なべさん

 その昔「ハードボイルドだどお〜!」で、一世を風靡した元コメディアン・内藤 陳氏は今は新宿でバーを経営する傍ら「日本冒険小説協会」を設立して会長に納まり(林家 木久蔵の“日本ラーメン党”総裁みたいなもの!と言ったら怒られるか?)、以前、雑誌「プレイボーイ」(日本版)にコラムを載せていたが、なるほど冒険小説分野における知識と見識には感心させられることしきりであった。

  小生の場合は、“冒険”よりもう少し範囲を広げて「エンタテインメント小説愛好会」を設立し、会長に〜〜うーん、やっぱり会長には児玉清氏(俳優・・・氏はトム・クランシーをはじめ数多くのエンタメ小説の解説を書いている最強の読者でもある)を推して、せめて事務局長くらいに収まりたい。

では、私流の“エンタメ小説”の定義(?)というと・・・世界中を舞台に、政治・経済・歴史・軍事・ハイテク技術、文化(=絵画・音楽・食&料理)を扱い、夫々の正確・詳細なデータ収集と考証に基づいて、様々な老若男女が登場して、ロマン、陰謀、活劇、恋愛、入り乱れて、スピーディにダイナミックに展開するストーリーのことである。チト欲張り過ぎじゃないかねえ?と言われる御仁もおられるであろう。確かに日本の小説にはそんなものは稀有であるが、欧米の作品には結構あるのである!      (尚、以下の年次は日本での初版発行年次です)

ルシアン・ネイハム

 そんな中からたった一品を選ぶとすると・・・真っ先に思い浮かぶのが、ルシアン・ネイハムの

「シャドー81」(75年)・・・ハイジャック&コン・ノベルであるが、当時最新鋭の米軍ハイテク戦闘機をモチーフに、意表をつく斬新なアイデアと綿密に計算されたストーリー展開、旅客機の中における人間描写の巧みさ等々、まさに一級のエンタメ小説である。しかもこれが処女作とあって、いや大変な新人が現れたものだと感心しながら次作を待ち望んだのである。

・・・しかし、待てど暮らせど、第二作は現れない。何故だ?どうしたんだ!と疑問に思いつつ20数年が経過した。2年ほど前に新潮文庫に再版が出版されたのを見つけて手に取り“あとがき”を読んでやっと納得。彼はこの作品を出した後、程なくして急逝したのだと。

それが当時話題にならなかったのは、“悪事成就せず”というコン・ノベルのエンディング・ルールを破ったこの作品がアメリカでは日本ほどに話題となることはなく、彼がベストセラー作家の仲間入りを果たせなかったということかもしれない。

アーサー・ヘイリー

例えばジャック・ヒギンスに代表されるような冒険小説の面白さにリアリティを付与してより深みを出したといえるエンタメ小説の、そして又 “業界もの”の先駆者がアーサー・ヘイリー。イギリス生まれのカナダ育ちであるが、綿密な調査に基づいた正確な背景構成としっかりとした人間描写、骨太のストーリー展開でアメリカ産業界を活写しており、どの作品もどっしりとした読み応えがあり、翻訳ものにのめりこむ切っ掛けとなった。

私のヘイリーは「マネーチェンジャーズ」(76年)から始まる。 次期頭取争いの場に立たされた二人の副頭取、収益至上主義(=法人取引重視)の野心家・ロスコー・ヘイワードと社会性・公共性尊重(=個人取引重視)の正義派・アレックス・ヴァンダーボルトの対立を軸に展開する。単純二元対立的な構成に若干疑問を抱かないではないが(例えば、法人取引と公共性は必ずしも背反しない!)、例によって周囲の人間模様やディテイルがしっかりと捉えられているし、又その後の現実の金融界の展開に示唆するところも多い。本作のストーリー運びとは逆に、日本の“失われた10年”は収益至上主義派によって、社会性尊重派が追い払われた結果であり、当時この小説を愛読したエリート金融マン達はここから何も学び取らなかったということになる。

とにかくこのストーリーが面白かったので、それ以前の作品へと遡って楽しむとともに、次なる新作を待ち望むようになった次第である。

「最後の診断」(59年)

病理部門を牛耳る頑迷固陋な老医師ピアソンを中心に置いて、総合病院を舞台に医師の世代対立をテーマにした作品。

「権力者たち」(62年)

  カナダ首相・ハウデンを主人公にした政治の世界。上梓当時まだカナダは一流国とはいえず、そこを舞台としたのはカナダ人・ヘイリーならではの作品といえよう。・・・現実世界では、その後68年にピエール・トルドーが首相に就任。彼は通算18年に亘って権力の中枢にあり、強い愛国心と断固たる信念、卓越したリーダーシップでカナダを一流国に押し上げる一方で、バーブラ・ストライザンド等ハリウッド女優と浮名を流し、小説よりももっと華麗でドラマチックな人生を送った。(00年逝去) 彼との対比でこの小説を読むのも一興である。

「大空港」(68年)

大寒波の中を離陸したボーイング707が機内爆破で緊急着陸・・・という航空機パニックであるが、単なるパニック物に終わらず、災難に遭遇した乗客、救出に懸命の空港関係者の人間ドラマを熱く描写したところにヘイリーの真骨頂があるといえよう。後述するようにヘイリーの作品は殆ど映画&TVで映像化されているが、映画化された「大空港」も出来栄えがよく、この小説は70年代パニック小説&映画の嚆矢となったといえよう。

「自動車」(72年)

新車開発に熱中する副社長アダム・トレントンを主人公に自動車業界の激しい競争、メーカーの抱える問題点、それらに翻弄されそうになる人達の生活を描く。ヘイリーの慧眼・洞察力には毎度のことながら感心させられるが、本作中に「・・・どれだけ品質が向上しても日本車だけは無関係ですね。つまりこのガラクタを作った日本のメーカーは・・・」といった表現がある。それが当時の現実であったのかもしれないが、さすがのヘイリーもその後のトヨタ&ホンダの快進撃は予測出来なかったのである。

 「マネー〜」の次にでたのが「エネルギー」(79年)、今度は電力業界で、破壊活動や盗電問題等業界の抱える問題点を鋭く抉り出す。 「ストロング・メディスン」(85年)は製薬業界の深淵部に切り込む。

「ニュース・キャスター」(90年)は題名どおりマスコミ界がテーマ。人気キャスターの家族がテロリストに誘拐されたことから、人命と報道を巡り、キャスター本人の有り様、報道スタッフの態度、親会社の利益等々の苦悩と葛藤が浮き彫りにされる。

「殺人課刑事」(97年)

警察を舞台にした業界小説・・・というよりもフロリダを主な舞台にしたハードボイルドタッチのコップ小説といった趣が強い。それでも、やはり主人公はじめ登場人物の人間像がしっかりと描き込まれているのはさすがヘイリー。従来の路線と一線を画すタッチであるが、歳を重ねながら、更に時流に乗ったアクション一杯のコップ分野に挑んだヘイリーに拍手を送るのが正解ではなかろうか!  

注) ヘイリーは04年11月24日、バハマのニュープロビデンス島にて逝去(享年84歳)

ポール・アードマン

  イラン・パーレビ王朝の崩壊や石油危機を予測し(尤も実際の王朝崩壊とはプロセスは全く違ったが、この当時CIAでもそんなことを予想だにしていなかったのではないか?)大胆不敵なストーリー展開で読者の度肝を抜いたのがポール・アードマンの

「1979年の大破局=再版で改題して、オイルクラッシュ」(76年)カナダ生まれの彼はバーゼル大学で博士号を取得し、若くしてスイスのユナイテッドカリフォルニア銀行頭取となるが、ココア投機で失敗して倒産、獄舎に入った経験を持つ。しかし転んでもただでは起きないタフな人物であり、獄中で自己の体験を基に「10億ドルの賭け」(73年)を書き上げて作家に転じた。冒頭の3作目で一躍脚光を浴び、以降金融界の仕組みと裏面を知り尽くした豊富な知識をもとにした壮大な虚構を次々と提示し、金融経済コン・ノベルでは他の追随を許さない独自の世界を築いた。

「シルバーショック」(74年)

「1985年の大逆転再版で改題して、アメリカ最後の日」(81年)

「マネーパニック‘89」(87年)

「カジノ砂漠の巨大ビジネス」(88年)

「暗号名スイスアカウント」(93年)・・・ナチスのプレッシャーに対峙する永世中立国スイスの葛藤をテーマに描いた作品。

「ゼロクーポンを買い戻せ」(94年)

「無法投機」(99年)

  この中で一番面白いのが、「ゼロ〜」で、地方債の超長期ゼロクーポン債を使った金融犯罪小説。数学とコンピューターを駆使したマネーゲームとか、長期債の仕組み、為替投機等がスリリングなストーリー展開とともに詳細に披露され、一級のエンタテインメントに仕上がっている。

一番新しい「無法〜」はFRB前議長のブラックがスイスで身に覚えの無いインサイダー取引で逮捕されたことに始まる大陰謀劇。例によって国際金融の裏の世界が描かれているが、アードマンは読者サービスを考慮しすぎたかのか冒険活劇の色合いが濃く、読者が著者に期待する金融構想=虚構面ではそれ程の斬新性は無いともいえる。

フレデリック・フォーサイス

  どこまでが真実で、どこからが虚構か?・・・スケールの大きな構想と精緻なデータ収集に基づいたリアルな描写とダイナミックなストーリー展開で読者をグイグイと惹きつける国際謀略小説の第一人者がフレデリック・フォーサイス。歴史・国際関係に対する深い認識と格調高い文体で知的興奮を喚起して、まさに読み出したらやめられないエンタメ小説界のナンバーワン=キングといえよう。

「東」で、虚構を事実と思わせる手法で描いて日本の歴史小説の在り様を一変させたのが司馬遼太郎だとすれば、「西」で真実と虚構の融合によるリアルなタッチにより、それまでのどちらかというと“絵空事”の展開一辺倒に近かったエンタメ小説を一変させたのがフォーサイスではないか!

ロイター通信員としての体験に基づいたノンフィクションの「ビアフラ物語」(69年)がデビュー作であるが、本格小説としてはドゴール将軍暗殺をテーマにした「ジャッカルの日」(73年)が第一作。・・・反ドゴールのOASが今度こそは!と、7回目の暗殺を企てて送り込んだスナイパー・ジャッカルとレベル警視の死闘を、実と虚が交錯するスリリングなストーリー展開で描く・・・

これで一躍世界的人気作家の地位を固め、後は出す作品が全てベストセラー、しかもどの作品も全て面白い。(翻訳出版は全て角川書店==全て名翻訳家・篠原 慎氏の訳で読めたというのもよかったかもしれない。)

「オデッサファイル」(74年)

ナチス親衛隊(ss)残党の秘密組織“オデッサ”の陰謀を追うストーリー。西欧世界の裏側で密やかに、ナチスの執拗な陰謀と恐怖は今も続いているのであろうか??と余韻を残す。

「戦争の犬たち」(75年)

西アフリカの小国を巡る陰謀と傭兵達の戦いを鮮やかに描いて、群を抜いて面白い。・・・著者は印税で稼いだ金で、実際に傭兵を雇い、暴政を敷くアフリカ某国のクーデターを企てたと噂されるだけに、すこぶるつきの迫真性がある。

「シェパード」(75年)

「ブラックレター」、「殺人完了」、「シェパード」(霧の中から現れて、墜落しかけた戦闘機を救うモスキート機・シェパード・・・) 初めての短編集。壮大な構想の長編とは趣を異にして、著者の味わいのある語り口は素晴らしい!

「悪魔の選択」(79年)

ソ連邦の食料危機の中でクレムリンにおけるタカ派と穏健派の対立、アメリカの攻勢、ソ連を憎むテロリストの暗躍、その果てに巨大タンカー爆破か米ソ対決か? という悪魔の選択が迫る・・・国際謀略の進展とスリリングなストーリー展開で、フォーサイスの特徴がよく出た作品。

「帝王」(82年)

「シェパード」に次ぐ短編集。「帝王」・・・休暇中のモーリシャスの海で生まれて初めてのトローリングで500kgの伝説のブルーマーリン“帝王”を偶々引っ掛けてしまった中年銀行マンが格闘を続けるうちにある思いが生まれる・・・「老人と海」を彷彿とさせる佳作。他の、「よく喋る死体」、「アイルランドに蛇はいない」、「免責特権」、「完全なる死」、「悪魔の囁き」は何れもエスプリとアイロニーが効いて、なかなか面白い。

「第四の核」(84年)

ソ連書記長がイギリスをターゲットに西欧世界を転覆させる極秘計画・オーロラ作戦を進行・・・「悪魔の選択」と本編の2作が、冷戦がホットウオーの直前までいく米ソ対決の瀬戸際までを描いた作品である。余談ながら日本のスパイキャッチャーとして佐々淳行氏がチラリと登場。フォーサイスの綿密な取材の披瀝か、或いは日本向けのサービスか?

「ハイディング・プレイス」(84年)

フォーサイスが(ちょっとお遊びを兼ねて!)日本に取材した作品。当時人気絶頂のフォーサイスでひと稼ぎしようと、フジTVが映像化を目論んで企画した作品という記憶があるが・・・(従って、本編のみ角川でなく、フジテレビ出版による・・・今となっては珍品扱いか?)

「ネゴシエイター」(89年)

誘拐やテロとの交渉のプロ=ネゴシエイター・クインが大統領子息救出の現場に復帰するが、交渉の過程でソ連軍・米軍需産業・石油資本が交錯する陰謀を明らかにしていく・・・まさに当時の国際情勢が複雑に絡み合う様を鋭く描いて作者の筆力が冴える一編。

「騙し屋」(91年)・・・「騙し屋」(東西の壁の狭間で苦悶する西独工作員を巡る駆け引き)〜「売国奴の持参金」(ロンドンでの演習中にアメリカ亡命を希望したKGB大佐の隠された謎)〜「戦争の犠牲者」(カダフィのIRAを利用したロンドン襲撃計画の陰謀)〜「カリブの失楽園」(英領バークレイ諸島の総督暗殺事件の真相解明)といった具合のマクレティ4部作・・・

  冷戦の終結とともにリストラの対象になったイギリスDDPS(欺瞞工作専門部署)のたたき上げ部長サミュエル・マクレティが“お払い箱”を不服として、聴聞委員会で過去の功績を申し立て現役続行を図る・・・という設定で、人情味溢れる(?)マクレティが東ドイツからカリブの島迄を舞台に、虚々実々の駆け引きと知謀の限りを尽くす。諜報活動最盛期を追想して、スパイ黄金時代終焉の哀切を滲ませる。

「イコン」(94年)

ソ連邦が崩壊したあと、混乱の中に生じるファシストの台頭とその恐るべき陰謀に如何に対処するか?・・・今後にも通じる怖〜いリアリティを包含した作品。前のマクレティ4連作で“スパイ達の挽歌”を奏でた感のある作者は、本作で“東西対立の終焉”により自身のメイン・テーマは終わったと断筆を宣言。

「神の拳」(98年)

   湾岸戦争におけるサダム・フセインの恐るべき謀略を防ごうとする秘話をドキュメンタリータッチで描く。・・・断筆宣言から4年ぶりの書き下ろし。“サダムの暴虐”に作家魂が呼び覚まされたというところかもしれないが、相当部分ノンフィクションの進展の上にさわりのフィクションを乗っけたという筋立てで、やはり最盛期の筆者独特のダイナミックな展開からすると些か物足りない。

「マンハッタンの怪人」(00年)

 ガストン・ルルーのホラー小説をアンドリュー・ロイド=ウエーバーがロマンチックなミュージカルに換骨奪胎。そしてウエーバーの解釈に強い印象を受けたフォーサイスが更に構想を膨らませてその続編を創作。各章を登場人物に語らせてストーリーを進行させるという斬新な方式をとっているのも面白いが、ストーリーは更に面白い。原作をしっかりと踏まえた上で、波乱万丈にして、しかもエンディングに至るまで破綻のない完璧な筋立てを作り上げているのは流石フォーサイス!と感服させられる。

 ニューヨークとその近郊の19世紀から20世紀への移り変わりをしっかりと捉えさまざまなディーテイル描写に感心するが、この小説のメインテーマは心の奥で深く愛し合いながら決して成就することのない男女の”悲恋”である。

 次の「時をこえる風」といい、ドキュメンタリータッチの長編エンタメ小説の大傑作を次々とものにしたフォーサイスが、最後に行き着いた処がピュアなラブストーリーであったというところが面白い!

「囮たちの掟」(04年)

 フォーサイスの作品は全て読んだと思っていたらそうではなかった! これは02年のハードカヴァーを04年に文庫本化したもので、2本の作品が収められている。最初の「囮たちの〜」はJ・ナンスの向こうを張ったような航空情報でスタートするが、後半はフォーサイスらしいどんでん返し。もっともストーリーが出来過ぎというか、やっぱりチョイと無理があるのではと納得できない箇所が散見される。少し腑に落ちないまま次の中篇、「時をこえる風」(=原題は「ささやく風=Whispering Wind)へいくと・・・

 なんとこれは、大傑作なのである〜〜カスター将軍第7騎兵隊のフロンティア・スカウト、ベン・クレイグは傷ついたインディアンの美少女”ささやく風”を助け逃した咎で、捕囚の身となるが、騎兵隊全滅の中で唯一人生き延びて彼女の部族に救われる。やがて二人は許されぬ恋におち、決死の逃避行へ・・・ここから予測もつかぬ波乱万丈のストーリーが、ワイオミングやモンタナの美しくまた厳しい大自然を舞台に展開される〜〜。

 ディーテイル的には、西部開拓史と大西部の地理に関する綿密&詳細な事前調査に流石フォーサイスと感心させられるが、そんなことはどうでもいいのであって、徹底したリアリストである作者がこんなファンタジーを創作したことに感動しました。これこそ究極のラブストーリーといえましょう。私的にはフォーサスの作品の中で最も強く心に残る、まさに珠玉の一編であります。

「アベンジャー」 /下  (08年)  篠原 慎 訳 角川文庫

 主人公デクスターはベトナム帰りで今は弁護士。しかしかつての手腕を活かして、“アベンジャー”というコードネームを持つ「復讐代理人」でもある。そんな彼にカナダ財界の大立者から、「ボスニア紛争時にボランティアとして活動していて孫をなぶり殺しにした犯人を捕えて米国司法当局に引き渡して欲しい」という依頼がくる。

現地に飛んで苦労の末、突き止めた犯人ジリチは旧ユーゴマフィアのボスで、今は南米の小国の奥深くの要塞のような場所に隠れ住む。一方CIAもジリチを利用して米本土テロ攻撃を阻止しようと彼を追う。

 辣腕とはいえ、一民間人のアベンジャーが国家権力を向うに回して如何に目的を達成するか?・・・知謀、スリルとサスペンス、そしてアクションとバイオレンス、緊迫のストーリーが展開する。

 第二次大戦、ベトナム戦争、そしてユーゴ紛争、そして国際テロ・・・半世紀の軍事紛争の舞台裏を描ききったフォーサイスしか成しえない軍事スリラーの傑作。中編小説であるが、盛り込まれた各エピソードの一つ(例えばカナダの大立者が如何にして身代を築いたか?、或るいは愛娘を追いこんだ卑怯な男への復讐譚、そして闇社会の天才ハッカーがどうしてコンピューターソフト会社の社長になりえたか?等々)だけでも立派な小説になりうるほどで、とにかく中味が濃い、面白さがぎっしりと詰まった大傑作である。

 他の作家なら、この魅力あふれる主人公でシリーズ化を図るところであろうが、この一編だけで止めるところがフォーサイスらしいといえる。

「アフガンの男」 上/下 (10年) 篠原 慎 訳    角川文庫

 2006年、パキスタン・ペシャワルに潜伏していたアルカイダの資金担当幹部アル・クールはパキスタンテロ対策本部に追い詰められて自殺。遺留品のパソコンのデータを分析したCIAはアルカイダの恐るべき陰謀を嗅ぎ取り、英国SISと協力してその解明に当たり、切り札として或る人物を選び出す・・・それはマイク・マーティン。

 彼は「神の拳」(98年作品)において、西側スパイと接触し、サダム・フセインの意図を解明するという大命を帯びて緊迫のイラクに潜入した英国SAS大佐。今は引退してイギリスの片田舎で終の棲家を築き上げようとしていた所であった・・・。西欧社会の危機を防がんという大義の前にして、マイクは安穏な生活を捨て再び、“アフガンの男”になりすまし、陰謀と危機の真っただ中に突き進んでいく。アルカイダの陰謀とは何か?それは最後の最後まで明らかにされず、読者は緊迫した気持ちで最後まで読み進んで行くことになる。

 こうしたサスペンスは勿論、ダイナミックなストーリー展開と、背景のアフガンの部族対立の歴史やアルカイダの構造等の克明な描写はフォーサイスならのものであり、そうした精緻な事実描写によって、部族対立や大国の利害に翻弄される真摯な個人の悲劇が鮮明に浮かび上がり、格調の高い作品となっている。アフガンの男・イズマートの魂に宿る、彼の廻りの世界全て消し去ったを西欧に対する憎悪、そして大義のために帰りえぬ道へと踏み出す男の決意・・・彼らの心情が読む者の胸をうって止まない。流石フォーサイスである。

  東西冷戦が無くなってしまっても、アラブやアジアを巡る国際謀略のネタは尽きないのであるが、たっぷりと稼いで悠々自適の身となってしまったフォーサイスには最早ハングリーでジャーナリスティックな取材精神は消滅してしまったのかもしれない。改めて振り返ると非白人世界、特にアジアは彼の描く世界から外れていたことが分かる。トム・クランシーが貪欲なまでにイスラムやアジア世界に挑んでいるだけに、フォーサイスの視点でこの分野を描いてもらいたかったという思いが残るのである。   ⇒ 98年に「神の拳」を最後に彼が「国際謀略小説」の執筆を事実上終えたときに、そのように感じたのであるが、その後思い出したように新たな作品(=アベンジャー、アフガンの男)を世に送り出してくれたのは誠に嬉しい限りで、しかも各作品が極めてレベルが高いのはさすがである!

 

トム・クランシー

 さて、今最も精力的なのがトム・クランシー。(粗製濫造との声もある!)・・・ライフワークの「ジャック・ライアン」サーガの他、共著(実態は名義貸しか?)とはいえ、「オプセンター」、「ネットフォース」、「パワープレイズ=ソード」と合計4本のシリーズを並行して出稿するという神業的な多作振りを継続中である。フォーサイスは先ずハードカバーであったが、クランシーはいきなり文庫であり、読者にとっては誠に有難い。(でも次第に大分量になってきて、結局は普通のハードカバー並みの資金投入を余儀なくされるのであるが・・・)

軍事・ハイテク分野での該博な知識と圧倒的なデータ・情報量を基にしたストーリー展開が彼の真骨頂であるが、その全ての始まりが85年の「レッドオクトーバーを追え」・・・突如、彗星の如く現れた新人作家は、潜水艦に関する驚くべき正確な知識と詳細な情報をベースにしたストーリー展開で、ハイテク軍事小説という分野を切り開いた。保険代理店を営む傍ら8年の歳月をかけた労作とはいえ、一民間人でありながら、一体どうやってこれだけの(国家機密にも迫るような)データ蒐集を行うことが出来たのであろうか?

 ともかくこれ1作で一躍人気作家の仲間入りを果たしたのであるが、第2作が「レッドストームライジング」・・・イスラム過激派によって根幹石油基地を破壊されたソ連は中東の油田侵攻作戦を立て、ワルシャワ条約機構軍とNATO軍との全面対決をむかえる・・・欧州全域での陸・海・空での戦闘場面が見事な臨場感でサスペンス一杯に描かれた快作で、以降似たような軍事小説がホイホイゾロゾロと登場する切っ掛けとなった。

これでクランシーはハイテク軍事小説の元祖&本家として更にスケールの大きい作品へと展開するかと思っていたら、3作目として登場したのが、「愛国者のゲーム」・・・1作目の主人公はソ連からの脱出亡命を謀る艦長・ラミレスであったが、ラミレスの意図を鋭利な推理力で察知し、原潜ダラスに乗り込んで追跡を指揮していたCIA分析官ジャック・ライアンがあらためて主人公として再登場。

・・・時はオクトーバー事件から少し遡った設定で、元海兵隊大尉のライアンは海軍兵学校教官。休暇旅行でロンドンを訪れた際に重傷を負いながらも身を呈してテロ襲撃から王室関係者を救い一躍ヒーローとなったが、テロリスト達の恨みを買い、一家が恐怖のどん底に叩き落される・・・テーマを、ライアン一家を襲う恐怖とテロリストとの対決に絞り込んで、シリーズの中でも出色の作品となっている。又ここでの一連の行動によってジャック・ライアンは世界的なストーリー・ヒーローとして圧倒的な支持と共感を得ることとなり、それをベースにクランシーはジャック・ライアンシリーズをライフワークとして壮大なサーガ・ストーリーへと展開していくこととなる。

「クレムリンの枢機卿」・・・KGB議長の米国亡命を巡るライアンや現場工作員ジョン・クラークの活躍。

「今そこにある危機」

コロンビア麻薬王との戦い。首脳部の背信行為に対し、窮地に陥った前線部隊救出の為ライアンが敢然と立ち向かう様に、現場の第一線を大事にするクランシーの価値観がよく現れている。

「恐怖の総和」

ライアンを敵視し貶めようとする大統領側近の女性安全保障問題担当補佐官との暗闘に苦しみながら、パレスチナ過激派の恐るべきテロと、新大統領ファウラーの失策が招いた世界危機に立ち向かうCIA副長官ライアンの活躍。 《尚、ここまでが文春文庫で、以降新潮文庫にシフトする。文春文庫のメダマ的存在であっただけに、舞台裏では激しい版権争奪戦が展開されたのであろうか?》

「日米開戦」

日本の政&財に跨(またが)る国粋勢力はシベリア資源を狙い、中国・インドと組んで陰謀を展開し、アメリカに戦争を仕掛ける。CIA副長官を辞し、証券業界に転じていたライアンはロジャ−・ダーリング大統領の懇請に応じて国家安全問題担当補佐官として復帰し、ソ連軍の協力を得て日本との戦争に勝利する。

ライアンを高く評価した大統領は二期目で彼の副大統領就任を要請。大統領就任式が行われようとする議事堂に, 息子と兄を奪われ絶望的な復讐の念に燃えるJAL機長・佐藤の操縦するジャンボ機が突っ込み,大統領以下の国家首脳陣が全滅。まさにそのとき副大統領就任に臨もうとしていたライアンが未曾有の危機の中でついに大統領へ・・・!

これはもう唖然呆然の無茶苦茶なストーリー展開で、永年に亘ってライアンシリ−ズを愛読してきた日本の読者としては実に後味の悪いかたちでシリーズが終了してしまうのか?(大統領になったらもう“アガリ”だもんなあ!・・・)と何とも残念な気持ちに囚われたのであった。

 また、佐藤機長のジャンボ機が議事堂に突っ込む“自爆シーン”は、クランシーとしてはカミカゼ特攻隊からの連想であったのであろうが、後に9・11事件が起きてみると、世間はクランシーが危機を予測したものであると騒いだ。しかし、事実は小説を超えたものであり、旅客もろとも、しかも複数機のハイジャックでテロリスト達が全世界を恐怖のどん底に叩き込もうとは、さしものクランシーの想像力を遥かに超えたものであったといえよう。

「合衆国崩壊」

イランとイラクの実権を握ったイスラムの指導者ダリアイは新米(しんまい)大統領指揮下の今こそ千載一遇の好機とばかりに卑劣なアメリカ崩壊作戦を仕掛け、ライアンは盟友達の協力を得て敢然とこの陰謀に立ち向かう。前作の破茶滅茶からストーリー構成を見事立て直して小説としてはシリーズ中出色の出来栄え。しかしアラブの人達が読んだらどんな印象を持つであろうか?この作品もまた一方で、実世界におけるブッシュの対イラク作戦との対比が話題の的となる展開ではある。

「大戦勃発」 (02/3)

ダリアイの陰謀の影で動いた中国の教条主義的実権者・張寒山は党と軍を裏で支配し、シベリアの石油と金を狙って侵攻作戦を展開。米ソは全面協力して人民軍と対決し、陰謀を粉砕する。(ここで米軍が投入する超ハイテク機器は、ラムズフェルド国防長官の重視するハイテク戦略とピタリ符合しているといえよう。)

  冷戦の終焉を見てフォーサイスは謀略小説の筆をおいたが、クランシーは“世に紛争の種は絶えまじ!”とばかりに、現実世界との対比において一段と執筆に情熱を注いでいる。毎回披露される情報量もあきれるほど膨大にしてしかも質も高いのは驚嘆の一語に尽きる。

尤もその一方で、彼の国粋主義的スタンスに毀誉褒貶は激しくなるばかりであるが、ともかくこれだけ人気を博する最大の要素は、主人公ジャック・ライアンの人格そのもの=彼の良心と愛と正義と勇気によるものであることは言を待たない。

クランシー本人はコチコチの右翼&愛国者であるが、「人道主義」を標榜したカーター大統領の指揮下で如何に米軍&諜報機関が弱体化したか、そして“アメリカの正義”を貫く為には、その状態から一刻も早く脱却すべきであるとシリーズ中で力説し、それをせめても虚構の中で実現する為にライアンを奇想天外な方法で大統領に仕立てあげたといえよう。

  ブッシュVSゴアの大統領選挙戦の最中に、「ジャック・ライアンを大統領に!」という看板が出たそうであるが、これを見てクランシーは「我が意を得たり!」とばかりに、にんまりとしていたことであろう。今彼は、自らをバーチャル・アメリカン・プレジデントとして任じているのである。(同じパワー信奉主義にしても、自分のほうが、現実の大統領よりはるかに知性や戦略性があると思っているかどうか・・・)

  「対戦勃発」にあるように、次なる仮想敵国は中国であるとの仮説は正鵠を得ているといえようが、「日米開戦」以来次第に鼻持ちならなくなってきたのは、クランシーの意識に強く流れる「白人至上主義」或いは「黄色人種&アラブ人蔑視主義」(=ストレートに言えば人種差別)である。

又、最近の作品において、混迷する世界の中においては、アメリカとロシアが手を組めば(但し、飽くまで米主導で)それが最善だとの確信を深めているようだが、さて、これはどうであろうか?現在でも狡猾なプーチン率いるロシアは一筋縄でいかぬし、将来ともそう簡単に盟友扱いは出来ぬことであろう。

  ともあれ有色人種蔑視のクランシーの意識は気高きライアンの人格とは相容れないところがあり、最新作において再びライアンシリーズは袋小路に入ってしまった感がする。この先どう立て直すのであろうか?

「教皇暗殺」(04/4)  

 ・・・と心配していたら、久し振りに新作が出ました。前作での私の疑問に一つの解決策が提示されていました。 カバーのイラストを見ると、「1」が教皇、「2」がアンドロポフ・・・ということは・・・かなり昔の、KGBによる(と推測される!)ポーランド出身の教皇暗殺未遂事件がテーマで、これに若き日のライアン達が絡む筋立てだと分かる。””ハハ〜ン、きっと映画「恐怖の総和」でライアンをCIAの駆け出し分析官に設定を変えたのに味をしめたナ? でもこれじゃあ、私のような《ライアンおたく》しか楽しめない。新しいファン層は開拓できないゾ!”と思いつつページをめくっていきました。ところが、読みはじめたら、もう止められない、とまらない!

 〜〜ライアン一家はIRAテロリスト、ショーン・ミラー達の襲撃から逃れて僅か5ヵ月後、グリーアCIA副長官の肝いりで英国SISへ研修派遣。一方凄腕のスパイ、エド&メアリ・フォーリ夫妻はCIAモスクワ支局長として念願の地へ赴任。そしてモスクワではKGB通信担当将校ザイチェフがアンドロポフ議長によるローマ法王暗殺計画を知り良心の呵責に悩み、エド・フォーリと遭遇。この3人の仕事と心情そして行動が、落ち着いた文体と丹念な描写で活写されていきます。

 まるで自分がすぐ傍で全てを見聞きしているような、迫真のリアリティです。これまでも圧倒的な情報量をもとにしたクランシー・ノベルの”リアリティ”には定評がありますが、今回は当時(=20数年前)の大物政治家が次々と登場して更に迫真度を増しています。なんとも深みのある描写は凄いの一語に尽きます。読後感としては「よくぞ、素晴らしい昔へ連れていってくだすった!」というところであります。

「国際テロ」(05/8)

 6月に出たクライブ。カッスラーの「ダーク・ピット」シリーズ最新作でピット・ジュニアへの引継ぎが示唆されたが、その2ヶ月後の本作では成人したジャック・ジュニアが主人公として登場する。米国エンタメ小説を代表する(?!)2大人気ロングシリーズが期せずして次世代へと移行していくことに時の流れを痛切に感じざるを得ない・・・。

 振り返ってみると、第1作「レッドオクトーバー〜」が出たのが85年だからもう20年が過ぎたことになる。主人公ジャック・ライアンの最初の活躍は「愛国者のゲーム」=1作目より数年遡った設定で、大ジャックは時に31歳。一家を襲うIRAテロリストの恐怖にジャックが対峙したときに妻キャシーのお腹の中にいたのが、ジャック・ジュニアであるから、ジュニアが大学(=ジョージタウン大学で経済学と数学を専攻)を卒業して社会人となっても当然の歳月が経過しているのだ。

 ジュニアとジェリー・ヘンドリー(元上院議員で、非公開対テロ組織”ザ・キャンパス”のボス。大ライアンが政治家で最も信頼した人物とのことだが、それにしては過去の作品で彼の名前は記憶にない!)との会話を通じて、「大戦勃発」以降の”チームライアン”のその後が回顧され、永年の愛読者は”ああ、ついにジャック・ライアンの時代は終わってしまったのだ!”とうたた感慨を禁じえない。

 〜〜大ジャックは再選に立つことなく引退し、後継者に想定したロビー・ジャクソンは狂信的な差別主義者に暗殺され、次の大統領はなんとあの卑劣漢・キールティというからオドロキだ!これは現実の世界でもトンデモナイ人物がリーダーとなり混乱を招いていることを皮肉ったものと考えるのは穿ち過ぎというもので、いやいや欠陥人物がトップにいたほうが、新主人公たちの活躍の場が広がるという作者の深慮遠謀なのでありましょう。

 過去への感傷はさておき・・・ジュニアは”キャンパス”に入るや情報分析官として優れた才能をを発揮し、双子の従兄弟・カルーソー兄弟は現場作戦要員として対テロの最前線に立つ。この新しいライアン・ファミリーがアメリカに卑劣な攻撃を仕掛けたテロリストたちを追い詰めていく過程が克明に描かれる。例によって最新IT情報を基に、アメリカ、ヨーロッパ、コロンビア&メキシコと多面的・重層的に展開するストーリーがやがて一つに収斂していく展開の面白さは文句なし。 但し、いくらテロ対策とはいえ、”ヒットマン”となることへのカルーソー兄弟の大いなる逡巡は、読者にとっても主人公達へ”感情移入”できるかどうかの逡巡でもある。

 ともあれ、かくてジャック・ジュニア(と従兄弟)は優秀でタフな新人として、しっかりとデビューした。このあと作者・クランシーは、スケールの大きな舞台をどのように設定していくのか(大ジャックもまだ枯れきってはいないようだし)大いに楽しみである。

「デッド・オア・アライブ」

 「国際テロ」という殺風景な邦題の作品から、久し振りに「ザ・キャンパス」シリーズの第2部が出ました。

 冒頭になんと懐かしいジョン・クラークと娘婿のチャベスが登場。隠密国際テロ対策組織「レインボー・シックス」を退任するところから話が始まります。“帰りがけの駄賃”でテロ人質事件を解決し、「ザ・キャンパス」へ参加することになりました。

 彼らの行くところに事件ありで、テロ組織ウマイヤ革命評議会のリーダー・アミールは合衆国を内部から崩壊させようと、恐るべき陰謀を計画。ジャック・ジュニアは傍受したメールからアミールの陰謀を嗅ぎつけ、「ザ・キャンパス」は組織を挙げてアミール等の陰謀を阻止せんと行動を起こします。一方失政を続けるキールティ大統領を見かねたジャック・シニアは腹心のアーノルド・ヴァンタムと語らいながら、次期大統領選に出馬する腹を固めます。

 懐かしのチーム・ライアンがほぼ出揃い、ビンラディンを彷彿とさせるアラブ・テロリスト達との闘いが世界中を舞台に展開し、2作目にして本シリーズが漸く躍動した感じです。先見性のあるクランシーは、オバマがどうしようもないと、既にこの時点で見切っていたのでしょうか?

「ライアンの代価」 (2012年10月)

トム・カランシー  マーク・クリーニー  田村源二訳 新潮文庫

パキスタンの影の実力者レバン将軍はロシア・ダゲスタンのイスラム反政府組織、更にはロシアのロケット産業企業家を巻き込んで恐るべき陰謀を実現しようとし、それを察知した「ザ・キャンパス」は陰謀を阻止せんと必死の活動を行う。

 一方ジャック・ライアンはキールティとの大統領選の闘いを有利に進めるが、キールティを支援する大富豪ラスカはクラークの秘めたる過去を暴きだしてジャックを追いこもうと謀略を巡らし、クラークは国家から追われる身となり、絶体絶命の危機に陥る・・・。

 例によって舞台はアメリカから、ダゲスタン、カイロ、パリ、パキスタン、ドバイ、ドイツ、モスクワ・・・と広がり、各地で様々な謀略とテロ、そしてそれ等への必死の対策が展開される。

 スケールの大きさは言うまでも無く、今回パキスタンの内包する問題を鋭くえぐり出し、国際テロの恐怖を正面から見据えた“キャンパスシリーズ”3部作の中でも快心の作となっている。

 壮大なストーリーの中で、各登場人物の個性が鮮やかに描かれているのも本作の特徴であるが、特に“チーム・ライアン≠フ中で私が好きなジョン・クラークが本作においては真の主人公であり、ある意味で彼のこれまでの人生が完結したと言える。

 現実世界におけるオバマの体たらくに業を煮やしたクランシーが、再びジャック・ライアンを大統領に押し上げたと察せられなくもないが、さて再び大統領となったジャックの前にどんな大事が待っているのか、その一方でジャック・ジュニアの(危険な)恋の行方は・・・今後の展開が益々楽しみとなってきた。

「米中開戦1〜4」(14年))トム・クランシー、マーク・クルーニー 田村源二訳 新潮文庫

ザ・キャンパスシリーズの完結編

経済成長路線の破綻した中国は窮状を脱するため、南シナ海地域制圧、台湾侵攻、香港併合を目指す。ウエイ主席の窮地を救い、彼と手を組んだ蘇克強中央軍事委員会主席は武力による強行突破とともに、ITの天才董(トン=通称センター)に命じてアメリカに対してサイバー攻撃を仕掛ける。

サーバー攻撃に気付いたジャック・ジュニア、ドミンゴ・シャベス、そしてクラーク等ザ・キャンパスのメンバーはイスタンブール、香港、中国本土と飛び回って陰謀に対抗する。

やがてサイバー攻撃により甚大な被害をこうむったアメリカのジャック・ライアン大統領はこの危機にいかに対処するか?ジュニアと恋人メラニーの恋の行方は?・・・まさに、“今そこにある危機”を圧倒的なスケールとリアリティで描き出した、クランシーの面目躍如の傑作。

誠に残念なことに、クランシーは2013101日心臓疾患によりボルチモアのジョン・ホプキンス大学病院で66歳で急逝。

既に出稿していた次作がライアン・シリーズ最終作にして彼の遺作となる

 

 

さて、このシリーズの人気の秘訣のひとつに、ライアンの盟友として多くの魅力的な脇役が登場していることがあげられるが、その代表的な一人がCIA現場工作員のジョン・クラークである。シリーズの中ではいぶし銀のような扱いであるが、クランシーも彼のキャタラクターがいたくお気に入りのようで、それが証拠にクラークに別途、独立した活躍の場を与えている。

「容赦なく」

ここでクラークの前半生における数奇な運命を描いている。・・・何気なくこのストーリーを読んでいて、アッこれは「彼」じゃないか!と気づく次第である(ライアンの父親も登場)が、その後CIAの現場工作員となって優れた才能を発揮し、ライアンの出世とともに歩んだ彼は、ライアン大統領の命によりCIAと英国SASが協力して作り上げた対テロ国際組織・レインボーの長官として英国に赴任。その活躍を描いたのが「レインボー・シックス」

  「容赦なく」で、軍から離れた一匹狼として麻薬組織を殲滅したクラークが、如何にして再び国家権力の一員たるCIA工作員となったか(シリーズでは「クレムリンの枢機卿」で初めて登場)その過程はまだ明らかとなっておらず(「日米開戦」でサイパンに上陸したクラークを見て、当時彼を追っていた元警官が幽霊かとビックリするシーンが印象的である)、“クランシーおたく”としてはこのミッシングリングの解明が待たれるところなのだ。

 他のシリーズに目を転じてみると、次に面白いのが、「オプセンター」シリーズ。これはスティーヴ・ピチェニクとの共著となっているが、重層的に展開する局面をそれぞれ緊迫感を持って追いながら、やがて一本に収斂していくという、クランシー得意の表現手法が上手に現れている。

・・・アメリカは気高く勇敢であるべき!という信念を持つマイクル・ローレンス大統領(ジャック・ライアンよりこちらがクランシーに近いか?)のもとで、CIAと国防総省の予算を割いて(“くすねて”といったほうがより適切か?)秘密裏に結成された、地域紛争解決の為の組織・オプセンターの活躍を描くシリーズ。

話は韓国から始まって、欧州〜中近東と世界中に飛んでいく。各地域の紛争ネタの把握と分析が毎度几帳面に行われてしかも的を外しておらず、それが本シリーズの面白さの源であるといえる。

又、投資銀行頭取〜ロス市長から転じてタフ&ハードな組織のトップになったポール・フッド長官、生粋の現場育ちの軍人たるマイク・ロジャース副長官をはじめ、組織のメンバーのキャラクター(=皆スーパーマンではなくて長所と欠点を併せ持つ)がよく描きこまれており、派手な戦闘&アクションシーンの一方で、人間くさいドラマが展開するところも他のシリーズと趣を異にして、本シリーズの魅力といえよう。(但し、邦訳タイトルは噴飯もの!である。)

「ノドン強奪」(98年)・・・北鮮の弾道ミサイルの存在を利用した韓国の狂信的軍首脳の陰謀。現在の“北の危機”を先取りして、クランシーの“軍事勘”の良さを示す一編。

「ソ連帝国再建」(00年)・・・軍部やマフィアまでもと組んで、国家主義の恐怖帝国を復活しようとするロシア内相の陰謀。

「欧米掃滅」(01年)・・・ドイツにおけるネオナチズムの台頭と、その裏でインターネットを悪用してアメリカ社会転覆を狙う黒幕。

「流血国家」(01年)・・・トルコ南西部のダムを破壊したことに始まるクルド人テロリスト組織との戦い。今回のイラク戦争でも浮き彫りにされた中東のクルド問題を取り上げて又々クランシーの勘の良さを示す一編

「自爆政権」(02年)・・・スペイン少数民族過激派による国家転覆の陰謀

「国連制圧」(03年)・・・テロリスト集団が国連本部を占拠し、あろうことか退任準備に入ったフッド長官の長女も人質になってしまう。何の主義主張も無く、ひたすら金が目当てのテロリストは、目的が達せられる迄一人又一人と人質を殺害し始めた。絶対の危機に新任の国連事務総長はどう対処するのか。そしてフッドはじめオプセンターの面々は如何に動くのか?

・・・国連は調停機関であって、独自の武力を持たない。従って調停で解決出来ない事態には対処できない?!・・・イラク攻撃を巡る米仏の白熱の論争を思い起こさせるストーリー運びで、エンディングに至る過程はイラク問題を踏まえクランシーが主張したかったことなのであろうか?

「油田爆破」(04/9)・・・前作から1年以上経過しての出版であるが、ストーリーは「国連制圧}の1週間後から始まる。(どうも最近のこのシリーズは、次々と切れ目無く国際紛争が続いていくようである。尤も、現実世界もそうかもしれない!)

 前作の舞台は国連に限定され、またフッド長官夫妻の問題に比重がかかり、もう一つスカッとしなかったが、今回はアゼルバイジャン=モスコー=ワシントンと展開し、物語のテンポもよく、本シリーズのなかでも出色の出来映え。アクション映画と同様に、斯種小説では悪役の存在が大きいが、凄腕のスナイパー&テロリスト・ハープナーの動きが光っている。

 又ホワイトハウスの内側(=ハード&システム)を描写した作品は数多いが、本作はあたかも「ホワイトハウス見学ツアー」をしているがの如く、建物やシステムそして所蔵品について詳細に記述してあり、クランシーの”情報小説家”としての面目躍如といえよう。

 尤も、一つ気になるのは(ライアンシリーズでも指摘したが)、ここでも米ソの連携が問題解決のキーポイントとなっているところ。どうも”バーチャル・プレジデント”としてのクランシーは、しきりに米ソ協調による世界統一を希求しているようであるが、それは違うのではないか?・・・卓越したアナリストでもあるクランシーとしては、この点に関しては珍しく分析が甘いとの謗りは免れない。

「起爆国境」(05/3=伏見 威蕃・訳)・・・今や連続危機が売り物(?)の本シリーズ。「国連制圧」の余波がまだ消えないタイミングで、今度の舞台はインドとパキスタンの国境で、峻険な峰々と氷河が迫る極寒の地。ともに核兵器を保有する両国の間に一触即発の事態が発生し、核戦争の危機が迫る。フッド長官とボブ・ハーバートの情報分析に基づいて、根っからの現場指揮官・マイク・ロジャース副長官指揮のもと、オーガスト大佐率いるストラーカー部隊が世界を救うべく現地へと飛ぶ。

 〜〜寒風吹きすさぶ氷河の谷間での絶望的な闘いが、圧倒的な迫力で描写され、どんな困難もものともしないストライカーたちの気高く雄雄しき姿に感動を覚え、涙を禁じえないほどである。と同時に、ワシントンでのフッド長官の政治権力との悪戦苦闘にも同情を禁じえない。最高権力とその周辺は自己防衛に終始し、常に責任を負って困難を解決するのは現場ある・・・というクランシーのスタンスが鮮明に読み取れる。シリーズの中でもベストの迫力&出来映えといえよう。

「聖戦の獅子」(06/9=伏見 威蕃・訳)・・・ボツワナでカトリック神父が誘拐された。オプセンタースタッフは大いなる危険を予知し真相解明に注力する。やがて犯人はキリスト教聖職者の国外退去を要求し、ヴァチカン保安局(実際にこんな組織があるのだろうか?!)がオプセンターに協力を求める。

 アフリカ小国家における陰謀を廻るストーリーで、シリーズの中でもスケールは小さいが、この種小説では邪教として軽く片付けられるブードゥー教をここまで深く解釈した点や、オカバンゴ沼沢のリアリティ溢れる詳細な描写には感心させられる。

「起爆海域」(07/9=伏見 威蕃・訳)・・・ セレベス海域でプレジャーボートを襲ったサンパン海賊船が逆襲を受け、瀕死の重症でオーストラリア艦船に救助された唯一の生存者から放射能が検出される。偶々シドニーを訪れていたオプセンター法律顧問コフィーは捜査協力を要請され・・・ここから核廃棄物質をかすめて陰謀を企む謎の勢力の解明を巡ってオプセンターの危機管理が開始される。

センターは前々作で武力組織(ストライカー)を亡くしている設定なので華々しいアクションシーンはないが、その代わりスタッフがハイテク機器装置を駆使し、鋭敏な分析力で一握りの情報から隠された真相に迫る過程や、「正義の実現と法の遵守」の対立を巡る情報官ボブ・ハーバートとコフィーのディベートなどは知的興趣を十分満足させてくれる。

 本シリーズは「国連制圧」あたりから登場人物の心象描写に重点が置かれているが、本作では一層その傾向が強い。脇を固める・・・シンガポール海軍女性少佐やジェルバード豪海軍兵曹長そしてレイランド消防隊長の人物像もしっかりと描き込んであり、この心象描写作戦は本シリーズに、他のシリーズとは異なった深みを与えているといえよう。  

「反逆指令」 上/下 (08年)  伏見 城蕃 訳  新潮文庫

 オプセンター・シリーズの第11作。合衆国の危機を救うものの、決して公にはしないゆえに、議会から予算削減を厳しく問い詰められて、窮地に立ったフッド長官は組織存続の為に現場部隊廃止を決断する。

 この結果、部隊の責任者ロジャース副長官はクビになり、永年の盟友関係は破断して、ロジャースは次期大統領のイスを狙う極右派上院議員に誘われる。その間オプセンターはテロリストを装った集団に襲われる。この未曽有の危機をフッド達はどう乗り切りのか?・・・

話の舞台は国内に限られ、これまでのような広がりはないが、ワシントンの腹黒い政治家と真の愛国者の葛藤は、今クランシーが最も頭を痛める、悩ましい命題だというのが良く分かる一編であります。  

 

「最終謀略」  War of Eagles /下 2009年 伏見威蕃 訳  新潮文庫

 ポール・フッドは突然大統領から呼び出され、大統領特使の地位を与えられる。オプセンター長官の後任はキャリー陸軍中将(女性)を充てるという。・・・フッド本人ばかりか、読者も冒頭から驚きの展開となる。

 折しも南アフリカ・ダーバンで砂糖備蓄サイロが破壊され、その数時間後に台北の高級クラブが爆破されるという事件が勃発。ボブ・ハーバート等オプセンターのスタッフはそこに中国政権内部の抗争の兆を嗅ぎ取る。

 果たして、北京では教条主義者である諜報組織の長と、積極膨張主義(=侵略主義)の人民解放軍の将軍の間で確執が起き、間に立つ首相(=周恩来を想い起こすような)が悩みを深めていた。

 ポールは真相を確かめるべく特使の立場で単身北京に乗り込む。そして将軍の恐るべき陰謀を、かつての副長官ロジャースとオプセンターに残るボブの協力を得て、寸前で回避する。

 物語はめでたし、めでたしとは言えず、新長官に無断でポールに協力したボブもオプセンターを追われ、3人がカフェテリアで顔を会わせて飲むコーヒーはかなりほろ苦い・・・。

 かくて、98年の「ノドン強奪」から始まったオプセンター・シリーズも12年を経て、まさにほろ苦いエンディングを迎えることになった。米国にとって国際紛争を極秘裏に解決する必要はまさに必須の要素になっている現在その時にこのシリーズが終わるのは誠に残念としか言いようは無い。

 クランシーとピチェニックの共著なのだから、いくらでもタイムリーなストリー作りは可能であっただろうが、途中から祖国に忠誠を誓った純粋テクノラートと政治家の駆け引きにスポットを当て過ぎ、とうとう政治の世界に押しつぶされるような流れにせざるを得なくなったのはクランシーの失敗ではないか!

 いや、そうした薄汚い政治の世界を告発するのがクランシーの真の狙いだったと理解しよう・・・。

《以上全て新潮文庫》  

 

 まあ、それにしてもよくも次から次へと作品を繰り出してくるものよ!

 さて、次なるシリーズは「ネットフォース」で、これもクランシー&ピチェニクの共作で、Wからはスティーヴ・ベリーがチームを組んだ作品であるが、近未来におけるネット犯罪をテーマにしている。それぞれのストーリー展開はこれだけ作品が多発されるともう慣れっこになって些か食傷気味であるが(それでもやっぱり読んでしまうのは、もう完全なクランシー中毒といえよう!)、軍事のみならず、IT分野におけるクランシー達の知識と理解の深さには又々驚かされる。

 最近のエンタメ小説はITを理解しないと書けない(あらゆる犯罪にコンピューター&情報処理は不可欠の要素!)といっても過言でないが、クランシー・チームの理解はなかでもピカ一で、とりわけ本シリーズの中でネットフォース・メンバーの操るヴァーチャルリアリティ・ソフトの素晴らしさは、めくるめくような夢と楽しさがある。

  又、クランシーは女性を描けないと謂われるが(いや、彼に限らず殆どのエンタメ作家又然りであろうが、例えばライアンシリーズのキャシー夫人にしてもあまりにも良妻賢母すぎるのだ!)、ここではトニー・フィオレンティーナという極めて魅力的な女性を創り出している。〜イタリア系の超のつく美人にしてしかも色っぽく、頭脳明晰で芸術的才能豊に恵まれ、そして更にインドネシア古武術の達人というのだから恐れいる。再婚した旦那のマイケルズ隊長以上にクランシーがゾッコンのようで、二人の愛のシーンは良質な(?)ポルノを見るような感じがする。(・・・ん?“荒事”の味付けをする為の単なる読者サービスであって、やっぱりクランシーはほんとの女性を描けてないんじゃないのかえ!・・・)

「T/ネットフォース」(99年)

2010年、コンピューター犯罪を取り締まるためにFBI内に精鋭を集めてIT特捜隊・ネットフォースが設立された。この組織は単なるネット管理ポリスではなく、ストライカーという武力組織を併せ持つところがミソで、頭脳と体力=武力でネットテロに立ち向かう。登場人物の中で、ストライカーの隊長・タイラーとその一人息子の人物設定がいい。

「U/国家強奪計画」(00年)

次々と発生するネット情報遺漏事件の裏に潜む陰謀。それに対峙する多忙の中において、いくつもの恋が進行する。いきなりネットフオースは恋の花盛り状態=恋の情熱はITを凌駕するということなのか?でもこんなんでいいの?とチョイと疑問が起きないでもないのだ。

「V/憂国のテロリスト」(00)・・・英国貴族が量子コンピューターを開発した天才ハッカーと手を組んで世界制覇を狙う。“夢の量子コンピューター”の魅力&威力を先行提示したところがミソか!

「W/殲滅の周波数」(01)・・・海軍コンピューターから低周波兵器(人の脳波を狂わせて殺人マシーンと化す非破壊武器)の機密をハッキングして中国に売りつけようとする企み。

「X/ドラッグソルジャー」(01)・・・平凡な人間を無敵の野獣へと豹変させるドラッグを巡る闘い。ドラッグ社会に警笛を鳴らす意味合いと思われるが、クランシー全作品を通じて一番スケールの小さい失敗作。

「Y/電子国家独立宣言」(02)

サイバーネイションなるネット国家を創設して世界制覇を企てる陰謀。前作から一転してスケールのデカイ作品。読んでいて、なるほど将来こういう企ては出現しそうだし、もしそうなったらイージーな若者達は(いや、リストラ&デフレに苦しむおじさんたちも)忽ち飛びつくのではないかという、笑えないリアリティがあることに気づく。

《以上全て角川文庫》

 さて最後に控えしは、「パワープレイズ」で、これはマーティン・グリーンバーグとの共作となっている。まあ、いうなら「オプセンター」の民間版みたいなもので、ヴェトナム体験から世界恒久平和樹立を誓うロジャー・ゴーディアンが率いる情報通信分野の多国籍企業アップリング社が非戦闘=専守防衛部隊(我が国の自衛隊がモデルか??)ソードを活用しながら悪に立ち向かい、平和と正義を守る・・・といった設定。

“専守防衛”とは謂ってもそれは理想であって、テロリスト達に対してはやっぱり武器を持って立ち向かわないとダメなのであって、民間企業にそんなことが許されるのか?⇒ どう考えても、本シリーズの基本的な設定にやや無理があるといえよう。

「千年紀の墓標」・・・千年紀を祝うタイムズスクエアへの爆弾テロに始まる、ロシアン・マフィアと組んだロシア過激派の陰謀と戦う。

「南シナ海緊急出動」(00年)・・・マーカス・ケインという悪党がアップリング社乗っ取りを狙って世界中でめぐらす陰謀と戦う。その渦中で組織NO:2のマックス・ブラックバーン(結構魅力的な人物設定!)があっさりと殺されてしまうがチョイと意外。

「謀略のパルス」(01年)・・・スペースシャトル爆破に始まる、麻薬王ハーラン・ディベインとの戦い。舞台はブラジルの奥地へと展開。

「細菌テロを討て!」(01年)・・・前作で生き延びた南米の麻薬王・ディベインは、細菌テロでゴーディアンの命を狙う。・・・現実世界におけるどこかの国の細菌テロに警鐘を鳴らす意味合いを感じさせる?

「死の極寒戦線」(02年)・・・イギリス北海での殺人事件、パリでの贋作騒動、そして南極での陰謀と例によって多層展開が南極へと収斂し、極寒の地で、ロジャーの右腕ピート・ナイメクが大活躍。アクション堪能の一方で、最新南極科学情報に触れることも出来る。まさにクランシー・チームに「未知」の文字は存在しない!

  「謀殺プログラム」(03年)・・・3度の失敗でも懲りず、打倒アップリング&ゴーディアンに執念を燃やすディベインが4度目の闘いを挑む。今回の舞台は赤道アフリカのガボン共和国と、カリフォルニア。

 該博な知識に限界の無いクランシー達は今回、熱帯ガボンの風土と政治、アフリカの深海の様子(海洋ものの王者・カッスラーも顔負けというくらいだ!)、そしてグレイハウンドや防御犬シェパードの生態等様々な事柄について知的好奇心を十二分に満足させてくれる。 スリルと緊迫感に満ちたストーリー展開はシリーズ随一であり、又クランシーにしては珍しくも(!)、ゴーディアンはじめ登場人物の人間性が深く掘り下げて描写されているのに感心。

「殺戮兵器を追え」(04年10月)・・・相変わらず芸のない翻訳タイトル。そして本シリーズ中最低の出来映え。舞台はカシミールまで広がっているように見えるが、それはほんの付けたしで、殆どはニューヨーク市の極めて狭いエリアで展開され、前作のようなスケールの大きさがない。何よりも登場人物の心象描写がくどすぎる。しかも陰々滅々と続いて、まるでロバート・ラドラムの失敗作を彷彿とさせる感じである。敵役のハスル・ベナジールなどもこんな業病を背負った設定にしなければもっとスカッとした展開になっただろうに・・・。  本作はクランシーはあまりタッチせず、殆どをグリーンバーグが書いたのではないかと推測される。次回作で本シリーズもいよいよ最後となるらしいが、最終作は”さすが、クランシー!”という内容を期待してますよ!!

「石油密輸ルート」(05年12月)・・・翻訳タイトルの拙劣さは何とかならないのか!。それにカバーのイラスト(=リグ/水上油井掘削装置が爆破されている)もストーリーとまったく違う!。これじゃあ、「オプセンター」シリーズの「油田爆破」そのものじゃあないか!・・・・ まあ、それはともかく、パワープレイス・シリーズは本8作目をもって大団円。最終作は上下2部作にしてもよかったのではないかというなかなかの出来栄え。〜〜ストーリーの始まりはなんと、1773年のトリニダード島での実業家と海賊の対決で、これはまるでクライブ・カッスラーの「ダーク・ピット」シリーズのオープニングの向こうを張ったような仕立てで、チョイとビックリ!

 シリーズ最終作とあって、アップリング社の関係者が総登場(出ないのはオーナー・ゴーディアンの妻・アシュリーくらいか?)。そして前々作と同様各人の性格がきっちりと描写されているのがいい。そして通常は豊富な情報をもとに過剰なまでのストーリー展開がなされるのであるが、今回は骨子だけ示してあとは極端な省略法がとられている。そしてこれが意外と成功しており、読者にストーリーの合間=空白部分を想像させて、ストーリーそのものの中に引き込んでしまう。エンディングもビックリするほどアッサリしており、”もうちょっと、ピート・ナイメクやトム・リッチーの世界に浸っていたかったなぁ!”と余韻を残す効果を挙げている。

  尚、このシリーズは、別途クランシーが設立したソフト会社で、全てゲームソフトに仕立て販売というから、全くもってクランシーの商魂&商才には感心させられてしまう。

  かつてフォーサイスもクランシーもそうであったように、この世界は、ある日突然に快作を引っさげて大型新人が現れる。

ロス・ラマンナ

 01年5月に「草原の蒼き狼」(02年・二見文庫)で登場したのが、ラマンナ。「ラッシュアワー」などの映画脚本家として頭角をあらわし、これが処女作品。・・・チンギス・ハーンの末裔を名乗るバトゥ・カーンが汎アルタイ連合を結成して、次々と中央アジア諸国を傘下に収め、アメリカ合衆国・マーシュ大統領に闘いを挑む・・・全くもって荒唐無稽のストーリー展開ではあるが、(クランシーも顔負けの)最新兵器に関する豊富な知識、鋭い現状認識、そして魅力的な人物設定と描き込みにより、虚と実に絶妙な均衡を保たせて、単なる冒険小説に終わらせない。

  特に終盤のノンストップアクションの描写は圧巻で、文字通り手に汗握って一気に読み終わるまでやめられない。“クランシーを凌ぐ新人”とのキャッチコピーがあるが、凌ぐかどうかはともかく次回作以降が多いに楽しみな新人であることは間違いない。

グレン・ミード

 一方、“フォーサイスを凌ぐ”というふれ込みで登場したのが、ミード。 (全て、二見文庫/戸田 裕之訳)

「雪の狼」

或る意味で史上“最”の暴君・スターリンは53年3月5日脳出血で亡くなったとされるが果たしてその死の真相は?・・・CIAは「スノーウルフ作戦=スターリン暗殺」を敢行。亡命ロシア人暗殺者スランスキーと脱走元赤軍兵士アンナ・ホレーワをヘルシンキから厳寒のモスクワへと送り込む。

情報はソ連に漏れKGBルーキンが彼等を追い、暗殺計画発覚を恐れるCIAも又彼等を追う。米ソ諜報機関の暗躍の活写とハラハラドキドキのダイナミックなストーリー展開は、“何でいまさらスターリン!”という時代設定の古さを返って新鮮と感じさせる迫力と面白さである。

「ブランデンブルグの誓約」

南米からヨーロッパへとネオ・ナチの陰謀を追い詰めるストーリーであるが、構想の底が浅く、国際謀略小説としては凡庸な出来上がり。同じ“ネオ・ナチ陰謀もの”としては、フォーサイスの「オデッサ・ファイル」にはやっぱり敵わない。

〜〜日本での出版順序が違っており、実はこれが彼の処女作と知れば少しは納得。しかし、これが最初に翻訳されておれば、エンタメ小説としては並みの出来映えだけに、2作目(=雪の狼)の出版はなかったかもしれない。

「熱砂の絆」

熱砂のエジプトを舞台に、カイロ会談に来るルーズベルト暗殺計画に巻き込まれた3人の若き男女=アメリカ青年・ウィーヴァー、幼馴染のドイツ人ハルダー、ユダヤの血をひく考古学者の娘ラーエル=の冒険と恋とそして謀略の物語。「雪の狼」と同じく、一握りの真実から虚構を大きく膨らましてダイナミックなストーリーを展開。エンタメ小説の要素を全てぶち込んだ快作といえよう。

 2作目はともかくとして、せっかくこれだけの力量を示したのに、この後が続かないのが残念!どうしちまったのだろうか??

と思っていたら、03年の年末に 「亡国のゲーム・上/下」 が出たので、早速手に取ってみた。

・・・アル・カーイダの指導者アブ・ハシムは恐るべき致死性ガスにより首都ワシントンを“人質”にとり、アメリカの屈服をブース大統領に要求する・・・著者はアルカーイダのテロの恐怖を予測、危惧してこの作品を執筆中に、「9・11事件」が起こり戦慄したとあとがきで述べているが、構想の迫真性とスケールの大きさ、最後まで緊迫感を保ったストーリーテリングの巧みさ、そしてアメリカの危機管理の実態について、そのディテイルの綿密な調査等、クランシーの向こうを張ったような見事な出来映えである。既に2作品を脱稿とあり、この後が楽しみになってきた。

「すべてが罠・上/下」 (05/11・二見書房) 戸田 裕之 訳

ミードの従来の路線とはちょっと趣の変ったミステリータッチのアクション作品であるが、結論を先に言えば、大失敗の駄作で「ミードさんよどうしたの?しっかりしてよ!」と言いたくなる。

〜〜主人公ジェニファーは女性弁護士=2年前の夜、自宅に押し入った暴漢に母を殺され、弟は不具の身となった悲劇の主人公=、そんな彼女のもとに事件時に行方不明となった父の遺体がアルプスの氷河のクレパスから発見されたという知らせが入る。急ぎ現地に向った彼女の行く手に次々と恐ろしい事件が起きる。果たしてことの真相は?・・・

 ミードの仕掛けだから、謎めいた事件の裏にはどんな大陰謀が仕組まれているのか?と期待して読み始めたところ、あまりのスケールの小ささにガッカリすることになる。だいたいストーリーの構成に無理がある。即ちラストの展開を見れば、悪党どもはなにもこんなに持って回った大変な苦労をしなくても、単純に主人公を締め上げればよかったのであり、(例えば、可哀想な弟を人質にしてジェニファーを脅せばラスト近くと同等の結果は得られるに違いない!)悪役がこんなにおバカさんでは、話はちっともシマラないのだ。

それに何よりもタイトルが最大のミステイク!・・・原題は「eb of Deceit」(=直訳すれば、「欺瞞のクモの巣」といったところか?)これを「すべてが罠」と訳してしまえば、タイトルそのものがストーリーの“ネタバレ”であって、読む前からことの「真相」が見通せてしまうのだ。戸田さんもしっかりしてよ!

 

 少し、新人に話がいってしまったが、ビッグネイムに戻れば、

ジェフリー・アーチャー

かつて英国エンタメ界をフォーサイスと二分したのが、アーチャー。フォーサイスを読みはじめる時は“さあ、読むぞ!”と思わず肩に力が入るが、アーチャーの場合は気楽に読みはじめることができる。起伏に富んだストーリー展開に英国流のウイット&ユーモア&アイロニーがふんだんに込められているのが特徴だ。そして全体を通して流れる明るいトーンが更なるアーチャーの特色といえよう。(角川のフォーサイスに対して、こちらは新潮。翻訳は全て永井 淳氏。名翻訳家を得たのも良かった!)

「百万ドルをとり返せ!」(77年)

株式詐欺の被害者4人が夫々の専門を活かして百万ドルを取り返す、経済犯罪コンゲームの快作。エンタメ小説にはあたりまえの“コロシ”が一切無くてもスリリングな展開と、ユーモアに富んだプロットはまさにアーチャーならではの世界。

「大統領に知らせますか?」(78年)

平凡なFBI捜査官がガセネタと思っていたエドワード・ケネディ暗殺計画に巻き込まれ、限られた時間で如何にこれを阻止するか!スリリングでサスペンスに溢れた展開で一気に読んでしまった。

「ケインとアベル」(81年)

1906年4月18日、ポーランドの寒村で私生児として生まれたブワデク・コスケヴィチとニューヨークの銀行家の息子として“銀のスプーン”をくわえて生まれたウイリアム・ケインの二人。ブワデクは過酷な運命を乗り越えてNYにたどり着きアベル・ロスノフスキと名前を変え、プラザホテルの給仕からホテル王へとのし上がっていく。一方ケインはタイタニックの事故で父を失い、母もその悲しみから早逝。家業を継いで全米一の銀行家となる。アベルは融資を謝絶して生涯の恩人を自殺へと追い込んだ銀行の頭取・ケインを不倶戴天の敵として復讐を誓う。こうして二人の人生が交錯し、アベルの愛娘フロレンティナとケインの息子リチャードが恋に落ちて・・・と波乱万丈の大河サクセスストーリー。

「ロスノフスキ家の娘」(83年)・・・アベルの娘フロレンティナが様々な困難を乗り越えて、ついにアメリカ初の女性大統領となるまでの物語。

「新版・大統領に知らせますか?」

(87年) 「ロスノフスキ〜」のラストはフロレンティナ大統領誕生を示唆して終わっているが、本作では大統領となった彼女の暗殺計画を阻止する物語。ロスノフスキ3部作の最終編であるが、大筋は78年の作品のリメイク。“一粒で二度美味しい!”アーチャーの商売上手を実感させる作品ではあるが、犯人等前作の設定を、ていねいにきめ細かく書き変えてあり、最後まで興味をそらさない趣向で、アーチャー・ファンにとっても“二度楽しい”

「めざせダウニング街10番地」(85年・・・)60年に下院に初当選した3人の若者(自由党2人と、労働党1人)が政界の権謀術数や女性スキャンダル等幾多の荒波を乗り越えて10番地=首相の座を目指す。サッチャーもキーパーソンとして登場させており、政界の表裏に精通したアーチャアーならではの物語。但し他の作品に比べればドラマ性には欠けて些か感動には乏しい。

「ロシア皇帝の密約」(86年)

アラスカ売却を巡るニコライ2世の密約が隠されたイコンをめぐる争奪戦。ナチスのゲーリング、ブレジネフ書記長、ジョンソン大統領を実名で登場させ、フォーサイスの向こうを張ったような国際謀略サスペンスで、アーチャー作品の中でAクラスの面白さ。

「12本の毒矢」(87年)・・・冒頭の一編=同じ繰り返しの生活をむしろ信条とする初老のサラリーマン(わが身につまされる!)に突如変化が起こって大椿事となる「破られた習慣」で、一気にアーチャーの仕掛けた“毒”が体内を巡る。

「十二の意外な結末」(88年)

「十二枚のだまし絵」(94年)・・・4通りの結末から読者が好みを選んで!というとビックリの「焼き加減はお好みで」が印象的。

・・・いずれも12編のショートストリーが収められた短編集。着想と構成が鮮やかで、技巧をこらしひねりとワサビが効いた一編、或いはしみじみと味わい深い一編等様々なタイプの小編が並んでいるが、どの作品も面白い。読者を軽く楽しませてやろうというアーチャーの仕掛けに素直に乗っかってエンジョイできる。

「無罪と無実の間」(88年)・・・妻殺しの容疑で起訴された勅撰弁護士サー・メトカーフの、不治の病に苦しむ妻との間の真実とは?

「最後の特ダネ」(93年) ・・・孤立無援の中で、連続放火事件を追うヴェテラン記者ハリーの活躍の行方は?

  ・・・以上戯曲2編。何れもロンドンで好評を得た舞台劇とあって、文庫で読んでも面白い。

「チェルシー・テラスへの道」(91年)

ロンドン・イーストエンドの貧しい野菜売りの子として生まれたトランパーが愛するベッキーとともに、トレンザム大佐母・子の妨害に悩まされながらもそれを克服し、ついに西の高級商店街チェルシーテラスに大百貨店を持つまでの苦闘を描く。もう、お馴染みの感が強いサクセスストーリー。

「盗まれた独立宣言」(93年)

クリントン大統領に究極の赤っ恥を書かせる為にサダム・フセインが企んだ独立宣言書すり替え事件を巡って、CIA、モサドのエージェントが入り乱れての謀略戦。フセインの命を受けたマフィアの大ボスが世界一の贋金作り等の最高ノスタッフを動因して、偽の独立宣言を作るくだりが面白い。独立宣言にミスがあるなんて初めて知ったが、それがまたストーリーの重要な要素になっているところがミソ。実在人物が多数登場し、「ロシア皇帝〜」と同系統の作品。

「メディア買収の野望」(96年)

チェコで貧しいユダヤ人の子として生まれたルブジ・ホッホはナチ収容所から逃れ、イギリスでリチャード・アームストロングと名乗り、知恵と商才を武器に苦労を重ねながらメディア業界で実績を積んでいく。一方、オーストラリアの新聞社社長の息子のキース・タウンゼントは辣腕を振るって豪州のメディア王となり、イギリスへ乗り込む・・・「ケインとアベル」を思わせる育ちの二人のメディア王の宿命の対決、栄光と挫折を描く。

ルパート・マードック(=親から引き継いだアデレードの小新聞社をスタートに豪州を征し、母国イギリスに進出してザ・タイムズを手中に収めるやアメリカに乗り込み、危機を迎える度にそれをテコにTV界まで含めた世界のメディア王にのし上がった)と、ロバート・マックスウエル(=マックスウエル・コミュニケーションとミラーグループを率いて、イギリスのメディア王と謳われるがその後倒産。約900億円という巨額の年金資産の不正使用が発覚して大騒ぎとなった)という実在の人物をモデルにしているが、しかしここまでモデル像をあからさまにして訴えられないか?と心配になるくらいだ。

「十一番目の戒律」(99年)

CIAにおける“11番目の戒律”とは==“汝姿を現すなかれ!” とはホントかな? それはともかく、CIA長官の命によりコロンビア大統領候補暗殺を実行したスナイパーが次にロシア大統領暗殺を命じられ、ロシア大統領、ロシアマフィア、背信のCIA女性長官等の陰謀が交錯し、物語は二転三して意外な結末へ・・・といったスパイストーリー。但しやっぱり主人公のスナイパーにはどうも今ひとつ感情移入がしにくいのが欠点で、こうした謀略ものになると、やっぱりフォーサイスには敵わない?  

  さて、事実は小説よりも奇なり!を地で行くのがアーチャー氏の人生である。

  40年生まれ、オックスフォード大学卒で、69年に当時最年少で大ロンドン市会議員に当選し、政界への一歩を歩みだす。73年に国際投資で株式詐欺にあい、破産し、議員辞職を余儀なくされる。しかし転んでもただでは起きないのが彼の身上で、小説家に転じるやこの経験を生かして「百万ドルをとり返せ!」を執筆し、これが大当たりしてベストセラー作家の地位を確立。以後再び政治の世界に復帰。

人気をテコに下院議員に当選するや、ほどなく保守党副幹事長の地位を占め、サッチャー首相の懐刀となる(「目指せダウニング街〜」を執筆していた頃は案外、本人自身が10番地をめざしていたのかもしれない?)。しかし、好事魔多し?というか、(いや身から出たサビであろう!)87年に売春婦とのスキャンダルを「デイリースター」紙にすっぱぬかれ、党要職を辞職する破目に陥る。ところがドッコイ、彼は逆に名誉毀損で訴えるや裁判に勝って復権し、再び党内の階段を昇りだす。(50万ポンドの賠償金は社会福祉に寄付したというが)

92年には一代貴族に任じられ“ロード・アーチャー”となる。得意絶頂の時である。引き続きサッチャーの信頼は厚く、女史引退後の来日時には彼がくっ付いて来て広報管理し、我が国マスコミ界から巨額のギャラをせしめて帰ったという。

(93年には講談社から「ジェフリー・アーチャー日本を糺す」なんていうエッセイ集を出しているが、今となっては、“貴方だけにはそんなことを言われたくない!”といったところだろう)

  しかし、挫折に学ばない“懲りない人”というか、その後も女と金にまつわる悪い噂が絶えず、次第に党主流からから外れていく。そこで議会から離れてロンドン市長選挙に打って出るが、そこでかつてのスキャンダル事件が蒸し返され(敵が多いというか、不徳の致すところであろう)、なんと今度は偽証罪で有罪が確定してしまった。2001年禁固4年の実刑判決を受けてノーフォーク州ウエイランド刑務所で服役。懲りない彼は今度は刑務所をテーマにした小説の執筆にいそしんでいるとか。

 例えば「ロスノフスキーの娘」・フロレンティナや、或いは敵役のトレンザム夫人(チェルシーテラス)もそうであるが、この分野では珍しく女性をしっかりと描き出していたアーチャーが、女で失敗して墓穴を掘るというのはなんとも人生の皮肉ではある。

 それにしてもあれだけ巧みなストーリーを創作し、富と、(一時は)名誉を手にした彼が、なんで日記の改ざんとか、友人に偽証を頼むとか幼稚というか拙劣な工作を繰り返してして身の破滅を招いてしまうのか?その昔のスキャンダルの主、プロヒューモ陸相=キーラー嬢事件とは異なり国家機密は絡んでいないのだから、87年の時点で「面目ない、ごめんなさい!」と謝っておけばよかったのだ。(日本のヤマタクや中川ヒデナオの鉄面皮ぶりを見ろ!・・・アッ、あまり威張れたこっちゃないか?!)

或る英国マスコミの、「彼は刑務所に行くより病院に入ったほうがよい」というコメントが的を得ているのかもしれない。 将来彼が復帰して、作品中の主人公をして法だの正義だの信義だのを説いても、最早虚しいのであるが、それでも昔からのアーチャーファンは、やっぱり復活の日を待つ・・・?!  

〜03年7月に目出たく(!)仮出獄。そして待つこと久し!、12月には新作の「運命の息子」(上/下)が新潮社より永井さんの訳で出版されました。「ケインとアベル」と同じ系統の”サーガ”もの(=年代記風ストーリー)であります。

・・・片や、十代にしてヴェトナム戦争の英雄となり、金融業での道を歩むナット。こなた、法曹界から義父の後を継いで政界へと進むフレッチャー。数奇な運命に弄ばれた双子の兄弟が、悪党エリオットの執拗な妨害に臆することなく堂々と自らの信ずる道を歩み、やがてコネチカット州知事選で相対決する〜〜

全編アーチャーならではの明るいトーンの中でトントンと話が進んでいくが、前半に巧妙に張られた伏線が後半に効いており、練達のストーリーテラーの手腕は衰えを見せず、一気に読み終えてしまいました。さすが、アーチャー!といえましょう。この際、過去はもう十分に償いを終えたと信じて、今後の著作活動に期待しましょう。

「ゴッホは欺く」(07年)

 ニューヨークの悪徳金融家がイギリス貴族の保有する「ゴッホの自画像」を詐取しようと陰謀をこらし、これに気付いた同社の美術顧問のヒロインが知恵と勇気で敢然と立ち向かう〜〜。

 名画犯罪は西洋エンタメの一つのジャンルとして確立しているが、この分野にアーチャーが挑むと・・・先ず彼の印象派を中心とした絵画への造詣の深さがストーリー全体に確たる基礎を付与しており、その上で、単なる名画犯罪に止まることなく、政治・金融・国際関係を絡めた波乱に富んだ構成へと繋げている。9・11を背景設定に置いたことも秀逸で、その中で主人公はじめ個性豊かな登場人物が見事に絡み合って読み出したらやめられないダイナミックな展開となっている。アーチャー健在なり!を示す作品である。  

「獄中記 地獄編 (06年) 田口 俊樹 訳   角川文庫

  “転んでもただでは起きない”作家・アーチャーの面目躍如の一編。偽証罪で有罪が確定し、4年の刑を宣告されたアーチャーが最初に収監されたベルマーシュ刑務所での22日間を克明に綴ったもの。刑務所内の様子や、個性豊かな(?)収監者の人間性が鮮明に描かれ、あらためてアーチャーの「筆力」を思い知らされる。

またストーリーの中で、囚人の扱いの不当性、理不尽の多さを指摘し、その改善をアピールするとともに(=これにより読者の共感を呼んだ上で)、自分は無実であり、過ちと判断されたにしても、4年の収監は不当であると訴えており、この辺りに本編の一番の狙いがあったのではないかと推測されるのである・・・。

英国では、このあと煉獄編〜天国編と出版されているが、日本では、煉獄編がハードカバーで出版されたのみである。

「誇りと復讐」 上/下 (09年)  永井 淳 訳  新潮文庫

  真面目な好青年の自動車修理工・ダニーは、幼馴染で親方の愛娘ベスにへのプロポーズに成功し、お祝いに出かけた席で起きたイザコザで、なんとベスの兄の殺人犯として逮捕され、刑務所送りとなる。再三の再審請求も却下されたダニーは、絶望の淵に沈むが・・・

自身のベルマーシュ刑務所での体験(「獄中記」)をベースにした、アーチャー版「岩窟王」で、波乱に富んだストーリー展開と巧妙な仕掛け、そしてハッピーエンドは、まさに「アーチャー節」全開といったところであります。

 

クライブ・カッスラー(31年イリノイ州生まれ)

  現代における冒険小説の第一人者。(正しくは荒唐無稽大冒険小説か!) ダーク・ピット一本やりで基本線はワンパターンでもって17本=25年・・・これはもう、冒険小説界の“寅さん”だ!といえよう。それにしても作者はよくもこんな大ボラ話を次から次へと書き続けたものと感心のほかはない。(永年に亘る中山善之氏の翻訳の労にも感謝!)

 今や知らぬものとて無い(!)超人気のカッスラーであるが、売れるまでには長い雌伏のときがあったようだ・・・最初「スターバック号を奪回せよ」を書き上げてあちこちの出版社に売り込みを図ったが、どこにも相手にされなかった。彼は諦めることなく(ここがエライとこだ!)、続いて「海中密輸ルートを探れ」を仕上げるや、2作品を抱えて再び売り込みに努力を重ねたが、そのうち唯一人、エージェントのピーター・ラムバックなる人物が興味を示し、漸く出版にこぎつけた。ラムバックはカッスラーにとって大恩人ということになるが、但し「海中〜」は面白い!と認めたものの、処女作は全く評価せず、さすがのカッスラー本人も諦めたか、永い間お蔵入りとなっていた。そして5作目を経て評判も高まったところで、かなり改訂を加えてやっと出版の運びとなったのである。第6作「スター〜」が“幻の処女作”と言われる裏には、このような著者デビュー時の苦労話があるのだ。

「海中密輸ルートを探れ」(73年)

エーゲ海の米軍基地が突如、第一次大戦時のドイツ軍複葉機に襲われ、丁度近くの海洋調査船にいたピットが飛行艇で応戦する・・・というところで、我々はピットと初対面。斬新で、ダイナミックな冒険活劇に魅了されていくことになる。

「タイタニックを引き揚げろ」(76年)

タイタニックに軍事上不可欠の性能を持つ元素ビザニウムの鉱石(これはかなり嘘っぽいが!)が眠るというので、引き上げ作戦が始まる。これに米ソ対決がからみ、ピットが大活躍する・・・なんといってもタイタニックを浮上させるという発想が大胆(当時においては)で、話題を呼び、ピットシリーズを人気者へと押し上げた。

「氷山を狙え」(75年)

氷山に閉じ込められて大西洋をさまよう幽霊船の謎を追うピットは恐るべき陰謀に直面する。いっきにスケールアップし、以降へと繋がる奇想天外&荒唐無稽度を高めた作品。

「QD弾頭を回収せよ」(78年)

コロラド山中の湖底から34年前に行方を絶った空軍輸送機が発見されたが、積荷の恐怖の細菌弾頭を手に入れた南アフリカテロ軍団がワシントンを狙い、ピットが立ち向かう。

「マンハッタン特急を探せ」(81年)

1914年の某月・某日、ともに米英秘密条約文書を載せて、イギリスへ向かった豪華客船がセントローレンス川で沈没し、一方ワシントンに向かった特急電車は橋もろとも湖底に沈む。〜75年後、大統領の命を受けてピットが困難な問題の解決に向かう。スケールの大きな歴史ミステリー仕立てになっており、完成度の高い作品。

「スターバック号を奪回せよ」(83年・新潮文庫=以下同じ) 

シリーズ幻の第1作。行方不明となった米海軍の最新鋭原潜スターバック奪回の為、ダークとアルが海底で獅子奮迅の大活躍。この海底からの帰還の下りで、主人公2人はどんな危機からも脱出生還するのだ!と思い知る。(危機脱出度ナンバーワン?)

「大統領誘拐の謎を追え」(84年)

海運王ブーゲンビルとソ連の企みで捕囚となった政府首脳の救出に向かうピットの活躍。なおこの作品中で、ピットがサンデッカー提督と知り合った経緯が示される・・・ヴェトナム戦争当時において戦闘機パイロットのピットは、敵制圧下の港に不時着した(敢えて不時着させた!)輸送機からサンデッカーを救出したのである。(この経緯をもってしても、ピット達がかなりの年齢であることが窺い知れる)

「ラドラダの秘宝を探せ」(86年)

キューバに纏(まつ)わるソ連の大謀略を巡って舞台は月世界まで飛ぶ・・・という、“荒唐無稽度”においてシリーズトップの作品!(そういえば、ボンドも79年「ムーンレイカー」で月まで行っちまったなあ!)

「古代ローマ船の航跡をたどれ」(88年)

ピットは、国の支配を狙うエジプトやメキシコの悪党政治家と闘いながら、古代ローマ船が運んだアレクサンドリア図書館の遺物を探す。冒頭の歴史ロマンでは本作が一番ファンタスティック!

「ドラゴンセンターを破壊しろ」(90年)

今にして思えばバブルがピークを極めた時節に、ついに日本人が悪役として登場。ジャパンバッシングに対する仕返しとして、輸出自動車に原爆を載せて世界中で爆発させようというトンデモナイ企み。敵役になってもいいが、もうちょっとスジ立てを考えてよ!と言いたくもなる、シリーズの中で唯一無視したい作品。

「死のサハラを脱出せよ(92年)

西アフリカで大規模な赤潮が発生し、放置すれば地球全体を死滅させかねない。ピットは元凶打倒の為、死の砂漠へとUターンする。

「インカの黄金を追え」(94年)

インカ帝国の秘宝を巡る争奪戦。他と比べて話のスケールはグンと小さいが、カリフォルニア半島地底のアクション描写は素晴らしい。

「殺戮衝撃波を断て」(96年)

謎のダイヤ王ドーソンの世界制覇の陰謀に立ち向かう。ストーリー作りにやや疲れが見えた一編。

「暴虐の奔流を止めろ」(97年)

漸く中国が悪役として登場。舞台はワシントン州山中の湖からミシシッピー川までに限られスケールが小さい。ここ3作品続けてパワー不足が目立つ。

「アトランティスを発見せよ」(99年)

コロラド山中の鉱山で発見された黒曜石の骸骨に秘められた9000年前の超古代文明の謎に端を発し、ナチ高官子孫の第四帝国復活の陰謀と闘い、南極でアトランティスの遺跡を発見するという本来の壮大なスケールが復活した作品。

「マンハッタンを死守せよ」(01年)

北アメリカの石油市場を独占しようとするケルベロスの恐るべきテロとの闘い。今回のお宝探しはコロンブスの遥か昔に北米大陸に辿り着いたバイキングの秘宝。シリーズ中での評価は「C」で、ラストシーンに至っては唖然呆然で、もう「レッドカード」を出したいくらいだ。

・・・なお、本シリーズは、毎回次から次と“ボンドガール”ならぬ“ピットガール”が登場しては華を添えるわけであるが、全て“一回限り”の情熱の恋であるのに対して、「QD〜」で顔をみせたコロラド州選出下院院議員・ローレン・スミスはその後も本作に至るまで度々登場し、ピットとは永い“大人の恋”を続けており(著者は007のマネー・ペニーを意識したか?)、ピットは現役引退後に結局彼女の許へ帰るのかと思っていた。ところが、この作品でピットが本当に愛したのは“幻の処女作”に登場した敵役デルフィの愛娘サマー・モーランであることが明らかとなる。

  〜このように、ピット上院議員の息子にしてNUMA(米海洋海中機関)の工作員ダーク・ピットが相棒のアル・ジョルディーノと組んで世界の海&海中・海底を舞台に時空を超越した大冒険を繰り広げる。

毎回冒頭には遥か古代の歴史ロマンがまるでタイムマシンでその場に居合わせたように活写され、それが現代のピットの秘宝探しへと繋がっていく。この古代ロマンの出だしがファンには堪えられない魅力であるし、古代のお宝がザクザクと出てくる段は、それが実にリアリスティックで読んでいてなんともリッチな気分になるしカッスラーの古代史にたいする造詣の深さと想像力の豊かさにほとほと感心させられてしまう。

ピットはどんな絶体絶命のピンチに陥っても死ぬことはない。必ずそこから脱出する・・・当然のお約束事であるが、回を重ねる毎にその“絶対絶命度”は高まっており、“お約束”を分かっている読者を手に汗握ってハラハラドキドキさせる作者カッスラーの力量はやっぱりたいしたものである。

01年で既に17本を数える作品は概ねどれも面白いが、No:1を選ぶとすれば、「死のサハラを脱出せよ」であろう。リンカーンの遺骸を乗せた船がアフリカの奥地に眠るという奇想天外ぶりもいいが、サハラ砂漠からの脱出行の凄まじさ、地球規模での環境破壊をもたらす海洋汚染の元凶を追い詰めて攻撃するシーンの鮮やかなダイナミズムはいうこと無しである。

   さて、いくら奇想天外がベースとはいえ、人気シリーズといえども、否それゆえに目の肥えた永年の読者を前にして、現実から完全に離れるわけにはいかない。それは何かというと、“時間”であって、つまりピットも年をとるという現実。マンガのサザエさんと同じには出来ない。ここ数年物語の中にも年齢に触れた箇所はあったのだが、「マンハッタン〜」のラストでははっきりとそれが示されているし、付随してとんでもない(これを噴飯もの!と言うのだろう・・・)事も起きている。いよいよピット・シリーズも最終コーナーへ入ったか!どのようなエンディングにするのか?はたまたどのように“再生”するのか?・・・とまことに気懸かりである。  

「北極海レアメタルを死守せよ」(10年)  上/下  カッスラー &ダーク・カッスラー  中山 善之 訳 新潮文庫  2010

プロローグは・・・19世紀半ば、英国の北極航路探検隊は厳冬の北極海に閉じ込められ、隊員たちは何故か狂気に襲われ次々と命を落としていく・・・

そして、舞台は現代へ・・・地球温暖化対策を巡ってカナダとアメリカは抜き差しならない緊張関係に陥る。カナダにはゴヤッティ率いる環境関連企業がこの機会を捉えて暗躍する。おりしもジョージ・ワシントン大学の研究室で、温暖化問題を一挙解決出きり可能性を秘めた人工光合成装置の開発が進むが、その装置が何者かに破壊されてしまう。

装置の要となる物質がレアメタルのルテニウム。その在り処をめぐってピットたちと悪党どもの争奪戦が展開される〜〜。温暖化問題を取り上げ、ダイナミックなストーリーに仕立て上げたカッスラーの着眼力と構想力はさすがと言えよう。

ダーク・ピット シリーズ21作目。18,19作は子供二人をメインに据えたものの、もう一つピリッとしなかった為、20作目はダークとアル中心に戻して往年のダイナミズムを取り戻したが、本作は親6分、子4分といったところか。ダーク。ジュニアの成長ぶりも窺われるが、やはりダークが登場しないと!ということで、ピット長官はあっさりとオフィスから飛び出してカナダから北極圏へと歳を感じさせないパワー全開。 愛娘に恋人もできたようで、この先ファミリーアクションをどう展開していくか岐路に立っているようにも思える・・・。

 

作者も既に一部対策は講じている。それが「コロンブスの呪縛を解け」(99年)。 これはポール・ケンプレコス(なる人物)との共著であるが、ピットと同じNUMAに所属するカート・オースチンとポール・ザハラの活躍を描いたもので、これまでの愛読者を惹きつける為か、サンデッカー提督始めNUMAの面々からサン・ジュリアン・パールマターまで総出演させている。でも、これでは従来となんら変わらないどころか、主人公コンビの魅力はピット&ジョルディーノには遠く及ばない。さあ、カッスラーさん、正念場ですゾ!  

「白き女神を救え」(03/4)NUMAファイルシリーズ第2作からは中山善之氏に代わって土屋晃氏の翻訳。

〜〜NUMAチームのトラウト夫妻はベネズエラの熱帯密林で原住民に幽閉されていた水科学者カブラルを救い出すが、「水」支配により世界支配を狙うゴークスダット社に拐われる。そしてオースティンとザハーラがゴークスダット社の陰謀に敢然と立ち向かう。・・・巻頭、サンディエゴのパワーボートレースのアクションは先ず先ずながら、やっぱりピット・シリーズと比べていま一つ迫力不足は否めない。

「ロマノフの幻を追え」(04/8)

ロマノフ王朝の末裔を標榜し、ロシア帝国復活を企むアタマン産業会長ラゾフとその相棒怪僧ボリスの陰謀にオーステインが挑む・・・地中海〜黒海〜イスタンブール〜メイン州〜イギリス田園地帯〜ワシントンと舞台は世界中を駆け巡り、快調なテンポでストーリーが展開される。

相棒のザハーラ、ポール&ガメーの特別出動班にサンデッカー長官やルディ・ガン、イエーガーのNUMA幹部達、更には作者の分身ともいえる海洋研究家・ポールマターまでお馴染みの連中が総登場でオースティンをバックアップ。それぞれのキャラクターがよく描き込まれており、カッスラーとしては久々の快作といえよう。(もっともNUMAファイルシリーズがピット・シリーズの筋立てに近づいたとの見方も出来るのだが・・・)

ともあれ、献身的な看護で夫人の最後を看取って、漸く心の整理をつけた筆者が、再び気力を奮い立たせて冒険の世界へ戻りつつあることを喜びたい。

「オデッセイの今日を暴け=Trojan Odyssey」(05年6月)

 前作「マンハッタン・・・」でどうなることかと心配していたら、4年ぶりにピット・シリーズが出た。73年の処女作からもう32年経つから、さすがのダークとアルも体力も気力も衰えてくる。01年の前作にもチラリとそのことが出ていたが、本作でいよいよそれが現実のものとなった!

 〜今回の二人の冒険はフロリダで超巨大ハリケーンに襲われた海上ホテルを救うところから始まり、南米ニカラグアで秘密裏に進行する恐るべき陰謀に立ち向かうというストーリー。ケルト伝説を背景に持ってきたところはカッスラーの面目躍如であるが、邪悪な大富豪との対決という図式は熱狂的なファンでも、もうマンネリ感は否めない(なかにはこのマンネリ感が堪らない!という人もいるかもしれないが)

 それよりも本作の圧巻は冒頭のホメロスの「トロイ&オデッセイア」伝説の奇想天外な”真相解明”である。これは”珍説”かもしれてないが、少年のときに「オデッセイア」の物語を読んだときに感じた疑問==ギリシャとトロイはエーゲ海を隔てただけなのに、オデッセウスはイケタに帰るのになんであんなに困難に遭遇し、永年の歳月がかかってしまうのか??、そしてじっさいに「トロヤ」の丘に立ったときに感じた疑問==トロイは港湾都市で交易で栄えたはずなのに、なんでこんなに内陸部の小高い丘の上にあるのか??・・・この2つの疑問を明快に解いてくれる。いわゆる”腑に落ちる”というやつで、これぞ大胆不敵なアウトサイダー歴史家・カッスラーの真骨頂であろう。

 さて冒頭に書いた”現実になったそれ”とは・・・なんと!、アルは引退、ダークはいよいよローレン・スミスと結婚し、そしてサンデッカー提督の後を継いでNUMAの長官に就任することになるのだ!・・・・・・と、ということは、この先「ダーク・ピットシリーズ」はいったいどうなってしまうのか? 

 前作の最後に登場した初恋の人・モーラとの愛の結晶=双子の兄妹ダーク(ジュニア)とサマーを活躍させようとするが、なにせハワイで何不自由なく育った2代目のぼんぼんとお嬢様だから、才能豊かながら悪の脅威を知らず、甘いことこの上ない! 本作でも二人が危機に陥るたびに親爺とアルが救出に向かわなければない。これではダークもおちおちNUMAの長官を務めてられないではないか!・・・とこの先、いささか、否、大いに心配になって、夜も眠れない?!

極東細菌テロを爆破せよ」07年)

シリーズも本格的に世代交代。そもそも書き手がカッスラーと息子の共作で、主人公も息子のピットJr.と娘のサマーにシフト。サンデッカー提督はなんと副大統領に(彼って意外と名誉欲が強かったんだ!)、その後を襲ってNUMA長官になったダークはデスクに張り付く気は更々無く、アルと共にフィールドワークに勤しむ(国家組織のトップがこんなのでいいの?)。ジュニアとサマーの兄妹が他組織で厳しい修行することなく、二人揃ってすんなりとNUMAに就職してしまうが、NUMAは何時から「ダークピット商会」になってしまったの?(日本のみならず、実力主義の米国でも世襲が常套になっていることの表象か?)・・・とこれまでのシリーズを愛する読者はついつい突っ込みを入れてみたくなる。

肝心のストーリーはというと・・・プロローグの「歴史劇」は意外にも“近過去”で、太平洋戦争末期、細菌爆弾を搭載した伊号潜水艦が米本土を狙ったものの、撃沈されて爆弾を載せたまま北太平洋の海底へ〜〜北鮮工作員で今や韓国財閥王となったカンはこの爆弾を基に恐怖の細菌爆弾を作り上げ人工衛星で米国を攻撃し、混乱に乗じて南北統一を図る〜〜世界各地で暗躍するカン一派の悪業にピット親子等が立ち向かう・・・といったもの。

ジュニア(とサマー嬢)には前作からかなり成長の跡が見られるものの、未だ未だ甘いところがあり(荒唐無稽のアクション小説とはいえ、いきなりスーパーマンには出来ない!)、ストーリー最後の危機一髪には、結局ダーク長官の年令を超越した大アクションの出番となる。つまり、活躍シーンが拡散されてしまい、ストーリー全体に緊迫感と盛上がりに欠ける。今後このままのファミリーを前提としてのシリーズ継続はちょっと無理があるのではないか?!と些か心配になってくる。

話は横道に逸れる・・・敵役がついに北朝鮮になったが、敵のリーダー・カンとその組織には将軍様の陰謀とともに「現代」や「サムソン」といった財閥のイメージが投影されており、実社会におけるコリアンパワーの台頭を著者は的確に捉えているといえる。

しかし、現実は別の意味で小説を凌駕しており、なんとなれば現職大統領その人と主要スタッフがまさに北朝鮮工作員なのだから!・・・6カ国交渉推移や従軍慰安婦問題経緯を見ても、日米はじわじわとコリアンパワーに絡めとられ&押し込まれており、あながち本ストーリーを絵空事として楽しんでばかりもおれないのが鬱陶しいところである。  

「カーンの秘宝を追え」

巻頭恒例の“歴史劇”は、なんと「元寇」から始まる〜〜博多湾の嵐から生き残った元の武将の軍船は南の海を漂流し、その後の軌跡が現代の冒険へと結びつく仕掛け。

 今回はメインにピットとジョルディーノがカムバックし、破天荒な大冒険を繰り広げ、本シリーズ本来のスケールの大きさとダイナミズムを取り戻した快作となった。(やはりまだまだジュニア兄妹たちでは役不足なのだ)

特に二人のゴビ砂漠のサバイバル行はシリーズ最高傑作「死のサハラを脱出せよ」を彷彿とさせるものがあり、又モンゴル少年とその一家との邂逅シーンはこれまでに無く美しく感動的である。著者は(クランシーほどではないにしても)これまで黄色人種にそれほど好意的な目線を持っていたとはいえないが、本作ではチンギス&フビライの両大ハーンへの尊崇と一般モンゴル人への暖かいシンパシーが感じられて好ましい。

余談ながら、(原因は違えども)原油価格150ドルへの高騰とそれによる世界の混乱を描写してみせたカッスラーの慧眼には脱帽である。  

「北極海レアメタルを死守せよ」  上/下  カッスラー &ダーク・カッスラー 中山 善之 訳 新潮文庫  2010

プロローグは・・・19世紀半ば、英国の北極航路探検隊は厳冬の北極海に閉じ込められ、隊員たちは何故か狂気に襲われ次々と命を落としていく・・・

そして、舞台は現代へ・・・地球温暖化対策を巡ってカナダとアメリカは抜き差しならない緊張関係に陥る。カナダにはゴヤッティ率いる環境関連企業がこの機会を捉えて暗躍する。おりしもジョージ・ワシントン大学の研究室で、温暖化問題を一挙解決出きり可能性を秘めた人工光合成装置の開発が進むが、その装置が何者かに破壊されてしまう。

装置の要となる物質がレアメタルのルテニウム。その在り処をめぐってピットたちと悪党どもの争奪戦が展開される〜〜。温暖化問題を取り上げ、ダイナミックなストーリーに仕立て上げたカッスラーの着眼力と構想力はさすがと言えよう。

ダーク・ピット シリーズ21作目。(ついに小説そのもの迄、息子との共同作品になってしまった!・・・)18、19作は子供二人をメインに据えたものの、もう一つピリッとしなかった為、20作目はダークとアル中心に戻して往年のダイナミズムを取り戻したが、本作は親6分、子4分といったところか。ダーク。ジュニアの成長ぶりも窺われるが、やはりダークが登場しないと!ということで、ピット長官はあっさりとオフィスから飛び出してカナダから北極圏へと歳を感じさせないパワー全開。 愛娘に恋人もできたようで、この先ファミリーアクションをどう展開していくか岐路に立っているようにも思える・・・。

 

 そして、「ヌマファイル」に続く、新たなシリーズもの(ジャック・ダラブルとの共著)がソフトバンク文庫から登場

「日本海の海賊を殲滅せよ!」 上/下 (08年) カッスラー&ジャック・ダラブル共著 黒原 敏行 訳 ソフトバンク文庫

 オレゴンファイル”シリーズ第3作。(邦訳出版は第4作→第3作と逆になっている)

内容はタイトル通り、ファン・カプリーヨ率いる「コーポレーション」が日本海に横行する海賊船を追ううちに、大掛かりな陰謀の存在を嗅ぎ取り、その源を追って、舞台は中国、インドネシア、チューリッヒ、そしてカムチャッカ半島へと展開。陸・海・空に亘って大冒険活劇が展開される。

スケールの大きな波乱に富んだストーリーと、登場人物の描き分けは「ダークピット・シリーズ」に匹敵する出来栄えで、じつに面白い。  

「遭難船のダイヤを追え」 上/下 (07年) 黒原 敏行 訳  ソフトバンク文庫

“オレゴンファイル”シリーズ第4作であるが、日本にはこれがシリーズの最初として(=第3作の「日本海の海賊を殲滅せよ」より先に)紹介された。タイトルからして、ダーク・ピット・シリーズと同じ路線なら、話の始まりが、1896年のカラハリ砂漠への逃避行という過去が舞台なのも又同様の趣きである。

 今回の「コーポレーション」の活躍の舞台はアフリカ。コンゴ川での反政府軍との戦闘から始まって、ナムビア沖での大富豪にして狂信的環境主義者との戦い、そして冒頭のカラハリ砂漠へと繋がっていく。

 コーポレーションのメンバーの個性が活き活きと描かれ・・・マックス・ハンリー=カプリーヨの右腕で、コーポレーション社長、エディ・セン=陸上作戦班主任、ハリ・カシム=通信部長、マーク・マーフィー=兵器部員、リンダ・ロス=情報主任、ジュリア・ハックスリー=船医等・・・そして彼等のチームワークはトム・クランシーの「オプ・センター」や「ネットフォース」を連想させ、読んでいる途中で、はて、どちらの作家か分からなくなってしまう。(「共著」というスタイルもクランシーの最近の作品と同じだ)

ダイナミックなストーリー展開は快調そのもので、特に、砂漠の要塞の襲撃(=救出作戦)場面は圧巻の迫力。その、大胆不敵というか、荒唐無稽ぶりはやっぱりカッスラーの世界である!。

蛇足的には、超ストイックなカプリーヨ船長の恋の行方も、次作以降気になるところだが果たして・・・

さて、作者に関して愉快なのは、カッスラーは本シリーズで稼いだ金から多額を投じてホントにNUMAなる組織を作り上げて、同好の仲間達と沈船探しに勤しんでいるということだ。そのあたりの経緯は著者初のノンフィクション(+フィクション)の「沈んだ船を探り出せ」(96年)に詳しいが、これはもう究極の大道楽というべきであろう!

〜沈船を探して海底を行くカッスラーの気分は殆どダーク・ピットその人であろうが、但し小説とは違って宝捜しではなく、諸文献からの推理に基づいて沈船そのものを探し出すことに喜びを感じているようである。 従って求める対象も海賊船とか貿易船よりも、特に南北戦争時の軍艦に格別の執着があるようで、このあたりの拘りの感覚は日本人にはいま一つピンとこない。 

 

J・C・ポロック

   ハード・アクションの第一人者がポロック。元グリーンベレー隊員のキャリアを生かして、迫力ある格闘&戦闘シーンに定評がある。特に1対1の対決、或いは個人対組織の闘いの凄まじさの表現力は圧倒的で、他の追随を許さない。

  まるで映画の中の“とっておき”のアクションシーンの連続を見るような場面を10分近くかかって読み終えると、その最後の箇所に「・・・謎の襲撃者と対峙していたのは僅か2〜3分の間のことであった・・・」なんてあるくらいで、左様に戦闘シーン描写への拘りは徹底している。

「デンネッカーの暗号」(82年・ハヤカワ文庫=以下同じ)

今はアスペンのスキー場で働くジャック・ギャラハンが発見した管理人の遺体脇の鞄に残された文書から彼が元ナチス中将であったことが判明。文書の暗号の謎をお追って始まるミステリータッチの冒険活劇。処女作の主人公ギャラハンは筆者の経歴に基づいて・元グリーンベレー大尉という設定。

「ミッションM I A」(82年)

ギャラハンはかつての戦友の妻から助けを求められ、今尚ヴェトナムの捕虜収容所に囚われている戦友を救出すべく昔の仲間とともにベトナムのジャングルへと向かう。(ちなみにMIAとは「戦闘時行方不明者」のこと)・・・この筋書きで思い出すのは「ランボー/怒りの脱出」。尤も映画は85年だから、ポロックのほうが先。ランボー2はジェームズ・キャメロン(=「タイタニック」の監督)のオリジナルスクリプトによるということだが、キャメロンはポロックを読んでいたかどうか?まあ誰でも考えつきそうな状況設定ではあるけれどもね。

「樹海戦線」(84年)

元グリーンベレー中尉のスレイター(今度はギャラハンじゃない!)がかつての上官に呼ばれ、CIA二重スパイ捜索の示唆を受けるが、上官は殺され、昔のベトナムの戦友達も次々と暗殺者の手にかかっていく。スレイターは戦友パーキンスとともに味方である筈のCIAからも追われながら、カナダの森林で12名のスナイパーと対決する・・・絶対に勝ち目のない戦いをどう乗り越えるか?凄まじい狙撃戦闘シーンと、組織に裏切られた者の悲痛さを見事に描いてポロックの名前を一躍高らしめた冒険小説の傑作。

「トロイの馬」(85年)

ケスラー曹長たち特殊部隊員の6人は、ソ連の核兵器を無力化する極秘文書を持って亡命を図ったソ連科学者を救出すべく現地プラハへ向かい、ソ連の命を受けたチェコ警察もまた追跡を始め、壮烈な死闘が展開される。

「復讐戦」(89年)

妻を惨殺された元デルタフォース中佐ジャック・ギャノン(ジャック・ギャラハンと紛らわしい!)は旧友とともに、犯人のKGB工作員を追ってニカラグアのジャングルへと赴き、恐るべき陰謀に立ち向かい、ジャングルに銃撃戦が展開される。

「狙撃」(91年)

麻薬カルテルのボス達は米大統領の暗殺を超一流のスナイパー・シンカヴェジに命じ、これを察知した大統領警備課長マグワイアーはギャノンの協力を得て、密林で死闘を繰り広げる。

「略奪者」(93年)

ナチスが略奪した名画の秘密購入者リストを入手した赤軍派シュトラッサーは次々と所有者を襲っては絵画を奪いはじめる。彼を追ってCIA工作員、美貌のモサド部員、それにソ連対外情報部も加わって凄まじいばかりの追撃戦が展開される。内容に比し翻訳タイトルがお粗末すぎる。

「かくも冷たき心」(94年)・・・《未読》

「射程圏」(97年)

マフィアの大ボス・ジェネロの殺人現場を目撃した高級コールガール・ニコールを巡って、彼女を保護してボスを挙げようとするNY市警の辣腕警部カービイと、ジェネロが差し向けたスナイパーとの対決。例によってプロ対プロの戦いは迫力満点乍ら、話のスケールは小さい。

「終極の標的」(00年)

カナダの大森林で休暇を楽しんでいた元デルタフォースのベンとエディは彼等のキャンプ近くに墜落した小型ジェットの残骸から2千万ドルを横取りするが、これを執拗に追う敵にエディを惨殺され、その妹(元DEA捜査員)とともに巨大な陰謀に立ち向かう・・・例によって個人対大組織の図式で、アクションシーンはさすがであるが、筋立てにご都合主義が目立ち、登場人物やエンディングもしっくりとこない。特に主人公が横取りした偽札を秘匿してマーネーロンダリングしちまおう!〜てのは、いただけない。小説とはいえ、こと偽札に関しては毅然たる対処が必要とされるのだ。

  「射程圏」、「終局の標的」と最近はストーリー作りに疲れが見えるのが気になるところであり、今後「復活戦線」が展開されるかどうか? 

余談ながら、ポロック以外にも(例えばクランシーの「オプセンターシリーズ」なども)共通して言えることであるが、「言葉」を商売にするにしては、タイトルの翻訳名が貧し過ぎる。かろうじて「樹海戦線」のみにいささかのセンスが感じられるものの、「かくも冷たき心」はハードアクションのポロックとはお門違いな感じであるし、他のタイトルに至ってはトンデモナイもので、もしポロックがこれを知ったら怒り心頭!ではなかろうか!  

閑・話・休・

 ここまできて、“て、誰か肝心な人を、ひとり忘れてやぁしませんか?”と尊敬する西宮のM氏から声が掛かった。

そう、それはロバート・ラドラムである。彼は、なにしろこれまで出版した小説は20冊を超え、それらは32か国語に翻訳され、40か国で発売されているという、アメリカのみならず世界的に有名な超ベストセラー作家である。
 その評判につられ、私もその昔、処女作の「スカーラッチ家の遺産」(74年/角川)を皮切りに、「マトロックペーパー」「禁断のクルセード」(77年/同)、「悪魔の取引」(74年/同)「4億ドルの身代金」(75年/同)、マタレイズ暗殺集団」(82年/同)、「殺戮のオデッセイ」(82年/同)と読んでみた。なにしろ後のポロックやクランシーに較べるとタイトルがぐんと面白そうで惹きつけられるのだ。

ところがどれもこれもスジの展開が持って回ったかんじでスッキリせず、しかもストーリーのトーンが暗い。エンタメ小説には必須の爽快な読後感がないのである。こんな小説が欧米でベストセラーになるとは、私にはとても信じられない!

余談乍ら、「バイオレント・サタデー」という映画がある。これは別稿「悪役列伝」の中でデニス・ホッパーの項でも触れておいたが、これが偉大な監督サム・ペキンパーの遺作と知ればあまりの出来栄えの惨めさに思わず無念の涙がこぼれる程の大愚作であるが、その原作がラドラムの同名作品なのである。
 かくて私は、アンチ巨人以上に、アンチ・ラドラムになってしまった。従って過去に読んだ小説のストーリーは殆んど頭に残っていないので、ここでは敢えて割愛させて頂きます!  

追記

 ラドラムさんも04年に亡くなってしまいました。ご冥福をお祈りします。 合掌

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