(それで充分か)、サービスは悪いし、何より安普請のせいか隣りの音がつつぬけ。小生、疲れ果ててバッタンキューで眠りを貪っていたら、突然ボコボコッという大きな音でビックリして飛び起きた。隣り部屋でトイレを使った音が筒抜けだったのだ…。(後日デニーズさんにタクシーで「ミムホテル」と言ったら分かるか?と尋ねたら、そりゃムリよ、大通りのシェルのガソリンスタンドを言いなさいとのアドバイス・・・まあその程度のホテルだということ。

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