7日目・12月9日(水)

 好天気が続いて、気持のいい目覚めです。朝食会場へ。野菜類が中心のブッフェはヘルシーで、思ったより味もよくて、まあ満足。

 食事の後は、再度スパへ繰り出して、朝スパを楽しみます。朝酒抜きの“セミ・小原庄介さん”の気分です。12時チェックアウトなので、至極ゆったりというわけにはいかず、時計を気にしながら、それでも結構楽しみました。

 当初は、街中で食事を済ませ、午後の便で帰ろうかと考えていましたが、妻の身支度が手早く終了したので、急ぎチェックアウトを済ませ(フロント嬢が笑顔とともに、「ハイッ」とお土産をくれました。中身はこの地方名物の牛舌餅と金柑砂糖漬でした) ドアボーイに駅まで送ってもらい、5分後の12:02発の急行に乗ることができました。   そこそこ綺麗な車両で、しかも平日のまっ昼間とあって、車内はガラ空き。のんびりとした列車の旅を楽しみながら台北へ。(じつは、礁溪からだと、バスのほうが時間も短くて安いのですが、汽車にして正解です)

             

              (ガラ空きの車両内)         (牛舌餅・・・餅というよりパイです)

               

(やっぱり、晴れてると車窓からの眺めもきれいです!)

 13:52に台北駅に到着。遅い昼食を摂りに2階の微風広場へ。妻が「ビーフンか焼きソバを食べたい」というので、ぐるっと回ってみますが、どこにも「米粉」と書いたメニューがありません。諦めて牛肉麺の店で焼きソバと炒飯を注文。焼きソバを半分残して私に押し付けたのに、スイーツは“別腹”の妻は、別の店で豆花を・・・。

             

 3日ぶりに富園飯店に戻ってきました。なにやら我が家に帰ったような気分です。ところで、途中の大通りになにやら遺跡のような廃墟のような箇所があります。これはいったい何か?と表示板を見てみれば、西本願寺別院跡ということです。

日本統治時代の1922年に建立され、10年後に火災で焼け落ちたのを再建したらしい。その後1975年に不審火で木造建築の殆どを消失し、現在、本堂の基礎(石段)部分と、鐘楼の残骸などが保存されている。歩道沿いには白い石壁があって、日本統治の年表が彫り込まれています。

韓国なら、こんなもの屈辱の歴史の拠として一切合財取り壊してしまうところ(現に、長らく彼らが国立博物館として使用していた、歴史的建築物の旧朝鮮総督府もブッ壊してしまった。)ですが、台湾では「一掃してしまって当然のもの」を保存し、あまつさえ、被支配の歴史を石壁に彫りこんで残すとは・・・どういう考えあってのことか分かりませんが、ともあれ夫婦して本堂跡に深く一礼したのであります。

      

日が暮れましたが、お昼が遅かったので、あまり空腹を覚えません。こんなときは“軽く飲茶”ということで、中山駅から徒歩10分の吉星港式飲茶へ行ってみることにします。24時間営業で結構人気の店ですが、今回が初体験。ビルの2階に広いスペースを占めており、賑わってますが、席数が多いので、直ぐに案内されました。

メニューを見ると、まず飲茶がありますが、「飲茶店」を名乗る割には種類が少なく、一般料理の比重が高く、その値段は有名料理店と遜色ありません。ウエイトレスは「イセエビ如何ですか?美味しいですよ」とか、高価な料理を盛んに薦めます。「お飲み物は?生ジュースが半額サービスですよ」⇒卓上のカードを見ると、「400元⇒200元」・・・半額でも台湾としては随分な値段です!

“軽め”ということで来店した我々は、写真の6品を注文。

       

(湯葉まき)        (海老水晶餃子)         (大豆苗炒)

       

          (シュリンプダンプリング)    (大根餅)          (仙草ゼリーと豆花)

 

 どれも美味しかったですが、ただ・・・“高額料理薦め”のお姐さんに写真を指差しして注文したのに、半分が注文と異なる料理が配られ、ボーイが険しい表情(そりゃ、彼には責任がない!)。妻は「味はいいけど、次回はもう来ないわ!」と。

 

日目・12月10日(木)

 今日も快晴。TVの天気予報を見ると、最高気温は高雄や台南並みの28度まで上がるようです。ゆっくり&たっぷりと朝食を済ませて、(妻)「実質今日で最後だけど、何処へいくの?」 (私)「そうだねぇ、近場で未だ行ってないところというと〜〜、そうだ、台湾大学へ行ってみよう」 (もう、行き当たりばったりです)

 で、MRT新店線・公館駅から徒歩3分の台湾大学へ。その歴史を紐解くと・・・日本統治の1928年に台北帝国大学として設立され、1945年に中華民国が接収し、国立台湾大学と改称された台湾の最高学府。ノーベル賞(1986年化学賞・・・李 遠哲氏)一人を輩出。陳水扁・前総統、馬英九・現総統もOBです。

正門を入ると、ずぅ ―――――― っと、真っ直ぐに、見事な椰子の並木道が続いています。学生3万人を超えるマンモス校ということで、いやぁ、広くて格調高いキャンパスには驚きました。あまりに広いので、学生たちは校内を自転車で走ってます。

       

日本統治時代からのものと思しき“堅牢な”校舎が多いですが、そのうちのひとつの入り口に風船が飾ってあり、「外来者歓迎」みたいな様子だったので、ちょっと覗いてみます。ここは「物理学部」で、外来者への展示物があり、パネルには日本人学者の写真もありました。傍らに2人のお嬢さんがいてパンフレットをくれました。こちらは物理学は門外漢なので、展示物の説明を聞いてもわかりませんので、少し立ち話をして、再びキャンパス内を散策します。

       

  更に奥のほうへ歩いていくと、木立の向こうに池があり、小学生の集団や親子連れなどがいて、のどかな雰囲気。キャンパスが随分と開放的なのに感心しました。正門から真っ直ぐの椰子の並木道の奥は図書館です。

       

日差しが強く、気温もぐんぐん上がって、広いキャンパス内を歩き回って些かくたびれました。正門まで戻る(戻るだけでもかなり歩きます!)と、次はタクシーで行天宮へ。

 行天宮は台湾の大手町ともいうべき松江路の大通りに面した角地にあります。1967年に出来た比較的新しいお宮で、関羽を祀ってあります。商売の神様として、「関帝廟」は台湾各地にありますが、ここ行天宮は、何故か台湾随一の人気を誇っているそうです。

 境内に入ると、平日の昼間ですが、大勢の善男善女で賑わい、お線香の煙が立ち上っています。ここの「しきたり」に従って、青い法衣を纏ったおば(あ)さんから長い線香をもらうと大香炉に立てて、正面の関羽様に深々とおじきをして参拝。そのあと、行列に並んで、青衣のおばあさんの前へ。(おばあさん)「どちらからですか?」(私)「日本からです」 (おばあさん)「頭下げてネ」・・・高齢でこちらが支えてあげなくちゃぁ〜という感じのおばあさんからお線香の煙をかけてもらいました。「収驚」という、魂を戻すというお払いだそうです。

       

(妻) 「次は何処へ行くの?」

・・・本日は“でたとこ勝負”です。お昼を回りましたが、朝食を十二分に摂り、ここで「気」を入れてもらいました(?!)ので、夕食を美味しく戴くためにも、昼食はカット。

 それにしても暑い!(体感的には30度近い。もう殆ど真夏の感じです)。さすがの私もこの日差しの中を歩くのはいやになりました。そこで急に思いついて、タクシーを掴まえ、ここから比較的近くにある市立美術館に行ってみることにします。 ここは台湾人の美術作品が展示されており、海外作品をメインとした特別展もよく開催されるという。

 モダンな外観の建物です。正面前の広場には何やら幟が立っており、特別展がある模様。「蔡 國強 泡美術館」・・・果たしてこれは如何なる美術展か?

      

 チケット売り場でパンフを貰っても、どうもよく分からない。私の嫌いな前衛芸術のようであるが、大勢の観客が来ているようだし、まぁともかく入ってみようと、館内へ。

 広い吹き抜けのロビーの空中に小型乗用車が宙に浮き、周りを光のチュブがキラキラと・・・。モーターショーのディスプレイのような感じ。次の部屋へ入ると、巨大な一枚岩(厚さ=高さ1.5m、面積5m×5mくらい)の表面を細かく穿ち、縦面は不連続な波型でカットしたもの(=彫刻ということか?)を、で〜〜んと置いてあります。ここまでは「ふ〜〜ん、それで?」といった印象。

     

 更に広い部屋に行くと、無数の矢が串刺しになったが宙で跳ねてます。その横には狼の大群が宙を飛び、大きな輪になって(ナイキのマークを逆にした感じで)地上へと戻ります。個々の「縫いぐるみ」一体一体がホンモノの剥製であるかのように良く出来ており、「個」の仕上げに感心するとともに、奇想天外な全体像にビックリで、ここらで、この作家はタダモノではないな!という気がしてきます。

     

(撮影禁止のため、パンフレットから借用)

 そして圧巻はつぎの「難破船」。竜骨がむき出しになった朽ち果てた難破船が、白砂に埋もれているといったイメージ・・・廃船はどこかで掘り出したホンモノで、白砂は、白磁の皿を破片にしたものが無数。それに20cm×5cm位の白磁観音像を半ば壊したものが混じっており、これ等が山となって廃船の周りを囲んでいます。

全体として不思議な美しさで、なんとも異様な迫力で迫ってきます。私は、芸術的感覚は極めて弱いたちですが、なにやら強いオーラのようなものを感じて、しばらく立ち尽くして眺めておりました。(次の写真もパンフから借用したもので、私が受けた強いインパクトを伝えることが出来ないのが残念です)

 更に進むと,鉱山で苦役する労働者と、監督官たちの塑像。今にも動き出しそうな、或いは、虐げられる労働者の悲鳴が聞こえてきそうな・・・魔法で、生身の人間を、瞬時に粘土像に変えたような迫真の彫刻群です。

        

 さて、蔡 國強Cai Guo-Qiangツァイ・グオチャン)という人物は、1957年福建省・泉州に生まれ、現在はニューヨーク在住の現代美術家。

若い頃、日本に住み筑波大学で学び、火薬の処方を習得。巨大なカンバスの上で火薬を爆発させて絵画を創造するダイナミックなパフォーマンスで注目を集め、西欧の美術展に招待されるとともに、京都市の平安遷都1200年事業等のビッグ・イベントに起用されたそうな。

会場内のビデオを見ると、チャン・イーモウ監督の総合監督で話題を呼んだ、北京オリンピック開会式の、あの壮大な花火シーンは、蔡氏のプロデュースらしい。

いやぁ、絵画、彫刻、ディスプレイ、パフォーマンス・・・計り知れないエネルギーを持った天才のパワーに感服致しました。

3〜4階にある曾 敏雄氏の「人物撮影展」や、台湾画家たちの現代水墨画もなかなか印象的で、偶々思いつきで入場したこの美術館見物は感動ものでした。

 美術館の周囲は、本来緑豊かな公園ですが、来年の「世界花博覧会」を目指して大規模な工事が進行中。急ぎ足でMRT圓山駅へ。途中日没寸前の夕陽が綺麗でした。

  長旅の疲れを癒すべく(!)、再度温理沙奈理美容店(=ウインザー)へ。ここでさっぱりとした後、今回の「最後の晩餐」は、儂來餐廳でフカヒレのコースにします。昨年古巣の3人で訪台した際に、偶々別館に行って大変美味しかったからです。

       

(シーフードサラダ)        (フカヒレスープ)        (銀鱈?の蒸し煮)

       

          (海鮮おこわ)           (デザート)

 昨年の別館メニューとほぼ同じで、やっぱり大満足でした。

 

9日目・12月11日(金)

 旅の終わりとなりました。飛行機は13:25発ですから、成田発とは違って、8時過ぎに起きて、ゆっくりと朝食を摂ってから、國光客運バスで空港へ。ターミナルの2階へ上がると、屋台風のコーナーがあり、メニューを見ると、米粉60元。妻は「機内食が出るまで時間があるから、ちょっと食べたいわ!」・・・質・量とも値段なりでしたが、極細のビーフンのコシは強くて、素材としてはよかったです。

       

          (米粉)         (帰国のNH1082機)

 

 今回の旅は、好天に恵まれ、楽しい旅となりました。 再見・台湾!

                           (文=夫、 写真=妻)

                                                               (完)

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