“8つの世界遺産と美しき3つの庭園を巡る旅”

(2014・6・9〜20)

初めに

 今年の初夏はドイツへ!ということで準備をしていたところ、「トラピックス」で“8つの世界遺産と美しき3つの庭園を巡るイギリス12日間(サーチャージ込み25万円)”という“掘り出し物”が出た。 かねて妻が“イギリスへ行ってみたい!”と言っていたことでもあり、南周り=待ち時間の長いドバイ経由であるが、エミレーツ航空を経験するのもいいだろうと、旅程と金額が魅力的なこちらに早速変更。

・・・それから数週間後、トラピックスのHPを見ていた妻が「えぇっ!、ちょっとぉ〜〜ルフトハンザ(LH)で行くコースがあるわよ!!!」。

4月からLHは羽田発着が開始となっており、これなら我が家にとっては凄く便利。しかも日程・旅程・金額は全く同じ。北周りだと、出発日=イギリス到着でホテル宿泊となり、身体にも楽で言うことなしである。 で、早速トラピックスに電話してLH便利用のコースへ変更〜〜と紆余曲折あってのイギリス旅行と相成った次第。

(尚、イギリスは空港利用税が高額とのことで、別途空港諸税が@26,760円も必要でした)

 

1日目 6月9日(月)

 正午前、羽田に集まったのは35名と大人数。1405LH0717はボーイング747-400・・・最新のジャンボ機ですが、機内は満席です。

 で、恒例の機内食。・・・・今までのルフトハンザで一番美味しかったです。

       

(先ずはドイツビール       (牛肉の煮込み)       (海鮮焼きそば)

 飛行機はシベリア上空へ。原野ばかりかと思ったら、川のほとりには町も見えます。川の蛇行が面白いです。〜〜更に西へ進むと(・・・ノヴォシビリスクの北方辺りでしょうか)、こちらはまだ雪に覆われています。

           

途中、おにぎり(又は)ケーキの軽食がサーブされ、またウトウトとしていると、夕食が出てきます。   チーズたっぷりのマカロニグラタンで、これも及第点の味でした。

 さぁ、緑濃きフランクフルトが近づいてきました・・・1845無事到着です。快晴で、外の気温はなんと30度を軽く超えているそうです。

   

 待ち時間2時間25分と程良い接続で、イギリスに出発・・・向かうはアバディーンで、全く聞いたことも無いような処であります。機内ではドリンクとサンドイッチがサービスされます。ビールは缶でなく、ボトルです。缶のほうがずっと軽いのに、合理主義のドイツにしてはちょっと不思議です。

 2時間のフライト(時差1時間)で、22時過ぎにアバディーンへ到着。

   

   此処までは順調な旅路ですが、入国手続きに結構時間を要しました。入管エリアには幾つかの手続きブースがありますが、他のブースが終っても、係員は長い列の我々一行を他に誘導するでもなく、またこちらのブースを手伝いもせず、手持無沙汰に見ているだけ。

添乗員のTさん曰く「いやぁ、参りました・・・“目的は?”と聞かれて“観光です”と答えたら、“日程表を見せろ”と詳細に説明させられました。こんなの初めてです!」と。

此処アバディーンは人口20万を越え、エディンバラ、グラスゴーに次ぐスコットランド第三の都市だということですが、北海油田関連の港湾都市で、観光とは縁が無く、従って日本人の集団を見ることなど先ず皆無で、“こいつら、なんでこんな処へ来たんだろう?”と訝ったとしても不思議ではありません。・・・Tさん「いやぁ、私もエディンバラへ行くのに、何でアバディーンから入るのか不思議です。きっとトラピックスには“大人の事情”があったんでしょうねぇ・・・」

外に出ると、空はどんよりと雲に覆われ霧雨混じりで、少し肌寒い。フランクフルトの快晴猛暑がうそのようで、まさしくイギリスらしい気候です。

こんな田舎町ですから、10分ほど走って23時には最初のホテル、「ブリタニアホテル」に到着。ローカルなビジネスホテルですが、室内は意外に広く、何よりダブルベッドが2つなのは有難い。“ぬるめ”のシャワーをサッサと浴びると、長旅を癒すべく就寝です。

           

 

2日目 6月10日(火)

 7時過ぎに食堂へ行くと、既に多くの人が元気に食事をしていました。

さて、「イングリッシュ・ブレックファースト」とは・・・厚切りベーコン、ソーセージ、目玉焼き、炒めたマッシュルーム、ベイクト・トマト、・・・これが基本メニューで、これはこの後北から南まで全国どこへ行っても略同じでした。

トーストは、薄く切ったパンを移動網焼き式の大型トースターに入れると、1分ほどで、適度に焼けて出てきます。このトースターも、脇にあるジャムの小壜も、どのホテルでも同じでした。勿論その他に、ホテルによっては生野菜やフルーツが出たり、パンもデニッシュやペストリーがあったりと、多少の差はありますが、基本は同じで、即ちこの後10日間毎朝ほぼ同じメニューを腹に収めることになるのであります。

 食事を済ませると、多少時間があるので、ホテル周辺を散策してみます。今朝も空は厚い雲に覆われ、時折小雨が落ちてきます。近くの住宅は棟割長屋風で屋根の上には暖炉の煙突が出えています。ちょっと失礼して路地から裏手に廻ると、手入れの行き届いた庭やテラスのガラス越しには色とりどりの花が見てとれます。

      

 通りの反対側の屋敷の前庭には奇麗な花が満開です。

  

 少し離れたところには大木に囲まれるようにして古めかしい教会=セント・マーチャーズ教会=がひっそりと建っています。生け垣の花が奇麗です。〜〜やっとイギリスに来たんだぁ!・・・という実感が湧いてきました。

  

 

エディンバラ城へ

 9時に出発して、約200kmを南下し、エディンバラへ向かいます。のどかな丘陵地帯を走り続けるうちに雲が切れて青空が見えてきました。晴天になればいいのですが・・・。

      

 途中トイレ休憩した場所の傍らにはルピナスの花がいっぱい咲いていました。繁殖力が強く世界中に勢力を広げているそうですが、見た目には奇麗な花で、ついカメラを向けたくなりますね。

 東京ゲートブリッジを連想させるような橋や、とんがり屋根の家々を横目に見ながら走っているうちにエディンバラの街へと入ってきました。

    

 ところが、市街に入った途端に土砂降りの雨!いやぁ、春のオランダもそうでしたが、イギリスの天気も一筋縄ではいきません。この先の波乱を予感させます?

幸か不幸か、予定より大幅に遅延して到着したバスを降りると小雨に変わり、石畳の坂道を下って昼食のレストランを目指します。T添乗員が「レストランの場所を確認しますからこの辺りで待っていて下さい」と示した広場は「グラスマーケット」といって、周りにはショップやパブが立ち並んでいますが、昔は公開処刑場だったところで、足許の石畳を見ると「・・・○○年に誰それが最後に処刑された・・・」といった文字が彫り込まれていたりします。白さが目立つ建物の1階は「ホワイトハート・イン」というパブ。スコットランドの代表的詩人ロバート・バーンズ(17591796)が足繁く通ったことで知られる老舗で。彼が収集したスコットランド民謡の一つが、日本では「蛍の光」として知られる。

    

(う〜〜ん、イギリスです!) (公開処刑地の広場) (ホワイトハート・イン)

 広場の中央には、何やらいわくありげな塔があります。昔の絵にもちゃんと描かれていますが、さて何でしょう?

  

さて、グラスマーケットの奥に消えたTさんは結局レストランを見つけられずに戻ってきて、現地ガイドに電話。いくら待っても集合場所にやってこない一行を心配したガイドがやってきて、Tさんが先刻行った方向とは反対側の坂道を登ると、目指すレストランへやっとこさ到着。(しかし食事場所を知らない添乗員は初めてです!)

入口の前では、スコットランド名物のバグパイプが演奏されています。で、機嫌良く中へ入ると・・・おっかない顔つきのおばさんが待ち構えていて「あなた方は1130に来る予定でしたが大幅に遅れたので、1330でないと席はありません!」とのご託宣。・・・エディンバラでの日本人観光客の昼食は全て此処へ来るということで、次々と予約が入っているようです。

  

 仕方が無いので、現地ガイドが「じゃぁ、近くをご案内します」と、坂道を上って行きます。登りきると、そこはグレーフライアーズ・カークヤードという一角で、何やら犬のブロンズ像があります。・・・“グレーフライアーズ・ボビー”と呼ばれるこの犬は、実はエディンバラ版の「忠犬ハチ公」なんだそうです。

  ・・・時は19世紀中頃。ボビーはエディンバラ市警察に勤めるジョン・グレイという男性の飼い犬で、ジョンが夜勤の時にはいつも一緒に見張りをする良きパートナーでしたが、2年程のちにジョンが結核のため他界。それでもボビーは、主人であるジョンの死を知ってか知らずか、彼が埋葬された墓の脇に座り続けたのです。食事の時や寒い冬の日以外は、決してその場を離れようとはしませんでした。そして以後はずっとジョンの墓のそばで暮らしたのですが、約14年間にわたって主人の墓を守り続けた後に命を終え、グレーフライアーズ・カークヤードのゲートのすぐそばに埋葬されることになった・・・というお話です

    

(忠犬・ボビーの銅像、その後ろには名前をとったパブ)

 次にそこから少し歩いていくと、真っ赤な壁のカフェ=「ザ・エレファント・ハウス」があります。なんで此処が名所かというと、あの「ハリー・ポッター」が生まれた場所=当時無名のJ・K・ローリンズ女史が幼子を抱えて厳しい生活を送る中、此処で暖を取りながら、シリ−ズ第一作の原稿を書き上げたということです。

 象の形をしたショートブレッドが美味しいと評判のようですが、ハリーに興味の無い人には“ふ〜〜ん、それで?・・・”といったところ。(余談ですが、私はいい歳をしてファンタジー映画が大好きで、ハリーの原作は読んでいませんが、映画はシリーズ全部を見ました。それで此処を一行の中では例外的に興味を持って眺めていたのでした)

    

 予定より略2時間遅れでやっとレストラン「マーチャンツ」の席へ。(なんと「エレファント・ハウス」のビルの真下=一階でした!) 前菜=パテとサラダ、主菜=サーモンのソテー&クリームソース、デザート=木イチゴのタルト・・・結構美味しくて、イギリス料理を見直しました。(予定どおりであれば、食事中にバグパイプの生演奏があって盛り上がったことでしょうに、残念です。)

       

 さぁ、お腹を満たすと、いよいよ最初の世界遺産・エディンバラ城へ・・・。この城はキャッスル・ロックという岩山の上に立ち、古代から要塞の役割を果たしてきたという。 〜〜11世紀半ばに、(シェークスピアの戯曲で有名な)マクベス朝を破ったマルコム・カンモーがアサル朝を開くが、彼が5度目のイングランド侵攻で戦死すると、そのあと一族で血で血を洗うような抗争を繰り広げた後に、1097年に息子のエドガーが王位につき、エディンバラ城塞をスコットランド王の王宮として初めて使用したそうな。

 坂道を上がると、正面の手前は、夏のフェスティバルの準備か、鉄製の巨大なスタンドが組み上げられており、古城の雰囲気をブチ壊すこと甚だしく、怒り心頭であるが、グッと堪えて前に進みます。早速衛兵との記念写真。柳原加奈子の親戚のような(?)ぽっちゃり系のお嬢さん衛兵もいました。

    

橋を渡った城門の両脇の壁に立つ像は、スコットランドの英雄で、左がロバート1世、右がウイリアム・ウォレスだそうです。ウォレスはその出自は不明ながら、13世紀末にイングランド王エドワード1世の苛酷なスコットランド支配に対して敢然と立ち上がり、一度は勝利したものの、同胞貴族の裏切りにあい、最後はエドワードによって残虐刑に処せられたが、その悲劇的な死がスコットランド人を鼓舞し、後のエドワード王の圧政崩壊に繋がったという。私はその激烈な生涯をギブ・メルソンが監督・主演した「ブレイブ・ハート」で知りました。(因みにこの作品は1995年のアカデミー賞で、作品、監督等5部門を受賞しました)

一方、ロバート1世はウォレスの死(1305年)後、エドワード1世、その子2世と戦いを繰り返し、幾多の困難を乗り越えて勝利を重ねた。1328年エドワードの孫の3世はついにスコットランドを独立した王国とし、又ロバート1世をその国王として認めた。かくてロバート1世はもっとも偉大なスコットランド王として今も讃えられるという。

  

 分厚い石壁の城門(落とし格子門)を潜って中に入ると、う〜〜ん、堅固な城塞であることがよく分かります。

      

 角を曲がって坂を上ると展望が開け、“お城らしき雰囲気”が出てきました。

    

 城内の建物は破壊と再建を繰り返して今日に至っていますが、域内で一番古い建物が12世紀に建造されたセント・マーガレット礼拝堂。アサル朝・ディヴィッド1世(1080?〜1152)が亡くなった母マーガレットの為に建てたもので、王族の私的礼拝堂として使用されたそうで、中に入ると“素朴でこじんまり”とした感じであります。

    

城内の高台にある広場が、「クラウンスクエア」で、正面(東側)にあるのが「ロイヤルパレス」・・・15世紀前半に建築が始められた王の一族の住まい。2階には“スコットランド王国の3種の神器”である王冠、剣、王笏が展示されていました。(実に見事なお宝ですが、残念ながら撮影禁止です)

別の部屋に進むとクイーン・メアリーが息子=後の“連合王国”ジェームズ1世を生んだ部屋もありました。「大英帝国=グレートブリテンが誕生した部屋」と呼ばれているそうです。

何故かと言えば、その昔スコットランドとイングランドは互いを統一しようと激烈な抗争を重ねていました。スコットランド女王・メアリー・スチュアートは出自的にイングランド王位継承権を主張しうる立場にありましたが、色欲に溺れて(?)臣下の離反を招いて権威失墜し、イングランド女王エリザベス1世によって断頭台の露と消えてしまいました。

しかしなんという運命の皮肉か、“バージン・クイーン”と呼ばれたエリザベス女王は、未婚のまま後継者を指名することなく逝去し、その後を継いだのが、なんとメアリーの一人息子=ジェームズ1世だったのです。こうして図らずもイングランドとスコットランドが初めて一人の国王を戴くことになり、実質的に“グレートブリテン”が始まったという次第であります。(この時の“キングメーカー”・・・ロバート・セシル=初代ソールズベリー伯爵の決断はなんとも凄味がありますね!)ジェームズ1世はイングランドでの生活が気にいって、その後は一度しか此処エディンバラには戻らなかったということです。

 「ロイヤルパレス」のとなりにあるのが「グレートホール」で、此処は撮影OKです。中に入ると先ず天井の寄木細工の見事さに見惚れます。チエック模様の床や室内も豪華です。壁の絵はジェームズ1世の肖像画でしょうか?

    

次にその向かいの域内でいちばん立派な建物は19世紀以降に建築された「国立戦争記念館」で、英国の為に戦死した兵士を祀ってある処=いわば英国の“靖国”です。(どの国だって、祖国の為に死んだ兵士に対しては最上の遇し方をするのです!)正面玄関には衛兵が直立不動で立っていました。そういう厳かな場所ですから此処も内部は撮影禁止でした。

  

主要な建物を見て外に出ると、石壁の内側に大砲がずらりと並んでいます。「アーガイル砲台」で、海から来る侵略者に向けて睨みを利かせています。左に曲がると巨大は大砲があります。「モンス・メグ」といって中世の射石砲だそうです。傍らには巨大な「砲岩」が置かれていまました。

    

 もう一つ奇妙な形の大砲があります。1861年から150年にわたって(日曜日を除いて)毎日午後1時の時を告げた「ワン・オクロック砲」です。時報台なら何故正午を告げないのか?・・・それは1時だと“一発”で済むからだと・・・な〜ぁる程ね!

 城壁に行くと、向うにエディンバラの市街が見渡せます。右から2枚目の写真の右手に見えるのが、「ホリールードハウス宮殿」で、メアリー女王は此処に住んでいたそうです。(残念ながら、此処は見物予定外でした)

      

 ^〜こうして、広大な城内を(現地ガイドの説明を聞きながら)僅か80分程度で慌ただしく駆け抜けて城外へ。坂を下ると、ホリールード宮殿までの一本道=ロイヤルマイルです。前方にひと際目立つ尖塔が見えてきます。はて、いかなる由緒ある建物か?と思えば・・・詳しくは分かりませんが、「ザ・ハブ」といって元々はスコットランド教会の集会場だったそうで、現在はカフェやレストランになっているとか。道理でガイドブックに出ていませんが、この建物をレストランに使っちゃうとはなんとも贅沢!。

    

 道の両側は土産物屋がズラリと並んでいますが、更に先に進むと見えてくるのが、セント・ジャイルズ大聖堂。スコットランド教会の教区教会として1120年創建であるが、1385年の火災で損傷し、現在の建物の多くはその後再建されたもの。いろいろと付け足された部分があるようで、外観は少しスッキリ感にかける気がしないでもない。中に入ると中央天井のアーチのブルーカラーが印象的。堂内をじっくりと廻ってみたいが、時間が無いので、慌ただしく大通りへ戻る。

    

 大通りの両側には大きな銅像が並んでいますが、はて?、誰の像なのかはさっぱり分かりません。

  

 次は、これまで歩いたオールドタウンと、ニュータウンの間に挟まれた谷間に広がる、プリンセス・ストリートガーデン。新市街に入ると、公園の入口に立つ巨大な塔が目を牽きます。スコット記念塔で、詩人としてまた歴史小説家として名高いウォルター・スコット(17711832)を記念したもの。「ウエイヴァリー」、「ロブ・ロイ」、「アイバンホー」、「湖上の美人」等がその代表作で、「アイバンホー」は中世騎士物語として少年の頃読んだ記憶がありますな。これだけ立派な塔が立つとは、スコットはエディンバラ市民の誇りということなんでしょう。

 さて、ガーデンはエディンバラ城のお濠を埋めて造成した市民の憩いの場で、この季節は芝生の緑が目にも鮮やかです。ただバラなどの花がいっぱいかと想像していましたが、花はそんなにありませんでした

      

 奥に進むと、広場で少年が一人、バグパイプを演奏していました。

 更に行くと、スコットランド国立美術館があります。館内から出て来た旅のお仲間が「フェルメールがありますよ!」と。「ナヌッ?そりゃぁ是非見なくっちゃぁ!」・・・ところが集合時間まで(そして閉館までも)あと10分少々しかありません!・・・ええいっ!と覚悟を決めて(?)飛び込みます。

イギリスで有難いのは公共施設(の殆ど)が入場無料ということで、扉を開ければそのままホールへ直進。係員に展示場所を尋ねると、指さす方向にフェルメールの「マリアとマルタの家のキリスト」がありました。

   

 フェルメールをじっと見つめて満足すると、飛び出して集合場所へ一目参。・・・いやぁ、何とも慌ただしい。

 館内をぱっと見た感じでは、宮廷風の肖像画しか目につきませんでした。しかし、(後で分かったことですが)実際には以下のような数多くの名画が展示されているらしい。

思い返えせばなんとも残念であるが、これらの傑作をじっくりと観賞する時間的余裕はとてもなかったから、フェルメールを見れただけでもラッキーであったと言えましょう。(絵画の画像は公開資料より借用しました)

    

聖母子(ロレンツォ・モナコ) 眠れる幼子キリストと聖母(ボッティチェッリ) 聖会話(ティツィアーノ)

    

救世主キリスト(エル・グレコ)   ロメリニー家の肖像(ヴァン・ダイク)   サント=ヴィクトワール山(セザンヌ)

これにてエディンバラの観光は終了。バスで約76km走ってグラスゴー方面へ向かいます。今夜の宿はアースキンホテル。グラスゴーの中心から23kmほど離れた郊外アースキンのクライド川の畔の木立の中に立っています。

  

 

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