第2章・パ リ

 (8/6・月)後半

  ロンドンを発ってパリへ。1時間もかからないが、国際線だから、機内食が出る。“もう食べられましぇ〜ん”というところだが、なぜか手が出る。口がでる。

 入管を済ますと、例によって両替所へ一目算。なにしろ今夜は2星レストラン(なんと一人3万円也!)だから、両替の金額も張る。T/Cにサインを終えたあと、枚数確認の為、いったん揃えた後サッと開くと、見事な扇の形に広がった。窓ガラスの向こうの係員は目をまるくしてビックリの表情。ニッコリ笑って「俺に変わってココへ座れと!」とのジェスチャー。ことのついでに「This is Oriental majic!」と言いながら、ペラペラと「立て数え」も披露。(もっともドサリともらったフラン札を数えようとしても、紙の腰が弱くて、立て数えも横数え(=扇開き)も出来なかった。)

 ホテルに荷を解くや、再びバスに乗ってエリゼー宮近くにあるという、★★星のレストラン「ROLAN」へ。さすがに、華やかさとシックな感じをうまく両立させた、一流の佇まいである。

 すっかり慣れた感じ(?)の食前酒はフランボアーズのキールをチョイス。な〜るほどパリの香りやねえ!と田舎者は感激。食事は庭の大テーブルで。トワイライトで、花に囲まれたガーデンは最高の舞台設定。パンだけでもおいしいのに、それにつける無塩バターが抜群にウマイ。「そんなにガッついたら、肝心の料理が食べられなくなるよ!」と現地トップのTさんに窘(たしな)められる。 極上の料理に白ワインをグイグイ飲んでは、ワイガヤとやって、「ここは、下町の一杯飲み屋じゃないんだから、もう少し品良く振舞って!」とまたまたTさんに窘められる。いやいや一流処で食事をするというのも気疲れするものです(?)

 

    

    

上機嫌で帰りついたパリのホテル(LAZARE HOTEL)は一流とは言いがたく、設備も古めかしい。しかも我が部屋は屋根裏のような雰囲気。空調は無く、今年は猛暑とあって、寝苦しい。窓を少し開いて外気を入れてやっと寝付くことができた。

(8/7・火)

 連日睡眠時間は少ないのだが、恒例となった(?)早朝散歩の仲間を誘い、朝まだきの市内を散歩。アフリカ系の清掃人が運転する清掃車が、ごみ箱をピックアップし、道路際をブラッシング清掃していく。グリーンのユニフォームがなかなかにスマートである。 オペラ座通りあたりをブラついてホテルへ帰り、朝食。品数は少ないが、パンもベーコンもうまい。

    

 パリ事務所での午前の研修を終えると、バスに戻った一行はサッサとネクタイを解き、ポロシャツに着替える。(前もって、数少ない真の国際感覚の持ち主たるTさんから、“バカンス最中(さなか)のパリで、どぶねずみスタイルの背広姿で行進しては、ジャパン イズ クレイジー!と物笑いのタネになるからよしてくれ。なるべくカジュアルな格好で!”との、有難いアドバイスがあったのだ) コンコルド広場〜シャイヨー宮=エッフェル塔〜ノートルダム寺院と、定番コースを駆け巡る。

    

 (コンコルド広場) (ルクソール神殿から来たオベリスク) (シャイヨー宮)

    

(右=セーヌ川に架かる橋で最も美しいアレクサンドル3世橋)

    

    (ノートルダム寺院)               (華麗なるステンドグラス)

 横丁のブラッスリーで簡単な昼食をとった後はオルセー美術館へ。パリでお目当てのルーブル博物館が休館日だったのは、残念至極であったが、代わりのオルセーでも大満足。印象派以降の近代絵画は全てこちらに展示されているのだ。

  元駅舎を改造したという建物は採光に工夫があり、自然光を取り入れたやわらかい光のもとで鑑賞を楽しむことが出来る。モネ、マネ、ミレー、アングル、コロー、ドラクロア・・・これまで本のグラビアで見てきた名画のホンモノがずらりと目の前にならんでいるのだから、絵画ファンならずとももう興奮・感激雨霰(あられ)!といった状態になる。 ではオルセーの名画のほんのさわりを!(最初は、正面広場の雰囲気です。)

    

        

    

 その後土産品を購入し(当時ヴィトンは日本女性が殺到して、買いっぷりの凄さが顰蹙をかう程だとか。それで我々はヴィトンへは行けず仕舞)、一旦ホテルへ荷物を置いてから、繁華街をふらつく。百貨店に入ったが、格段どうということもないし。通りのカフェテラスでビールを一杯(これをやってみたかったのよ!・・・単純)

    

 夜は「リド」でショー(食事付き)を楽しむ。料理そのものはこういう所だからどうということもないが、2人に1本シャンパンがついているのが、パリらしい(?)。肝心のショーはというと、マヌカンの華やかなお色気とダイナミックな踊りや、一流の奇術にコミック、更に、洪水(!)が流れ、ヘリコプターまで登場するような迫力満点の大仕掛け等が次々と登場。評判どおりの期待を裏切らない内容に大満足。

 バンド演奏になったところで、近くにいた日本女性団体へ「Shall we dance?」 なんと我々がきっかけとなって、大勢の客がフロアへと繰り出し、忽ちにして大ディスコタイムとなった。場の雰囲気の変化に目を覚ました我が一行の団長いわく 「なべよ、お前のはどう見ても阿波踊りじゃ!」・・・後にも先にもリドのフロアで踊ったのはこのときの我が一行のみであるとか。

       

(8/8・水)

 翌朝は、さすがに皆疲れがピークにきたか、早起き散歩に同調する者がいないので、一人で散歩に出る。人のいない早朝のパリはなんともすがすがしい。(こんな人ッ気のないとくに待ち伏せ強盗もいないだろうが)財布は部屋に残してカメラのみを持って、歩くときは歩道の真中、死角の出来る曲がり角は特に用心しながら歩く。 名残の半月の下のアレクサンドル三世橋がポエチックである。 朝もやが残る公園のベンチに座った一組のカップルが熱い抱擁と長〜いキス。まるでクロード・ルルーシュの映画の一場面のようであった。

     

 

第3章・ハイデルベルグ〜フランクフルト

8/8・水)その2

午前のルフトハンザでドイツ(フランクフルト)へ移動。空港からエアコンの効いたデラックスバス(さすがドイツだ!)でハイデルベルグへ。

 ハイデルベルグはドイツ最古の大学が開かれた学問と歴史の町。小高い丘の上に築かれた古城からの眺めが素晴らしい。ライン川の支流ネーッカー川を挟んで中世の雰囲気を残した優雅で美しい町並みが広がる。 ここの城は廃城となって久しく、かなり老朽化しており、いつの日かの崩壊を予測させるような雰囲気である。ドイツといえば、ビール?、いやワインだ!と言うわけで、巨大なワインの貯蔵樽があったりする。ビール派(当時)としては、売店の生ビールを一杯ひっかけたが、重厚な味わいで、日本の爽快感の高いビールになれたのどには今ひとつである。(湿気の高い日本と、低いこの地では風味は違うのであろうと納得)

         

               

   客で賑わうマルクト広場を散策しながら、小物の土産を物色。ちなみにこの通りの店で買った七宝製のキーホルダー(1個3百円程度)はその後12年にわたる使用に耐えて、今も殆ど傷・錆びがない。ドイツの品はこんな雑貨でも優秀なんだと感心する。

 午後遅くフランクフルトの事務所で“研修”の後、車で20分くらい走って森の中のレストラン{ノインホフ}で夕食。フランクフルトは統一欧州の首都を目指して発展が続く大都会であるが、ちょいと走ると広大な森が広がる。今でもこうだから、大ローマの遠征軍が侵攻したときなどは如何ばかりであったことか・・・と思ったりする。

「ノインホフ」は味よりも雰囲気が値打ちの場所。池のほとりのガーデンでビールを飲みながら談笑して、部屋に入る。どちらかというと素朴な牛煮込み料理がメイン。

         

           

 例によって賑やかに食べて飲んでご機嫌でホテルへ戻ると、三々五々グループを作って盛り場をふらつく。日本人歓迎のポスターを掲げた怪しげなバーなんかもある。当時NATO軍の基地があり、アメリカの駐留軍属も多いから“飾り窓”も盛業中。これも社会研修(?)と一軒のその手のビルを見学。(見学だけですゾ、ホント!) フムフム、なるほどこんなモノかぁ・・・。

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