4日目  5月26日(土)   アスワン(イシス神殿)⇒コム・オンボ⇒エドフ

 6時前には目が覚めました。5階屋上に出てみます。この時間だとまだ空気はひんやりとして爽やかです。

    

(前方にはプール)    (中央は日よけの屋根張りで、リクライニングチェアーがズラリ)

    

船着き場があるアスワン東岸) (早々と1隻のクルーズ船が出航) (西岸には高層ホテル?)

 早々に朝食を済ませて、7時半にはオプショナルツアーへ出発。折角のクルーズなので、ゆっくりしてればいいのですが、やはりイシス神殿を見てみたいと、妻を引っ張って参加です。(参加者は15名ほど)

 先ずは直ぐそばの岸壁からファルーカ(=ナイル名物の帆かけ舟)に乗って、ショートセーリング。

  

 大きな帆を上げると、風をとらえ、船は川面をすべるように走っていきます。帆かけ舟ならではの快適な乗り心地です。

  

(ヌビア人の船員と)

    

(太鼓のリズムと歌に合わせてみんな一緒にヌビアの踊りを楽しみました)

 30分ほどのセーリングが終わると、波止場からバスに乗って、ナセル君オススメのアスワンの展望スポットへ。坂道を登る途中、11年前に泊ったバスマホテルの前を通過。展望個所からの眺めはなかなかのものです。

    

(バスマホテル)       (アスワンの眺望)        (川中島にはイシスホテル)

 坂を下ると波止場から船に乗って、イシス神殿へ向かいます。

    

 イシスはギリシャ語で、古代エジプトではアセトと呼ばれた。善と正義を守る冥界の神にして又豊饒の神でもある兄アサル(=オシリス)との間に天空の神ホルスを生んだ。セト神に殺されたオシリスを復活させ、息子ホルスに父の仇を討たせる・・・良妻賢母の象徴で、エジプト人に広く深く愛された女神である。

 であるからして、ギリシャ人の王朝プトレマイオス朝も円滑な統治のために(現在のアスワンハイダムと旧ダムの間に浮かぶ)フィラエ島にイシスを祀る神殿を建造し、ローマ帝政時代においても神殿の造営がなされた。

1902年イギリスが築いた旧ダムによって半水没状態となっていたが、ハイダムの建設によって完全に水没するというので、ユネスコの主導により、1980年にアギルキア島に移設し、現在はこの島をフィラエ島と呼んでいるという。

ボートに乗って10分くらいすると、神殿が見えてきました。

  

    

上陸すると、両側にがっしりとした列柱室が立つ参道があります(↑写真は塔門から入り口に向かって写したもの)

    

その先に第一塔門。レリーフの像は左=ハトホル神、右=ホルス神。写真・右の石像は狛犬ならぬ狛ライオンですが、顔が破壊されているのが残念。

      

 堂内に入ると、壁面のレリーフが見事です。エジプト固有のレリーフは像を彫り込んだものですが、ギリシャ様式は“浮き彫り”になって像が浮かび上がっています。↑写真・左はイシス神に貢物を捧げるファラオ、その右では、ハトホル神に捧げています。

 ↑このレリーフはイシス神が我が子ホルスに授乳しているシーンですが、イシスの顔の部分がえぐり取られています。キリスト教徒が迫害されたとき(帝制ローマ初期でしょうか?)此処に逃げ込んだ教徒たちの蛮行です。

  

 ↑カルトゥーシュやヒエログリフの彫刻もあります。

  

 列柱室には、ガラペーヤを着た老人達がいます。見張り番なのでしょうか。カメラを構えると、サッと寄ってきてポーズを取ります。「チップを頂戴」というところなんでしょうが、この時は何も言いませんでした。

  

ローマ皇帝たちも此処を訪れ建築物を残しています。↑左はトラヤヌス帝のキオスク(船着き場の休憩所)・・・トラヤヌスはローマ第13代皇帝(=所謂5賢帝の二人目=在位98〜117年)で、卓越した政治&軍事手腕を発揮し、彼の治世時にローマ帝国の領土が最大となったことで知られる。又、↑右はディオクレティアヌス帝の船着き場。彼は284〜305年の間帝位にあってそれまでの軍人皇帝時代を収束し、専制君主制を創始したが、帝国内に増大するキリスト教徒に対して最初は融和策を以って臨んだものの、やがてその狂信性に危惧を抱き、急進派数千人を処刑した。此処エジプトにおいても迫害を逃れた教徒達が神殿に逃げ込んだのはその頃かもしれない??

 島を去り、船着き場に戻ると、船に残った人たちが乗ったバスが待っています。昨日列車延着によって時間が無くなり、出来なかったアスワン見物に出掛けます。

 先ずはアスワンハイダム

  

(上空と、上方から見たダム)

    

                       (発電装置)       (ソ連への感謝の記念塔)

 ナセル大統領は治水と発電で大きな効果が得られるとこのダムの建設を決断し、資金集めに奔走するが、欧米から断られ、最後の手段として1956年にスエズ運河国有化を宣言。

これに激怒したイギリス、フランスはイスラエルを支援して運河奪還を画策し、第二次中東戦争が勃発。エジプトは軍事的には敗北したものの、政治的には勝利し、ナセルはアラブ民族主義の盟主として政権の基盤は盤石のものとなった。

で、肝心の資金調達であるが、東西冷戦の最中とあって、欧米が協力しないのを見てとったソ連が建設資金と機材を支援し、1960年に着工にこぎつけ、10年強の歳月と10億米ドルの巨費を投じて1970年に完成した。

 現在、12基の発電装置が210万キロワットの電力を供給。これだけの大プロジェクトには当然のことながら光と影があるが、ともかく石油を一切産出しないエジプトにエネルギー問題が発生しないのは、この発電のお陰であることは間違いない。

  

(市内へ戻る途中で、サラサラのサハラ砂漠の砂を採取)

 次はトラピックス・ツアー恒例の土産物店案内。今日は香水瓶と香油、香水の店です。香油は古代エジプト時代から女性達に愛され、ツタンカーメンの黄金の玉座にも、王妃・アンケセナーメンが王に香油を塗っているシーンが描かれている。店員の説明によると、「シャネルをはじめ有名な香水の原料はみなエジプトの香油です」と。香水と違って香油の香りは便に入れておくと10年は持つとの説明であるが、掌にほんの少し塗っただけでも濃厚にして芳醇な香りが香りたちました。

  

(香水瓶造りの実演)   (香油セミナー)

 次は切りかけのオベリスク

 古代からアスワンは花崗岩の産地で、此処で切り出した花崗岩を増水時のナイルの流れに任せて運び、ピラミッドや神殿の石材として利用した。ルクソールのカルナック神殿やルクソール神殿に残るオベリスクもまた此処から切り出されたものである。

    

(石きり場の風景)

  

(ひび割れが入ったオベリスク)

 「切りかけのオベリスク」は長さ40m、重さは推定1168トンと巨大なもので、完成すれば最大のものとなったとされるが、製作中にひび割れが生じた為そのまま数千年の間放置されているもの。

 1時半ごろに船に戻ると昼食です。

    

 40度を超える炎天下を歩いてきたので、ビールがウマイ!この船のビールはどの銘柄も(=ステラとかピラミッドとか・・・)500ccなので飲み応えがあります。

 食事をしている間に船はアスワンを出航して、アスワンの南50kmにあるコム・オンボに向かいます。クルージングのスタートですが、川はゆったりと流れているので、そのことを感じません。

    

 モダンなフォルムのつり橋が見えます。ナイルの畔は緑豊かです。しかしその向こうは砂の大地と丘が広がっています。

    

 屋上のデッキに出てみます。曇り空ですが、気温は高く、かぜも熱風といったほがよいかもしれません。屋根の下のデッキチェアに寝転んでも、何せ風が熱いので、惰眠をむさぼるわけにもいきません。そそくさと冷房のきいたラウンジに避難です。(↑写真・右)

 プールに入ってみました。気温と水温の温度差が相当あるので(=気温43度、水温30度くらいでしょうか?)、最初は冷たく感じますが、そのうち慣れてくると、程よい感じです。尤も水に顔を付ける勇気がないので、顔と身体の温度差があってちょっと妙な感じです。

 4時ごろにコム・オンボ到着すると、直ちに下船して徒歩でコム・オンボ神殿見学に出掛けます。ワニの神セベクと老ホルス=ハロエリスに捧げられた神殿です。

    

 この神殿は、プトレマイオス6世フィロメトル(在位BC186〜145)によって造営が開始され、歴代の王によって建設が進められ、姉クレオパトラ女王と王位を争ったプトレマイオス13世によって増築がなされた、今回の見物する神殿で最も新しい(!)神殿である。

 従って、もっときれいな形で残っていてもよさそうなものであるが、ナイルの洪水や地震といった天災や、後の時代の建設業者によって石材として奪い取られた人災によって、かなり破壊されているのが残念である。尤も1870年代は半ば砂に埋もれ、崩れるままだったそうで、その後相当の補修がなされたということである。

  

(1870年代の神殿)   ⇒   (現在の神殿入り口)

(入り口が二つに分かれています。左がハロエリス神殿、右がソベク神殿です。)

(片方だけ残ったプトレマイオス12世の塔門)

(門から中に入ります)

    

(ギリシャ様式のレリーフ=浮き彫り=が奇麗です)

  

(列柱の広場)

    

(更に奥に入ります)

  

(セベク神の至聖所)

  

(洪水に備え、ナイルの水位を測る“ナイロメーター”)  (側面からの眺め)

 神殿区域ではワニのミイラが発見され、現在は博物館の中に展示されているというので、行ってみました。1,2頭の小さな干からびたワニのミイラが置いてあるかとおもっていたら、オドロキました!まるで生きたまま固まったような巨大なワニがずらりとこちらを睨んでいるではありませんか!ちゃんとワニのための棺まであります。

    

  

(ワニの神様セベクの像)   (この石の置物?の上には2頭のワニが・・・)

 船に戻るとエドフに向けて出航です。

    

(今夜の夕食)

 9時からはガラペーヤパーティが催されます。妻は「ちょっとお腹の具合がおかしくなってきたわ。でもせっかく衣装も買ったんだから、楽しむことにするわ」と、気会いを入れて出陣(?)です。

    

先ず記念撮影

(相方と)  (仲良くなったK・Wさんと)  (ガイドのナセル君と)

    

今回の一行はシャイな人が多いのか、参加者は少なめですが、同乗していた陽気なイタリア人達が加わって格好がつきました。3人の楽隊のエキゾチックな民族音楽に合わせて、ナセル君のリードでダンスがスタート。そのあとゲームで一同大いに盛り上がったのでした。

(大和なでしこ・ガラペーヤ美女軍団)

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