エンタメ小説第2部

ケン・フォレット (49年ウエールス生まれ)

  スパイもの、戦争もの、大河歴史ロマン、ロマンス、遺伝子、絵画ミステリー、経済モノ・・・と、あらゆる分野をテーマに取り扱い、しかも英国人らしい教養とユーモアを感じさせる格調高い文章で我が国にも根強いファンが多いのがフォレット。(どんなテーマでもソツなくこなすあまり、いささか“器用貧乏”との印象を与えてしまうのが欠点か?)

英国エンタメ小説の本流をいく作家であるが、下記のとおり本国での出版と我が国での翻訳はかなり順序が食い違っている。そしてそれは最近に至るまでも続いており、これはこれだけの人気作家にしてはかなり珍しい例といえよう。

日本で最初に紹介されたのが「針の眼」で、スパイ小説の大傑作との定評がある作品。

「モジリアーニ・スキャンダル」(76年⇒97年新潮文庫)

 北イタリアの寒村に埋もれているというモジリアーニの幻の名画を巡って、女子学生ディーを中心に、ロンドンの画商、贋作作りに手を染める前衛画家や美術教師等が展開する謀略合戦。ザカリー・ストーンのペンネームで書いた処女作ながら、とても処女作とは思えないほど登場人物のキャラクターがよく描きこまれて面白く、その後の活躍も尤も!と納得させられる。

「ペーパー・マネー」(77年⇒94年同上)

 ロンドンのたった一日の間に起きた出来事!という設定で、夕刊紙イブニングポストの記者が追う様々な事件を描いた異色編。これも上記と同じくストーンのペンネームによるもので、フォレットの才気を感じさせる一編。

「針の眼」(78年⇒80年ハヤカワ)

  大戦中、英国に潜入したドイツ屈指のスパイ“針”が大戦の帰趨を決めかねない情報を掴み、北海でUボートに乗るべく嵐をついて小船で出帆、、途中難破して北海の小島へ漂着。事態を察知した英国情報部もチャーチルの命を受け必死で彼の後を追う。孤島でのラブロマンスを絡めながら、タイムリミットの迫る中で緊迫したスリリングなストーリーが展開される。・・・初版から30年近く経って読み返しても興奮を覚え、エンタメ小説としての新鮮さを失わないのは驚異的である。

 というのも大戦当時の英国、そして第三帝国・ドイツの背景がしっかりと描きこまれており、又、ドイツのスパイ”針”を首め、彼を追う英国諜報部の二人、そして絶海の孤島で暮らす若夫婦二人の5人の主人公の人物像が深く描写されているからであろう。・・・一片の真実をベースにして、時代背景をしっかりと描きこみ、その中で架空の主人公を生き生きと活動させる・・・後のフォレットの世界がここに創出されたといえる、”記念碑”的な傑作であるといえよう。

「トリプル」(79年⇒81年集英社)

 イスラエルによる原爆製造の為のプルトニウム強奪作戦を巡って、かつて学友であった3人がKGB,アラブ、イスラエルの諜報部員となり、熾烈な戦いを繰り広げる

「レベッカの鍵」(80年⇒82年同上)

 イギリス支配下のカイロを舞台に、”砂漠のキツネ”ロンメル将軍が送り込んだスパイ、アレックス・ヴォルフと、彼を追う英軍情報参謀部ヴァンダム少佐との息詰まる闘い。そして熱砂の地に展開される恋と冒険。(グレン・ミードの「熱砂の絆」は本作を意識したか?)   イギリス軍を憎む妖艶なベリーダンサー・ソーニャ、そしてドイツを恐れる美貌のユダヤ女性・エレーネ・・・「針の眼」と同じく、強く逞しい女性がストーリーに一層の彩りと興趣を添えている。

 本作品の大筋は歴史的事実に基づいているそうで(=ナチスのカナリス将軍は「コンドル作戦」と称して、母がドイツ人で、養父がエジプト人刑事のドイツ将校・エプラーと相棒のザントシュテーデをカイロにスパイとして送り込み、二人は有名なベリーダンサーのハウスボートをアジトに諜報活動に勤しんだ・・・)、一片の歴史的事実から血湧く肉踊るストーリーを展開するフォレットの力量にあらためて感服。

「ペテルブルグから来た男」(82年⇒83年同上)

 第一次大戦前夜、チャーチルはドイツの台頭を押さえるべく英露同盟を画策。ロシアのアナキスト・フェリクスはこれを壊そうとロンドンに潜入し、要人暗殺工作の過程でかつての恋人に遭遇・・・歴史事実と虚構を織り交ぜながら当時のロンドン社会とそこで苦闘する人物像を鮮やかに描いた作品。

「鷲の翼に乗って」(83年⇒86年同上)

 ホメイニが主導するイラン革命下のテヘランで囚われの身となった部下を救出すべく自ら隊を率いて決死の作戦を遂行するEDS社会長ロス・ペロウの決断と勇気の軌跡を描いた、フィクションを超えたノンフィクション。

「獅子とともに横たわれ」(86年同上) 《未読》

 アフガン戦争を舞台に医療活動に従事する男女を巡る愛と諜報活動。

「大聖堂」(89年⇒91年新潮文庫) 

 舞台は12世紀のイングランド。ヘンリーT世の跡継ぎ争いの混乱の時を経てヘンリーU世の再統一に至るまでの時代。権力争いに翻弄されながらも、ひたすら神を信じ、キングスブリッジ修道院の興隆に邁進するフィリップ院長と、大聖堂再建を夢見るトムと義息のジャック、父の遺言に従い伯爵領再興の苦難に立ち向かう美女アリエナ・・・愛と憎しみ、信仰と背徳、無私と貪欲、野望と復讐、が交差する、大河ロマン。綿密な時代考証と大聖堂考察を基に、史実とフィクションを巧みに絡ませて登場人物を縦横無尽に躍動させ、先が読めないハラハラドキドキの巧みなストーリー展開に脱帽。

 本作品の真の主人公は、如何なる困難な局面にも臆することなく正面から立ち向かう美女アリエナであろう。ジャックの母エレンとともに、自立した”強い”女をエンタメ小説の中でしっかりと描くのが(「針の眼」もそう!)、フォレットの長所といえる。

「飛行艇クリッパーの客」(92年⇒93年同上)

 英・仏がドイツに戦線布告をした3日後、サウサンプトンからニューヨークを目指す世界一ロマンチックな飛行艇クリッパー号に乗り合わせる人たち・・・アメリカに逃れようとする英国貴族一家、宝石泥棒、駆け落ちする男女と追う夫、経営権を廻って争うアメリカ姉弟、そして脅迫に苦悩するフライトエンジニア・・・幾つものドラマが絡まりあって進んでいくストーリー展開はハラハラドキドキ、そしてユーモアたっぷりで、まことに面白い。フォレットらしく登場する女性はみんな逞しい。そしてこれはフォレトには珍しく、ポルノ映画まがいの描写もそこかしこにある大サービス(?)である。

「ピラスター銀行の清算」(94年⇒95年同上)

 ピラスタ−家のエドワードとヒューは一族の経営する銀行に勤め始め、一方少年期の寄宿学校の事件でエドワードを庇ったコルドバ人ミランダはエドワードの美しい母オーガスタを誘惑し・・・ロンドンの金融街を舞台にピラスター一族を取り巻く人間ドラマが展開。

「自由の地を求めて」(95年⇒00年同上)

 時は18世紀後半、産業革命とアメリカ独立戦争前夜。貧しい鉱夫の子マックは貴族の娘リジーの助けにより過酷な環境からロンドンへ飛び出したものの、搾取に反抗し流刑囚としてヴァージニアへ送られる。彼に惹かれるリジーも農園を任される領主の次男の妻となってヴァージニアへ。かくて新大陸で主人公達の波乱万丈の物語が展開される・・・。当時の英米の時代背景を巧みに又鮮やかに取り入れているところにケンの筆力を認識するが、全体としては半世紀に亘る歴史ドラマとして手堅く纏められたといった感じの作品。

  余談乍ら、これを読む前に「遥かなる大地へ=Far and away」(92年)という映画を見ていたので、“既視感”を否めなかった。(映画のほうは、監督・ロン・ハワード/主演・トム・クルーズ、ニコール・キッドマンで、西アイルランドの貧農の子が騒動の中で気の強い美しい娘と出会い、自由と土地を求めて開拓時代の西部へと渡り、苦闘の末に夢を掴むというサクセスロマン)まあ、こういったモチーフは英米で好まれるよくあるパターンなのかもしれない。

「第三双生児」(97年同上)

ボルチモアの大学で起きたレイプ事件の犯人として無実の罪を着せられたスティーヴが事件の真相を追ううちに、FBI,ペンタゴンも関わった恐るべき陰謀へと巻き込まれていく・・・遺伝子工学の恐怖を中核に現代の問題点を鋭く炙り出した、ケンとしては久々に切れ味のよい作品。

「ハンマー・オブ・エデン」(98年⇒)00年・小学館) 《未読》

「コード・トゥ・ゼロ」(01年小学館,、文庫03年5月) 戸田 裕之 訳

 〜〜男は怯えて目を覚ました。何故かトイレの床に寝ており、しかも自分が誰だか名前すら分からない。一切の記憶を失ってしまったのだ!いったいわが身に何が起こったのか?・・・という衝撃の幕開けに、読み始めたとたん“自分探し”に奔走する主人公に付き合ってストーリーの中に引き込まれ、もう面白くて止められない。

 1941年のハーヴァード&ラドクリフ大学のキャンパスと現代(といっても1958年)を交差させながら物語は展開し、米ソ宇宙開発をめぐる恐るべき陰謀へと進んでいく。時代背景をしっかりと捉えたうえに、差し迫った危機を暗示させたサスペンスと謎解きの面白さはフォレット作品中でも出色の出来栄え。

 知性と正義感に溢れ勇敢な主人公と、美人で聡明でしかもタフなヒロインはフォレットの小説の軸を成すが、本作品も又しかりで,読むほどに読者は彼等の虜になっていく。

 

レン・デイトン

「黄金の都」(94年・光文社/田中 融二・訳)・・・タイトルからすると、エジプトの砂漠の奥深く眠る秘宝をめぐる大冒険物語かと思ったところが、大違い!(=黄金の都とは、夕日を浴びて全てが黄金色に染まるカイロの代名詞でもあり、、また登場人物の一人・ソロモンがナイルに繋留したボートの名前でもある) 

 前述のフォレット/「レベッカの鍵」とまさに同じ時代=ロンメル将軍の軍団が迫るエジプトを舞台にして、イギリス軍を中心にして、さまざまな陰謀やラブストーリーが広がる。ただフォレットのスピーディでダイナミックな展開に比べると、物語は至極ゆっくりと進行する。その分当時のカイロの雰囲気やそこに暮らす人々について丁寧にじっくりと描きこまれているといえよう。出だしの面白さの割に、その後のストーリーは冗長でやや迫力に欠け、何か物足りない感じがしないでもないが、エジプト好きには堪えられない一編ではある。

ラリー・ボンド

  海軍出身で、トム・クランシーの軍事アドバイザー、そして「レッドストームライジング」の共著者として一躍名を売ったのがラリー。これで自信をつけたか、その後は一本立ちして、最も得意とする軍事シュミレーションもの=「ミリタリー・テクノスリラー」から、さらに国際謀略ものへと守備範囲を広げている。

「侵攻作戦レッドフェニックス」(89年・文春文庫)

  韓国内の流血デモ工作、非武装地帯でのトンネル掘削等の“予兆”を経て、某年クリスマス未明に北鮮軍大部隊が38度戦を突破して侵攻開始・・・一昔以上前の作品であるが、今直ぐに起きてもおかしくないという第二次朝鮮戦争をリアルなタッチで描写しており、21世紀の現在でも迫真性を失っていない。

「核弾頭ヴォーテックス」(92年)

  自由選挙を巡って人種対立が爆発寸前の状況下、白人至上主義の南ア大統領はナムビアへ侵攻。ナムビアに軍事顧問を送っていたキューバはこれを見てすかさず軍事介入し、南アを攻撃。南アは対抗して核弾頭の使用に踏み切ろうとし、アメリカが介入。・・・南アで平和裡にマンデラ政権ガ誕生した(そして又、他国に介入する余裕などとても無いキューバの実状の)今となっては、全くストーリーの構成要件が成立しないが、当時としてはファクトとフィクションが巧みに融合されており、作者オハコの軍事描写の冴えもあって、スケールの大きい作品に仕上がっていたといえる。

「ヨーロッパ最終戦争1998」(93年)

  金融市場混乱を契機に大不況、民族紛争と混乱に陥る欧州で、独仏が互いに野望を膨らませ、その盟主となったフランスは武力で東欧諸国をねじふせようとしたことからアッという間に戦火が全欧州に広がる。・・・軍事シュミレーションの第一人者(この分野に関してはクランシーの師匠ともいえる!)のラリーの面目躍如たる“大戦争絵巻”。・・・対イラクを巡るブッシュ&ブレアvsシュレーダー=シラクの構図を本作品と比べると一興である。

「テロリストの半月刀」(96年)

  前作で軍事シュミレーションのあらゆるパターンを書き尽くしたということなのか、次に謀略ものへと進出。物語はテロ集団ヒズボラがゴールデンゲートブリッジに爆破テロを仕掛けるところから始まり、アメリカに対する恐るべき陰謀へと展開。爆弾テロ、銃撃テロ、ミサイルテロ、コンピューターテロと、様々なテロがアメリカ全土を恐怖に陥れ、特殊部隊やFBIが必死の対策を図るといったストーリーの中に、軍事面におけるボンドの本領が発揮された作品。

 現実と対比してかなり早い段階からアメリカ対アラブ系テロ組織の図式を提示していたことを改めて実感。

「怒りの日」(00年)

  前作の続編といった感じで、陸軍特殊部隊ピーター・ソーン大佐とFBI調査官ヘレン・グレイが再登場し、相協力して再びアラブのテロ(今回は核テロまでいってしまう!)と闘うストーリー。

  〜こうして、殆どクランシーと同じようなジャンルに入ってしまったが、そうなると構想力,複雑な筋立て、綿密な調査によるディテイルの質量においては、やはりクランシー(今やチーム・クランシーというべきか?)には敵わない。次回新作までにかなり時間が空いているようだが、ボンドはどのような新境地を切り開いてくるのだろうか?

ジョン・グリシャム

リーガル・エンタメの第一人者がグリシャム。“法律=裁判万能主義”のアメリカとあって、このジャンルの作者は多いが、該博な法務知識とストーリー展開の面白さの両立に関しては、やっぱり彼がナンバー・ワンだ。 (「推定無罪」のスコット・トゥローがナンバー・ワンという人もいるだろうが、彼のそれ以降の作品は殆んど異常なケースの殺人が発端になっているので、いくら法廷場面が優れていようと、私はあまり食欲をそそられないのだ)

グリシャムは55年アーカンソー州生まれ。子供の頃からプロ野球選手になることを夢見て育ったが、74年デルタステイト大学に入ったところで断念し、75年ミシシッピー州立大学に転じて会計学を専攻し、それから税務弁護士を目指して同大ロースクールに進み81年に卒業。同年現在の妻レニーと結婚し、小さな法律事務所を開業。それから約10年間、税務ではなく刑事・人身損害弁護の実務に携わる一方で、83年には州下院議員に当選し、90年まで務める。 

こうした多忙の傍らで処女作「表決のとき」の執筆を始め、約3年をかけて完成。無名の作家ゆえの苦労の末に漸く出版にこぎつけるや、更に精力的に執筆を続け、2作目の「法律事務所」は91年発表されると同時にベストセラーとなり、これで一躍人気作家に踊り出た。

以降は法律・法務・裁判に関する豊富な知識と経験に基づいてリーガル・ノベルの第一人者としてほぼ年1本という驚異的なペースで質の高い作品を世に出し続けている。まだ50才になっていないのだから、このままいけば膨大な作品リストが並ぶことになる。

(私的には、リーガルものは“食わず嫌い”のところがあって、グリシャムを読み始めたのは世の人々に比べるとずいぶんと晩生(オクテ)で、「ペリカン文書」から。この作品は“法律もの”というよりは“政治陰謀サスペンス”で、グリシャムの本流ではないが、その内容の面白さに、やっとこさグリシャムのすごさに気付いて、それから全作品へと没入していった次第。)

「評決のとき」(93年・新潮文庫)

 ミシシッピー州クラントン、10才の黒人少女がレイプされ、怒りに震えた父親は犯人の白人2人を裁判所で射殺してしまう。白人住民が圧倒的な環境の中で、青年弁護士ジェイクはミシシッピー大法科生のエレンの助けを得ながら、知事選を控えた辣腕検事バックリーに真っ向から立ち向かい、人種対立が顕わとなる中で陪審評決のときを迎える・・・。予備審問〜大陪審〜罪状認否手続〜陪審員選出〜公判審理〜陪審評決というアメリカ刑事裁判のプロセスがじっくりと描きこまれており、以降の作品の骨格が出来上がっている。処女作にしてまことに見事な出来栄えであることは間違いないのであるが、読後感がどうもしっくりこない。事情はどうあれ父親が殺人を犯したのは事実であり、それが完全無罪となるのは納得出来ない。シロをクロと言いくるめても、とにかく裁判に勝つのがよい弁護士という概念を肯定しているに等しいのであり、ジェイクはいつでも悪徳弁護士になりうるのである。

「法律事務所」(92年・新潮社=以下全て)

 弁護士資格を得た苦学生ミッチは破格の好条件を出したメンフィスの小さな法律事務所の誘いに応じる。ミッチは早朝から深夜まで猛烈に働くのであるが、ところがこの事務所にはとんでもない秘密があって・・・やがてその胡散臭さに気付き真相を知ったミッチは、自らの窮地を救うべく大胆な行動に打って出る。 ミステリー&サスペンスが一杯で、グイグイと惹きつけられる作品。

「ペリカン文書」(93年)

  ロウスクールの美人学生ダービ−・ショウが或る事件について纏めた仮説論文がことの真相を突いていた為、大波紋を引き起こし、ショウも又恐るべき陰謀に巻き込まれていく・・・。後半は逃亡・追跡・また逃亡〜とスピード感溢れるスリリングな展開となっていっきに読ませる。

「依頼人」(93年)

  隠れてタバコを吸おうと森にやってきた11才の少年マークは、そこで偶然弁護士の自殺現場に遭遇し、重大な犯罪の秘密を知ることとなる。マフィアとFBIに追われることになったマークは中年の女弁護士レジーに助けを求める。真相を追うFBIと敏腕地方検事に対して依頼人を保護し、そしてマフィアの魔手から少年を守り抜く為、レジーの必死の闘いが始まる・・・。前作とは一転して、話の元はちいさなものであるが、主人公マークとレジーの知恵と勇気の魅力だけで,最後まで引っ張っていってしまう。

「処刑室」(95年)

  ガス室送りが目前にせまった祖父を救おうと青年弁護士アダム・ケイホールはあの手この手で奮闘する。しかしかつてKKKの団員で人種差別主義者の祖父サムは、主犯ではないにしろ、ユダヤ人弁護士の双子の子供を殺害した一味に間違いはなく、結局は処刑室送りとなる。膨大な量の大作で、グリシャムとしては過去の、そして現在もなおアメリカ社会が抱える問題、病根を抉(えぐ)り出そうという意欲があったのであろう。このスタンスはアメリカの知識人にはおおいに受けるのかもしれない(事実、大ベストセラーとなった由)が、小生はサムには勿論、手練手管を用いて犯罪人を救おうとするアダムにも感情移入し難いし、延々と読みつづけて疲労感だけが残る作品。グリシャムの主張はそれとして、小説としては設定に無理がありすぎ,失敗作ではないか?

「原告側弁護人」(96年)

  苦学・苦労の末に弁護士としてスタートしたルーディが、実習で相談を受けた保険会社の保険金請求拒否事件を手掛け、巨大保険会社と辣腕顧問弁護士に立ち向かう。前作の反省からか、今回は勧善懲悪がはっきりと(し過ぎるほど)しており、ストレートに楽しめる。ただし、ラストはちょっぴりホロ苦い。ハッピーエンドのサクセスストーリーとしなかったところがグリシャムなりの“ひねり”か?

  前作もそうだが、ていねいな描写はいいものの、些か分量が多すぎる。本作も特にルーディが弁護士として一本立ちするまでのプロセスが長すぎてうんざりしてしまう。(弁護士一本立ちの過程は既に「法律事務所」で描かれているから特にそう感じる!)本作を映画化したフランシス・コッポラの演出における「省」の技を参考にすべきであろう。

「陪審評決」(97年)

  肺がんで夫を亡くした婦人が大手タバコ会社を訴えた裁判を巡って、陪審制度に焦点を当てた作品。陪審制度に基づく裁判がまるでゲームのように進行する様が見事に描き出されており、主人公と謎の美女のミステリー性と相まって優れたエンタテインメントになっている。グリシャムとしては珍しくもハッピーエンドのサクセスストーリーである。(03年までのところで、私はこの作品が一番好きである!)

「パートナー」(98年)

  事故死を装って 90千万ドルを奪いブラジルへと逃亡した弁護士が追跡グループに捕まり拷問の果てに、FBIによってアメリカへ連れ戻され裁判にかけられる。ところが、ここからこの悪徳弁護士の周到な作戦によって事態は思いもよらぬ展開となる。グリシャムは読者を唖然とさせる、アメリカの裁判・司法制度を逆手にとったようなストーリーを仕掛け、彼の作品の中で面白さにおいて最右翼といえる出来栄え。

「路上の弁護士」(99年)《途中です!》

「テスタメント」(01年)

  病で余命いくばくもない大富豪フェランが110億ドルの遺産を残して投身自殺。放埓な3人の元妻と6人の遺児には悪意に満ちた遺言を残し、遺産の殆どをそれまで誰も知らなかった娘に遺贈した。そのたった一人の相続人レイチェルはアマゾン・パンタナール大湿原のさらに奥地でインディオに宣教活動をおこなっているらしい。彼女を探し出すべく、フェランの顧問弁護士事務所から指名されたのはアル中の落ちこぼれ弁護士のネイト・オライリー。遺児と元妻たちの遺産奪還作戦と、ネイトのパンタナール捜索作戦が並列進行する。虚々実々の駆け引きが展開される訴訟の面白さに秘境冒険タッチの面白さが重なって、又従来のスローな冗長さがなく、スピーディな展開で、読み応えのある作品となっている。但し、欲を言えば、エンディングにもうひと捻り欲しかった気がする

  ここでの落ちこぼれ弁護士ネイトの扱いを見ると、グリシャムも、「黒を白と言いくるめても、とにかく裁判にかつことが全て」という弁護士の力の論理を押し通すことに飽いたというか、疑問をもち始めたのかなあ!という感じがするのである。  

「謀略法廷」 上/下 (09年) 白石  朗 訳  新潮文庫

 主人公は正義感溢れる若き弁護士夫婦。汚染物質によってミシシッピー州ケイリー郡の小さな町ボウモアを破滅へと追い込んだ大手企業クレイン化学との困難な訴訟を戦い抜き第一審で勝訴するが、会社社長のトルドーは控訴し、裁判は州最高裁へと移る。

ここでトルドー側の取った秘策とは?!・・・合衆国最高裁判事は大統領が指名し、上院の助言と同意によって任命される(因みに2010年現在、9名の判事の内訳は保守派4名、リベラル派4名、中立1名ということで、オバマ大統領になったからといって、リベラル派が多数を占めるというわけにはいかない)。ところが、ミシシッピー州では9名の判事は選挙によって選任されるシステムなのです。

悪辣なトルドーが助けを求めた辣腕の選挙コンサルタントは、折りしも改選期になった(リベラル派と目される)女性判事に対し、保守派のナイスガイを擁立する。彼が勝てば、保守派が多数派となり、上訴審は逆転判決が可能となる!・・・。

グリシャムのメインフィールド(=リーガル・サスペンス)であるだけに、米国司法制度の矛盾(盲点!)があらゆる角度から鋭く炙り出される。特に辣腕コンサルタントによる“金権選挙”の克明な描写は実にリアルで、グリシャムの力量が遺憾なく発揮されて圧巻である。

近年“法システムの不正義”を追求する傾向にあるグリシャムだけに、巨大悪徳企業に果敢に立ち向かう若手正義派弁護士夫婦の「胸のすくような勝利」を期待する読者にとって、暗澹たるエンディングとなり、読み終えてドッと疲労感が残るストーリーである。が、一呼吸おいて、それが厳しい現実であると思い知らされる。そして、改めてそこにグリシャムの狙いがあるといえようか。

 

ランキン・デイヴィス 

デッドリミット  白石 朗 訳 (文春文庫 01年5月)

リーガルサスペンスとして出色の出来栄えで、例えていえばグリシャムとディーヴァーの良いところをミックスしたような作品。

〜〜法務総裁が誘拐され、弟の英国首相に犯人から奇妙な電話が掛かる。「現在進行中の殺人事件裁判の真犯人を見つけて被疑者の環境保護推進派・ジェニファー博士を釈放しなければ兄の命は無い」と。首相は国家の威信を損なうことなくこの難局を切り抜けることが出来るのか。一方進行中の陪審審議では被疑者を有罪とする意見が圧倒的で、ただ一人アレックスが被疑者有罪に疑義を呈するとともに、全体を巧みにリードする陪審長アンクル・ボブの挙動にも不信感を抱く〜〜。

犯人捜索の緊迫した局面と、同時進行する陪審審議における人間模様の面白さ双方が鮮やかに描き出されて、見事なサスペンスを生み出している。又誘拐犯、総裁、首相、危機管理スタッフ、そして12名の陪審員に至るまでの登場人物をじっくりと描写しているところもすごい。

 著者はキース・ランキンとトニー・デイヴィスという二人の弁護士の共同ペンネームということだそうであるが、これが3作目とは思えない高い完成度で、今後他の作品が早く翻訳されることを期待する。

 

「リーガルもの」から,次はちょっと毛色の変わった「異色歴史もの」へいってみよう!何れも作者の深い知識と豊かな想像力によって、バーチャル・リアリティの感覚にさせてくれるところがミソで、水野晴郎氏の真似をすれば、“いやあ、小説ってホントに素晴らしい!”のだ。

先ずは小説としては、おそらく史上最古の時代を扱ったのが、

「恐竜レッドの生き方」(96年・ロバート・T・バッカー/新潮文庫)

  1億2千万年前の白亜紀、バンゲア超大陸の(現在でいうなら)ユタに住むメスのラプトルを中心にした波乱万丈の恐竜一家半生記。恐竜の中でもとりわけラプトル種は高度な知性と感情(!)を持っていたという前提に基づいて、彼等の生活と冒険をどんな映像よりも鮮やかに描きだしている。ジュラ紀から白亜紀への移行期の地球環境=気候、植生、動物などの有様が実にリアルで楽しく、まるでタイムマシンで降り立って眺めているかのように感じられる。

  それもその筈、作者のバッカー博士は「恐竜温血説」の提唱者で、映画「ジュラシックパーク」のアラン・グラント博士のモデルと謂われるアメリカ恐竜学界のスーパースターなのだ。(一流の学者にしてこの豊かな文章力はたいしたものだ!)

 なるほど映画では鋭い爪を持ったラプトルが狡猾な悪役として大活躍していたのを思い出す。実際にも白亜紀後期にティラノサウルスが登場するまでは、集団行動で知性を生かした狩りをするラプトルが最強の恐竜として地上に君臨していたらしい。この小説一冊で(大いに楽しんだ後で)ちょいとした恐竜博士になることが出来る!?

「さよならダイノサウルス」(94年・ロバート・J・ソウヤー/ハヤカワ文庫)

古生物学者のサッカレイ博士とジョーダン教授がタイムマシンに乗って、6500万年前の白亜紀末期の世界へ着いてみると、そこには!・・・恐竜はは何故あのように巨大化したのか?というか、出来たのか?Aそれが何故突然に絶滅したのか? に加えて、B火星は何故“死の星”になったのか?等々超古代の謎が、気鋭SF作家の視点からアッと驚く大胆かつ奇想天外な仮説によって解明(!?)される。「レッド」とは又違った意味でまことに楽しい“恐竜ワールド”を堪能できる一編である。

「アウストラロピテクス」(98年・ペトゥル・ポペスク/新潮文庫)

 アフリカ大地溝帯は人類発祥の地。全てのヒトDNAの元を辿るとたった一人、アフリカのイヴに行き着くといわれるが、さて、アウストラロピテクス(=南の猿という意味)は、400万年前にアフリカ東南の大地で生活していたという人類の祖先。「原人」よりも更に原始的な「猿人」で、1942年オーストラリア人のレオモンド・ダードによってアフリカで頭蓋骨の化石が発見された。現在のところ「化石」で証明される最古の人類の祖先である。

  〜若き古人類学者ケンがケニアの奥地で不思議な足跡を追ううちに、化石というにはあまりにも“新しい”原人?の骨を見つけ、ついに現代に棲息する「猿人」の少年と遭遇する。富と名誉を掴むことが出来る奇跡の大発見を巡って、現代人たちの醜い争いが繰り広げられる一方、悠久の時を生きる猿人たちの生活や性が鮮やかにリアルに描きだされており,読んでいて興味が尽きない。こんな奇想天外なストリーを創作したポペスクとはいったい如何なる人物か? この作品のみしか存在がわからない謎の作家であるのが残念!

「ネアンデルタール」(96年・ジョン・ダーントン/ソニーマガジン) 

ネアンデルタール人は、氷河期の真っ只中の約15万年前から3万年前頃まで中国、中東、ヨーロッパ、アフリカなど地球上の各地で暮らしていた「旧人」。1865年頃にドイツのネアンデルタール渓谷で初めて発見された、学界に認知された最初の旧人類。その後イラク・シャニダール遺跡の遺骨の周りからは7種類の花粉成分が発見されたそうで、このことは埋葬時に花を捧げた・・・つまり死者を悼む生命観と美的感覚を持っていた証拠というわけだ。氷河期が終わる頃に 「新人」のクロマニヨン人の出現にあわせたように滅びていったとされるが、最近では、突然の交代ではなく、かなり長い間「新人」と“競存”していたのではないかとの見方がつよい。

さて本編はアメリカの古人類学者がタジキスタンの奥地に住むネアンデルタール人の集団を発見し、彼等の人類学上の謎を解明するというストーリー。発見までのプロセスのテンポはあまりよくないが、主人公が遭遇してからのネアンデルタールの描写は鮮やかで、グイグイと文中に引きずり込まれる感じだ。

・・・彼等は言語を持たず、テレパシーで意思交換を行う。個の意思を全員が共感できる、従って争いとか憎しみといった負の感情を持たない言わば根っからの平和主義者(魁偉な容貌には似合わず!)である。

 脳の容積は現人類のそれよりも大きいくらいで,従ってクロマニヨン人と較べて優るとも劣らぬ知性を持つ(テレパシーで相手の精神に入れることなどはむしろ優位な立場にある)、に拘わらず何故「新人」との生存競争に敗れ去ったのか?それは、テレパシーで意思疎通を行うという特性ゆえに、「騙す」という狡猾な精神構造を持たなかったからである。

 ・・・といったような文化人類学的考察のくだりはなかなかに面白い。しかし、ストーリー構成としては、タジキスタン奥地の一種“桃源郷”で平和に生き延びている者たちへ闖入し、引っ掻き回して彼等の生活を破壊してしまうということであり、(アメリカ人はこういった行為をおそらく何とも思わないのだろう!)読後感はあまりよろしくない。

著者は30年以上に亘ってニューヨークタイムズの記者を勤め、ピューリッツァー賞経験者。本編のほかに、もう一本クローンをテーマにしたサイエンスアドベンチャーの「エクスペリメント」の著書がある。

  さて先史時代は卒業して、歴史時代へと入ると、

クリスチャン・ジャック (47年生まれ)

「太陽の王ラムセス」

  エジプトを訪れた観光客は、先ずカイロの考古学博物館の門をくぐり、ツタンカーメンの黄金のマスクを見た後、ミイラ展示室でラムセス2世のミイラと対面する。3200年以上昔の、しかもその人物を特定した遺骸が残っていることが先ず驚異以外のなにものでもないが、さてそのミイラに堂々の威厳が感じられてさすが偉大なるファラオと又々感服するのである。

それからは、エジプトの何処へ行っても巨大なラムセスの石像があり、ラムセスが建てた神殿がある。その建造物の見事さに驚嘆・感動する一方で、なんという、ど外れた自己顕示欲の強さであろうかとあきれ返る。

しかし、この壮大な物語を読むと・・・王国の平和と繁栄の源は神を崇め、神の加護を受け、神とともに在ることにあり!(尚、私は無学な無神論者です!)、従って大神殿の建造は、エジプトの保護者たる神の降臨の場を設け、神の啓示と加護を受ける為である。(自己顕示欲の発露というような次元の低い話ではない!) 又これにより国民の心が一つ処に集まり、国家としての力を発揮する源になるのである。壮麗な都を築くのも又然り・・・といったラムセス流統治術を、なるほどなあ!と得心してしまうのである。 (野中・古賀・亀井さん等の公共事業推進派が聞いたら、我が意を得たり!と、涙を流して喜ぶであろうか?・・・いや、実際のところ、大神殿建設は平和時における兵士失業対策だという説もある!)

  前説が長くなったが、さて本作は、偉大なセティT世が二人の息子のうち、次男のラムセスを“神に選ばれし者”として後継者に選び、帝位についたラムセスが、学友達の助けを借り又最愛の妻ネフェルタリの愛に支えられて、帝位簒奪を決して諦めない兄の執拗なあの手この手の妨害を排除しながら、エジプト史上空前の繁栄を築き、モーゼの解放を許し、最大の強敵ヒッタイトと激戦の末に世界最初の友好平和条約を結び、やがて大往生を遂げるまでの一大叙事詩である。

「@ 太陽の王ラムセス」(99年/角川文庫)

  混乱の中で古代エジプト第19王朝をラムセス1世から受け継ぎ、再び王国の隆盛を取り戻した偉大なファラオ、セティ1世には二人の息子がおり、周囲は当然兄のシェナルを後継者と見做すが、セティは勇猛で情熱的なラムセスを“神に選ばれし者”として後継者に決める。自らの行方に確信の持てないラムセスは逡巡し、狡猾なシェナルは王位簒奪を狙って執拗な策謀を仕掛ける。

「A 大神殿」(99年)

 亡き父セティ王の喪は明け、ついにラムセスが即位。だがシェナルの陰湿な謀略は続き、それに乗じる魔術師オフィールの野望。さらには北の強国ヒッタイトの怪しい影がしのびよる。盟友モーゼはヘブライ人の宿命に目覚め、悩む。こうして権謀術数が渦巻く中で「光の息子」ラムセスは若き血をたぎらせて偉大なるファラオへの道を歩み始める。

「B カデシュの戦い」(99年)

治世四年、27才の青年王ラムセスは自然を超えた類稀なる力をそなえ、民から深く敬愛されていた。だが、平和は長くは続かない。武勇で鳴る西アジアの強国、宿敵ヒッタイトが遂に牙をむいたのだ。風雲急を告げ、戦闘準備を急ぐラムセス。二万の大軍を率い、エジプトの命運を懸けて戦場へと向かう。張り巡らされた敵の罠、そしてヒッタイトの諜者と手を結ぶ兄シェナルの策謀…。敵の難攻不落の要塞=カデシュの砦でラムセスとヒッタイト王ムワタリの決戦の火蓋が切って落とされ、歴史に名高い死闘が幕を開ける。

「C アブ・シンベルの王妃」(99年)

カデシュの戦いで劣勢に立たされながらも奇跡的な勝利を収めたラムセスは、偉大なるファラオとして不朽の名声を確立した。だが敗れざる勇猛ヒッタイトはエジプト侵略を諦めることなく砂漠の掠奪者ベドウィンと手を組んで捲土重来の機会を窺う。一方、失踪していたモーゼが突然ラムセスの前に現れる。神の啓示を受け、ヘブライ人をエジプトから解放し、「約束の地」を目指すのだという。激しい葛藤の末にモーゼ達の“出エジプト”を許す。一方、ラムセスに献身的な愛を捧げ、王を闇の力から守り続けてきた王妃ネフェルタリ。その最後の命を燃やす愛妃のために、ラムセスは光の力を生み出す大神殿を築く決意をする。やがてラムセスの為に命の火を燃やし尽くした王妃が、神に召される時が来たり、ラムセスの愛と哀しみが絶頂を迎える。

「D アカシアの樹の下で」(00年)

ラムセス在位21年目にして、エジプトはついにヒッタイトと和平を結び、富と繁栄を謳歌する平穏の時を迎えた。この平和を揺るぎないものとするために、ラムセスはヒッタイト王ハットゥシリ3世の要求を受け入れ、その娘をエジプト王妃として迎え入れることを決意する。しかし忘恩の徒、故ヒッタイト王ムワタリの息子で武闘派のウルヒテシュブが復讐の陰謀をめぐらす。・・・王国の平和と繁栄を求め、戦いに明け暮れた長い治世の間に、肉親を、友を、そして最愛の人を亡くしたラムセス。やがて、世界最強のファラオといわれた”光の息子”ラムセスにも静かに老いの影が忍び寄ってくる・・・。『太陽の王ラムセス』ここに、ついに完結。

作者のクリスチャン・ジャックは1947年パリ生まれ。ソルボンヌ大学で哲学と古典文学を学び、後にエジプト学の研究で学位を取得。17歳で初めてエジプトを旅し、以来その魅力に完全に取り憑かれてしまった。“ロマン派”の彼の語り口はまことに艶やか&滑らかで、臨場感たっぷりに古代エジプトの豪華絢爛たる世界を展開してみせてくれる。エジプト好きにはもう堪えられない物語である。

なんとも壮大な本作品のほかに、本作の続編或いはサイドストーリー的位置付けともいうべき4部作シリーズが02年に角川文庫から出版され、再びめくるめくような華麗なる王朝の世界に浸ることが出来るのである。

「光の石の伝説/@ネフェルの目覚め」 「A巫女ウベクヘト」 「Bパネブ転生」 「Cラムセス再臨」

 ラムセス大王の治世により平和繁栄を謳歌するエジプト。王家の谷の奥深く、砂漠の山間に、閉ざされた禁断の村真理の場が存在した。そこは謎の秘宝光の石に導かれ守れれて、一握りの選ばれし優れた匠たちが五百年もの間、神聖なるファラオの墓所の建設を続け、又、守り通してきたのである。(・・・今日、我々が王家の谷のファラオの墓所を訪れて素晴らしい石像や壁画に驚嘆するが、これらは皆、彼らが築き描いてきたものなのだ!)

 しかし、この村にも、大王の死後は変化を迫る波がじわじわと押し寄せていた―ー。村の伝統を受け継がんとする聡明にして才能豊かなネフェルとその最愛の妻=神に選ばれし巫女ウベクヘト。そして、貧農の出ながらあふれ出る才能とエナルギーで新たなる加入者として情熱を燃やす若者パネブ。

 これに対して、邪心をたぎらせて心理の場のどこかにあるとされる、”総ての力の源=光の石”を奪い、全エジプトの権力を我がものにせんと陰謀を企むもの・・・こうして真理の場を舞台に、次第に最盛期の輝きを失っていく王朝の変遷を背景として、大長編ストーリーが始まる。

「自由の王妃アアヘテップ物語」(03年9月〜04年1月)  

 =「@闇の帝国」、「A二つの王冠」、「B燃えあがる剣」

〜〜舞台はラムセスの新王国時代から更に古代へと遡る。・・・テーベに都を定めた中王国も、250年ほどを経過した第13王朝末期のBC18世紀あたりから、”謎の民族”ヒクソスの侵略を受け始めた。ヒクソスは鉄器と騎馬軍団の強力な軍事力によりBC16世紀には下エジプトを支配し、アヴァリスを首都に異民族王朝を打ち立てた。テーベを支配するのみとなったエジプトは永い雌伏のときを経て、セカネンラー2世とその息子カーメスとアハメスの3代に亘る闘いにより下エジプトの統治権を奪還し、ラムセス大王へと繋がる新王国への道を開いた。

 ・・・こうした実際の歴史を背景にして、ジャックはまたまたその豊かな想像力を膨らませ、壮大なレコンキスタ(=国土回復運動)・ストーリーを創りだした。

 ・・・テーベに封じ込められた格好になった王朝の唯一の後継者・王妃アアヘテップが不屈の精神をもって敢然と立ち上がった。王宮の庭師助手のセケンを見出して伴侶とし、彼の思わぬ早逝のあと、長子カーメス、そして次子イアフメスととも神々の加護を受けながら、ヒクソスの王アペピの闇の魔力や邪悪な部下カムジの姦計に対して、如何なる苦難にも耐え抜いて戦い抜き、ついに上下エジプトを再統一する・・・という波乱万丈の物語である。

 前作とおなじように、裏切り者の暗殺者は誰か?というミステリーも加わり、読み出したらやめられない展開となっている。尚、前作「光の石の伝説」の舞台である「真理の場」はアアヘテップの考えで創設されたということで、これはジャックファンへのサービスかもしれない(?!)

  この他にもジャックは多くの古代エジプトロマンを創作している。いずれも“ファラオの時代”へタイムスリップ出来そうで、そのうち是非読んでみたい!

「光の王妃アンケセナーメン」(98年/青年出版社)・・・アマルナ革命の主アメンホテップ4世(=アクエンアテン)の3女にしてツタンカーメンの王妃となった”悲劇の王女”が主人公。

「ブラックファラオ」(98年/同上)・・・BC750年頃のヌビア王朝のファラオ・ビアンキが主人公。

「ピラミッドの暗殺者@〜B」(99年/銅)・・・ラムセス2世の時代、正義の士バイザルが主人公の冒険物語

 エジプト番外編として、歴史と現代を繋いだ作品で、

「モーゼの秘宝を追え!」(02年・ハワード・ブルム/角川文庫)

  ラムセス一代記に欠かせない、モーゼの「出エジプト」。シナイ半島にあるシナイ山はモーゼ所縁(ゆかり)の場所としてエジプト観光の呼び物のひとつであるが、ここはモーゼが「十戒」を授かった場所ではない!(エッ、ウッソォー?)ではほんもののシナイ山は何処にある?・・・それはな、なんと、サウディアラビアの砂漠の中にそびえる山なのだ!・・・という訳で、アメリカの横紙破りの実業家&トレジャーハンターのラリー・ウィリアムズと相棒の元SWAT隊員・ボブ・コーニュークがそこに埋蔵されているハズという秘宝探しの旅に出る。

 聖書の記述を読み解いて、ついにそのホンモノのシナイ山(なんと、サウディ王国の秘密軍事基地の真っ只中にあるのだ!)の頂に立ち、九死に一生を得て帰還するといったストーリーで、全編がドキュメンタリーとして描かれ、主人公達や訪れた場所の古めかしい写真まで添えられている。まさにどこまでがファクトでどこからがフィクションか全く分からない。単純な私はすっかり信じてしまった(!)のであるが、聖書の記述から真実に迫っていくくだりが特に面白かった。  

ポール・サスマン

「カンビュセス王の秘宝」03年/角川文庫)

 カンビュセスはアケメネス朝ペルシャの王。BC525年にエジプトを征服し、それ以降をして末期王朝と呼ばれる第27王朝の創始者となった。エジプト侵攻の際には、エジプト人が猫好きで傷つけることが出来ない性格に着目し、自軍兵士の楯に猫を結わえさせ行軍し、大勝利を収めたというエピソードを残している。さてかのヘロドトスの「歴史書」によると、BC523年に王はアモニアを討つべく大遠征軍を派遣した。しかしその軍はついにアモニアに辿り着くことなく、忽然と永久に砂漠の中に消えてしまった・・・

 そして舞台はそれから2500年の時を経た現代のエジプト。アメリカの少壮の考古学者ジョンは砂漠の砂深く埋もれたカンビュセスの遠征軍を発見しする。その考古学的&はた又秘宝としての価値は秦の始皇帝の兵馬傭軍団の比ではない! それをかぎつけた連中の欲望と巻き込まれた人達の使命感が交錯し、リビア砂漠の真っ只中に波乱万丈の物語が展開する。

前置き、伏線の立て方が今ひとつこなれていないので少し読みづらいし、又どんでん返しがバレバレといった難点はあるが、古代へのロマン、考古学の面白さを堪能させてくれる。

尚、作者は1968年イギリス生まれ。ケンブリッジで歴史学を専攻し、卒業後はジャーナリズムの世界へ進み、最近は王家の谷の発掘チームに参加し、1年のうち2ヶ月は発掘現場で過ごしているという。その経験が存分に生かされたこの物語における、ヒロインのかつての恋人のキャラクターは筆者に近いといえよう。

「聖教会 最古の秘宝 上/下」(04年/角川文庫 黒原敏行 訳)

紀元70年、ローマ軍の猛攻の前にエルサレムは陥落し、神殿の大祭司はある秘密を少年に託した〜〜1944年ナチスの部隊が謎の荷を岩穴に運び込んだ〜〜そして現代、王家の谷で老ホテル経営者が変死体となって発見された。・・・事件の真相を追うルクソール警察のハリファ警部、一方パレスチナ女性ジャーナリスト。レイラには謎の古文書のコピーが届けられる。ハリファに捜査の協力を依頼されたエルサレム警察のベン・ロイ刑事は婚約者を自爆テロで殺されて苦悩の日々を送っていた。立場の違う3人を主人公に、歴史ミステリー、トレジャーハンター、国際政治陰謀といくつものジャンルを包含した複雑なドラマが展開される。前作に勝るとも劣らぬ傑作といえよう。

「炎の門―小説テルモピュライの戦い(00年・スティーヴン・プレスフィールド/文春文庫)

  BC490年、ダレイオス王が派遣した遠征軍はマラトンの戦いでアテネ軍に破れて敗走。それから10年、アケメネス朝の後を継いだクセルクセスは必勝を期してBC480年の夏、エジプト兵(末期王朝として、ペルシャ支配下にあった!)を先陣に立て、大遠征軍を率いてギリシャへ向かう。迎え撃つギリシャ軍は山と海に挟まれた狭隘なテルモピュライの山道に陣を構えるが、背後で同盟都市から裏切りが出て、一時撤退を余儀なくされる。

 敵の進軍を食い止めるべく砦に残るのはレオニダス王率いるスパルタの勇者300人。押し寄せるペルシャ軍2万を相手に決死の戦いを挑み、敵の心肝を寒からしめる甚大な打撃を与えるものの、遂には衆寡敵せず、王以下300人の勇者は全滅して果てる。しかし、彼等の死はけっして無駄ではなかった。ここで彼等の示した無比の勇気がギリシャの人々の愛国心と結束を喚起し、後に続く対ペルシャ戦争の勝利へと結びつくのである・・・。(以上の過程は歴史の事実でもある)

本作品はこの戦いをクライマックスとして、都市国家スパルタの仕組み、その体制下で生きる武人とその家族達の生活、喜び&悲しみを虚飾のない筆致で活写して、格調の高いギリシャ悲劇を見るような感動を覚える名作である。  

「ポンペイの四日間」(05/3・ロバート・ハリス /早川書房・・・菊地よしみ訳)

”ポンペイの悲劇”は小説に映画にTVドラマにと数多く取り上げられてきているが、本作は「ファーザーランド」、「暗号機エニグマ」、「アルハンゲリスクの亡霊」と、ナチスやスターリンにまつわる国際謀略小説を得意としてきた作者が挑んだ異色の歴史小説。私は過去の作品はどれも読んでいないが、本作は”歴史もの好き”にはこたえられない傑作といえよう。

広く世に知られた歴史的事実を基にしたテーマに対しては、どのような切り口で挑むかが作者の手腕ということになるが、本作は大噴火のあった前後四日間に絞り込んだこと、そして主人公をローマから派遣された若き水道官アッティリウスとしたことが成功の秘訣であるといえよう。そしてこのたった4日間のあいだで、主人公とガイウス・プリニウス(ミセヌム艦隊司令長官にして大博物学者・・・実在の人物)やポンペイを牛耳る大富豪アンプリアトスとその娘コレリアたちとの係わり合いを通して、当時のナポリ湾岸諸都市やとりわけポンペイの繁栄と、そこに住まう人々の生き様が活写されていく。深みのある人間描写に加え、ミステリーあり、陰謀あり、活劇あり、そしてロマンスありと総ての要素を詰め込んで興趣は尽きない。

「アルハンゲリスクの亡霊・上/下」 (00年5月)新潮文庫 後藤 安彦 訳

「ポンペイの4日間」が面白かったので、ハリスの作品を遡って読んでみた。

 〜〜スターリンが残した秘密文書がある・・・というのがカバーの“惹句”で、なんで今さらスターリンか?と思いながらも、“秘密文書”というからには、例えば国家の存亡に拘わるような恐るべき内容が盛り込まれて、それをめぐってハラハラ・ドキドキのストーリーが展開するかとページを繰れば、前半はいささか冗長な展開。主人公が冴えない中年の歴史学者とあっては、冒険活劇は望むべくも無いことが分かるし、前半最後に明かされる文書の内容にも拍子抜け。ところが、後半半ばから驚愕の展開となってストーリーに引き込まれる。余りの予想外の展開に、最後は作者自身が収束しかねた(!)というエンディングがちょっといただけないが、ともあれ個性派ハリスの力量が窺われた一編といえよう。

 西欧で歴史ものといえば、イエスとキリスト教に纏わるテーマは永遠のもの。最近「ダ・ヴィンチコード」が世界的に大ヒットし、今後この分野で多くの作品が続くと予想される。

ダン・ブラウン

「ダ・ヴィンチ・コード」 角川文庫 越前 敏弥 訳

(03年アメリカで出版され、日本では04年にハードカヴァー、そして06年文庫本。全世界で5千万部以上を売ったといわれる)

 キリスト教とイエスの聖遺物に関する大薀蓄(ウンチク)小説。タイトルとカヴァー絵を見ると、「モナ・リザ」に何か秘められた大いなる謎でもあるのか?と惹かれるが、ダ・ヴィンチとその絵画はストーリー展開の主流に非ず。尤も、世界的ベストセラーになったのは、内容の濃さとともに、このタイトルの秀逸さも寄与していることは間違いない。作者は商売上手だ!

 冒頭から始まる謎解きゲームは、やがて聖杯探しへと展開し、そのプロセスは興味津々ではあるが、では「聖杯とは何ぞや?」というと、その実体は“らっきょ”の皮を剥いているみたいで、剥いても剥いても明快なカタチが見えてこない。

結局は「イメージみたいなもの」となると、ではなんで権力も金もある大物たちが聖杯探しに狂奔するのか説得性がない。プロセスをここまで盛り上げたからには、作者は独善的でもいいから”聖杯”について「確固たるもの」を提示すべきで、このラストでは納得できない。

読み応えはあるものの、ストーリー構成としては、重要なファクターに結構無理が目立つ。その筆頭は「時間の無理」で、

     ソニエール館長はあと15分ほどで死を迎えるという間際で、これだけの「仕掛け」を成し遂げることが出来るであろうか?

     主人公ラングドンが深夜12時32分に眠りを破られてから、飛行機でパリ郊外を脱出する迄の「僅か5時間あまり」でこれだけの事象が起こりえるであろうか?

“そんなにうまくいくわきゃないよ!”という「ご都合主義」は、この種小説にはある程度許容されるとしても、ファーシュ警部の犯人決め付けと、インターポールを通じての性急で荒っぽい国際公開捜査の手法も、この警部が設定どおりの“切れ者”であるならありえないし(私はファーシェのお粗末な捜査ぶりに、これは犯人側の一味か?と疑ってしまった!)、又、敬虔なる神の僕となった人物が次々と殺人を犯していくのも不自然。更には、「パピルス紙」は「酢」でアッという間に溶けるほど繊細微弱なものなのか?という疑問が残る。

 要は、薀蓄重視のあまり、ストーリー構成に無理がかかってしまったということで、やっぱり読者はこの薀蓄を楽しむのが、この小説の正しい楽しみ方ということであろう。  

「天使と悪魔」 //下  腰前 敏弥 訳 (角川文庫 06年6月)

 本邦ではブラウンの2作目。1作目を読んだ者にとっては“既視感”がある。同じ主人公・ラングストン教授がキリスト教のある種の「タブー」に挑み、膨大な「雑学知識」や謎解きが充満しているという部分だけではない。

 “既視感”があるのも当然で、実は本作品が「ダ・ヴィンチ・コード」に先立つ作品なのである。

ということは、この作品の重大な欠陥は2作目たる「ダ・ヴィンチ・コード」(=以下「二作目」と記す)において全く修正されていないということでもある。ノンストップの僅か1日にしてこれだけの驚愕の事実が起きるのはおかしいし、それを教授がアメリカ〜スイス〜イタリアと移動して不眠不休で不死身の活躍をするというのはおよそ不可能である。

 そして、シリーズとしての最大の問題点は、本作においてラングストン教授はヴァチカンを(=つまりキリスト教世界を!)救ったのであり、ということは西欧社会において彼の名声を知らぬ者はまず居ない筈である。それを二作目でパリの敏腕警部が彼を殺人犯容疑者として追い回すということはありえない。

他にも神の僕とその忠実な信奉者がかくも残酷にしておぞましい殺人を次々と実行するということはおよそありうる筈がない。これはローマにおけるベルニーニの彫刻に関する著者のトリビアを披瀝したかっただけではないかと勘繰られても仕方がない。

またローマ一帯を消滅させるほどの反物質が身近で爆発しても元気で、更にかなりの高度の空中から布切れ一枚で落下しても無傷というのは荒唐無稽そのものである。

著者はトリビアの披瀝も結構であるが、もっと背景をしっかりと固めてもらいたい。それが優れたエンタメ小説に不可欠の要素である。

「デセプション・ポイント」 /下  腰前 敏弥 訳 (角川文庫 06年10月)

 ブラウンの3作目は、これまでの歴史薀蓄路線と離れての政治謀略小説。

〜〜セクストン上院議員が現職大統領に対し有利な戦いを進める大統領選のさ中、NASAは南極の大氷山の中から(公表すれば形勢は一転現職優位に繋がる)奇跡の大発見をする。大統領の指示でヒロインの国家偵察局員レイチェル(なんとセクストンの娘)や海洋学者マイケルは現地へと飛び、事実確認に当たるが、そこから思いもよらぬ局面に遭遇し、恐るべき陰謀に対し命がけの大冒険が始まる・・・

着眼点の奇抜さには敬意を表するが、ストーリーテリングは相変わらず荒っぽい。前2作と同様に大容量の内容がノンストップの僅か1日半くらいで展開してしまう。

ワシントンから南極圏まで飛んでの科学的探究〜大氷山の追跡劇から米海域船上での大アクションまで、何の武闘訓練も受けたことの無い民間人が不眠不休で行動し、プロの殺人者団を素手同然で打ち負かすことができるはずが無い。=数々の修羅場を潜り抜けた不死身のダーク・ピットやアル・ジョルディーノだってこんなノンストップの大冒険は無理である。

科学的データは素晴らしいが、悪徳上院議員一派の描き方はステレオタイプであるし、黒幕の意外性は前2作を踏まえればバレバレ。次回はストーリー構成に従来路線からの脱却が必要で、それが息の長い人気作家の地位を保てるか否かの試金石となろう。  

「パズルパレス」 (09年) 上/下 越前 敏弥、熊谷 千寿 訳 角川文庫

 “監視者を誰が監視するのか?”・・・NSA(国家安全保障局)を舞台に、暗号解読ソフトを巡る攻防と陰謀を描く。

 日本での出版順序は逆になったが、これがダン・ブラウンの処女作だそうで、着想は素晴らしいが、設定や筋立ては随分と粗雑で荒っぽい。ノンストップ(=たった1日)でストーリーが完結してしまう点、大学教授がその道のプロをも凌ぐ、大アクションをこなしてしまうという非現実性は本作品が原点で、それ以降も変化が無い。

 キーマンの日本人の名前が、「エンセイ・タンカド」に「トクゲン・ヌマタカ」といった珍妙な名前なのに鼻白む感じであるが、更にこの「タンカド」がアナグラムに絡むとあっては一層しらけてしまう。

 

さて、続いて早速出てきたのが、聖遺物に纏わる謎をテーマにした作品。

フリア・ナバロ

「聖骸布血盟 上/下」(05年9月) ランダムハウス講談社 白川 貴子 訳

 キリストの聖遺物のうち、“幻の聖杯”と違って、キリストの遺骸を包んだと謂われる「聖骸布」は、数度の火災による焼失の危機を乗り越えて現在もトリノ大聖堂に安置されており、製作年次は未だ特定出来ず、その真贋は今も論争の的となっている・・・こうした事実を踏まえ、作者は壮大な歴史フィクションを創出した。

聖骸布を奪還しようとする謎の結社が引き起こす現代の事件と、キリストが布教を始めた時代のエデッサ(=シリアの北、アナトリア地方)に始まる物語が同時にスタートし、古代の聖骸布を廻る物語はやがて中世、テンプル騎士団の活躍と悲劇へと繋がって、更に現代へと向かう〜〜。

 このあたりの歴史ロマン=事実とフィクションの融合が見事で、とてもこれが処女作とは思えない魅力たっぷりの作品になっている。但し、個性的な人物を次々と登場させた収束が上手く出来ず、ラストにかけてはかなり荒っぽい展開になってしまったのが惜しまれる。  

 さて、歴史の謎を超古代まで遡ったのが・・・

スティーヴ・オルテン

「蛇神降臨記」   (03年2月)   文春文庫  野村 芳夫訳

遥かなる昔、敵対する宇宙人の追跡劇が地球に到達し・・・というプロローグで、この“スーパー・トンデモ”ストーリーの幕が開きます。翻って現代、超古代史の謎を解く発掘の旅を続けた異端の考古学者夫妻の遺志を継いだ一人息子は、2012年冬至に人類が週末を迎えるという古代マヤの予言に敢然と立ち向かおうとします。

ピラミッド、ストーンヘンジ、ナスカの地上絵、古代マヤ遺跡等々にまつわる事実と奇想を満載し(=本の帯の解説どおりで、超古代史好きには堪えられません!)、最後は次元と時空を越えたもうハチャメチャに近い展開へと突っ込んでいきます。

かなり荒っぽい筋立てですが、これまで読破した中でも最大規模の壮大な大法螺話で、作者の博識と気宇壮大な構想には、ただただ脱帽するばかりであります。

「邪神創世記」 (05年)    文春文庫   野村 芳夫訳

 前作だけではまだ蓄えたエネルギーの発散が足りなかったか、著者は続編を書き上げました。〜〜前作で主人公は「蛇神」とともに消え去ってしまいましたが、残された妻は運命の兄弟を出産。遺児は早熟の天才を発揮し、大統領の庇護の下、救世主として父の遺志を継ごうとします。一方同じ時刻に別の場所で悪の化身ともいうべき女の子が誕生し、やがて兄と彼女のテレパシーが交差して・・・

 ここから善と悪の二元対立的なストーリーが広がるかと期待しましたが、広げに広げた大風呂敷を収拾しきれなくなったか、終盤わけの分からぬグロテスクな展開となってなんともがっかりです。タイトルに因んで言えば「竜頭蛇尾」とはまさにこのことで、せっかくのモチーフを生かしきれず、なんとももったいない。これなら続編は作らないほうが良かったといえましょう。  

ノア・ゴードン

「千年医師物語1 ペルシャの彼方へ」 上/下  角川文庫 竹内さなみ 訳

11世紀初頭のイングランド、両親の死によって孤児となった少年ロブ・ロイは外科医兼床屋さんに拾われ、町から町を転々としながら、厳しく芸と技を仕込まれる。床屋さんの急逝後、医学の道に目覚めたロブは、世界最高の医師イヴン・シーナに憧れ、ユダヤ人に身をやつして苦難の旅の末、ついにシャーの都イスファハンに辿り着く。

シャーの知遇を得たロブは、イヴン・シーナの許で内科医としての修行を積み、友と切磋琢磨しながら優秀な医師へと成長していく・・・数奇な運命の若者が強い意志と努力で逞しく生き抜いていく様を描いた大河ロマンで、千年に亘る3部作の第1部。

11世紀のイングランドやバルカン地域そして繁栄するイスファハンのリアリティあふれる描写や、ユダヤ教、イスラムの戒律、当時の医学・医療事情等についての著者の博識には圧倒される。

 イングランドの詳細な描写から著者は英国生まれかと思ったら、実はアメリカ人で、そういえば

旅の途中で袂を別った恋人とペルシャの中で再会するくだりや、幾多の困難の中で関係者が次々と落命していっても(せめて無二の親友くらいは生かしてマスカットへ帰してやりたかったなぁ!)

主人公一家は無事イングランド帰還を果たすあたりは楽天的アメリカ人らしい(?)ご都合主義といえよう。

もうひとつ蛇足的に言えば、イスファハンが“世界の半分”と謳われるほど繁栄したのは16世紀末サファヴィー朝のアッバスT世によって都と定められてから後のことであり、物語は史実を曲げてその繁栄ノイメージを11世紀に移し変えている。

  しかし、そのような仔細はさておいて、歴史、科学、宗教、社会、戦争、そして夢と冒険と恋と友情・・・あらゆる要素を詰め込んで、読んでいてワクワクする傑作大河ロマンであることは間違いない。

「千年医師物語2 シャーマンの教え」 上/下 01年11月 角川文庫 竹内さなみ 訳

 舞台は初代ロブ・J・コールから約800年の後の19世紀前半、”西部開拓史”時代のアメリカへと飛ぶ。〜〜家業の医師となったロバート・ジャドソン(=J)・コールは反政府労働争議で労働者の肩を持ったために、オーストラリアに流刑されそうになり、これを逃れてスコットランドから新大陸へと渡る。ボストンでの経験を足場にやがて原野が広がるイリノイ州へと入り、ここを舞台に彼と息子ジェファソン・コール=シャーマンの2代に渡る壮大なストーリーが展開される。

 西部開拓史がインディアン虐殺史であった過程と南北戦争の悲惨さと虚しさを鮮明に描き出している。リンカーンもインディアン虐殺派の一員であったことを指摘していることも加え、この視点はアメリカ人としては実に勇気ある著述といえよう。

 主人公は宗教を理解しつつ一定の距離を置いているが、これは著者自身の立場かもしれない。前作に引き続き(否、それ以上に)キリスト教とユダヤ教の相違・相克を詳細に丹念に描き出し、又その一方でインディアンのアミニズムにたいしても深い理解を示している。また19世紀の医学医療の克明詳細な描写には感服させられる。

舞台が近代のアメリカになった分、イスラムを舞台にした前作ほどのロマン性には欠けるものの、格調高い傑作といえよう。

「千年医師物語3  未来への扉」

千年に渡る大河ドラマの第三幕=最終章の舞台は現代アメリカで、主人公は女性医師R・J(ロバータ・ジャドソン)コール。

ボストン大医学部教授の一人娘として医学の道を進み、地元大手病院の高潔な人柄の優秀な医師として将来を嘱望されるが、愛が冷めて久しい夫との離婚を契機に丘陵地帯の開業医として自立した道を歩む。(こんなに聡明な女性がなんでこんな男を伴侶に選ぶのか腑に落ちないが、どうも尋常ならざる結婚がコール家の血筋ということか?)

まるで前作の開拓時代を彷彿とさせるような豊かな自然を背景に地元の人々との交流が淡々と綴られていくが、優秀で真っ当な個性の女性を主人公としたため、1,2部と比べると物語のスケールはぐっと小さくなり、これまでのようなドラマチックなストーリー展開も無い。

一種の私小説的展開で、これがこの大河ドラマの最終章かと、ちょっとどころか相当にガッカリさせられる。現代アメリカ史を舞台にして社会宗教に切り込むなら、ベトナム戦争、公民権問題、人種差別等を避けて通れないが、町医者として生きる市井の一女性が主人公では、その人物の意識がいくら高かろうともこうした問題について所詮影響力の無い傍観者にならざるを得ない。主人公にとって一番身近な公的医療制度にしてさえも、“町の批判者”に過ぎなくなる。(中絶問題に相当傾注するが、それも後任医者が決まると、そこでアッサリと手を引いて終了といった按配)

やはりこの大河ドラマの第3部として、主人公の人物設定を間違ったのであって、先祖の血を継いだ“熱い心”を持った男性を主人公に置けば、もっと違った展開が可能でなかったかと残念である。

 

 さて、”ホームズ物”の珍品が、

テッド・リカーディ

「シャーロック・ホームズ 東洋の冒険」 04年8月 光文社文庫 日暮 雅道 訳

悪の天才・モリアーティ教授はホームズ細大の敵であり、“最後の戦い”においてライヘンバッハの滝で二人とも命を落とす〜〜著者ドイルはこれでホームズ物を終了しようという考えであったのだが、どっこい読者はそれを許さず、「空き家の冒険」で“復活”する。

 そしてこの復活までの空白期間が、シャーロキアン作家の創作力を刺激するようで、フリーマントルはホームズが瀕死の重傷を負って生還したあと、献身的介護をしてくれた女性と恋に落ち、2世が生まれたという設定を創設した。一方○○はモリアティの残党一味(モラン大佐等)の追求から逃れる為、身分を変えて東洋に渡り数年を過ごしたという設定でこのストーリーが誕生した。

 語学と変装の達人であるホームズはその特技を生かしてインドへ渡り、カシミールからネパールさらにチベットまで分け入り、さらにはセイロン(スリランカ)からジャワ迄その足跡を残し、各地で鋭い推理力で難題を解決していく。中にはダライ・ラマの驚愕の出生の秘密が明かされるエピソードまである。(ダライラマは輪廻転生で、血の繋がりはないからこんなことがあっても許されるか?)

 大英帝国統治下の植民地のオリエンタルにしてエキゾチックな風俗雰囲気や、ホームズとワトソンのパーソナリティは丁寧に良く描きこまれているが、各エピソードが時系列的に相前後し、又都度「現在」のホームズとワトソンの会話に戻ってくる筋立ては、(作者がシャーロキアンとして楽しんでいるのであろうが、或いはシャ−ロキアン読者へのサービスか!)読んでいて煩雑で「事件のその当時」に没入することが出来ない欠点となっている。構成の技巧に溺れすぎたといえよう。

 

トマス・ハリス

「ハンニバル ライジング 上・下 」 07年4月 新潮文庫 高見 浩 訳

 「ハンニバル」の作中で、この稀代の怪人、天才悪魔の生い立ちの秘密がチラリと紹介される一端があったが、本作品によって彼の出生の秘密の全て、特に天才犯罪者として他に例を見ない“カニバリズム”へのこだわりの謎が解き明かされる。小品仕立てながら巧妙で中身の濃い筋立てで、“ハンニバリアン”(そのような愛読者がいるとして・・・アッ、自分のことか?・・・)の探究心をいちおう満足させてくれる。

 日本人にとって嬉しいのは(!?)、彼の優れた芸術性が天性の才のほかに、彼の少年期の庇護者、日本人女性・紫夫人の感性によって育まれ磨かれものだということである。もっとも過去の作品では西欧芸術・音楽への深遠な造詣の描写はあっても、その対極にある「和」の美と芸術性へのこだわりは披瀝されていなかったと記憶するが・・・

 さて、アメリカに渡った青年ハンニバルが彼の地でどのような悪の遍歴を重ねていくのか?・・・次の作品が待たれるところである。しかし読者に共感を呼ばなければならないので、次作の構成はかなり難しいことになるのは必至で、ハリスの作家としての真価が問われることになる。

 

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