太陽ファラオ

 

(エジプト突貫ツアー記・・・2001/4/285/5

 

はじめに

 さ〜て、今年のG・Wはどうしようかと考えはじめたのが、正月過ぎ。前年末近くからNHKで「四大文明の謎」、TBSの「世界不思議発見」で吉村先生の「ピラミッドの秘密に迫る」を見て、そして極め付けが、気鋭の冒険小説家グレン・ミードの「熱砂の絆」(カイロ会談に来るルーズベルト大統領暗殺を狙うナチスの陰謀に翻弄される男女3人の大アクションストーリー)を読むと、単純な私はもう「そうだ!エジプトに行こう!!」と決めてしまった。

   普通6泊8日間のツアーはカイロ〜アブシンベル〜ルクソール〜カイロ近郊と周るようであるが、我がご贔屓の猛烈ツアー・新日本トラベルはこれに加えてなんとアレキサンドリアまで行ってしまう!

   躊躇(ためら)うことなくこのコースを申し込む。(もっとも後でよく調べると、成田発だと延々20時間のフライトで、現地へ朝到着後直ちに見物開始と超ハード。一方、関空発だと14時間でその夜到着。一泊後の翌朝ツアー開始と段違いにラク・・・ということが判明。慌てて変更を申し込むが「関空発は人員が集まらないので取り止めました!」とのつれない返事・・・今、大阪の人はやっぱりユニバーサルスタジオしか眼中にないのんかなぁ!・・・)

 予約を終えた後は暇をみてインターネットでエジプト体験記を検索。《下痢をする。蚊が多い。暑い。日差しが強烈。砂だらけ。トイレが大変。食器が汚い・・・etc》と過剰な恐怖の情報を前に「う〜ん、こりゃえらいこっちゃなぁ・・・」と、思わず組んだ腕が固く締まって解(ほど)けない。それからは暇をみて、100円ショップやスーパーで様々な小物を買い集めることとなる。

 さて、通常の携行品以外に今回準備したスペシャルの品々はといえば・・・胃腸向けの特効薬(ケフレックス、ポンタール、ビオフェルミン=以上経験者にお願いして見繕ってもらう、目薬、日焼け止め、サングラス、帽子、水とお茶のボトル・数リットル分、ワイン=機内&ホテル用、アミノバイタル=栄養ドリンク、梅干、缶詰=生野菜が危険というので、植物繊維=便秘回避用として「きんぴら」、「竹の子煮」など、蚊取線香、虫除けスプレー、トイペー=もちろんトイレ用、紙コップ、割り箸、ウエット・ティッシュー、懐中電灯=ピラミッド内見物用、・・・これらを大型スーツケースに詰め終えると、ネットでABCサービス(日通系)へ空港宅配サービスを申し込む。(往復3,450円・・・これで往き帰りが随分とラクだ)

 出発の3日前、添乗員の山田さんという人から突然の電話があり、はて何事か?と受話器を取ると、「結構大変ですから、クスリ、栄養ドリンク、蚊取り線香、砂よけのタオルなんかを用意しておいて下さいネ!」だと。事前に添乗員さんから忠告の電話があったなんて初めてのことである。

(女房)「本当に大変みたいね、まったく、そんな所へ行く物好きの気が知れないわ!」

(小生)「保険はカードの他にも別に掛けといたから。そう、救援保険も入ってるから頼んだよ!」

(女房)「あなたがダウンするような所なら私はアウトになりますから、あてにしないで下さい!」

 

序章・エジプトは遠い!

 いよいよ4月28日当日。「土産はいらないから、とにかく元気で帰ってきてね!」との女房の声を背に家を出る。午後2時集合ということなので、N’EXではなく品川から快速電車に乗ってのんびりと成田第2ターミナルへと向かう。

着いてみると、G・W初日だというのにロビーはそれほど混んでいない。受付で添乗員山田嬢と挨拶 の後、エジプト航空の窓口で個人で搭乗手続き。長旅を考えて通路側席をリクエスト。すぐ後ろに「新日本」のタッグを着けた男性が手続きに現れたので、「お一人ですか?」と声を掛ける。「ハイ!」。「いや、私も一人旅なんですよ!Wです、ひとつよろしくお願いします」、「どうも、Mです。いや、こちらこそよろしく」・・・よし!これで早々に今回の旅友達を確保して、先ずは一安心。

 エジプトはトルコと違って回教の戒律が厳しいので、機内サービスでアルコールは出ない。そこで搭乗券を出発ロビー内の「ロイヤル・フードコート」で見せると赤白ワインのミニボトルをくれるという仕組みなので、遠慮なくこれを貰ってから機内へ入る。中は「物好きな、気が知れない」日本人達でほぼ満員の状態。座席は横に3--2と変則。小生3人がけの通路側で、隣は若いOLの二人連れ。(今回は二人の会話に入り込む余地無く、又ひたすら体力温存もあり、隣組としての会話は一切なし)さぁ、いよいよ20時間のフライトの始まりである!

(例によって、都度、食べ物のことをマニアックに書いておこう!)

 離陸後2時間程で最初の食事。アルコールの無いぶんの埋め合わせか、Yクラスでもなんと牛肉、鶏肉、天丼、焼き鳥丼と、4種類からの選択が出来る→→そこで「天丼」をチョイス。

天丼=ご飯の上に海老天二匹、ミニざるそば、野菜の煮物、フルーツのセットに、なんと亀屋萬年堂の和菓子まで添 えてある充実ぶり。最近のJALの機内食よりよっぽど真面目なサービスといえよう。

 

 席が埋まっているのでマニラに着陸せず、6時間の飛行の後、真夜中にバンコク到着。 3時間半のトランジットという ことでターミナルへ。機外へ出ると湿っぽい熱気が顔をつつみ、思わずムッとする。

 バスを降りると我が添乗員さんが見つからないので、Mさんとよその団体の添乗員にくっ付いてターミナルビルを進み、タイ料理のスタンドでサンドイッチとミネラル・ウオーター(=以下、ミネ水と略す)のボトルを貰って小休止。

一息入れた後はビル内を探索。広くてきれいな建物の中は免税品・土産雑貨・食品・蘭の花等のショップが処狭しと並び、その間を真夜中だというのに、日・韓・中・アラブ・アフリカ・欧・米と様々な人々が賑やかに行き交う。ハブ空港的雰囲気を備えた堂々の24時間空港である。タイでも(失礼!)こうなんだから(他にシンガポールも・香港・韓国もあるぞ!)、やれ成田だ、いや羽田だ、夜間飛行停止だ!なんて蝸牛角上の争いをしていたら、今に日本は世界の航空界の孤児になっちまうぞ!・・・。

 〜てなことを考えていたら長いトランジットの時間が漸く過ぎて、再搭乗の知らせ。僅かに残っていた空席には堂々たる体格のアフリカ人達が乗り込んできた。彼らの姿を見て少しエジプトが近づいてきたことを感じつつ、さあ、残り10時間の長丁場のスタートだ!

機体は新しいが空調の調整が今いちで、寒すぎたり、暑かったり。おまけに完全禁煙ではなく最後尾の数列が喫煙席(乗務員もバックヤードでスパスパやっている!)。その煙がそこはかとなく漂ってきて、鼻喉の調子が少しおかしくなる。暫くして、ようやく空調が安定して眠りかけたところに、2回目の機内食の案内。

 白身魚のソテー、アスパラと成型ポテトの温野菜、サラダ、デザート、チーズ、ジュース、パンといった組み合わせで 結構美味しい。なお、隣の女性陣も魚を選んだので肉料理のコース内容は不詳。

   食後そそくさと歯磨きを済ませて、いよいよ本格睡眠体制、しばしZZz・・・でもやっぱり熟睡とはいかず、うつらうつら状態。到着2時間ほど前に3回目の食事(デニッシュ、クロワッサン、サラダ、チーズ、ジュース)、もう殆ど「ブロイラー」状態であるが、我がツアーではこれが「朝食」となっているので、無理して(?)腹に詰め込む。

 

1章・カイロ市内観光(その1

 

ほぼ定刻の午前6:10にようやくカイロ到着。(エジプト航空は時間が全く当てにならないことで有名で、何時間も延着した ら、ギリギリ詰め込んだ日程がカットになるかも・・・と心配していただけにホッとする!)大きく背伸びをしてからタラップに立つと、ちょうど真正面に上り始めたオレンジ色に輝く朝日が目に飛び込んできた。感動的な一瞬で、思わず「オォー!」と声をあげる。頬にあたる風がヒンヤリと心地よく、カラッとしてじつに爽やかで、缶詰状態の疲れも一気に吹っ飛ぶ感じだ。

バッゲージクレームへ進むと手際のいいことに(予想外!)既にスーツケースは回転しており、Mさんが片隅にはじかれた自分の鞄を見つけるのに少し手間取ってしまった。それで両替をする暇がなくなり、せかされるように出迎えの現地ガイドの誘導でバスへと急ぐ。

成田で全員集合が無かったので、バスの中でツアー参加者が初顔合わせ。今回のパーティは総勢14名(直前で少しキャンセルが出たようだ)・・・4組のカップル+名古屋からのOL三人組+男3人という構成。夫婦4組のうち3組は50代半ばと思しき中年だが、残り1組は20代のカップルで、女性は一見国籍不明。濃い顔立ちに故里への里帰りかなとも思ったが、あとでよく聞くとなんとペルーの寒村生まれで、如何なる経緯か5年ほど前に足利方面にやってきて、横浜生まれのK君と結ばれたのだとか。そして、このセニョリータ=金髪のジェニーちゃんが、我らが一行の輝ける星となるのであった!

席にすわると、現地ガイドの自己紹介。なかなか流暢な日本語だ。シーリフさんといって、色浅黒く小太りで、頭髪薄く、一見年齢不詳(実際は31才と若い)。眼鏡の奥の眼差しが知的で鋭いと思ったら果たせるかなカイロ大学卒のエリートで大変優秀なガイドのようだ。(去年のトルコといい、ガイドには恵まれている)先ず初日のプレゼントといって一人一本「ミネ水」をサービス。次に「ホテル以外でトイレ使用にはチップが50ピアストル(=15円)必要です。小銭は手にいれるのが難しいですからたくさん用意してきました」と言って、一人7枚(=1$)を両替してくれる。これは本当に有難い気配りだ。

「ホテルは郊外ですが、一旦ホテルへ行きますか?それともこのまま観光にしますか?」むろん全員一致で即観光を選択し、かくてなんと朝7時からカイロ市内観光がスタートした。

 

空港から「新」カイロにかけては、グリーンベルトで分けられた道沿いに緑豊かな街路樹が茂り、近代的な建物が立ち並ぶ堂々の近代都市。しかしなにしろ「大」カイロは人口1,800万人という世界最大規模の都市だけあってあらゆる事象(=混沌)を包含しており、「オールド」カイロのエリアに入ると様相は一変する。

先ず巨大墓地(薄汚い!)が見えてくる。回教は土葬だから日干し煉瓦を積み上げて作った一つ一つの墓も大きい。そして、なんとその墓の中に人が住みついて部落になっているのだという。次に崩れた城壁のような水道橋が見えてきた。昔、ピラミッドの石を取ってきて積み上げたそうな。(むろん今は機能していない・・・そのうちこれも遺跡となるであろう)石桁の切れ目の向こうには、ゴミの山とスラム街が広がる。

信号がないから(なにせ、大カイロ市内で見かけたのは、僅か1個のみ!。交差点では人が車を捌いているが、意外と一度も事故を見かけなかった)隙をついて割り込むオンボロ車と大勢の人々で喧騒を極める街中へ入る と、やたらとほこりっぽい。なにせカイロの年間降雨量は僅か30oと、殆ど雨が降らない。従っていわば数百(千?)年以上に及ぶ砂・埃・排気ガスの複合体が煉瓦の建物や道路に積もっているのだから、埃っぽくて薄汚いのも当然といえば当然である。

敬虔なモスレムのシーリフさんはバスをイスラーム地区へと進める。「では、モーニングサービスとして観光ルートにないガーミア(エジプトではモスクをガーミアという)にご案内します」

先ずは、高い煉瓦の壁に囲まれた「ガーミア・アフマド・イブン・トゥルーン」。階段を上がると広い回廊に囲まれた中庭の向こうに珍しい螺旋階段のついたミナレット(尖塔)が建っている。

(修理中でやや雑然としているが、そもそもは、サラセン帝国・アッバース朝の支配から独立してエジプト独自の回教国・トゥルーン朝を興したアフマド・トゥルーンが879年に建立したという、エジプトで最も古い、由緒あるガーミアなのであった)

(ガーミア・アフマドの境内)

次に、サラーフ・イッディーン広場の前に双子のように建っている「ガーミア・スルタン・ハサン」(14世紀半ばに完成したマムルーク朝を代表する建物)と「ガーミア・リファーイー」(こちらは20世紀と新しい)。「〜ハサン」のミナレットは高さ90mと周囲を睥睨(へいげい)して聳(そび)えている。この頂上に登ればきっと素晴らしい眺めであろう。

さてその次からが正式観光コースで、小高い城砦の中に聳えるガーミア・モハメド・アリ。かのキャシアス・クレイ(元ヘビー級チャンピオン)が寄付したモスク・・・ではなく、オスマン帝国の支配下でいち早くエジプト近代化の基礎を築いたモハメド・アリが1857年に築いたもの。従ってオスマントルコの建築様式で、イスタンブールのブルー・モスクと外観はそっくり。但し中へ入ると、大広間に敷かれた絨毯はブルーモスク(=トルコ絨緞)のほうがずっと上等である。ここでもシーリフさんから回教の慣習についてたっぷりと講義を承ることとなる。(どうも優秀なガイドは説明魔の癖があるようだ!)

   ガーミアを出て展望台に立つとカイロ市内を一望にできる。快晴なのだが、スモッグに覆われて遠くは霞んでおり、残念ながらギザの大ピラミッドは見渡せない。傍らに立つ時計台は、パリのコンコルド広場にプレゼントしたオベリスクのお返しに贈られたものであるが、着いた時から針が動かずそのままで、それから100年以上経過したものだから、今では「遺跡」になって修理禁止となっているらしい。

  (エジプトでは100年以上経つとみんな“遺跡”扱いをうけることになるという!)

       

                                                                                                     (広場から見たガーミア・モハメド・アリ)  (モハメド・アリの屋上からのカイロ市内)

 

市内観光(その2)/考古学博物館

 

で、次が新カイロに戻って、本日午前のメダマ、「考古学博物館」。この建物百年以上経っており「遺跡」だという。門前は世界各国からの観光客で押すな押すな。なにしろ世界的な宝物があるので、警備は厳重を極め、そこかしこに白いコットンのカッコいい制服で身を固め、カービン銃を持った警官が見張っている。手荷物はX線でビシッと検査してからやっと入場が許される。

観光客から外貨をふんだくろうと、入場料20ポンド(=600円、これは今回ツアー料金に込み)、カメラ(但しフラッシュ禁止)10ポンド、ビデオ100ポンドと金がかること甚だしい。でも確かにそれだけの価値はある。なにしろ1階には5000年〜3000年前の遺産が所狭しと並べてあるのだ。

        

                                                                                                                          (ラムセス2世像)

そして圧巻はやっぱり、2階にあるツタンカーメンの宝物。彼は紀元前1361〜1352(新王国・第18王朝)というから、なんと3353年前のファラオで、しかも在位僅か9年の幼帝である。にかかわらず、ハワード・カーターによって王家の谷の墓から発掘された夥(おびただ)しい金銀財宝の、その量と質のなんとまあスゴイこと、スゴイこと!!(このあたり、興奮して淀川長治調・・・チト古いか)

まず黄金の棺の輝きに圧倒され、次にトルコ石・ルビー、瑪瑙などの宝石を金で象嵌した宝飾品のデザインと細工の見事さには言う言葉もない程である。一番奥の院にあるのが、かの有名な「黄金のマスク」。群がる見物客を押しのけるようにして前に出て、Mさんと二人してマスクとのツーショットを撮る。(このために、フラッシュ不要の高感度800フィルムを持ってきたのだ!)

     

(黄金のマスク)(その裏側はこんなです!)

    

                                                                 (豪華絢爛の玉座とそのアップ)

   

                                                                     (内臓を納めたカノボス壺)

  ツタンカーメンと妃・アンケセナーメンは深く愛し合っていたというが、玉座の絵を見ると、その様子が偲ばれて興味深いものがある。

次はミイラの部屋。ここで別途入場料30ポンドをとられるというが、ここまできたら見ずにはおらりょうか! 薄暗い部屋の中に入ると、ガラスケースにトトメスU世、セティT世等歴代ファラオのミイラがずらりと並んでいる(撮影禁止)。あの、97歳まで生きたという、ファラオ中のファラオ、ラムセスU世のミイラもある。彼は当時の平均身長をはるかに超える堂々たる体躯であったというが、なるほどミイラになっても威風堂々だ。暗褐色になった頭の周りには髪の毛も残っている!それにしても3000年の時を超えて存在するのだから、なんともスゴイ保存技術である。

なにしろ館内には12万点ものお宝が陳列してある訳だから、一日中かけてもとうてい見終えることが出来ない。それをシーリフさんの長広舌を聞いた後、僅か一時間チョイで退出というのだから、さあ大変。写真を撮り終えた後は大忙し、もう汗を流さんばかりに駆け足で見て周るハメとなる。

 

第2章・ギザの大ピラミッドとスフィンクス

これでカイロ市内からおさらばして、次はいよいよピラミッド。高速道路が完成したおかげで40分たらずで行くことが出来るという。アフラーム街道を進むとその威容が見えてくる。で、その前にランチタイム。入ったレストランは観光客で大賑わい。3階へ案内されると日本人の大集団。飛行機の中で見かけた顔(他のツアー一行)がズラリ。 (では第1回目の食事のメニュー)

魚=バス=のソテー、エビ・イカのフリッター、温野菜、アエーシ=ナンのような丸型のエジプトのパン=小麦を練って発酵したのを焼いただけであるが、焼きたては意外と美味しい。これにタヒーナ=ごまのペーストをつけると、なかなかの味わいである。ビールを注文すると小ビンで12ポンド(=360円)。あっさりとした風味。又大概のレストランでは、二人に一本の割合いで大ボトル(1.5ℓ)の「ミネ水」が無料サービスされるのは有難い。

   

                                                                     (ナイル川を臨む)

お腹も満ちると、お目当てのピラミッド見物。バスに乗って坂道をのぼり、入り口の受付で一人20ポンド(=ツアー料金に込み)を払って域内へ入る。目の前には「クフ王のピラミッド」 デカイ! 噂には聞いていたものの、こうやって目の当たりにして、あらためてその偉容に驚嘆(高さ146m、但し頂の9m程が無くなって、避雷針のように元の高さを示す棒が立っている)。早速ラクダ使いの親爺や物売りが寄ってくるが、ここの連中は極めて悪質だというので一切無視する。(道路はラクダの糞だらけで少し興ざめ) 玄室への入り口付近まで登ってみる。(午前・午後各150人と入場制限があり、デラックスツアーでないと残念ながら入室不可能。ちなみにここの入室料は40ポンド=1200円とメチャ高い)  

 巨大な石積みを右にまわると次に見えてくるのは「カフラー王のピラミッド」、より高い丘の上に建っているから見方によってはこちらのほうが大きく感じる(高さ143m)。頂き部分に花崗岩の化粧岩が残っているのがわかる。(只今内部修理中で入室不可だと)

 いちばん奥が「メンカウラー王のピラミッド」で、こちらは高さ65.5mと小ぶり。この玄室へ入場。(入室料10ポンド=ツアーに込み)岩場を穿った入り口から中へ入ると超狭い。中腰での行進で一苦労。ちょっと頭を上げるとすぐ天井にゴツン。風が送り込まれているものの、猛烈に暑く、忽ち汗が噴き出してくる。(白人の婆さんがギブアップして引き返していった) えらい難儀やなあ!小錦は絶対ムリやでえ!と言いながら坂を下っていくと玄室に辿り着く。中は意外と狭くて周囲は花崗岩の壁。なんの装飾もなく、苦労してやってきた割にはこんなものか!と少しガッカリ。

      

(クフ王のピラミッド) (カフラ王のピラッミド)  (積み上げた石はこんなに大きい!)

  次はバスに戻って三大ピラミッド+后の3ピラミッドが一望出来る名物パノラマポイントの小高い丘へ向かう。ここに立つと、“砂漠に聳えるピラミッド”を実感できる。絶景かな、絶景かな!折角だからと、全員交代で駱駝に乗っかって記念撮影。乗るだけだと1ドルでOKだからこれはお得。例のジェニーちゃん夫妻は辺りを1周して5ドル払う。手綱をひく駱駝使いの親爺はホクホク顔である。

    

ここらで歴史をひもとくと、クフ〜(ラージェデフ)〜カフラー〜メンカウラーは古王国(首都・メンフィス)の第4王朝(=BC・2613〜2494)という、エジプト悠久の歴史の中でも最も古代に属する時代のファラオ達である。彼らは、あのラムセスU世より更に1200年以上も昔にこんなどでかい建造物を造り上げたのである。そんな古代における富の蓄積、権力の強大さ、そして高度な技術水準を思うと、その傑出した文明・文化に只々驚くばかりである。

 さてその次は、河岸神殿。大昔はその名のとおり、この神殿の前がナイル川であったそうな。船着場の石組み跡が見える。神殿の中へ入ると、4500年もの昔に、スパッと真四角に切って磨き上げた巨大な花崗岩が一分の隙もなく積み上げられており、その大胆かつ精緻な建築技術には又々驚かされる。

ここを抜けるとその奥に、やってきました!スフィンクスだよ!! 全長57m、高さ20mとこれもドデカイ。周囲は5mほど掘削されているから、記念写真を撮るときに、あまり後へさがると落っこちてしまうから要注意だ(そんなマヌケはいないか?)鼻を削られ(ナポレオンの軍隊が射撃練習で落としたという説もある)、王権の象徴のあご髭を盗られた(大英博物館にあるという。全くイギリス人は世界の大盗っ人だ!)顔はどことなくユーモラスでさえある。

      

「こういう所の土産物屋で値切り交渉をはじめると、観光時間がどんどん無くなってしまうから、買い物しないで下さい」とシーリフさんから釘をさされていたが、ガラペーヤ(例の民族衣装)を纏った髭面のあんちゃんとフと目線が合うと忽ちピタリと擦り寄ってきて、《 3ピラミッドにスフィンクスまで付いたセット・3セット・・・素焼き陶器製?》を「コレ石ネ、ぜんぶで10ドル、10ドル」としつこい。チラッと見てから去ろうとすると、すかさず「5ドル、5ドルヨ」、まぁ一種のジョーク的品物だが、憧れの現地で買ったというのも意味あるかなと納得して5ドル出すと、2セットしかよこさない。「ノーッ!」と大声をあげると、ニヤッと笑ってもう1セットを出した。こういう売り手とのやり取りが楽しいという人もいるかもしれないが、全く油断も隙もない連中である。  

 

第3章・豪華5つ星??カタラクト・リゾート

 

  (シーリフ)「予定では、ハンハリーリ・バザールとなっていますが、日曜日で閉まっている店も多いので、最終日に廻して、これからパピルスの店へ行きます。バスの周りに寄ってくるのは20枚で千円とか安いですが、あれはバナナの葉で作った偽物。半年もすると乾燥してボロボロになってしまいますヨ」(旅行者は道中必ず一度は案内される。パピルスは、優れた土産品の少ないエジプトで唯一の売り物かもしれない)

10分ほど走ると街道沿いにパピルスショップがならんでいる。そのうちの一軒に入ると、先ずは全員を集めて実演説明。パピルスは放射線状の穂先が太陽光線を連想させることから、古来太陽神を崇めるこの民族に愛用された植物だと。皮を削いで、中の芯の部分を薄くスライスして一週間程度水に漬けたものを縦・横に重ねてプレスして乾燥させると丈夫なパピルス紙が完成。B5版程の紙に古代エジプト画を精緻に模写したもので50〜70ポンド(15002100円)。大版で絵がよくなるとグンと値が張り、何万円となる。ウサギ小屋の我が家には飾る所もないので、優れた展示作品を眺めて目の保養とする。

此処で1時間弱費やしてから、ホテルへ向かう。募集パンフレットには「カイロの豪華5つ星ホテルに泊まる! ナイル・中の島に聳えるゲジェラ・シェラトン・・・」と唱ってあったが、この「」がクセモノで、出発直前に届いた旅程表には、なんとカイロを遠く離れたギザ(といっても、ピラミッドからも遠い!)の「カタラクト・リゾートに三泊」となっている。こんなホテルはどのガイドブックにも載っていない。ネットで検索しても出てこない。最後に直近発売・最新版の「地球の歩き方」でやっとその名を見つけた。

投稿者の体験談によると「‘99にオープン。フラミンゴまでいる豪華さだが、田んぼの中の一軒家!」とある。「ガックリ」 である。(そういえば、イスタンブールでも、中心部から遠く離れたビジネスホテルだったナア・・・でもあの時はそもそも5つ星とは唱ってなかったヨ。旅行商法の常とはいえ、なんともギャップがありすぎるゼ!フラミンゴなんかドウデモイイヨ、ブツブツブツ・・・)

まぁ東京で例えると、「ニューオータニに泊まりまっせ」とセールスして、実際は幕張プリンスへ連れていったようなものである。(いや、そう例えてはプリンスさんに大失礼にあたるほど、実際はひどかった!)

で、現実に辿り着いた「カタラクト」は運河沿いのやっぱり畑の中に建っている。金モールのドアマンに迎えられて正面玄関を中へ〜。さすがに新しいだけあって、ロビーは小奇麗だ。但し、ここはレセプション機能だけの建物で、奥のドアを出ると棗椰子(なつめやし)の並木通りの両側の緑濃きガーデンにコテージ風の三階建ての棟々が点在しており、その奥には芝生とコテージ群に囲まれた50✕50mの大プールがあって・・・と、見た目にはリゾートムードイッパイである。(笑ってしまうのは、ファミリー向けの気配りか、片隅に超ミニ動物園があって、水場のあるゲージの中に、かの、フラミンゴが3羽おわしまするのだ)

      

(豪華なレセプション棟) (プールを囲む低層の建物) (ロングで見ると素晴らしいが・・・)

           

(ヤシの並木を奥へ歩くとバンケットルーム棟で、その内部も豪華!)

                                                                                                                                                                                               ≪写真はホテル案内等から拝借しました≫

写真を見てもお分かりの通り、思わず“いいじゃないの!”と言いたいところだが、現実はそんなに甘いもんじゃない。山田さんがキーを渡しながら「茶色いお湯がでますが、驚かないで下さい。しばらく流すと収まりますから・・・」と言っていたので、部屋に入る(ン?新しい割にはくたびれた感じ!)と何はさておき洗面とバスタブの蛇口をひねる。すると果たして茶色の湯がドバッと迸(ほとばし)ったではないか!しかし、いくら流し続けても茶色いまま。なるほど、これじゃあ歯磨きにも「ミネ水」が要るハズだわなあ!と、妙なところで納得。しかしここで3泊とはキツイなあ、タマランナア!!・・・

話は飛んで・・・デスクに蚊取マットとスプレーが置いてあったものの、その日のうちは、蚊を見かけなかったので、そのまま就寝。夜明けに一度ブーンと感じたくらいであったが、翌朝起きて灯りをつけるとその辺りにいるわ、いるわ!ひえーっ、こんな所で寝てたのか!とゾッとした。(しかし幸いどこにも刺された跡はない)後でMさんに会ったら、「いやあ、蚊には参りました。ギザの蚊はマットくらいじゃあ効かないんですよね。エッ、Wさん、そのまま寝たんですかぁ?!、信じられんなあ・・・」 可哀想なのは、OL3人組の一人で、あちこち刺されて湿疹のようになり、膏薬を張っていた・・・。(いやまぁ、全く見かけ倒しの酷いホテルでした。)

で、18:15にホテルを出て、何故か態々(わざわざ)カイロ市内へと晩飯を食べにいく。着いた所はナイル河畔のレストランで環境設定としては申し分なし。この辺りではナイルの流れは速い。水草の塊が次々と下流へ流れていく。帆を揚げたファルーカ(=ナイル独特の帆掛船)が眼前に現れては消える。川面を渡る風が肌に心地よい。つかの間の安らぎを感じるひとときである。

座席の配置具合を見てカップル組に気配りをしたKaさん(かなりの旅のベテランのようだ)が、Mさんと私の男3人をひとテーブルに纏める。二人はビール(「ステラ」の中ビン・・・この銘柄が一番うまいと)、私はグラスワインの赤(まあまあの味わい、値段はいずれも17ポンド=510円と結構高い)を飲みながらしばし雑談。

Kaさん(48才)が「いやぁ、古代エジプトはなんとも素晴らしいですね! でも現在の状況を見ると、あの素晴らしい遺伝子はいったいどうなっちゃったのかと、実に不思議ですよ」と一言。

(Mさん)「そのとおり、現在のエジプトはヒドイですもんね!」、

(小生)「原因は宗教かも。なにせ回教は偶像禁止だから、神殿とか、神や王や動物の石像、彫刻なんかみんなストップ

でしょう。古代宗教とともに発展した技術も途絶えたんじゃないですかね・・・」

(吉村先生、いったいどうでしょうか?)

 

(では、最初の夕食内容)

   メインはケバブ(羊の肉とミンチの串焼き)+トマト・ズッキーニ・ピーマンのトマトソースサラダとポテト炒めたライス添え→羊は私の苦手料理。此処のは塩・胡椒が結構効いているのでミンチのほうを少し食す。

Kaさんはパクパクと全部平らげてしまった。やっぱり、「旅の達人」はこうでなくちゃならない!

  アエーシ(=パン)にタヒーナ(=ごまペースト)→これは何処でも出てくる。

 デザートは、小さいバナナ一本が皿に載って登場。(何とまあ大げさな!)皮が青いので、オヤッ?と思ったが、中身は意外にも程々の甘さであった。 総じて此処はまあ、味より河畔の雰囲気で持ってる所でありましょう。  

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