3日目(2/1・土)

中央市場

 今日は5時半起き。なんで、そんなに早起きなの?というと・・・フィレンツェに来たら、ぜひ中央市場に行ってみなくちゃぁ!というわけですが、営業時間が朝の7時過ぎから午後2時までということなので、美術館に出発前に行ってこようという魂胆です。

朝食は6:30からなので、いのイチバンで朝食を済ませて、今日も小雨が降る中を、そそくさと市場へ向かいます。これもネットの「アーモ・イタリア」というHPで、“市場では、クリスチーナという店が安くて親切!”とあったので、その店が狙いですが、四角四面の市場の建物に入ると、はて、目指す店はどの辺りだか見当がつきません。入り口のスナックのおじさんに尋ねると、彼は親切にも、クリスチーナまで案内してくれました。“グラッチェ!”

    

  

(中央市場の店々・・・乾物・野菜・魚・チーズ・肉・・・何でもあります!)

既にツアー仲間の女性二人が店内にいて、「まぁ、どんどん買いたくなって困っちゃうわ!」と叫んでいました。私達の一番の狙いは乾燥トマトで、日本で買うと結構な値段ですが、本場では格安なんです。「壜もの」で逡巡していると、店主は「ダイジョーブ、プチプチね!!」と言って、例の”プチプチビニール”で包んでくれました。€50以上買うと5%引きということですが、先ほどの女性は「40ユーロでも値引きしてくれたわ!」と喜んでいました。

この店には置いてない品が欲しくて「○○を買いたいんだけど、良い店を紹介して!」と頼むと、“マカセナサイ!”とばかりに連れて行ってくれて、ビックリするほどの値段(=安さ)で購入した品を店に持ちかえって真空パックにしてくれました。いいお店です。で、両手にズシリと重い袋を抱えてホテルへ戻ります。

(クリスチーナの店主と)

 

サン・マルコ美術館

 さぁ、今朝はサン・マルコ美術館です。此処は12世紀に修道院として建築され、15世紀半ばに(フィレンツェのメディチ家支配を確立した)コジモ・デ・メディチ(13891464)の命によって再建され、ドミニコ派の拠点となった。

ドミニコ会は清貧を重んずる一方、神学の研究に励み、多くの進学者を輩出した。(「神学大全」を著したトマス・アクィナス(12251274)はその頂点に位置する人物と言える。)教義に厳格で、異端尋問の審問官を務めることが多かったが、会派の支援者でもあったコジモの死後、修道院にとんでもない人物が現れる。それがサヴォナローラ(14521498)。 

〜〜1482年サン・マルコ修道院に転じる(修道院長になる)や、激烈な言葉でフィレンツェの腐敗堕落を断じ、メディチ家の独裁体制を強く批判し、人々に信仰に立ちかえるように訴えた。いつの世も奇妙な言葉に踊らされる人はいるもので(=やれ、政権交代!だとか・・・)、当時のフィレンツェ市民は彼の過激な説教に熱狂したのである。

やがてメディチ家をフィレンツェから追放し、彼は共和国の政治顧問となって、神権政治を確立して事実上支配者となった。その「原理主義」は、華美な生活を戒め、更には“裸婦をモチーフにしたものなどもっての外!”と、ルネッサンスの優れた美術品、工芸品や文書を贅沢、堕落、神への冒涜として全否定し、これ等を広場に集めて焼却するという暴挙に至り、市民生活は殺伐としたものになった。

彼の過激な行動はやがてローマ教皇とも対立し、1497年には教皇アレクサンデル6世から破門され(因みにこの教皇は好色、強欲と教皇にあるまじき超俗物でサヴォナローラならずとも断罪したいところであるが・・・)、翌年には、あまりの過激さについていけなくなった市民から反サヴォナローラの火の手が上がり、共和政府は彼を拘束。(教皇の意を酌んだ)裁判の結果、絞首刑の後シニョーリア広場で火あぶりに処された。フィレンツェ10数年の狂気の時代であるが、彼の暴挙によって失われた芸術上の損失は惜しみても余りある・・・。

  

(サヴォナローラの肖像と、 火刑の図=作者不詳=)

〜〜といった曰く因縁を持つサン・マルコ美術館ですが、此処はいわば“フラ・アンジェリコ(13951436)の美術館”であります。ドミニコ派修道士にして画僧であったアンジェリコはフィレンツェ近郊のフィエーゾレ修道院からサン・マルコ修道院の建設とともに移籍。此処でコジモ・ディ・メディチの知遇を得て、その豊かな才能を存分に発揮し、修道院内部の装飾を主に創作活動に勤しんだ。その作品は彼が敬虔な修道士で、温厚誠実な人柄であったと偲ばれるものであるが、それゆえに後の修道院長サヴォナローラも彼が院内に残した宗教画は「原理主義」にも適うものとして残したのであろう。

      

                  (美術館正面)       (塔の向こうに珍しく青空が!)   (中庭回廊)     (アーチの壁にはフレスコ画)

    

(回廊の絵は誰の手によるものか?)

1階回廊の各部屋内はアンジェリコの傑作でいっぱいです。絵は殆ど全て壁に直接描かれたフレスコ画ですから、此処に来なければ見ることが出来ないんですね。

     

(聖母子と8聖人)          (最後の晩餐)                (これも最後の晩餐?)

    

(キリストの変容)       (聖母戴冠)       (聖ピエトロの三連祭壇画)

  

(十字架降下)        (キリストの埋葬)

    

(サン・マルコの祭壇画)  (ボスコ・アイ・フラーティの祭壇画)  これも祭壇画!

 階段を上がった正面の壁に、この修道院の絵画の中で一番有名な「受胎告知」↓があります。彼は多くの「受胎告知」を描いていますが、これが最高傑作なのかもしれません。

  

 2階は修道士たちの居住区・・・・個室になっていて、各室内の壁にはイエスの生涯をモチーフにした見事な宗教画が描かれています。小窓一つに白壁と至って殺風景な小部屋ですが、絵ひとつで、居住区らしくなるところがスゴイですね。

    

 そのうちの幾つかを・・・

      

奥まった部屋はサヴォナローラの住まいで、彼が着ていたという濃紺のマントも展示されています(本当に彼のものかな?)。

一番奥の大きな個室(=3部屋に仕切られている)はコジモ・デ・メディチが瞑想するための部屋。彼も時には煩わしい俗世間から離れて、此処で思索にふけりたかったのかもしれませんね。

 

 アンジェリコの宗教画を堪能して、外へ出ると、再び中央市場へ向かいます。昼食を市場内で人気の「ネルボーネ」で戴こうということなんです。お昼時には行列が出来ています。⇒ステファーノさんというオジさんが手早く調理してくれます。店の反対側にはテーブル席があって、こちらで頂きます。

    

 注文したのは、一番人気の「ランプレドット」・・・牛の第四の胃袋を煮込んだのをパンにはさんであります。そして「トリッパ」・・・牛の臓物の煮込みです。私は日本では絶対に臓物は食べないのですが、“怖いもの見たさ”ならぬ“怖いもの食べたさ”で、思い切って取って見ました。ランプレドットは内臓というよりは牛肉に近いもので、文句なしに美味しかったです。トリッパも意外にしつこくなくて、二人で完食しちゃいました。ある意味で貴重な体験でした。尚、ワインはカラフェで出してくれます。お昼だったので、小カラフェ(=300ccくらいだと思います)が、€2と格安です。

    

 食事を済ませて表に出ると、革製品や雑貨などを売るテントが市場の周りを取り囲んでいるので、覗いてみます。ピサの時のガイドが「あまりイタリア製はありませんよ」と言っていたこともあり、妻は「興味ないわ!」と。

ところが、テントの後ろの建物にもショップが並んでいます。レザー関係の店先を眺めていると、早速店員が「マダ〜ム!」と寄ってきます。アフリカ系の陽気なお兄さんです。 (妻)「ジス、チャイニーズ?」  (店員)「アハハッ、マダーム、ジョーダンキツイヨ。全部イタリア製ダヨ、」  (妻)「ほんとかな?」  (店員)「マダム、どれがイイ?」

・・・ここから店員と妻の駆け引きが始まります。私は彼が用意してくれた椅子に座ってニヤニヤと眺めるだけ。 

(妻)「これ、ハウマッチ?」  (店員)「€320ネ」  「たか〜い!」  「マダムならいくら?」  「そうね、€130かな」  「オーノー!、値札ミテ。€450ヨ・・・デモ、スペシャルデ、€250ニシトクヨ」」  「€150ならいいわよ」  

・・・ここで顔を出したオーナーらしきイタリア人と店員はヒソヒソ・・・「モーッ、€220ニスルヨ」  「€160ね!

「マダムにピッタリダカラ、€190ニマケル」  「だめ、€170までね!」・・・オーナーが両手を挙げ、店員は「€190、ギリギリネ!」  「じゃぁ、中をとって€180」  「€190マデネ」  「仕方ないわ、じゃぁ、あなたもう帰りましょう!」と、妻は私を立たせて店を出かける。  「オー、マダ〜ム、チョットマッテ。ワカリマシタ。€180ニシマス」

〜〜で交渉成立。すると、「ハ〜〜イ!」と笑顔で若い男性が現れました。オーナーの息子だそうで、「サンキュー、うちは50年以上営業してる老舗だよ。レザーは絶対自信あるよ。そう、今コーヒー用意するから飲んでってね」と、一転和やかな雰囲気に変わりました。で、雑談しながら、折角だから出されたコーヒーを頂きました。

    

 外へ出て見上げると、青空が広がっていました。(後から振り返ると、今回青空を見たのはこの時の数時間のみでした・・・トホホ!) 空模様はイマイチですが、気温は15度を越えているでしょうか、とにかく予想外に暖かいです。北極寒気団はアメリカや日本に向かい、ヨーロッパは暖冬のようです。雨が多いのはそのせいかもしれません。

 

パラティーナ美術館

 一旦ホテルに戻って小休止すると、午後の集合場所=ドゥオーモ前の広場へ。3時前に皆が集まってゾロゾロとピッティ宮へ向かいます。街中の石畳に青年が色チョークで絵を描いています。聖母がテーマのようで、チョークでこれだけの表現が出来るとはなかなかの腕前です。なんでもこの一角は石畳に自由に絵を描いていいようになっているそうです。さすが芸術の都・フィレンツェです。しかし今のような天候だと、完成した頃に雨が降って作品はアッと言う間に流れ消えてしまうでしょうが、でも彼らはそんなことは気にせずに創作に励むのですね。

 レプッブリカ(共和国)広場は、パフォーマンスの場になっているそうで、我々が通りぬけたときは、若い女性がイタリア民謡を歌っていました。声量豊かで奇麗なボイス、そして豊かな表現力・・・そのまま立ち止まって聞き惚れていたいくらいでした。毎週末にこうしたレベルの高いパフォーマンスがあるなんて素晴らしいですね。

 新市場のロッジアを通り過ぎます。建物の南側に“子ブタちゃん”(=Porcellino)というニックネームを持つ、猪像があります。この鼻をなでると、再びフィレンツェを訪れることが出来るというので、皆が鼻をなでる。それで、鼻先はピカピカに光っています。私達も、09年10月15日に妻が鼻をなでたので、こうやって再訪できたのかもしれません(?!)

               

                              (子ブタちゃん)    (4年半前に子ブタちゃんの鼻をなでる人)

  そしてヴェッキオ橋。両側は金ピカの宝石・宝飾店が並んでいます。中央は商店街が切れていて、此処がアルノ川の上に架かる橋であることが分かります。アルノ川は長雨で水かさが増し、濁流となっています。

       

  店々の2階部分を貫くヴァザーリ回廊は、メディチ家の執政所であったウフッツィと、住まいであったピッティ宮を繋いでおり、↓右のように途中サンタ・フェリチタ教会の前を通ります。教会側正面の壁の窓からは通りながらミサを聴くことが出来るようになっているそうです。

   

                 (サンタ・フェリチタ教会)

 石畳の道を進むと視界が開け、ピッティ宮殿が見えてきました。正面から入場すると、回廊には多くの彫刻が並んでいます。

   

       

 ピッティ宮殿は1457年にコジモ・デ・メディチのライバルであった銀行家ルカ・ピッティが建設を始めたが完成を見ることなく1472年に死去し、彼の死とともに建設は中断していた。それから約100年の後にコジモ1世がそれを買い取り、以降メディチ家の私邸として使用された。ルネッサンス芸術家のパトロンであった歴代当主は多くの美術品を収集し、此処に収蔵した。やがて18世紀半ばにメディチ家が途絶えると、宮殿の主はハプスブルグ・ロートリンゲン家に移り、トスカーナ大公国の宮廷として増改築が繰り返され、又歴代大公によって美術品のコレクションも続けられた。

1799年にナポレオン率いるフランス軍がトスカーナに侵入し、その際に宮殿のメディチ家のコレクションの一部がフランスへ持ち出された。ナポレオン支配下において1809年には彼の妹マリア=アンナ“エリザ”ボナパルト=パッチョッギが女大公として宮殿の主となるが、1814年ナポレオンが失脚すると、彼女はローマに亡命し、再びロートリンゲン家が復帰する。やがてイタリア統一と共にトスカーナはサルディーニャ王国に併合され、此処の主はサヴォイ家に交代した。

〜〜こうした歴史を持つピッティ宮殿であるが、現在は2階がパラティーナ美術館、3階は近代美術館や銀器博物館、衣装博物館となっている。

 で、我々は2階のパラティーナ美術館へと入ります。本来は宮殿ですから、先ず豪華絢爛の室内&天井の装飾に目が眩む思いがします。(その一端が下の写真)

そして、壁いっぱいにこれでもか!とばかりに、歴代当主の集めた絵が飾られています。体系的に展示されているわけではないので、個人でやってきて効率良く観賞しようとすると大変です。我々は“スーパーガイド”の関さんの行き届いた解説があるので大助かりです。

   

 此処はラファエロ14831520)のコレクションで有名です。彼はルネッサンスを代表する巨匠ですが、37歳の若さで世を去っています。早熟の天才として早くから名声を得て、50人にも及ぶ弟子たちを抱える大工房を経営していたことが、その短い生涯の中で驚くほど数多くの傑作を残していることの背景かもしれません。

 先ずは、聖母子像・・・穏やかで温かみのある、調和のとれた、ラファエロの特徴がよく表れた作品群です。

                       

                                   小椅子の聖母      大公の聖母    カルデリーノの聖母  布張窓の聖母子      天蓋の聖母

  次に肖像画。穏やかな作風の中にも、各人の個性を的確に表現しています。

↓左の「ヴェールを被った婦人」のモデルはラファエロの恋人で、パン屋の娘だったマルゲリータ・ルーティ(通称フォルナリーナ)。彼は当時実力者の枢機卿から姪マリア・ビッビエーナとの結婚話を持ちかけられ、恋仲のフォルナリーナと別れたものの、募る思いを断ち切れず、花嫁衣装姿を描くことによって自らの想いを表現したという。マリアとは婚約したものの、その後婚礼を延ばすうちにマリアが死亡し、夫婦となることはなかった。

 ・・・ロマンチックというより、身勝手ともいえる話ですが、ラファエロは結局独身のまま若すぎる死を迎え、遺言にはフォルナリーナの為の基金設置が記されていたという。彼の死の数カ月後にフォルナリーナは修道院に入ったそうで、やっぱり二人は深く愛し合っていたということなんでしょうか・・・。

 富裕な毛織物商人だったアニョロ・ドーニとマッダレーナ・ストロッツイは夫婦で、この2枚の絵はセットですが、ところで夫人のポーズはどことなく「モナリザ」に似ています。ダ・ヴィンチはラファエロより30歳年上ですから、共にフィレンツェで活動している間にダ・ヴィンチの影響を受けたのかもしれません。

 インギラーミは、ラファエロをの才能を誰よりも愛した教皇レオ10世の秘書で、ヴァチカン図書館を創設して館長を務め、当代一の碩学とうたわれた人物だそうです。

                  

                                           ヴェールを被った婦人   身重の婦人   アニョロ・ドーニ マッダレーナ・ストロッツイ   ドンマーゾ・インギラーミ

 ラファエロ以外にも多くの傑作が並んでいますが、以下その一部・・・

  ヴェネチア派の巨匠ティツィアーノの「マグラダのマリア」の気品あふれる姿は強く印象に残りました。

リッピは初期ルネッサンスを代表するフィレンツェ派の巨匠で、ボッティチェリの師匠としても知られるが、この聖母子は1枚の絵の中に3つの場面を描き込んでおり、優れた構成力がよく分かります。

 そして強いインパクトを受けたのがカラヴァッジョの「眠るキューピット」・・・光と影の表現はまさに彼ならですが、肥満体で太鼓腹をさらして横たわる、ちょっとグロテスクな姿はとてもキューピットには見えません。しかしよく見ると、闇の中にうっすらと光が当たった天使の羽が浮かんできて、天使であることが分かります。カラヴァッジョの面目躍如といった絵ですが、もし私がこの絵の注文主であったなら、断固受け取りを拒否したでしょう。

 「4人の哲学者」は“エッ、これがルーベンス?”と目を疑うほど、彼にしては珍しく“静的”な絵です。

                 

  ティツィアーノ/悔悛するマグラダのマリア / コンチェルト         フィリッポ・リッピ/聖母子

                    

                                         カラヴァッジョ/眠るキューピット   ルーベンス/4人の哲学者  ベルジーノ/キリストの哀悼   ジョルジョーネ/人間の3つの時代

 ↓この絵はタイトルを聞かされて、エッ?と驚きます。クレオパトラのイメージと全く違いますし、蛇もえらく小さいですね。

もう一つ、タイトルを聞いてもさっぱり分からないのが「ユディト」・・・関さんの説明によると・・・

旧約聖書にあるお話〜〜アッシリア王ネブカドネザルの命を受けた司令官ホロフェルネスはユダ王国のベトリアという町を包囲。指導者オジアは降伏を決意するが、それをよしとしない美女ユディトはある決意を持ってホロフェルネスにエルサレムへの道案内を買って出る。麗しいユディトを歓迎した司令官は彼女を陣中に留め置き、それから4日後、酒宴に呼び出された彼女は泥酔した司令官の首を切り取り、侍女と共に町へ帰り事の次第を知らせる。動揺したアッシリア軍に対し、ユダヤは絶好の機会を逃さず、アッシリア軍を打ち破った・・・という話。(※しかしこれはもしあったとしてもほんの一時的な事象に過ぎず、歴史の事実は“バビロンの捕囚”のとおり、BC589にネブカドネザルによってユダ王国は滅ぼされるのである)・・・それにしても、ジェンティレスキは女性にしては凄い迫力のある絵をかいていますね!侍女が持つ籠の中はホロフェエルネスの首でしょうか?

         

グイド・レーニ/クレオパトラの自殺     アルテミア・ジェンティレスキ/ユデイト

 時折、豪壮な宮殿内の窓から外に目をやると、周辺の光景を眺めることが出来ます。↓左は宮殿の南東側に広がるボーボリ公園。メディチ家が宮殿を買い取って以降、5万uほどの広大な丘陵地に公園が造営されました。(この写真ではよく分かりませんが、噴水池の奥にある白い塔はエジプトにあったオベリスクだそうです)・・・残念ながら今回はこの公園を散策する時間の余裕はありません。↓右はサン・スピリト教会の鐘楼と本堂の丸屋根。教会は15世紀半ばに建てられた初期ルネッサンスを代表する建築ということで、行ってみたいと思っていたのですが、ちょっと時間がなさそうです(残念!)

  

 

近代美術館

 2時間近くかけて美術館の中を歩きました。これで予定は終了(ガイドの関さんとお別れ)ですが、3階に近代美術館があるというので、折角だから行くことにします。つぶさに絵をみて、豪華な天井を見上げて・・・の連続で、足は疲れ、首や肩が凝ってきた感じがしますが、階段途中のベンチで水を飲んで一休みすると、さぁ気合いを入れて3階へ・・・いやぁ、しかし大きな美術館見物というのは体力勝負みたいなところがあります。

 此処は主にロートリンゲン家のコレクションが展示されており、“マッキアイオーリ(マッキア派)”と称される画家達の作品が中心となっているそうです。19世紀半ばにフィレンツェのカフェ・ミケランジェロに集まった若い画家たちは伝統から脱却して新しい芸術の創造を目指しました。大胆な斑点(=マッキア)を用いた描き方から彼らは“マッキアイオーリ”と呼ばれるようになったとか。

美術&美術史に疎い私はマッキア派のことを此処で初めて知りましたが、光を存分に表現した描写が多く、“印象派”に似ているなぁ・・・と感じましたが、フィレンツェの彼らがマネ・モネ等の印象派よりも少し時代が早いということです。尤も略同時代で、イタリアからパリに赴いたりして印象派やバルビゾン派との交流があったそうですから、やはり影響はあったのでしょう。

 その代表格がジョヴァンニ・ファットーリ(18251908)で、「トンボロの〜」の笠松の樹が印象に残りました。

      

     自画像          従姉妹アルジア     クルックストンの野営地におけるメアリー・スチュアート

    

トンボロの松林の馬                   トスカーナ地方マレンマ

 そして、↓左の「民謡を歌う女達」が代表作のシルヴェストロ・レーガの絵は,まさに印象派を想起しますね。

            

           民謡を歌う女達    庭園での散歩    森の中の農民の娘                     乳母を訪ねる

 他にもこんな絵がありました。総じて技術の進歩は分かりますが、もう一つ心に迫ってくるものがなかったように感じました。(ルネッサンスの傑作群を見たあとだけに仕方ないかもしれません・・・)

   

               テレマコ・シニョリーニ/リオマッジョーレの家並み      オドアルド・ポッラーニ/高地

    

                       アントニオ・ファンタネージ/サントリニータ橋付近のアルノ川   アントニオ・チゼーリ/キリストの埋葬

 窓から外を見ると、夕闇の中に、ジョットの鐘楼とドゥオーモのクーポラが浮かんでいました。・・・これでピッティ宮の美術巡りは終了です。

 外へ出ると、やはり小雨が降っていました。雨にぬれたグイッチャルディーニ通りの石畳が街灯に照らされて光っています。(全く関係ないことですが、自分で撮った写真を見て、「夜のカフェテラス」=ゴッホを思い出しました)

         

  ヴェッキオ橋から見た夜のアルノ川。↓左はサンタ・トリニタ橋方向で、↓右はその反対側で、ウフッツィに繋がる ヴァザーリ回廊。

  

  ヴェッキオ橋の商店街の向こうにはクーポラが見えてます。

  

 さぁ、6時半を過ぎたので、お腹が空いてきました。今夜はネットの「アーモ・イタリア」でイチ押しのワインバー「マンジャホーコ」がヴェッキオ橋を渡って近くにあるというので、探し当てて行ってみましたが、なんと!営業していませんでした。“休みは日曜日とあったのに・・・だいたい食べ物屋が土曜日に休んでどうすんだヨ!”と、毒ついてみてもどうしようもないので、急遽明晩に予定していた店に向かうことにします。途中「新市場のロッジア」に寄って、「子ブタちゃん」の鼻にタッチ・・・これで又いつかフィレンツェに戻ってくることができるでしょうか??

 〜〜さぁて、今夜の食事処は・・・「チェントポーヴェリ」。ガラス張りのモダンな店です。7時ちょっと過ぎに入ったので、まだ客は少なく直ぐ奥の席に案内してもらいました。(昨夜もそうでしたが、何処も概ね8時を過ぎると混んでくるようです)

    

 フィレンツェは内陸部のため、いわゆるトスカーナ料理は、肉と野菜を調理したものが殆どですが、此処はシーフードが美味しいというので、リストアップしておいたのですが、店の入り口の冷蔵ケースには魚介類がならんでいました。

 今夜はコースは無視して、先ずはアンティパストは、“もうこれっきゃないでしょう”と、「ムール貝とアサリの白ワイン蒸し」・・・出てきてビックリ!大皿に山盛りです。まるでベルギーに行ったみたいです。二人してせっせと貝から身を剥がしては口へ・・・妻は「カニじゃなくて、貝でも無口になるものね!」と。・・・もうこれだけでお腹イッパイになりそうです。

 次は「生ハム・サラミ・ペコリーノチーズの蜂蜜添え」・・・ペコリーノチーズは色々種類があるようで、昨夜のものとは全く風味が違います。昨夜のを「青年」とすれば、これは「熟年」というべきか=固くてしょっぱい・・・なるほど蜂蜜を付けてちょうどいい塩梅です。我々は昨夜の「青年ペコリーノ」のほうがいいですね。

 3皿目は「シーフードパスタ」・・・大エビ、イカ、そして又もムール貝とアサリが山盛り。う〜ん、「シーフード」というキーワードに目が行きすぎて、これは1皿目と被って、ちょっと選択ミスか!・・・2皿目とこれの2品だと丁度いいのでしょうが。

パスタは生パスタで、もっちりとして歯ごたえがあります。スパゲッティというよりうどん・・・そう、稲庭うどんの“こし”を思いっきり強くしたみたいな感じです。妻は「けっこう美味しいわよ!」と食べていましたが、味に保守的な私はスパゲティは「生」より「乾麺」のアルデンテがいいですね。

 お腹いっぱいなので、今日は3皿でおしまい。酒があまり強くない夫婦はワインボトル1本はちょっとオーバーなので、 今日はビールと水。ミネラルウオーターは1リットル壜で€2と安い。8時を過ぎて混んできた周囲を見渡してもアルコールを飲んでいる人は見当たらず、殆どのテーブルの上には大きな水のボトルが置いてあり、これはちょっと意外でした。

    

                           (超大盛りです!)

 帰り道で、ドリンクを売ってる店があったので、ちょっと立ち寄って面白いラベルのビールを購入して持ち帰り。こういう店だと600ccの壜で€2と格安です。暖冬なので、夜9時をまわっても薄手のコートで寒さを感じることなく気軽に散策できるのは有難い。

ノヴェッラ教会前広場の角のカフェにジェラートがあったのでトライ。昨日ピサのガイドが「イタリアはジェラートが有名ですが、フィレンツェの中心部で美味しい店はごく僅かです。観光地なので、特に日本人は、とんでもない料金をふっかけられることもありますから注意してください・・・」と言っていましたが、偶々入ったこの店の味はまずまずで、閉店近くとあってか、小さなコーンに山盛りにしてくれました。

  

(大盛りジェラート)     (シャワーの後のイタリア・ビール)

 

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4日目へつづく          1,2日目へ戻る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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