4日目(11/16) 終日航海日

 今日はチビタベッキアに向けての終日航海日。ベランダに出ると名残の月が見えます。海は荒れ気味です。窓なし部屋だと、大西洋に出ても殆ど揺れを感じませんでしたが、海側だと揺れを感じます。

  

  朝食は8時から3階の「フィオレンティーナ」でゆっくりといただきます。「インターナショナル朝食」といって、ブッフェ+好みのメニューをオーダーという仕組み。メニューはアメリカ=ホットケーキ、ベルギー=ワッフル、スウェーデン=スモークサーモン&ライ麦パン等々で、これが“インターナショナル”と謳う由縁。席に着くと先ずコーヒーが注がれます・・・が、なかなかオーダーを取りに来ません。その間にブッフェ料理を食べたので、オムレツのみ注文しました。

        

  食後一休みすると“全員集合”で、添乗員の先導で船内巡り。広くて複雑な造りになっていますから、「迷わなくなったころには下船」ということになりそうです。案内する添乗員も道を迷っていたくらいです。その後、妻はベランダでのんびりと〜〜。

  私は腹ごなしの為に11〜12階をせっせとウオーキングに励みます。空はいつの間にか雲が飛んで、快晴となりました。

        

 1時過ぎに、朝と同じレストランの窓際席で海を見ながらゆったりと昼食。

  

 メインに二人して「プラウンprawn」をオーダーすると、大ぶりなエビの塩焼きがど〜んと4匹も出てきたのにビックリ。(他の料理は“小ぶり”なのに・・・)これをナイフとフォークで食べるのは一苦労で、結局手でムシャムシャと・・・新鮮で美味しかったです。

  

  

  午後、妻はジムで運動。私はデッキのチェアに寝そべって音楽を聴きながら読書・・・今日は天気がいいとあって、デッキは大勢の人で賑わっています。皆さん思い思いに午後のひと時を楽しんでいます。

  

   私もそのまま“まったり”としたいところですが、それでは「豚」になってしまうので、室内プールへ行って運動を!。・・・水は見た目は余りクリアでないので、もっぱらウオーキング。肩近くまで浸かるので、水中を飛ぶように歩くと結構運動になりますが、温水ではなく、いや冷たい!30分ほどで退散です。(すぐ傍にジャグジーが無いのは感心しません)

  今夜は「フォーマル・ディナー」ですが、その前に夕方5階のサロン「テオドラ」でクルーズプラネット主催のカクテルパーティへご招待。総勢72名の中にはハネムーンカップルが3組いて、彼らがケーキ入刀。仙台からのTさんがフルート演奏を披露したりと、和気あいあいのパーティになりました。

  

  途中添乗員Kさんが「夕日がきれいですよ」とアナウンスすると、全員一斉にデッキに出ます。本当に奇麗なサンセット(今回唯一の)でした。

     

 

(せっかくお洒落したのだからと、メインロビー階段で、“はい、ポーズ”)

で、フォーマル・ディナーは・・・初日に懲りて、主にシーフードと野菜系のメユーを選択します。

  

  

     

  

   フォーマル・ナイトというので、もうちょっと豪華なメニュー(ロブスターとか、テンダーロインとか・・・)を期待していましたが・・・尚、サラダは「最初に出して」と言っても必ずセカンド料理と一緒に出てきます。

 

 今夜のショーは「サーカス」。一人の演技者が先ずはジャグリング、そしてピエロ、アクロバット、最後に天井から吊るした2本の帯に絡まっての空中アクロバット・・・といわば“一人シルク・ド・ソレイユ”で、ピエロ芸はちょっと無理がありましたが、最後の空中アクロバットは迫力がありました。

 

5日目(11/17) チヴィタベッキア

8時入港。昨日の晴天がウソのようにどんよりと曇っています。

チヴィタベッキア港)

チヴィタベッキアはローマの「外港」で、乗客の大半はローマのエクスカーションに出かけます。個人でも鉄道利用でローマ・テルミニ駅まで比較的簡単に行けるようですが、2年前3日間滞在したことだし、今回はチヴィタをぶらぶらすることにします。

ところで、この街は経験者の言によると「本当になんもねぇ街!」ということです。古代ローマの重要な港であったわけですから、至る所に遺跡があってもおかしくないのですが・・・実は第二次大戦中、ドイツ軍の潜水艦基地になったため、連合軍の猛烈な空爆で街全体が完全に破壊されてしまい、貴重な古代ローマ遺跡も消滅してしまったということだそうです。

ターミナルエリアは歩行禁止ということで、無料シャトルバスが出ます。経験者のブログや添乗員からもらった地図によると、「エリアを出た直ぐのところで降車」とありますが、バスはそこで止まることなく、かなり走って街の奥のほうに出来たバスターミナルまで連れていかれました。降りると受付で大きなマップを配ってくれます。

 この地図を見て点線通りに街の中心目指して歩けばよかったのですが、「目的地に行くには海沿いに進めばいい」という経験者情報が強くインプットされていたことから、右折して海方向を進んだので、無駄な労力と時間を費やしてしまいましたが、先ずは第一目標の「ミケランジェロ要塞」に到着。

        

 此処は港湾防衛のための要塞で、当初は教皇ユリウス2世の命で着手し、パウルス3世(在位15341549)のもとで、当時ローマの主要建築家として活躍したアントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネよって完成されたそうな。

  要塞の上部のマスキオ Maschio と呼ばれる塔はミケランジェロの設計によるもので、それが要塞全体の名となっている。もともとはローマ帝国時代の建築物の上に建てられており、おそらくはローマ海軍の兵営であったと考えられている。今も現役の施設として使用されているようで、入口から中に入ることはできませんでした。

 

 さぁ、海沿いの奇麗な道を歩いて次の目標へ向かいます。銅像が立っている教会の前にやってきました。この教会が日本人にとってはチヴィタ随一の観光スポットの「26聖人殉教者教会=Chiesa dei Santi Martiri Giapponesi」です。

   

 「26聖人」とは、1597年2月5日に秀吉の命令に寄り長崎で磔刑に処せられた26人のカトリック信者のことで、後の1862年に教皇ピウス9世によって「聖人」に列せられました。

彼らは長崎では大浦天主堂に祀られていますが、此処の教会(=フランチェスコ派)はなんと「列聖」と時を同じくして建立され、その後大戦で破壊されたものの、戦後すぐに復興され、1951年〜57年にかけて日本人画家・長谷川路可によって華麗なフレスコ画が描かれたことで有名なのです。(戦後すぐ復興されたというのがスゴイですね。それだけイタリアの宗教者は日本の26聖人のことを大事に考えていたということなんでしょう)

早速中に入ってみましょう(入場無料、但し午前中のみ公開)・・・正面に進むと祭壇上に見えてきたのは「着物姿のマリア様』です。向かって左隅には支倉常長の姿もあります。

   

マリア様の周りには殉教者受難の様子も描かれています。横たわるキリスト像もありました。

      

 フレスコ画の製作者・長谷川路可は1897年東京に生まれ、1914年に入信(受洗)し、洗礼名はロカ。東京美術学校・日本画科を1921年に卒業しパリに学んだ後、1950年にイタリアに渡り、翌年からこの天井画製作に精魂を傾け、57年に中断帰国の後、67年教皇パウロ6世の招聘で製作再開の為ローマを訪れますが、教皇との謁見直後に倒れ、完成を果たすことなく亡くなったそうです。

 大傑作とは言えませんが、フレスコ画を通して彼の信仰心の厚さと誠実な人柄がストレートに伝わってくるような感じがしました。

 

 見終えると、もと来た道を戻ります。途中「ネイチァー・コール」で、バルで一休み。地元のおじさん二人がエスプレッソを立ち飲みすると、2〜3分で出ていきました。(コーヒー1杯=€1.5)

  

 海岸通りから要塞の手前の辺りを右折すると、道路がタイル張りの奇麗な大通りに出ました。地面にガラス張りの箇所があり、その中を覗くと、古代ローマの遺跡の名残がありました。第二次大戦前にタイムスリップしたら、さぞかし立派な遺跡を見ることが出来たでしょう・・・。

  

 通りの両側の建物も奇麗です。↓写真・左は、古代ローマ時代にこの港を改修したトライアヌス帝を記念した「トラヤヌス劇場」に

  

  その手前に「地中海博物館」があります。入場無料とのことなので、入ってみると・・・

      

中は、一目で見渡せるほどの小規模な博物館。1階には歴代皇帝(?)の胸像がいくつか並んでいます。此処のメダマは3点。バッカス像は斜め横から見ると、腰からスラリと伸びた足が優雅な曲線を描いていて、 この完全な像がどうやって「自立」していたのか疑問がわいてくる・・・ほどの傑作だと思いました。

   

(バッカス)           (アテナ神)   (ヴィーナス)

 

大通りから横丁に入って「市場」へと向かいます。急いだ甲斐あってまだ市場はオープンしていました。廻っていると、ある店でお目当ての「ドライトマト」を見つけました。マヨルカでは€20/kgだったのが、此処ではなんと€8/kgなので、早速お買い上げ。

  

次に近くの建物の中に入っていくと、魚売場は全て店じまいで、棚はきれいに掃除されていましたが、その奥に行くと、食品売り場があり、もう一つのお目当ての「オリーブ」がありました。妻が「ひとつ試食させて」とジェスチャーを示すと、おばさんはにっこり笑って1個差し出してくれました。妻は「美味しい!」・・・ということで、グリーンとブラックの2種類をお買い上げ。山盛りで€5.5と格安です。思いがけなく、これで、スペイン&イタリアに来たら!・・・という目的の食品をゲットすることが出来て満足、満足。

(オリーブの店のおばさん)

 重い荷物を背負って先を急ぎます。次は地元の「大聖堂」。妻が「あなたキリスト教には批判的なのに、教会は大好きなのねぇ・・・」

    

両サイドの壁にはイエスの生涯を描いた奇麗なステンドグラスがズラリと並んでいるのが印象的です。

     

 教会前の大通りを海側へ渡ると、地元スーパーがあったので、即入店し、珍しい(イモ虫のような形の)ほうれん草の生パスタや私の好物のビスコッティ(=イタリアの素朴な固いクッキー)等を購入してご機嫌で帰路につきます。

 海沿いの遊歩道を歩くと、気持ちがいいです。港の先にはコスタ号が停泊しています。僅かに残った古代ローマの凱旋門らしき建造物も見えました。

   

 メインストリートに戻って歩いていると、「支倉常長」の銅像を見つけました。傍らには彼が仙台〜メキシコ海岸〜スペイン〜ローマと辿った航跡を示した石碑もあります。

  

 仙台藩士・常長(15711622)は、1612年藩主・伊達政宗の命により遣欧使節として宣教師ルイス・ソテロと共にサン・セバスチャン号で浦賀を出発したものの船が座礁して引き返し、翌年石巻を出港して、アカプルコに到着。

 船を乗り換えて大西洋を渡り、スペインに着き、フェリペ3世に謁見。その後陸路チヴィタ〜ローマに入り、1615年に教皇パウルス5世にも謁見。洗礼を受けてキリスト教徒となり、ローマ貴族にも列せられた。1620年に帰国したが、国内は既に禁教令が出されており、当時の日本人としての稀有な経験を発揮する場は無く、2年後に失意のうちに亡くなった。

 

 いやぁ、「なんもねぇ街」どころか、我が夫婦にとっては「見所&買い所」がイッパイのいい街でした。

 3時前に帰ったので、10階のブッフェで軽くランチです。部屋に戻ってベランダに出ると、カモメが寄ってきました。妻は手持ちのパンを与えては、暫しカモメと戯れています。

 その後、妻は「歩き疲れたわ!」と、ベッドに横になってしばし午眠。私は10階へ行って室内プールの周りをグルグルと歩いてカロリーを消費します。

 

 今日11月17日は44回目(!)の結婚記念日です。そこで先日、船内のレストランで一番美味しいと評判の「クラブ・ディアデマ」を予約しておきました。(有料で、料理一人€25)ちょっとおしゃれしてディナーへ向かいます。

 

 選択したのはこんなコースです・・・「プリモ」はパスタではなく、「濃厚ビーフスープをかけたチーズリゾット」を選択したので、ウエイターに「先にセカンドを出して、プリモのリゾットはその後にして頂戴」と告げると、ニッコリ笑って{OK」と。

で、先に出してもらった「セカンド」=妻の“ホタテの炙り焼き”は「新鮮で、レアな焙り具合といい、とても美味しい!」・・・だそうですが、私の“フィレ・ステーキ”はというと、味はいいのですが、結構固くて、アゴの運動になりました。

  

(前菜)と(パン)

  

(セカンド=フィレステーキと帆立の炙り焼き)

(チーズ・リゾット)

(デザート)

今夜のシアターはミュージカルショー「サポリ・ド・イタリア」・・・男女10人ほどのダンサーに、テノール歌手と“ひとりサーカス”を加えての楽しいショーですが、この航海中ずっとこのメンバーで毎日演出を変えて上演するようですね。

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