4章・スイス(チューリッヒ〜ルガノ)

(8/9・木)

 翌日はスイス航空でチューリッヒへ。現地事務所を訪れてから、オペラ座辺りを散策して昼食。もと兵器庫を改造した有名なレストランとかで、大繁盛。

 2mくらいある巨大(いや巨長が正確な表現)なソーセージが名物とか。本日は“研修”がないので、昼間からソーセージをつまみにビールをガンガン。とにかく胃袋だけは丈夫な一行ではある。食後そのあたりをぶらついてからバスに乗り込むと、アルプス越えでルガノを目指す。

      

    

                                                                      (湖に浮かぶプールはどうもヌーディスト村のようです。)

疲れと酔いでバスの椅子に座った途端にスヤスヤの御仁も多かったが、こちとらは生涯一度のアルプス越えかも!と、バッチリと目をカッ開いて、移りゆく風景を楽しむ。まことに絶景かな!絶景かな!ではありました。

 途中ゴッタルド峠で小休止。高地とあって、真夏とはいえ肌寒い。見上げる空は群青色そのもので、澄切ってどこまでも深く青い。

      

 さあ、次は峠を下っていきます。絶景かな!!

  やがて峠を下ってルガノの町へ到着。イタリア国境のコモ湖のほとりに広がるこの町はイタリアの金持ちの避暑・避寒と投資の為の観光・金融都市。花々の彩りと香りに包まれた宝石箱のような町である。現地責任者が優雅なリゾートホテルを手配してくれたが、ここでたったの一泊、しかもわずか5〜6時間寝るだけとはなんとも勿体無い極みである。

 荷を解くのもそこそこに、湖畔のレストラン「オリヴェラ」へ。ここで食べた細いパスタ(シーフード、トマト味)はなんとも絶品。今に至るも、これまで味わったパスタのベストワンとの印象が強い。白ワインもグー。

 ホテルへ戻ってもロビーでしばし話しが弾み、豪華で快適な室内の雰囲気を味わうこともなく、部屋に戻ればバッタンキュー。

      

(8/10・金)

 ルガノの朝は早い。(なに、自分たちで早くしてるんだよ!) 早々に食事を済ませて旅支度を整えると、8時には一番のケーブルカーでモンテ・ブレの山頂へあがり、周りの眺望を楽しもう!――という筈であったが、濃い霧が広がって残念ながらコモ湖と周囲の山々という天下の絶景を楽しむことはできませんでした。

     

  ニューヨークの「建築の殿堂」入りしたという素晴らしいデザインの現地法人のビル内で“研修”。さすが“お金持ち”を相手に商売しているだけあって、 1階の脇に瀟洒なダイニングがあり、そこで少し早いランチをご馳走になる。  

食後は商店街へ赴き、時間にせかされながらの買い物。名産だというシルクのハンカチに人気が集中し、一人あたりの制限が入る有様となったほど。

    

 

5章・イタリア (ミラノ〜ローマ)

(8/10・金)

  バスはミラノの町へ入る。先ずはスフォルツア城からスカラ座(残念ながら中へ入れず)へ。そして次にミラノのシンボルともいうべき、世界3大寺院のひとつ「ドゥオモ」へ。14世紀から500年もの歳月をかけてやっと完成したというくらいだから、なんとも壮麗。外観としては135本あるという尖塔が壮観。中に入るとステンドグラスが絢爛豪華。

 ドゥオモ広場からスカラ座にいたる通りはガレリアと呼ばれる商店街。ガラス張りのセミドームの天井のデザインが素晴らしい。中ほどにグッチの店がある。当時グッチはブランドとしては人気失墜・落ち目の時期で、全品半値以下のバーゲンセール中。息子や知人=男性向け土産には格好と、例の皮と布の青い財布やらネクタイを買い込んでは在庫一掃に協力する。

 夜は「レストラン・サントリー」で久しぶりの日本食。バターリッチな横メシ(!)にそろそろ飽いてきていた一同は水を得た魚のごとく元気が回復。お銚子がどんどんと飛ぶように出て行く。会計係としては予算オーバーで銭勘定にアタフタするハメとなる。

      

    

 

    

(8/11・土)

 次の日は、アリタリア航空で、いよいよ永遠の都・ローマへ。町なかの、レストランというより食堂といった感じの処で、スパゲティ+αといったシンプルな昼食。

 午後から(自分的には)待ちに待った、古代ローマ遺跡の見物だ!先ずカイオ・チェスティオのピラミッド(紀元前11世紀に建てられ、後にアウレリアヌス帝の城壁に組み込まれたとか)。中心街の遺跡=フォロ・ロマーノを散策したかったが、予定にはなく、車窓からチラリと見るだけで、やっぱり目玉のコロセイムへと急ぐ。

    

(ローマ市内)  (サンタ・マリア・マッジョーレ教会)(フォロ・ロマーノ)

 壮大な建築に中高生時代熱中した「ベン・ハー」、「スパルタカス」、「バラバ」といったスペクタクル史劇のシーンがオーバーラップしてくる。

 スタジアムの中はたんなる広場かと思っていたが、地下何層もの構築物の跡が広がっている。剣闘士達が戦ったアリーナの地下にはいろんな設備があったのだ!と、改めて建築に多大の才能を発揮したローマ人の特質を実感したことである。

 感心・感激しながら見渡していると、向こう側に、突然、ペルシャ風(?)の衣装を纏った美女が現れて優雅に舞い始めたではないか!(これはいったい、なんであったのだろう?)  近くのコンスタンチヌス帝の凱旋門などを見て、古代遺跡を後にする。

       

     

(コンスタンチヌス帝の凱旋門)

 次はヴァチカンへ。壮大は広場に驚きながら、サンピエトロ寺院堂内へ。ガイドから「最近境内で相撲をとったバカ学生がいて、日本人を見る目が厳しいですから、くれぐれも静粛に願います」との忠告をうける。入ってすぐの「嘆きのピエタ」で先ず感動。ミケランジェロ24歳の折の作品ということだが、なんという天才であることよ!大理石とはとても思えない柔らかで暖かい質感がスゴイ!今にして思えば、何がなんでもヴァチカン美術館、システィナ礼拝堂を訪れたところであるが、当時はサンピエトロだけで大満足して引き上げる。

      

        

 トレビの泉は修理中で、全貌を拝むことが出来ず残念。それでも「いつか必ず戻ってくるぞ!」と背面投げで泉にコインを投げ入れる。 (この願いはやがて叶えられました!)

     

 

 真実の顔。「口」に危うく指が引っ掛かりそうになりました?!鈴木宗男さんなら、指が無事に出てくるかどうか?  それからヴィクトル・エマヌエル2世宮殿へと向いました。

      

  (サンタ・マリア・イン・コスメティン教会) (教会にある真実の口)(ヴィクトル・エマヌエル2世宮殿)

夜はカンツォーネつき夕食へ。チップを弾み、歌手を引っ張り込んでワイワイやっていたら、近くにいた老カップルの奥さんが旦那をほっぽらかして我々に合流。またまた大賑わいとなりました。(なに?お前さんがいちばん騒いでいるじゃないかって?・・・スイマセン!) かくてローマの夜はふけていったのでありました。

    

(8/12・日)

 今日はローマからニューヨークへと飛びます。出発は正午過ぎと時間に余裕があります。それでまたまたローマの朝を散歩しようということになりました。ティベレ川の向こうから、朝日が登ってきます。シーザーもティベレのほとりでこんな朝日を見たことがあったでしょうか?・・・短い時間ながら、結構見所の多い散歩となりました。

      

 (ティベレ川の夜明け)                 (ハドリアヌス帝の墓)  

(唯一のローマ時代の完全な遺跡・パンテオン)

     

(ナヴォーナ広場)      (アウグストゥス帝の墓)

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