14日間欧米一周
(1990年8月)
はじめに
むかし、むかし といってもほんの12年前の話であるが、感覚としては、もう随分と昔のことのような気がする・・・
・・・ときは、バブルがまさに絶頂期を迎えようとする頃。会社も太っ腹で、こんな旅行へと送り出してくれました。
飛行機(ビジネスクラス!)・ホテル・朝食・移動交通費は会社持ち、それ以外(=観光・昼飯・晩飯)は自前という条件。なにしろ、“ジャパン・アズ・ナンバーワン”と謂われ、給料は右肩上がり!と信じていた時代ですから、自前の部分も豪勢に(?)いってしまいました。
思えば、これが海外旅行の楽しみに本格的に目覚めた切っ掛けであったかも知れません。
日 程
で、全体の日程はというと、
8/04 12:15 成 田 発 ⇒ 16:35 ロンドン着(JL401)
8/06 16:30 ロンドン発 ⇒ 18:35 パ リ 着(BA318)
8/08 10:50 パ リ 発 ⇒ 12:05 フランクフルト着(LH1745)
8/09 09:15 フランク発 ⇒ 10:10 チューリッヒ着(SR533)
14:00 チューリッヒ発(バス)⇒18:00 ルガノ着
8/10 12:00 ルガノ発 (バス)⇒13:30 ミラノ着
8/11 10:00 ミラノ発 (バス)⇒11:05 ローマ着
8/12 12:30 ローマ発 ⇒ 15:40 ニューヨーク着(TW851)
8/14 08:49 ニューヨーク発 ⇒ 11:44 サンフランシスコ着(TW045)
8/16 10:50 サンフランシスコ発 (JL051)
8/17 13:25 成田着
・・・・・・
といった具合で、モーレツ・カンパニーならではの、強行日程であったわけです。
第1章・ロンドン
(8/4・土)
北周りで、ロンドンへ向う。〜ソ連(=当時)領域へ入ると、飛べども飛べども茫漠たるシベリアの荒野が広がる。こんなに広い広い領土を持つ国なのに、北方のほんの小さな島々を返さないなんて。北の白熊のなんとも強欲なことよ!・・・
初めてのビジネス席はなんとも快適。長旅にも拘わらず、夕刻ロンドンへ元気に到着。一行のうちで、若輩組の一人であった小生は会計係。入管手続きを終えると、両替所へ走っては、皆のその日“お小遣い”を手配しなくてはならない。なるべく小銭にするのに苦労の連続でありました。
夏のロンドンは7時を過ぎてもまだまだ明るい。先ずソーホーの繁華街をぶらついて、現地支店“御用達”の中華レストランで夕食。“御用達”だけあって、まあまあの味ではあったが、麺の“こし”がないのには失望(・・・これはニューヨークでも同じであった。スパゲティはあんなにコシがあるのに・・・と、なんとも納得出来ない!)
(ソーホーの通り)
食後は、これまでの例だとミュージカル鑑賞となっていたらしいが、照明が落ちて舞台の幕が開いた途端、毎度全員爆睡に陥るとのことなので、それじゃあツマラナイ!と、我々はもっと楽しい(?!)“ショー”見物へ。・・・さすがに誰も眠る者はいなかった。(どんなショーだったんでショーか?)
当日の泊まりはハリントンガーデンにある「グロースター」という、ちょいと古めかしいホテル。
(8/5・日)
本日はウインザー城をはじめとするロンドン観光。先ずはウインザー城を目指す。ロンドンの中心街から20分も走ると、もう広大な田園風景が広がるのにビックリ。(東京と比べてエライ違いだ) 詩情豊かといった感じのテームズ川上流では、休日を自然の中でのんびりと楽しむ家族連れの姿がちらほらと見かけられた。(東京とは時間の流れが違う感じだ)
最初はイートン校を訪れる。次にウインザーの街を散策。
(ピサの斜塔見たいに?!家が傾いてます)
ヴィクトリア女王の像を拝んでから、ウインザー城へ。
市内へ戻って、昼食はテームズのほとりにある「アンカー」という店へ。メインは牛肉の煮込み料理。“イギリスではローストビーフとフィッシュ&チップス以外食べるものはない!”との定評であるが、意外とイケルじゃないか?・・・まあ、気の合った仲間と大勢で、ワイワイ言いながら飲んで食べてると、何だってウマイものではあるが。
食後は川面のテラスに出て、テームズ河畔の景観を楽しむ。
(セントプール寺院)
次はロンドン塔へ。
それから、大英博物館・・・その収蔵品の質と量のスゴサに改めてビックリ!(上野の国立博物館とはケタがちがうなあ!) でもみんな大英帝国華やかなりし頃に世界中からかっぱらってきたものばかりである。(尤もよく考えてみると・・・現地にそのままあったなら、その後の騒乱の中で、崩壊或いは盗掘によって消滅・散逸していた公算が大きい。従ってこの世界一の大泥棒たる連中の手によって収集(否、収奪)された後、大事に保管されたからこそ、こうやって我々凡人も目にすることが出来るのだともいえる)
上の写真の石板は「ロゼッタストーン」・・・天才・シャンポリオンの象形文字解読の基となった碑であり、全部本物が展示してある「エジプト考古学博物館」が唯一のコピーだと残念がる、その本物がこれである。
次は美術館=ナショナルギャラリー・・・数多くの名画が展示されているが、ダ・ヴィンチの一点だけは特別コーナー。周りの証明から遮断し、青色の薄明かりの許で、拝観させていただきますといった感じである。やっぱり、名だたる巨匠が列座する西洋画壇においても、ダ・ヴィンチは一際抜きん出た別格の存在なのだ。(残念ながら、写真撮影出来ず)
その後は、ロンドンの中心部を巡る。
先ずはピカデリー・サーカス。闊達な若者たちが羨ましい感じだ!
(国会議事堂) (ビッグベンと2階建てバス)
そして、バッキンガム宮殿へ。
夜はロンドン駐在トップご招待によるディナー。なんでもカール・マルクスが資本論を執筆した建物をレストランに改造したものだとか。まず広間で好みの食前酒を飲みながら歓談。(日本での、座卓についたら、タオルでぬぐって、まずビールを1杯というのとは、違うなあ。ふむふむ、これが国際感覚の第一歩かな・・・) 下右の写真がレストラン3階のマルクスが執筆をしていた部屋です。
(8/6・月)
今朝は出発に少し余裕がある。それじゃあ!と、“何でも見てやろう”とばかり、前日のうちに「早起きして、朝飯前にハイドパークを散歩しようぜい!」と参加者を募っておいた。前夜寝たのは午前2時を回っていたが、5時半に起床。「モーニングコールだけじゃあ心配だから、起こしてチョ」と依頼されていた輩を電話で起こし、数人で6時にホテルを出発。許容時間は往復2時間。下調べしておいた地下鉄で公園へ。真夏とはいえ、早朝だと少し肌寒いくらい。
園内に足を踏み入れると、今年はかつてない猛暑、日照り続きだとかで、公園の芝生は一面黄色く枯れた状態になっており、全面緑の絨毯を想定していただけに、噂のハイドパークのイメージと違ってちょいとがっかり。それでも緑深い木立をぬって、きれいな池のほとりを歩き、ウマい空気を吸って、パークへ来たことの満足感を味わう。公園を出ると、例の黒塗りボックスタクシーを見かけたので、これに乗ってホテルへ帰還。
なにしろ“物見遊山”ではなくて、“研修旅行”であるからして、(昨日は休日だからオール観光だったのです!)先ず現地オフィスを訪れてみっちりと(?)研修”を終えたあとは、シテイを回って、それからリージェント通りへ。三越でのお買い物タイム。ここで奥さんのリクエストに答えて買い物を済ませたのはいいが、そのあと大きな荷物をずっと引っ張って歩いていた者もいた。(なにしろ海外経験が殆ど無い一行であるからして、道中において様々なエピソードがあったとさ)
(シテイの金融街前) (リージェント通り) (ピカデリー広場)
・・…・・…・…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・