C 4月15日(日) ブルージュ〜アントワープ〜ブリュッセル
今朝は8:50にホテルを出発して約90km走ってアントワープへ。空は今にも降り出しそうな厚い雲が広がり、非常に寒いです。5〜6℃といったところでしょうか。スヘルデ川沿いの駐車場でバスを降り、冷たい風に身を固くしながら徒歩観光のスタート。
何やら由緒ありげな古城(ステ−ン城)がありました。もともとは13世紀に築かれた市壁の一部で15世紀カール5世の時代に大改築が行われ16世紀以降は牢獄として使用され、現在は海洋博物館となっているそうです。
城を横に見て道路を渡り、石畳の坂を上がると、周囲はこれまた由緒ありげな赤レンガの建物(肉屋のギルドハウス)が続きます。此処は現在は「町の音の博物館」となっているそうです。
(スヘルデ川) (ステーン城) (肉屋のギルドハウス)
三角屋根のギルドハウスを過ぎると、広場に出ました。グローテ・マルクトです。正面の豪奢な建物は市庁舎。1561年から64年にかけて建造されたベルギー最大のルネサンス様式の建物だそうです。ブルージュが運河の土砂堆積によって衰退したのにとって代わって16世紀半ば、スヘルデ川での交易により、アントワープはアルプス以北で最大の都市にのし上がった。豪華な市庁舎はその繁栄のシンボルでもある。
市庁舎前のブラボーの噴水に「手」を投げようとする若者の銅像があります(↑写真・右)。これは伝説に基づいたものだそうです。〜〜昔々、スヘルデ川沿いに住む巨人アンティゴヌスは川を渡ろうとする人に通行料を要求し、応じなかった者の片手を切り落として川に投げ捨てていたそうです。しかし、若き英雄ブラボー(ローマ軍の兵士)がついにアンティゴヌスを退治して、巨人の手を川に投げた〜〜この故事からAntwerpen(=オランダ語で「手を投げる」)⇒英語読みで「アントワープ」という地名が出来たという次第。
(ダイクの生家) (自画像) (チャールズ1世の肖像)
ヴァン・ダイク(1599〜1641)の生家(↑)もありました。彼はルーベンスの一番弟子で、イタリアでも活躍した後、1632年にイングランドに移住し、チャールズ1世の首席宮廷画家となって名声を博し、英国画壇に大きな影響を与えたという。
広場を奥にいくと見えてきたのは、ノートルダム大聖堂。1352年に着工し、169年もかけて、高さ123mの尖塔を持つ大ゴシック建築が完成したそうです。日本で人気の「フランダースの犬」ゆかりの場所(〜〜画家になることを夢見た少年ネロは、聖堂内のルーベンスの絵の前で愛犬パトラッシュを固く抱きしめたまま冷たくなっていた・・・)で、聖堂前にはなんと日本語で「この物語は悲しみの奥底から見出す事の出来る本当の希望と友情であり、永遠に語り継がれる私達の宝物なのです。」(原文のママ=ちょっと変な日本語ですネ!)と彫られた石碑がありました。
この作品は19世紀にイギリスのウイーダが書いたもので、日本ではTVアニメで大人気となりましたが。しかし、あまりにも悲惨なストーリーと物語の中で地元民がネロに対して冷淡に描かれているゆえか、舞台となった地元では全く人気がないそうで、なんともおせっかいな石碑といえましょう。堂内には巨匠ルーベンスの傑作があるのですが、本日午前中はクローズとあって、見物は午後になります。
(大聖堂)と(その前の石碑)
更に進むと、グルン広場。
(グルン広場) (ひと際高いのは大聖堂の尖塔) (ルーベンスの像) (宮殿?、いやヒルトンホテル)
次に、トラムが動くアントワープの繁華街を歩いていくと、例の「手」の巨大な彫刻がありました。
大通りを左折すると、公園通りがあり、八重桜の花が奇麗です。その左手にレンブラントの住んだ屋敷があります。
(レンブラントの住まい)
もと来た道を戻って、大聖堂近くのレストランで昼食です
(黒ビールとコロッケ) (ワーテルゾーイ=チキンと野菜のクリームシチュー) (粉砂糖をかけただけのクレープ)
しか此処のメダマはルーベンスの四大傑作です。いずれもルーベンスらしい、エネルギッシュでダイナミックな雄渾の大作です。(しかし、こんなにマッチョに描かれては、イエス様も恥ずかしいのでは?)
(聖母被昇天) (キリスト昇架)
(キリスト降架)
(キリスト復活)
アントワープの見どころは、ほかにも「ルーベンスの邸宅」(・・・彼が終の棲家としたバロック風の大邸宅)や「中央駅」(・・・“鉄の大聖堂”と呼ばれるネオバロック様式の華麗な駅舎)がありますが、時間の余裕はなく、我々の見物はこれにて終了。スヘルデ川の袂に戻ってバスに乗ります。川面にはリバークルーズ船が停泊しており、寒風の中でヨットを操る人もいました。
アントワープから45km走ってブリュッセルへ。北部ラーケンにあるラーケン王宮の前を通り過ぎます。大勢の市民が見事な黒塗りの門の中へ消えて行きます。敷地内には大温室があり、レオポルド2世(在位:1865〜1909)が世界中から収集した植物が見事で、毎年4/14〜5/6に一般公開されるのだそうです。
(ラーケン王宮前)と(レオポルド2世)
市内に入ると、先ずは王宮。立派な建物ですが、予想ではもっと前庭が広いと思っていたのですが・・・
その代わりというか、王宮広場前には唐獅子のようなライオン像の向こうに広大な公園があります。(王宮の敷地の数倍はありそうです!)中を散策してみたいけれど時間がありません。
次は王宮の隣にある王立美術館。ベルギー最大の美術館は「古典」と「近・現代」の2つのエリアに分かれていますが、我々に与えられたのは90分。両方見る時間はないので、「古典」だけとなります。(もう一方にはスーラ、ゴーギャン、コローといった印象派からマルグリッドやデルヴォー等のシューレアリズムが一堂に会しているというからなんとも残念!)
先ずは、ブリューゲル。ブリューゲルの作品といえば、ウイーン美術史博物館が有名であるが、此処にも多くの作品がありました。ブリューゲル一家は父(ピーテル・ブリューゲル)とその長男(同名だからややこしい!)、そして次男(ヤン)とその息子(次男と同名)の四人がいて、息子達が父(=大ブリューゲル)と同じような絵を描いているからなんともややこしい。
さて、大ブリューゲルの初期の代表作として名高いのが「イカロスの墜落」であるが、実際に見てみると、墜落したイカロスが何処にいるやら目を凝らして見ないと分からない!・・・それほどの傑作とは思えなかったが、ウイキペディアによると此処にあるのは無名画家が本物を模写したものらしいと・・・(とすると、本物は何処?)
(イカロスの墜落と、右はその部分)
(ベツレヘムの戸籍調査・・・父の作品=左と同じ題材の長男の作品=右)
(反逆天使の失墜) (東方三博士の礼拝) (同左の部分)
続いて長男の作品群
(雪中の東方三博士の礼拝) (農民の結婚祝いの踊り) (謝肉祭と四旬節の喧嘩)
(ウィレル・モーレルと、バルバラ・ヴァン・ヴ・ランデルベルシュの肖像画)(聖セバスティアンの殉教)
次に、ヒエロニムス・ボス
(キリストの磔刑) (聖アントニウスの誘惑と、その中央部分)
(ディルク・ボウツ=皇帝オットーの裁判⇒右はその拡大版と、ゴルゴダの丘=推定=)
(ロヒール・ファン・デル・ウェイデン=アントニーの肖像) (ルーカス・クラナハ=ヴィーナスとキューピット) (ヨース・ドゥ・モンペルU=バベルの塔)
(ロベール・カンパン=受胎告知。右はNYのメトロポリタン所蔵のもので、絵柄は殆ど同じです!)
そして、圧巻のルーベンスは広い部屋いっぱいに大作が並んでいます。
(東方三博士の礼拝)(聖母と聖フランチェスコの神に取成し、神の怒りを止める)(聖リビニョスの殉教)
(ゴルゴダの道行き)(聖フランチェスコのいるピエタ)(聖母マリアの戴冠)
(聖母被昇天) (三賢王の礼拝) (ルーベンスとしては異色の「黒人の頭部の習作」)
それから、ヤーコブ・ヨールダーンス
(王様が飲む) (パンとシュリンクス) (豊饒のアレゴリー=推定=)
それらの他に目に付いた作品たち。
ふう〜、僅か90分で名画を眺めて、写真を撮るというのはけっこうシンドイのでありました。で、美術館を後にすると、次は旧市街の中心部へ。
此処で一番有名なのは小便小僧です。世界で最も有名な小彫像を一目見ようと、小僧さんの周囲は観光客でごった返しています。世界各国からプレゼントされたウエアで、ジュリアン君は世界一の衣装持ちだそうですが、今日のいでたちはというと・・・裸んぼうでした。
ショーウインドウをのぞくと、チョコレートのジュリアン君もいました。こちらのほうが、本物より大きいかも・・・。
その先の一角に星の家と呼ばれる建物があり、大勢の人が行列を作っています。そこにセルクラースの像があり、その右手に触ると幸運が訪れるということだそうです。(因みに、セルクラースは14世紀にブリュッセルを支配しようとしたフランドル伯に抵抗し、ブラバン公の為に活躍した英雄だそうです)
この後はグラン・プラスで、約90分の自由時間です。此処は世界で最も美しい広場の一つに挙げられ、広場を囲んで華麗な建築物があります。
ゴシック調の96mの鐘楼塔を持つのは市庁舎。ブラバン公の館は公爵が住んだわけではなく、代々の公爵の胸像があることからこの名前で呼ばれるのだと。王の家も王が住んだわけではなく、もともとはパン市場があった処に建てられた行政庁で、現在は市立博物館になっている。ビール博物館の屋上の黄金の騎士像が目立ちます。
様々なギルドに淵源を持つギルドハウスが並んでいます。少し離れたところにあるギャルリー・サン・テュベールはヨーロッパ最古のショッピングギャラリーで、ガラス張りの天井が美しい。
(広場の雰囲気) (市庁舎) (ブラバン公爵の館)
(王の家) (ビール博物館) (屋上の騎士像)
(ギルドハウス) (ギャルリー・サン・テュベールとそのアーケード)
ギルドハウス群の1階には多くのチョコレートショップがあります。・・・Neuhaus、 Leonidas 、Godiva
、Corné Port-Royal、Pierre
Marcolini・・・その中で王室御用達で地元っ子にも人気が高いというノイハウスへ入ってみます。美味しそうなチョコが並んでいます。生トリュフチョコが9種類ボックスに入って€10ですが、ショーケースから袋に入れてもらうと、量り売りで€6.60と安くなります。一つ口にすると、なんとも“なめらかでまろやか”!一味違います。(ホテルの部屋や車中でのおやつにと、もう一袋追加して、道中楽しみました。)
(ノイハウスの店先)
7時前に広場の一角に再集合して夕食へ。今夜のメインはベルギー名物の代表格=ムール貝。地元っ子は一人でバケツ一杯食べるということですが、我々にはその半分〜〜といっても自分の顔より大きな鍋にどっさりと入っています。
私的にはこれまでムール貝は食材の中で“悪役”とみていました。⇒中味があまりないのに、やたら存在感を主張する(=そういえば、そんな総理がいましたっけ!)・・・例えば、シーフードパスタに殻付きムール貝を4,5個のっければ、エビやイカが少なくても大きくて黒いその殻の存在感でゴマかしがきいてしまいます(前総理はゴマかしがバレちゃいましたけど!)。
ところがデス。驚いたことにこれが美味しい!アッサリと上品な味付けで、これならバケツ1杯でもいけそうです。(添乗員によると、本当はもう少し塩味が強いが、日本人向けに塩加減を調整しているとのこと)
一同、ひたすら2枚貝で身を挟んで引っ張り出しては口に運び、全員が完食したのでありました。
(前菜はサラダ) (大盛りのムール貝!)
(付け合わせはポテトフライ) (デザートはアップルパイ)
因みに、アメリカで"フレンチフライ"と称されるポテトフライの{元祖}はベルギーだそうで(ベルギーでは“フリッツ”と謂う)、そういえばゲントやブルージュなどでも広場には屋台があって、舟形の紙ボックスに山盛りにしたのを、地元の人が美味しそうにパクついていました。ポテトに付けるのはマヨネーズで、「マヨラー」もベルギーが元祖かもしれません?
(セミシングルとでもいうか、超狭いベッド!)
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