私としては納得出来ないが、とにかく開いてないものは仕様がない。切り替えの早いSとEは「じゃあ、天気のいいうちに101へ行こう!」ということで、急遽タクシーを捕まえて101へ。
中央の巨大な免振装置に目を奪われたあと、館内の階段を下りて88階にも行けるようになっている。“渡り廊下”はあたかも超高層の空中回廊を歩いているような床面デイスプレイの仕掛けになっており、そこを抜けると88階は1フロア全て珊瑚のショップになっている。
暫くして出てきたハタは想像していたよりちょっと小振りでしたが、淡白で上品な旨みがなんともいえない絶品です。私は頭の骨までしゃぶっちゃいました。それにしてもここの魚介類はネタが新鮮なのに感心します。
(空芯菜) (ハタの姿蒸し) (カニおこわ)
で、20分近く待って出てきた「おこわ」は、待ったかいがありました。程よく蒸し上がった「おこわ」と「子持ち渡り蟹」のバランスもよく、申し分のない美味しさでした。
デザートの杏仁豆腐は此処独特の“もちもち感”が個性的な一品です。サービスの「きな粉餅」とお茶を頂いて、終了。出てきた料理が全て申し分なく、大満足の晩餐となりました。
(お茶のポットが洒落てます)
お後は、例によってウインザーへ直行。Eはなんと3夜連続!となります。Sの中国語とマッサージ嬢の日本語=お互いカタコトの掛け合い漫才を聞きながらの120分コース。3日間のハードスケジュールの疲れがほぐれて生きます・・・。
すっかりリラックスしてホテルへと帰ってきましたが、このままお休み〜〜というわけにはいかない。明日の朝も過密日程なので、今夜のうちに帰り仕度が必要。買い込んだ品々のパッケージに一苦労。一段落したところで、昼間買ってきた釈迦頭を頬張る。熟しきって柔らかいので、ナイフがなくてもいいのは助かる。クリーミーで上品な甘さが堪えられません。
(釈迦頭)
四日目 11月3日(月)
カーテンを開けると、今日はさすがに今にも降り出しそうな暑い雨雲に覆われている。起き上がるとこれから綿密に時間を計算したスケデュールの開始。先ずはブッフェレストランで、ケーキ風パン、フルーツ、コーヒーと軽めの朝食(珍しくも“軽め”なのは訳があります・・・)を済ませ、9時前に出発し、タクシーで民主紀念館へ向かう。
生憎なことに左右の國家戯劇院と國家音楽廳は大改装の真っ最中で、更に本殿も、その正面にコンサートの宴の後のような巨大鉄骨の骨組みがあって、壮麗な中華建築を期待して来たものの、これでは興趣をそがれること甚だしい。
陳水扁前政権の末期に、彼が台北市長(国民党)などの猛反対を押し切って、蒋介石を祀り、国民党にとって大陸復帰へのシンボル(と同時に“中国”による台湾統治の象徴でもある)ともいえる中正紀念堂を台湾民主紀念館と改称したのは、その最後っ屁にして、また、蒋介石一統への最大の皮肉でもあったかもしれない。
尤もMRTの駅名は「中正祀念堂」となっていたので、馬 英九政権になって素早く元に戻したのかと思ったら、御堂入り口上に高く掲げた額には「台湾民主記念館」と明記されてあった。
先の総統選と総選挙で圧勝した馬政権なのに簡単に旧に復することが出来ないのとは一寸意外です。馬総統の深慮遠謀なのか?、はたまた最近急速に支持率が落ちていることが影響しているのか?・・・。
蒋介石の巨大な銅像を守る衛兵はおらず、従って交代セレモニーも無いので、奥の展示室をじっくりと拝見。
カナクギ流の小生が言うのもなんですが、国父紀念館の孫文の端正にして格調高い筆跡と比較すると、蒋介石の書はちょっぴり劣るかなあと感じました。
別室に行くと書道展をやってました。係りの女性の求めに応じて、Eはスラスラと署名。やはりなかなかの達筆です。私も求められたので、恥を忍んで筆を取りました。これがホントの“旅の恥は書き捨て”、否、“書き込み”です。
出口に近づくと、なんと外は土砂降りです。仕方が無いので、喫茶室で一休み。「杏仁茶」というお茶にトライ。白濁色で、杏仁の香り高い甘茶です。初めのうちは“なかなか美味しいねえ!”と啜っていましたが、次第に“どろり”としてきて途中から持て余してしまいました。
小降りになったところで、門のところへ飛び出してタクシーを掴まえると目指すは鼎泰豊(本店)。(これが朝食を軽めにした理由です)
10時15分過ぎとあって、待つことなく3階席へと案内される。ミニスカートの若い女性たちが、きびきびと甲斐甲斐しく働いています。まずはEのリクエストで空芯菜。Eは3箇所食べ比べて此処がイチバンだとの評価。続いてお目当ての小籠包==薄皮を咬むと、アツアツのスープの旨みが口の中に広がって、文句なしの美味しさです。野菜餃子はまあまあ。最後の海老炒飯はプリプリの海老とあっさりした味付けのバランスが申し分ありません。
食べ終わると、タクシーでホテルへ取って返し、チェックアウト時限(=12時)少し前にホテルを後にします。
タクシードライバーは「空港まで1200元で行くヨ」と盛んに勧めますが、バスターミナルで降りて、國光バスで空港へ。50分ほどで到着。免税店へ向かったEと分かれてSと私は台湾土産店へ。Sは「お茶」が買いたかったようですが、タイミングよく、奥から可愛い小姐が「お茶は如何ですか?」・・・誘われるまま椅子に座って数品を飲み比べ。
今回Sは茶芸館でのまったりとしたひと時を希望していましたが、無粋な私と一緒ではその時間が無かったので、ここでちょっとしたその代償。おじさんのバカ話に応えて、小姐は愛想よく相手をしてくれます。「イ農 来」のおばちゃんから、この小姐まで、出会った台北の人たちはみな親切でありました・・・。 (完)
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あとがき
新聞によると、1月13日、台湾立法院は、民主記念館の名称を旧に復して、「中正紀念堂」とすることを多数決で決定したとのこと。議会は国民党が圧倒的多数を占めていますから、当然の帰結ですが、馬総統の命令ではなく、議会の決定としたところが、ミソかもしれません。
歴史は変えられないので、私は、陳前総統が名称変更に踏み切ったときに、非蒋介石を推進したいという気持ちはわかるものの、これはちょっと違うのではないかと思っていましたので、民進党が敗れた以上は仕方がないことかと感じます。
ともあれ、少し時間がかかるかもしれませんが、再び”台湾人による台湾人のための政府”が実現することを祈るばかりです。