ジョージタウン(1)の続き

 ジョージタウンの散策で人気なのは、ストリートアート=「壁絵」めぐりですが、チャイナハウスの近辺はそのゴールデン・スポット。大勢の観光客が行き交って、絵を探しています。人気の絵の前には行列が出来て、交代で写真を撮っています。“絵と一体化”するのが「インスタ映え」ということです。では私達も・・・!

        

        

 この辺りには多くの中国寺院があります。世徳堂謝公司(チョン・コンシー)は謝一族の住宅兼道教寺院(1873年建設)芝生の広い庭が目を引きます(ここは有料)。福徳聖神廟は海峡華人の守り神である大伯公を祀るお寺。福徳は建物の間に挟まれています。この門をくぐって中に入ると立派なお堂があるそうです。これらを横目で見ながら先へと進みます。

       

(世徳堂謝公司)                 (福徳聖神廟)        (福徳祠)

 アルメニア通りとクリン通りの交差点という一番目立つ場所にあるのが叶公司(ヤップコンシー)・・・葉一族の寺院です。薄緑色の建物(住居?)がくっ付いています。プラナカン独特の建築様式ですね。寺院としての規模は小さいですが、屋根の上の飾りはスゴイです。この一族も貿易で大成功し、ペナン一の大金持ちにのし上がったという。

   

 ヤップコンシーから少し南下して、右へ入ると、邸公司(クーコンシー)。この一帯の中国寺院で一番有名なところです。1851年に建設されたものの、その後火災で焼失し、1906年に再建されたそうです。此処は有料(10RM)です。石畳の広場の向こうに華麗なお堂があります。屋根の上、外壁、柱と、その装飾や細かい細工が凄いです。

     

      

 堂内に入ると、豪華絢爛です。

  

 祭壇の両側の壁には多くの人物が描かれています。お堂の裏側の壁にも絵がありました。

      

 夜はライトアップもされるようです。(堂内のパネルより)

 クーコンシーを出て、アチェ通りを進むと、灯台のような塔が見えてきました。アチェ・ストリート・モスクです。スマトラ島から移住したアラブの胡椒商人が1808年に建てたモスク。当時モスクの周りにアチェ出身の人が多く住んでいたので、通りの名前がアチェ通りになっているのでしょうね。

   

 アチェ通りを海のほうへ進みます。角の店ではドリアンを売っていました。独特の臭いが漂ってきます。

大通りを渡ると、祠のようなものがあり、その先を入ると、板張りの道がありました。海際に造られた「同姓一族の桟橋=伝統水上家屋」です。・・・福建省から移民してきた華人の子孫が19世紀の末ころから、同族ごとに桟橋を作ってその周りに住み始めたということです。近代化が進む町にとってこのエリアはスラム街のように見られ、取り壊しも行われたようですが、2008年にジョージタウンが世界遺産として登録されると一転、文化遺産として保護され、今は人気の観光スポットになっています。

現在は林、周、陳、李、揚と5族の桟橋がありますが、その中で最大なのが「周一族の桟橋」で、其の桟橋を奥へと歩いてみます。

    

             (ユーモラスな壁絵もありました)

 両側には土産物店が並んでいます。大きく開けたデッキを進むと、海が見えてきました。

      

 更に先端まで進むと・・・遠くに対岸のバタワースのビル群が見えます。

   

 

ジョージタウン(2)

 2回目のジョージタウン散策です。ジェティ・バスターミナルからビーチストリートを北に進むと、ロータリーに時計塔が見えてきました。「ヴィクトリア・メモリアル時計塔」です。ヴィクトリア女王即位60年を記念して、1897年にマダム・チャー・チェン・ヨック等ペナンの有力者達が資金を提供して建設に着手し、1902年に完成。高さは在位年数に因んで60フィート(約18m)あるそうです。

  

(時計塔とモニュメント)

 その先にあるのが「コーンウォリス要塞」。1786年にフランシス・ライトが島に上陸した場所に築いた砦で、当時のインド総督チャールズ・コーンウォリスの名前が由来。当初は木造で、1810年に現在のような煉瓦造りに改築された。高さ 10フィート(約3m)というが、しかしこの程度の高さでは、接近戦で攻められたらひとたまりもないような気がするのですが・・・。

    

 門を入って北東を振り返ると砲門の向こうに灯台が見えます。壁際には大砲が並んでいます。改築の1810年当時は17門の大砲がマラッカ海峡を睨んでいたという。

   

  東南の隅にある青銅製の大砲は「スリランバイ」という名前があり、女性がこの大砲に花を捧げると妊娠するという言い伝えがあるそうな。砲身には製造年(1603年)と、何故かオランダ東インド会社の紋章が刻まれている。イギリスがオランダから分捕ったということか・・・? 因みにオランダの紋章はイギリスのそれと比べて随分とシンプル。

       

(スリランバイ大砲)         (オランダ東インド会社の紋章)  (英国東インド会社の紋章)

 近くにあるカマボコ型の建物は弾薬庫だったらしいです。今は中はがらんどうです。

   

   入った反対側の、元の正門(今はクローズ)近くに行くと、フランシス・ライトの銅像がありました。クダ王を騙して島を強奪した悪党ですが、その後の島の発展は彼の関税撤廃政策にあったわけですから、まぁ島の興隆の功労者であることには違いありません。(因みにライトは税収減を阿片栽培と、酒の製造で補ったということです)

   この砦はイギリスの海峡植民地維持の重要拠点であったわけですから、昔は相当数の兵士が駐留しており、砦内には兵舎など多くの施設があったはずですが、今は広場があるのみで、片隅に倉庫と思しき建物が朽ちるにまかせたままで、往時を偲ぶのは、写真パネルだけです。

        

  以前、此処はマレーシア政府所有であったのが、2015年に民間に譲渡され、その途端に入場料が2RMから15RMに急騰し、現在は更に20RMにアップ。なんと、3年間で10倍です!それだけ“ぼる”んだったら、昔の建物を修理復元しなさいよ!・・・民営化が必ずしもいいとは限らない実例です。まぁ、入場料2RMが妥当なスポットでした。

 

 砦を出て、ライト通りの反対側には、「ペナン州庁舎」(19世紀半ばの建物)・・・白壁にオレンジ色の屋根がお洒落です。

  

 砦側の歩道を進むと、コタ・ラマ公園・・・一面芝生の庭が広がっています。その奥には「タウンホール」と「市庁舎」があります。市庁舎は1903年に建てられ、かつては東インド会社の拠点だったらしいです。

     

                                                        (タウンホール)           (市庁舎)

 市庁舎は少しですが中に入れます。受付の横の部屋に入ると、展示ホール。昔の写真や民族衣装が展示され、なぜか熊の像がありました。2階は市議会議場だそうで、上に上がることはできません。

     

   道路を渡って、セントジョージ教会前からCAT(市内一周無料バス)に乗って、ペナン通りに曲がった所で降車。海側に大きな建物が見えています。「イースタン&オリエンタルホテル」(アネックス棟)です。このホテルは1885年にアルメニア人のサーキス兄弟が創業し、当時「スエズ以東で最も豪華なホテル」と人気を呼び、サマセット・モーム、ヘルマン・ヘッセ、ダグラス・フェアバンクス、チャップリン、孫文などの著名人が宿泊したことでも知られる。(因みにサーキス兄弟はこの成功で2年後にはシンガポールのラッフルズホテルをオープンしているから、卓越した商才の持ち主だったんですね)

 広い通りを進むと、本館(ヘリテージ・ウイング)に到着しました

        

  

(ロビー)        (英国調のシックなバー)

 此処へ来た目的は創業年を冠したルーム「the1885」でのアフタヌーン・ティー(2〜5時)を楽しむ為です。数日前に、オープンの2時に予約をしていた故か、奥の窓に面したベストな席に案内されました。

         

 まずはティーをチョイス。数ある中から、妻は「ミント・フレッシュ」、私は珍しい「アイリッシュウイスキー・クリーム」を選びました。どちらも香り豊かで素晴らしいティーです。

 料理は、2段のトレーと、スコーン(ジャム&クロテッドクリーム)、そしてもう一つの皿には5種類のスイーツが載っています。どれも非常に凝った調理になっています。例えばサンドイッチ(写真↓右)はほうれん草を練りこんだグリーンのパンを丸く切ってツナマヨを挟み、円周を薄く削いだ胡瓜で巻いて、上にはプチトマトと薄くスライスした胡瓜を載せてある・・・といった按配です。優雅な気分で1時間半ほどを楽しみました。(143RM≒3900円)

           

 別館ビクトリー・アネックスのロビーからビーチサイドへ出てみました。マラッカ海峡から爽やかな風が吹いてきます。新婚さんが堤防の上を歩いて撮影していました。プロムナードの中央あたりにある桟橋は、船でホテルに乗りつける人のためのものでしょうか?

        

   満ち足りた気分のままで部屋に戻ればよかったのですが・・・帰路途中にガーニープラザに寄り、コールドストレージで買い物を終えて出ようとすると、大雨になっています。暫く様子を見ましたが、簡単に止みそうにないので、意を決してひとつ傘に身を屈めて向かいのバス停へ走ります。バス停に屋根があって助かりました。

 フェリンギに到着すると幸い殆ど雨はやんでいたので、殆ど濡れることなくコンドに到着出来たのでしたが、部屋に入ってホッとする間もなく、天地が裂けるかというようなもの凄い雷鳴がとどろき、大雨が降ってきました。到着がちょっと遅れたら、びしょ濡れになるところでした。いやぁ、物事すべてタイミングだ!と実感しました。

(大雨を招いた?買い物)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次(ジョージタウン3)へ          戻る(ガーニープラザ)

inserted by FC2 system