エンタメ小説第3部

A・J・クィネル

ケン・フォレットが登場すると、英国では“国際謀略小説”の切れ者としてもう一人忘れてはならない作家がいる。そう、..クィネルである。私もずいぶんと前に「ヴァチカンからの暗殺者」(87年/新潮文庫=以下全て新潮文庫)・・・ローマ法王の側近からアンドロポフ書記長暗殺を依頼された主人公ミレフとその妻役を果たす敬虔な美貌の修道女アニアが、過酷な運命が待ち受けるソ連へと向かう〜〜といった奇想天外な着想のストーリー・・・を読んで興奮した記憶があるが、それから久しく彼の作品から遠ざかっていた。今回この項を書き始めて、西宮のM氏の指摘もあって、あらためて大熊 栄氏の名訳による彼の作品を読み、その才能の豊かさを再認識したのであります。

〜〜さて、クィネルは80年に「燃える男」で鮮烈なデビューを飾った。作家として自由な行動をしたい!との意向で、その氏素性は一切不明という“覆面作家”の立場を貫いて今日に至っている。しかしながら全てを秘密で押し通すわけにもいかず、今日では“1940年にローデシアで生まれ、タンガニーカで育ち、長じてイギリスで教育を受け、スイスや香港で貿易商として活躍して世界中を渡り歩き、やがて作家活動に入った”という経歴が明らかになっている。・・・アフリカの光景を描いて他の追随を許さない力量を示すのは、このような経験とその豊かな感受性の賜物であろう。

その作品を追ってみると、

「燃える男」

外人部隊で名をはせた傭兵クリーシーも50歳を前に虚無感にさいなまれていたが、イタリア人富豪の愛娘のボディガードに雇われ、彼女との心の交流を通して再び前向きに生きる希望を取り戻す。ところが彼女が誘拐され惨殺されてしまった。怒りに燃えたクリーシーはたったひとりで恐るべき組織を相手に復讐へと向かう・・・こうして史上最強(!)の傭兵クリーシーが颯爽と登場するのである。

「メッカを撃て」(81年)

  アラブ世界を制御するために自由に操れる預言者“マハディ”をでっちあげろ!〜〜CIA作戦本部長モートン・ホークは英国の伝説の老スパイ・ブリッチャードの提案を受けて、MI6の作戦副本部長ピーター・ジンメルと協力して作戦実行に取り掛かる・・・およそこれほど大風呂敷はない!という奇想天外な国際謀略小説である。(“大風呂敷度”において、エンタメ小説中ナンバーワンかもしれない)

読み終わって、僅か2作目にしてこの構想力の豊かさと、あっと驚くどんでん返しの結末に酔いしれるが、その酔いが醒めると、“果たして全てがこう上手くいくものかな?という疑問がフツフツと沸いてくる。そして薄倖のプリマドンナ、マヤ・カシューヴァとジンメルの係わりにも納得がいかない!(この後のクリーシー・シリーズにおいてもクィネルの女性描写は納得がいかないというよりも”とんでもない“という思いが強まってくる。そして、これが抜群のストーリーテラー・クィネルの弱点であると言えよう。

「スナップ・ショット」(82年)

 恥ずかしながら、クィネルの初期の傑作を22年経って初めて読む。04年の今、「フセインは大量破壊兵器を保有している!」として、ブッシュが侵攻したイラクは破壊と混迷のさ中にあり、予想されたとおり第二のヴェトナム化しつつある(否、それ以上に厳しい情勢)が、そういう事情を差し引いても、本作品が当初の輝きを全く失っていないのに先ず驚く。

 81年にイスラエル戦闘機によるイラク原子炉の爆撃があった。(今となっては記憶も薄れかけた大事件であるが!)そして世界中で批難轟々、国連での制裁ムードの高まる中で、何故かアメリカが拒否権を発動してこれを封殺した・・・この事実をベースに置いて、間髪をおかず事件の翌年にこれだけのフィクションを構築した力量はすごい!。

 一片の真実から壮大な虚構を生み出す作家としての優れた手腕は、同国人のケン・フォレットと甲乙つけがたい。クィネルの81〜86にかけての作品群は、一作ごとに趣きを変えて誠に素晴らしい出来映えであり、後年の「ブルーリング」以降のクリーシー・シリーズの杜撰さを想像させない。作家人生の前半にこそクィネルの真骨頂があるといえる。

「血の絆」(84年)

  ニューヨークのオフィスで一人息子のインド洋上遭難死を知らされた未亡人カースティ、ボンベイの孤独な中年の税関書記ラメッシュ、モルジブ・マレで暮らす薄倖の中国人美少女ラニー、サウディの砂漠で油井掘りに汗を流す正義漢のタフガイ・ケイディ。遠く離れ全く縁もゆかりも無いこの4人がどのように絡んでいくのか?・・・筋の展開が全く読めないドキドキの面白さ。カースティの不屈の意志が、関わる人達の善意の輪を広げ、奇跡のドラマが青い海と空と海鳥達のセイシェル諸島に繰り広げられる。

 ストーリー全体に流れる明るさ(いい意味でアーチャーの作風の如きでもある)が心地よく、終盤にはクィネルお得意のアクションシーンも織り込んで読者の期待を裏切らない。また伏線の張り具合もよく、ストーリー展開に破綻が無い。この一味違った海洋冒険小説は、この後の作品も含めたクィネルの作品中で、私の一番好きな作品である。

「サンカルロの対決」(86年)

中南米の小国・サンカルロに革命が勃発し、米大使館が占拠された。人質となったピーボディ大使が持つ機密情報を掴むため、カストロの命を受けてキューバから天才的な尋問家のホルヘが訪れ,二人の間で究極の心理戦争が展開される。一方、大使を尊敬する米陸軍スローカム大佐が人質救出へと大胆不敵な作戦を展開する。ピーボディとホルヘのプロ対プロの対決と微妙な心理のアヤの描写が秀逸。そしてもう一人のプロ、スローカムの軍人魂も素晴らしい。3人のモノローグを繋いで展開させるという挑戦的な文体が個性的で、クィネルの作品中でベスト3に挙げられるのではないか!

「イローナの四人の父親」(92年)

・・・全ての始まりは56年の動乱に揺れるハンガリーの首都ブダペスト。混乱のさ中、類稀な美貌のエヴァ・マレイターは生きる為に4人の男性(4人は、スペツナズの将校と米・英・東独の敏腕スパイ達!)と関係を持ち、妊娠する・・・ここで彼女は奇天烈な行動に出て、その4人を自宅に集め、その一人が父親だと告げる。彼らは相談し、エヴァが子供を生み、彼らが出来る限りの支援をすることを誓い合う。〜〜そして十数年の歳月が流れ、東西冷戦の真っ只中、聡明で美しく成長した愛娘イローナと会うべく、4人はブダペストに集まるが、そこでイローナが謎の一団に誘拐される。困難な局面の中で彼等の必死の救出作戦が展開され、物語は意外な方向へと展開。

驚きのプロローグに続いて、4人の男たちの人間性と行動がオムニバスストーリーとして鮮やかに描かれ、また、会話の随所に英国育ちのユーモアも鏤(ちりば)められており、更に真犯人探しの謎解きまでが加わって、クィネルのストーリーテラーとしての本領が発揮される。

一風変わった、そして秀逸なスパイものであるが、しかし一寸考えると、イローナ誘拐の目的がよく分からず(勿論、物語を面白くするためではあるが!)、又、東西数箇所にまたがる4人の作戦行動に対して、誰が同時陰謀工作を展開することが出来たのか?(否、出来るはずがない!)・・・と、どうも釈然としないのである。=このあたり、起承転結の破綻の無さという点においては、フォーサイスやクランシーには数歩及ばずといえよう。

「パーフェクトキル」(94年)

なんと、処女作から数えて、じつに14年ぶりにクリーシーの再登場。「その男は・・・4歳の女の子の遺体を見た・・・」という書き出しがなんともユニークで一気にストーリーの中に引きずり込まれる。こうして突然クリーシーを襲った悲劇に対して、飽くまでもクールに復讐の為の周到な準備が始まり、その過程の描写がじつに素晴らしい。クリーシーの住むコッホ島とその住民達の生き様も印象的だ。また彼の作品では例外的といっていいほど女性の描き方が見事である。飛行機爆破で娘と共に亡くなった妻の母親ラウラの人間性描写がなんともいいのだ。そして、孤児院から養子を迎える為に偽装結婚する相手のレオーニ・メックラーの心理描写も秀逸である。  

これまで一作ごとに全く異なった趣を提供してきたクィネルであるが、何故かこの後はクリーシーひと筋。そして本作品がシリーズ最高の作品といえよう。

「ブルーリング」(95年)

 クリシー第3弾。クリーシーと養子マイケルは、少女誘拐を首め、悪逆非道を繰り返す国際秘密結社ブルーリンクに敢然と立ち向かう。ストーリー展開はシリーズの中で一番シンプル。ブルーリンクの悪党達との対決を本作品の縦軸とすれば、横軸はクリーシーをバックアップする仲間達で、グィドー首めかつての傭兵仲間や、新たに加わるコペンハーゲンの刑事・イェンスなどのキャラクターがじっくりと描きこまれているのが特徴といえる。ただ、チーム・クリーシーの”目的のためには手段を選ばず”といった行動に納得のいかない箇所があるのは問題。

「ブラックホーン」(96年)

 クリーシー・シリーズ第4弾。アメリカの女大富豪の一人娘がジンバブエのサバンナで銃撃され、同じ頃に、香港において高潔な医者が三合会(=暗黒組織)によって殺害された。この二つの殺人事件を繋ぐ謎は何か?クリーシーは大富豪の依頼を受けて犯人追求に乗り出す。ジンバブエの光景と、そこでのサバイバル作戦の描写がなんともリアルで、ローデシア〜タンガニーカで育った実体験が生かされているといえよう。しかし、私はこの作品には少し苦言を呈したい。

一つ・・・前作であれほど苦労し、愛しんで教育した養子マイケルをあっけなく失う羽目になってしまうが、これはクリーシーの殺人犯黒幕捕獲作戦があまりにも粗雑で、また相手の極悪人としての心理を読みきっていないが為であり、冷静でクレバーなクリーシ−の行動としては納得出来ない。(私は、マイケルはここで死なすのはなんとも勿体ない!生かしておいてもいいと思うのだが・・・)

二つ・・・物語の終盤、三合会一派を倒そうと傭兵仲間が敵地で準備に忙しい最中に、リーダーたるクリーシーがヒロインと逢瀬を楽しみ、その結果、彼女を死よりも酷い目に合わせてしまう。“親の仇をとる決戦の前にもう一度抱かれたい!”という女性心理もちょっとおかしいし、仲間に行動開始を指示しておきながら、自分だけ情事を楽しむなどはまさに言語道断の振る舞いで、このようなチームリーダーがありえようか。これならクリーシーはヒーローではなく、たんなる色情狂になってしまうではないか!

「地獄からのメッセージ」(97年)

 クリーシー第5弾。〜〜26年前にヴェトナムで戦死したはずの部下の認識票が両親の元へ届けられた。自分を誘い出す罠と感じつつ、真実を見極めたいという両親の強い願いを聞いて、クリーシーはかっての戦地へと舞い戻り、恐るべき陰謀と対決する。ミステリータッチの前半から大活劇のクライマックスへの展開が手際のいい作品ではあるが、本作にも問題無しとしない。

 一つはクリーシーをサポートする陸軍行方不明兵士担当官スザンナ・ムーアの描写。女性は愛する人の子を身籠ったまま、他の男と寝るだろうか?・・・いくら相手がクリーシーとはいえ・・・また応ずるクリーシーの人間性も問題で、前作ラストの情事といい、これでは読者もクリーシーの人間性に愛想をつかしてしまうのではないか?

 また、ラストシーンでの、孫であると確認しないまま、善良な両親にヴェトナム女性とその息子を押し付けてしまうクリーシーの粗雑さ、無責任な行動も異議ありだ。「イローナ〜」のラストでは血液検査に詳しく言及しているだけに、ここはしっかり検査をして孫だと確認して両親に渡すエンディングにしてほしかった。クィネルほどの書き手だからこそ、細部に渡って納得性のある描写をしてもらいたい。それが優れたフィクションの“要の部分”といえよう。

「トレイル・オブ・ディアズ」(00年・/集英社)・・・未読  

《追記》

 クィネル氏は2005年7月10日、マルタのゴッツオ島にて肺癌のため逝去、享年65歳。まだまだ活躍を期待していたのに残念でなりません。きっと天国でクリーシーの妻・娘やマイケル、そしてレオーナ達とコッホ島での楽しかった日々を語らっていることでしょう。ご冥福をお祈りします。

 

 ブライアン・フリーマントル

 英国の作家で、21世紀に入ってもっとも精力的に活動しているのがフリーマントル。36年サザンプトン生まれで、デイリーメイルの外報部長を務めた後に作家デビュー。英国諜報部員チャーリー・マフィン、心理分析官クローディーン・カーター、米露捜査官コンビ・カウリー&ダニーロフノシリーズを並行して刊行し、人気を博している。

「シャングリラ病原体 上/下」(03/3=松本 剛史・訳)・・・連絡の途絶えた南極米観測基地に到着した捜索隊が見たものは、急激に老化して死亡した数個の遺体!恐るべき病原体の正体は?・・・米欧露のチームの必死の探求が進むが遥として道は開けない。

 バイカルの近くで発見された新石器時代の原人の遺跡の描写などは素晴らしいし、病原体やウイルスに関する調査の深さには感心させられる。異色の生物化学ミステリーかと思ったら、主題は病原体対策発見をめぐる米英仏露の政治陰謀劇で、各国首脳の権謀術数がクドイほどに繰り返されて、いささか鼻につくのが欠点。エンディングも作者は意外性をねらったものかもしれないが、これでは読者をだまし討ちにしたようなものではないか!

爆 魔 上/下」04/12)・・・カウリー&ダニーロフの弟3作。「9・11」を彷彿とさせるような出だしであるが、作者が本作品を書き上げた後にあの事件が発生し、その為少々ストーリーを手直ししたそうな。〜〜突然ミサイルが国連ビルを襲う。ロシア語に堪能なカウリーが調べると恐怖の細菌爆弾を搭載したミサイルはゴーリキーで製造されたもの。〜〜かくて米露にわたって、政治の圧力&陰謀と対峙しながら、名コンビに上昇志向一杯のFBI捜査官・パメラが加わって必死の追求が始まる。謎のテロリストの多面的な攻撃展開・ハッカー描写の面白さ・ロシアの闇世界の迫真的描写等テンコ盛りの内容はサービス満点。もっとも満点が過ぎて、登場人物とストーリー展開が途中で分りづらくなるのが玉にキズ!といえなくも無い。  

「フリーマントルの恐怖劇場」 98/8・新潮文庫) 山田 順子 訳 ・・・意欲満々のマントルが、フォーサイスの向こうを張って挑んだ短編小説集。“ 恐怖 ”をテーマにした着眼点はなかなかといえますし、「森」から{死体泥棒}までの12編中には良くできた作品もあることはあります。が、表現テクニックはフォーサイスに及びません。例えばほんの20〜30ページで人の一生を描ききろうとすると、どうしても突っ込みが足りなくなります。人生の流れの中である部分を切り取って深く切り込む工夫が求められるところであります。   

「城壁に手をかけた男・上/下」(06/5・新潮文庫)戸田 裕之 訳

 フリーマントルの代表作「チャーリー・マフィン」を遅まきながら初めて読む。上記の「爆魔」もそうであったが、作者はソ連崩壊のあとも、モスクワを舞台にした作品をメインフィールドにしているようだ。条約調印にアメリカ大統領がロシアを訪れ、ロシア大統領と並んだところに銃弾が飛ぶ。ロシア大統領は死亡し、アメリカ大統領夫人は重傷を負う。捉えられたのはイギリスからの亡命者の息子。ここから米ソの捜索にマフィンが割って入る。どのように大きなスケールの陰謀が張り巡らされ、解明されるのかと興味津々で読んでいくが・・・「シャングリラ病原体」と同じように3ケ国関係者の思惑と駆け引きや心理戦が延々と続き、ストーリーは堂々巡りで意外と広がりを見せないのには聊かガッカリ。ガッカリなのはもう一つある。英国諜報員マフィンの妻がなんとロシアの内務省上級職!

 英国側が二人の関係を利用しようとして黙認するのは百歩譲って理解するとしても、ロシア側がそんなことを許すハズがない!この関係を知らないとしたらロシア内務省は世界一のど阿呆である。〜〜というわけでこのような絶対にありえない舞台設定をする(しかもこのありえない設定から生ずる事態がかなり重要な要素となっている)スパイ小説を、いかなフリーマントルといえども、私は全く評価しないのであります。

「シャーロックホームズの息子」  日暮 雅通 訳 (新潮文庫 05年10月)

 フリーマントルが“ホームズ外伝”に挑んだ異色の作品。

〜〜ホームズに息子がいた!・・・モーリアティ教授との死闘で九死に一生を得た(・・・ここまでは私も知ってる)ホームズは瀕死の状態でたどり着いた療養所で献身的な介護をしてくれたマティルダ・フーバーという女性と恋におち、一人息子を授かったが、彼女は体質的な欠陥があり、出産時に出地が止まらず、セバスチャンを産み落とすとともに天に召される〜〜それから20年余の歳月が過ぎ、ソルボンヌ大学で学年最優秀賞をとり、次いでハイデルベルグ大学を首席で卒業したばかりのセバスチャンは内閣常設秘書官を務める叔父(=ホームズの兄)マイクロフトに呼び出される。時はヨーロッパが風雲急を告げようという(=第一次大戦前)時代で、ホームズ一家は海軍大臣チャーチルと会談、大臣の指示でセバスチャンは、アメリカを見方に引き入れようというドイツの陰謀を探るため、大西洋を渡る。公式身分保障の無い立場で、親譲りの頭脳を武器にセバスチャンの活躍が始まる・・・

 ホームズストーリーをしっかりと踏まえた上で、新たな世界を展開してみせたフリーマントルの手腕に脱帽の一編で、世の名だたるシャーロッキアン達も本作品は納得するのではなかろうか?

「ホームズ二世のロシア秘録」日暮 雅通 訳 (新潮文庫 06年10月)

 前作に続き、第一次大戦が迫る情勢下、再びチャーチルの命を受けて、革命の気配漂う情勢を調査すべく、セバスチャンはロシアへと潜入する。前作の大西洋航路の船旅で知りあったオルロフ皇子とその愛娘オルガの助けを得て、ロマノフ王朝崩壊の危機の実態を探る。権力者となる前のレーニン、トロッキー、スターリンの人物像や怪僧ラスプーチンのおぞましい姿なども生き生きと描き出し、歴史的事実とフィクションを巧みに融合させた見事な作品に仕上がっている。歴史の変わり目を舞台にして、次なるホームズ二世の活躍を期待するや切なるものがある。  

「名門ホテル乗っ取り工作」 宮脇 孝雄 訳 88年3月新潮文庫)

 アメリカ最大規模まで拡大を遂げた新興ホテルチェーンの若き会長が、最高の格式を誇るロンドンの老舗ホテルの乗っ取りに挑む。オイルマネー、アフリカ産油国の動向が絡み、許されぬラブロマンスも。そして思わぬところに意外な陰謀が進行する・・・著者が初めて挑んだ企業小説は一応の構想と舞台装置の広がりを見せている。

 しかし人物の描き方が類型的で、特に主人公と義父の確執の原因が明確に描ききれていないところが(これが重要な要素となるだけに)もう一つ物足りない原因であるといえる。

「十二の秘密指令」   94年7月 新潮文庫  新庄哲夫 訳

“組織内にもぐらがいる!”・・・ザ・ファクトリー=イギリス対外情報工作機関のサミュエル・ベル本部長は配下の連中に秘密指令を出して、孤独な極秘捜査に乗り出す。〜〜東西冷戦==エスピオナージ華やかなりし(!)頃のスパイ工作が手を変え品を変えて描き出され、しかも最後にはひと捻りした落ちが付くという、なかなか技巧r的な作品であります。

「月刊ASAHI」の為に著者が12回の「連作読切小説」のジャンルに挑んだ異色意欲作ということで、作者の意欲が充分に結実しているといえましょう。  

「殺人にうってつけの日」

2重スパイの罪で終身刑となった男が模範囚を装い15年で出獄、自分を売って亡命した元ソ連スパイとその妻(=元自分の女房!)に復讐を誓う・・・となれば読者は自然とこの男に肩入れしたくなるところであるが・・・。

 ところがこの男がとんでもない極悪人の女たらしで、亡命者一家は真面目な市民生活を送っており、ここから復讐を追及する者と追われる一家のハラハラドキドキのストーリーが展開される〜〜というのが筆者の狙いで、それはある程度成功しているといえるが、読んでいてもうひとつ楽しめない。それは・・・ワルはワルらしく個性豊かに(!)描かれているのだが、善人のほうの描写がダメなせいである。

やはり理由がどうあれ、自分のエージェントを売って亡命したという経緯が引っ掛かるし、元敏腕スパイにしては、“偶然の一致”などありえないというこの世界の鉄則を押さえられない危機管理能力の無さは不自然である。そこのところが読んでいてなんとも歯がゆいのだ。

またヒロインも魅力に乏しい。美人で聡明という設定なのだが、そんな聡明な女性が元夫の極悪振りを見抜けずいっしょになったのが先ずおかしいし、亡命保護プログラムの下で生活しているのに、画廊の展覧会で世間の注目を浴びようとするのも愚かである・・・という具合に突っ込みを入れたくなる箇所が沢山ある。

一番残念なのが、登場人物中一番魅力的なキャラクターである一人息子を無残にも惨殺させてしまうところで、これは出獄囚の非道振りを強調して読者を納得させんが為の設定であるが、一人息子の命を守れずして夫婦生き延びても読み手の読後感はよろしくないであって、名手フリーマントルさん、もう一度ストーリー構成を考え直す必要がありますよ!

「トリプルクロス」

ダニーロフ&カウリー・シリーズ。ロシアの新興マフィアがアメリカ、イタリアのマフィアと手を組んで世界制覇をもくろむ。ダニーロフとカウリーは夫々の地で様々な障害を乗り越えながら凶暴にして狡知な悪の組織を追い詰めていく・・・。

 米・ソ・伊そしてスイス、西独と舞台を広げたスケールの大きな構想と変化に富んだストーリー展開、そして数多い登場人物の性格が鮮やかに丁寧に描きこまれており、本シリーズ中最高の出来栄えとなっている。

最愛の女性の復讐のため法を超えようとするダニーロフの苦悩、捜査のプレッシャーからアルコール逃避への誘惑にかられるカウリー・・・俊敏ではあるが、完璧なスーパーヒーローではなく、夫々心の弱みを持つ、それだけに人間くさい主人公の人物設定が読者の共感を呼ぶ秘訣であるといえよう。

「ネームドロッパー」 上/下(08年) 戸田 裕之 訳   新潮文庫

 IT技術を駆使して他人の資産を少しずつ掠め取るネット詐欺師ハーヴェイは、モナコのホテルで或る美貌の女性を恋の罠にかけたつもりが・・・別居中の夫から不倫の咎で法外な慰謝料を要求され、窮地に陥る〜〜

  フリーマントルがグリシャムの向こうを張ったようなリーガルサスペンスに挑んだ一編で、常に新しい分野に挑む著者のチャレンジ精神は評価できるが、やはり、リーガル物としては、グリシャムに比べると底が浅く読み終わって物足りなさが残る。(逆に国際政治陰謀のジャンルだと、グリシャムも今ひとつなのであるが・・・)

 また、「ワル」がより大きな「悪」を懲らしめるというのはこの種ストーリーにはよくあるパターンであるが、「ネームドロッパー」という一見格好良いネーミングをしても、詐欺師の本質に終始変わりのない主人公では、読者としてはいまひとつ感情移入し難いのも欠点で、「殺人にうってつけの日」と同じく、主人公の状況設定に最初から無理があるといえよう

 

 アメリカには“悪漢小説=ピカレスクロマン?”という分野がある。・・・大胆不敵な犯罪行為をやって のける主人公たちだが、どことなく憎めないところがあり、ストーリーの中にふんだんに散りばめられた洒落た会話と乾いたユーモアが、面白さの秘訣であるといえよう。  

その代表格がトニー・ケンリック

トニー・ケンリック

・・・全て角川文庫で、なんといっても上田公子さんの翻訳が素晴らしい。原作者の持つユーモア、アイロニー、エスプリをそのままに、日本語でいきいきと伝えている(と思う次第である)が、それは、じつに秀逸な翻訳タイトル(映画好きにはにやりとさせられる!)を見ても察しがつく。

・・・もっともアメリカでの出版と日本での翻訳にこれほどタイムラグがあるのも珍しい。(以下のカッコ内の数字は=アメリカ/日本での出版年次) これは、日本人が彼のユーモアを理解するのにそれだけの時間を要したということであろう。(そして、その点は後述するエルモア・レナードも同じといえよう!)

「スカイジャック」A Tough One to Lose(72/74)

 360人を乗せたままのジャンボジェット機をどうやったら忽然とかき消すことが出来るのか?乗客は何処に??・・・報奨金10万ドル目当てに、浮気がバレて事務所と妻から放逐されたダメ弁護士ベレッカーが、元妻で秘書のアニーと右往左往しながらこの謎に迫っていく。

「まあ、ベレッカー、すべての男がすべての女を欲しがるとは限らないのよ」

「そりゃ、そうさ、そんなに暇のあるやつがいるかい」

「いないわね、あなたを除いては」

・・・全編を通してお洒落で、ウイットに富んだ会話のてんこ盛り。特に、執拗に復縁を迫るベレッカーと、ユーモアと皮肉たっぷりにそれをかわす元妻アニーの会話は絶妙で、これぞケンリックの真骨頂。トム・ハンクス(原作のベレッカーほどの美男子ではないが!)と、かわゆい(!)レニー・ゼルウィガーで映画化してみたい!

「三人のイカれる男」Two for the Price of One(74/87)・・・未読

「リリアンと悪党ども」Stealing Lillian(75/80)

 〜〜ドン・レイは、ある日突如として・・・マスコミの砲火の中に躍り出てきたのだが、・・・忽然とかき消えてしまった。・・・いったい何が起こったのか? それが発見されないことを祈っている人間が実はかなりいるのである。〜〜こんな書き出しで始まると、“その謎は??”と思わず行間に引き込まれてしまう。早くもケンリックマジックに囚われてしまったのだ!

 そして冒頭の、しがない職業安定所の経営者で、同時に向かいのビルの旅行代理店の社員でもあるバニー・コールダーの一人芝居が、その昔の、トニー・カーティスが口八丁のお調子者を演じているコメディ映画の1シーンを彷彿とさせてなんとも可笑しい! C調(古いなあ!)な主人公のキャラクターを見事に表現している。

バニーと、彼のインチキ商売で、旅行中に部屋を滅茶苦茶にされて怒り心頭の美人デパートガール・エラがひょんなことからおませな悪ガキ少女リリアンと、少女被誘拐劇の渦中に引きずり込まれ、そこへドジな誘拐犯が登場して・・・と例によってオドロキのストーリーがくり広げられる。

「マイ・フェア・レディーズ」the Chicago Girl(76/81)

 〜〜宝石故買屋が惚れた高級娼婦に残した豪華なエメラルドのネックレスを騙しとろうと、新聞記者レディングは娼婦マーシャを教育するものの失敗。かくなるはと良家の子女で女優志願のジェニファーをかき口説いて逆教育(!)し、再度作戦実行へ・・・原題よりも邦訳タイトルが秀逸な、オードリーの映画の逆をいくようなオドロキの展開。

本書の解説者・吉野 仁氏がいみじくも述べているとおり、「奇想天外にして独創的な基本設定」、「ユニークな登場人物とユーモアたっぷりの会話」、「意外性に満ちたストーリー展開」がケンリックの真骨頂で、本作品もまさにそのとおり。

 以下の作品はまだ読んでいませんが、ケンリック中毒症になりつつある身としては、出来るだけ早く手にとってみたい!

「バーニーよ銃を取れ」the Seven Day Soldiers(76/82)

「俺たちには今日がある」Two Lucky People(78/85)

「暗くなるまで待て」the Nighttime Guy(79/84)

「消えたV1発射基地」the S1st Site(80/86)

「誰がために爆弾は鳴る」Blast(82/88)

「上海サプライズ」Shanghai Surprise(86/86)

「チャイナ・ホワイト」China White(86/88)「ネオン/タフ」=Neon Tough(88/90)

 

エルモア・レナード

 さて、アメリカの裏社会を描かせれば右に出る者はないといわれるのがレナード。少し前のことになるが、トラボルタ主演の映画「ゲット・ショーティ」を見終わって、私的にはちっとも面白くなかったので、この原作者はたいしたことないな!と極めつけてしまい、それでレナードの真価を理解するのが遅れてしまったが、なに、出版界とて、彼の力量を理解するにはずいぶんと時間を要しているのだ。

「プロント」(角川94、96・文庫=高見 浩一訳=以下同じ)

  〜〜ハリーは言った。「俺は腹を固めたよ・・・じつは、まだ誰にも話しちゃ無いんだが」、「あら、大戦中のこと?」、「ジョイス、なんで知ってんだ?」、「イタリアで脱走兵を射殺した話じゃない!2度も聞いたわよ」、「まさか!」という冒頭の会話が笑わせる。

・・・マイアミのスポーツ賭博の胴元ハリーは66歳を潮時と、永年の悪行から足を洗い、昔の恋人ジョイスとイタリアで余生を送るという計画を実行しようとした。その矢先、FBI捜査官がマフィアのボス・カポトートを挙げようとする罠に彼を引きずり込んでしまった。マイアミとイタリア・ラッパロを舞台にして、大悪党・小悪党が入り乱れての大騒動。クセのある登場人物をじっくりと描きこんで変幻自在のストーリーを展開させるレナードの筆力がスゴイ!

ゲット・ショーティ」(角川96)  

  マフィアの一員としてマイアミで金貸し業を営むチリ・パーマーは取立てのためにヴェガスへ向かい、次にロスに転じて独立系プロデューサー・ハリーと係わり、もともと大の映画好きの彼は次第に映画製作の世界へとのめり込んでいく・・・”胸に一物”の連中同士の軽妙な会話に、レナード独特の乾いたユーモアがよく出てはいるが、ストーリー展開の面白さは前後の2作品に比べて数段落ちるといえよう。レナードは映画の脚本も数多く手掛けており、ハリウッドに最も精通したエンタメ作家であるが、この映画製作の舞台裏をメインにしたストーリー作りは失敗である。原作がこれでは映画が面白くなかったのも当然の結果といえよう。

「ラム・パンチ」角川98)

  才気煥発にして、邪魔者は即始末してしまう冷酷非情な銃の密売人オーディル、彼の昔なじみの元囚人ルイス、初老に入った保釈金金融業者(アメリカにはこんな商売があるんだ!)マックス、マムシの如く執拗な麻薬捜査官レイ・・・こんな曲者ぞろいの連中の間に入って、自らまいた種のせいもあって絶対絶命の窮地に追い込まれた三流航空会社のハイミスCAジャッキーが、一発大逆転の大博打を打つ・・・陽光燦燦たるフロリダを舞台に、人生の岐路に立った男女の、まさに先の読めないストーリーが展開されていく・・・これぞ、まさにレナードの世界だ!と言えよう。  

「アウト・オブ・サイト」(02年10月角川文庫

銀行強盗のプロ・ジャック・フォーリーがフロリダの刑務所から脱獄に成功し、塀の外の地面から這い出たまさにそのときに、連邦執行官キャレン・シスコーと遭遇する〜〜〜ここから法の反対側に位置する二人の奇妙なラブ・ストーリーが始まる。“ワルの世界”を描いて他の追随を許さない“レナード・ワールド”を堪能できる快作といえよう。

聡明でタフで美人でセクシーでしかも心根優しくて・・・と男なら誰しもがゾッコンとなってしまうようなキャレンは、レナードが造形した最高のヒロインであり、また主人公ジャックも天才的な銀行強盗の技術を持ちながら、どこか抜けていて憎めないという魅力たっぷりのキャラクター。銀行の窓口で、暴力行為に出ず、舌先三寸で現金を奪取するシーンはなんとも鮮やかである。 そして、キャレンと、一人娘を愛しみ暖かく見守る私立探偵マーシャルとの会話がなんとも洒落ていてイキである。

蛇足ながら、本作は98年にスティーヴン・ソダーバーグ監督によって、ジャック=ジョージ・クルーニー、キャレン=ジェニファー・ロペスで映画化されているという。当代の売れっ子同士のキャスティングではあるが、クルーニーでは、ジャックのワルのイメージとはちょっと違う。じゃあ、誰がいいかというと、私なら、ジョニー・デップがいい。ナンシー・ロペスのキャレンも悪くはないが、小説では純粋金髪美人なので、プエルトリカンのロペスはそぐわない。フレッシュなところではナオミ・ワッツ(=キングコングのヒロイン役)なんかはどうだろうか?キャレンの父・マーシャルには、グッと“はりこんで”、渋みを増したポール・ニューマンがいい! (ともあれ、そのうち、レンタルで見つけて拝見してみよう)

 

フレッド・ウィラード

エルモア・レナードに匹敵するワルを生き生きと描いたノベルがフレッド・ウィラード。

「ヴードゥー・キャデラック」(03年7月)文春文庫 黒原 敏行 訳

 レナードの舞台は主としてフロリダであるが、フレッドは珍しくもジョージア州アトランタ。引退真近を迎えた初老のCIA現場工作チーフが打った大芝居にアトランタの悪党が絡み、蛙面の大富豪を交えてのコン・ゲームが展開される。ちょっと(否、相当に!)エロチックなヒロイン・ジンジャーがなんとも魅力的で、おじさん共はワクワク・ドキドキしながら読み進み、最後も可能な限りハッピー・エンドに収めてあるのが心ニクイ。

 

ドナルド・E・ウエストレイク

 悪党路線に一段とユーモアを加えて、読んでいて思わずニヤリとさせられるのが、ウエストレイクの「ドートマンダー・シリーズ」である。彼は別名のリチャード・スタークとして本格”ピカレスク”の「悪党パーカー」シリーズで人気を博しているから、”ピカレスク”はお手のものであるが、これにユーモアを加えると日本人(=例えば私のようなクソ真面目な男)にはなかなかその優れたところが理解されにくい。

 ドートマンダー・シリーズは70年代後半から80年代にかけて角川から出されているが、優れたエンタテインメント小説に拘わらずたいしてヒットせずに埋もれてしまい、90年代後半になってようやくその実力が評価され、角川でも改訂リバイバル出版の運びとなり、小生のような門外漢も楽しむことが出来るようになった次第である。

「ホット・ロック」(角川72年⇒98年)世にも不幸な天才泥棒=ドン・アーチボルト・ドートマンダー登場!(しかし、なんとも”人を喰ったような名前ではないか!)・・・のっけの、刑務所から出所するドートと、”悪人更生”に真面目に取り組む所長とのすれ違いなやり取りが笑わせる。アフリカはタラブウォ国(どんな国じゃ?)の国連大使から国の守護神たるエメラルド奪還の依頼を受けたドートが相棒のケルプや、ちょっとズッコケのプロフェッショナル達を呼び集め奪還作戦を開始する。ところが次々と思いもよらぬ事態が発生し、その都度ドートは奇想天外なアイデアをひねり出しては目これに対処しなくてはならない。ここに展開される”いわゆる金庫破り作戦”は一つだけでも面白いのに、それが手を変え、品を変えて4度も楽しめるのだから、これはもう堪えられません! ”悪事成就せず”の鉄則をしっかりと踏まえ、それでいてドートたちの”犯罪”に共感を呼ぶストーリー運びの巧みさは素晴らしい。

強盗プロフェッショナル」(角川75⇒98)親友ケルプが持ち込んだ「儲け話」は、なんと”銀行をまるごと頂いちまおう!”という話。ここで天才犯罪プランナー・ドートの”悪党プロ魂”が頭をもたげる。可愛い愛人メイが登場し、またまた個性豊かというか、奇人に近い犯罪プロが結集し、例によって奇想天外な作戦が敢行される。随所にユーモラスな会話が鏤められ、間抜けな捜査陣のずっこけぶりと相まって、抱腹絶倒のうちに物語は意外な方向へ。

「ジミー・ザ・キッド」(角川77⇒99)前回の失敗でドートは金輪際ケルプの話に乗らないと固く決心した!・・・ところが・・・のっけからドートを口説きにケルプの登場する場面で笑わせてくれる。今度の儲け話はなんと「少年誘拐」==普通ならどうにも許しがたい凶悪犯罪である。それがそうならないところがウエストレイクの筆の冴え。

 先ずケルプが刑務所内で、本人の別ペンネーム(=リチャード・スターク)による「悪党パーカー」シリーズの「誘拐」という犯罪小説」を愛読したことから始まるという楽屋落ち的な伏線設定がなんとも人を喰っていて笑わせる。今回は誘拐された天才少年ジミーの水際立った行動ばかりが目立って、”天才犯罪プランナー”の名が泣くほど、ドートの頭脳は冴えないし、活躍の場も少ない。その代わりお馴染みの一味のズッコケ誘拐劇が、シリーズ随一といっても過言でないほど笑わせてくれて、極めて上質なスラップスティック・コメディの大傑作になっているといえよう。そして、エンディングの”落ち”がなんとも洒落ている。

悪党達のジャムセッション」角川83⇒99)

 時価40万ドルといわれるフランドル初期の巨匠・フェーンペスの名画「愚行は男を破滅に導く」(なんとも意味深な画題ですナ!・・・)を巡って、ドートを囲む、個性豊かでどこか憎めない仲間の泥棒たち、そしてその上をいくユニークな悪党どもが入り乱れての争奪戦。例によってドートマンダーに次々と予期せぬハプニングが生じて、事態は思いがけない方向へと展開していく・・・。これまでにも増してユーモアたっぷりの表現としゃれた会話が登場して更に面白い。(しかし、フェーンペスなんていう初期フランドル派の巨匠はどの美術史を紐解いても登場しないのだが・・・?)

 犯罪小説は完全成就(=泥棒丸儲け)しては社会道徳に反するし(!)、さりとて失敗しては興趣をそいで物語として成り立たない。第一、失敗ばかりではドートのような主人公は”おまんまの食い上げ”で生きていけない! 悪事の成功と失敗―そこのところの兼ね合いをどうとるかが作者の腕のみせどころであるが、ウエストレイクのストーリー運びは実に見事で、読者は思わず”ドートマンダーがんばれ!"とばかりに、泥棒に肩入れ&応援してしまい、一連の犯行につきあって、意外にも読後感がなんとも爽やかなのである。

「バッド・ニュース」 (06年)  木村 二郎 訳 ハヤカワ文庫

 ドートマンダーシリーズ第10作。 

 ドートマンダーが例によってケルプの持ち込んだ怪しげな儲け話=インディアン居留自治区のカジノ経営権を巡って、ポタクノビー族唯一の子孫を主張する女性リトル・フェザーとその一派の陰謀=に一枚絡んで、話はとんでもない方向へと展開していく。

 攻めるも守るも悪党どうしであるが、よくもこんな筋立てを考え出したものだという奇想天外なストーリー展開と全編に散りばめられたユーモアに、読み進むうちに毎度ながら主人公たちに感情移入してしまう。シリーズ中でも白眉の会心作といえよう。

 

ウェンディ・ホールデン

「ウエイクアップ!ネッド」  (99年7月) 角川文庫  橋本夕子 訳

ユーモア小説の分野でも読んでいて思わず噴き出してしまうような作品はそうないものだが、これがその一品。(特に素っ裸でオートバイをぶっ飛ばす辺りはまさに抱腹絶倒であります。・・・カヴァーのイラストはちゃんと服を着てます!)

村の誰かが国営宝くじに当たった!・・・アイルランドの“典型的な”片田舎の、元気な「ちょいわる老人」コンビが平和な村に引き起こす大騒動〜〜。

本作品はオリジナルではなく、99年に公開されたイギリス映画のノベライズ作品だということであるが、独立したハートウオーミングユーモア小説としてじつに良くできた作品です。映画を見逃したのが残念。そのうちレンタル屋で見つけ出さなくちゃあ!・・・。

 

ドン・ウインズロウ

 もと“ストリート・キッド”の私立探偵ニール・ケアリー・シリーズ(創元社)で有名なウインズロウ。私は先ず手にしたのはこのシリーズではなくて、角川文庫のほうで、

「歓喜の島」(99年)


 〜〜1958年前後のニューヨークを舞台にして、元CIA工作員で、今は民間調査機関に勤めるウォルト・ウィザーズと、やはり過去を持つクラブシンガー・アンの恋と人生を縦糸に、ケニーリー上院議員と女優マルタ・マールンドの情事を横糸にして、様々な陰謀が展開していく・・・。全体にN/Yの場末の薄暗いクラブのような雰囲気で終始し、読後感はあまりさっぱりとしない。
 作者は50年代末のニューヨークの雰囲気を再現することにかなりの精力を注いだようで、アメリカ人にはノスタルジーをそそられて、そこが魅力の一つなのであろうが、外国人にはそこのところはもう一つピンとこない。
 もう一点、ケニーリー議員と女優マルタの情事は明らかにケネディとモンローの情事そのものであり、それを巡る上院議員の妻(=ジャッキー)の心理や、兄を庇う(為には何でもする!)弟(=ロバート・ケネディ)の行動までもが、“ここまで書いてもいいの?!”というくらい赤裸々に描かれている。
 そういう点で、本書の首題は何なのか、もう一つはっきりとしないのが、詠み終わった後にモヤモヤ感の残る原因であり、こんな小説では、なんでウィンズロウの評価が高いのか納得できなかった。


 ところが次の作品を読んで、私の評価は一変する。

ボビーZ氏の気怠く優雅な人生」


 ちんぴら終身刑囚のティム・カーニーは、悪辣な麻薬捜査官との取引で、刑務所を“生きて”出る代わりに伝説のサーファー・ボビーZに成りすまして、メキシコの麻薬王の許へ向う。しかしそこにはとんでもない罠があった。気付いたカーニーは彼を父・ボビーと慕う少年キッドと決死の逃避行を開始する。落ちこぼれの元海兵隊員とキッドは、次々と襲い掛かる追っ手の魔手を逃れて生き延びることができるのか?
 スピーディなアクションシーンの連続と、意表をつくストーリー展開に、読み出したらもうやめられない! 追っ手との対決を始めとした様々な格闘シーンは、かの巨匠・サム・ペキンパー監督の“バイオレンス美学”を彷彿とさせるものがある。タイトルもワサビが効いているが、物語のラストも見事なひねりが効いており、まさにバイオレンスの快作といえよう。


 〜〜こうして、ストーリー・テラーとしてのウィンズロウの力量を納得し、それを更に確信したのが・・・

「カリフォルニアの炎」(01/9)

  サーフィン狂のカリフォルニア火災生命の火災鑑定人ジャック・ウエイドは”火災の達人”。カリフォルニア南岸・モナークベイを見下ろす高台の屋敷で火災が発生し、美貌の人妻が焼け死んだ・・・鑑定人として現場検証したジャックは殺人事件と断定し、様々な妨害をはねのけて敢然と事実解明へと突き進む。ところが進むほどに思いもよらぬ展開となっていく〜〜

 前作と同じく陽光燦燦たるカリフォルニアを舞台にして、この思いもよらぬストーリー展開ぶりがなんともダイナミックで、読み進むうちに唖然呆然となってしまうくらいであるが、もうひとつ”火災”にたいする詳細を極めた描写=それは芸術的、そして哲学的ですらある!=にも驚嘆させられる。消防学校でのフラー教授の講義内容、火災現場でのジャックの仕事ぶり等、作者の綿密な取材調査とそれを生かした描写力がこの作品を出色の出来映えに押し上げている最大の要因といえよう。そして、主人公ジャックの人物造詣もなかなかであるが、本作では敵役、焼死した美貌の人妻の旦那であるニッキー・ヴェイルのスケールの大きい悪党ぶりがなんとも魅力的。”悪役が面白いとエンタメ小説は面白い”を地でいく典型例といえよう。

「フランキー・マシーンの冬」(10年)  上下 東江一紀   角川文庫

 サンディエゴの浜辺で釣り具屋を営みながらサーフィンを楽しむフランキー・マシアーノは、かつては凄腕のマフィア。

闇の世界から足を洗って久しく、今は平穏な生活を続けるその彼が突然命を狙われた。誰が何故?・・・自らと最愛の娘を守るため、決別した世界へとたった一人で闘いを挑む・・・前作「犬の力」で麻薬とマフィアの世界を渾身の力で描ききったウインズロウが再びマフィアの世界に挑んだ快作。

「夜明のパトロール」    (2011年)

 サンディエゴの海辺で、サーフィンを楽しむことを人生最大の喜びとする私立探偵ブーン・ダニエルズとその仲間。ソノブーンに敏腕美人弁護士補ペトラから相談が持ちかけられて・・・

 ウエストコーストのサーフィンはウインズロウお得意の世界。サーファーの世界が瑞々しく描き出されて爽やかで、新たなヒーロー=サーファー探偵ブーンを登場させたが、舞台がサンディエゴ近辺に限られることから、これまでの作品に比べてスケールが小さく、この先シリーズとして存続発展させられるかは疑問である。

「野蛮なやつら」 (12年)  東江一紀  角川文庫

舞台は(ウインズロウのホームグラウンド)カリフォルニアのラグーナ。極上のマリファナ栽培で稼いだ大金を第三世界の

貧しい人々の支援に投入する平和主義者のベン。その盟友はイラク帰りの冷徹な戦士のチョン。そして二人を同時に愛し、又愛されるキュートな女の子「O」。優雅に暮らしていた3人にメキシコのバハ麻薬カルテルの魔手が伸び、Oが誘拐される。ベンとチョンは巨大な組織に立ち向かい、激烈な闘いが始まる・・・。

小説の常識を越えた短文体の積み重ねによる表現方法で、政治、倫理、宗教、性、暴力・・・の表現において、あらゆるタブーをぶち破ったウインズローの快作、否、怪作か!

 

フィル・アンドリュース

 話変わって、サッカー界に題材を得た明るいコン・ノベルが

「オウン・ゴール」 (01年7月) 角川文庫 玉木 亭二 訳

 イギリス・プレミアリーグの名門(?)チーム、シティの有力選手が次々と逮捕される。食い詰めた主人公ストロングが私立探偵稼業をおっぱじめ、チームの監督の要請で真相解明に乗り出すが、次から次へと事件が発展して〜〜ワールドカップや欧州選手権の進行とともに読むと興趣倍増といえる一編。

 

マックス・アーリック

 私の最も好きな経済犯罪小説分野の快作がアーリック。(ちょっと古くてスイマセン!)

「ピューリタン銀行横領作戦」(昭和58年8月)

 時は大恐慌前夜、空前の好景気をもたらした大統領キャルヴィン・クーリッジの任期満了前。

 株式相場で稼ぎまくるセレブと、乗り遅れまいとする市民が絡んでバブル崩壊へ突入する様子を史実に忠実に、そしてブラック・ユーモアを交えながらリアルに描ききった作品。心ならずも(?)金融犯罪に手を染める主人公達のキャラクター造形が鮮やかであるが、特にクーリーッジ大統領の描写が秀逸である。長いデフレから脱却しミニバブル現象が出つつある現在、警告として読んでもよい作品ではある。

 

ジェームズ・セイヤーズ

ステーヴン・ハンターの項で触れたが、「地上50m/mの迎撃」で、アメリカとロシアのスナイパーの一騎打ちを荒唐無稽に描ききったセイヤーが全く趣きを変えて挑んだ海洋冒険小説が

「悪夢の帆走」 (05年7月) 新潮文庫 安原 和見 訳

 マイクロソフト社・社長を彷彿とさせるIT大富豪が身代を傾けて製作した完全コンピューター制御の外洋ヨット。彼は恋人関係にあるシステム開発部長グェンと少数のクルーで帆船に乗り込み厳冬のベーリング海峡横断レースに挑む。果たして彼らあh極寒のベーリングの悪魔に立ち向かえるのか?・・・誇大妄想狂的なセイヤーならではの奇想天外なストーリーが展開され、始めは“そんな馬鹿な!”と思っていた読者は次第にセイヤーワールドに引き込まれていくのである。

 

ジョセフ・フィンダー

 もう一つ、IT世界の陰謀を描いたのがフィンダーの

「侵入社員」(05年12月) 新潮文庫 石田 善彦 訳

 ワイアットテレコム社の凡庸な社員アダムが犯したミスをオーナーに咎められて、ライバル会社の機密を盗むべく新入社員(=その実、侵入社員)としてもぐりこむ。〜〜発売当初某新聞のコラムで高評価を与えていたが、主人公にも、侵入を命ずる悪徳オーナーにも、そして相手方のオーナーの振る舞いに対しても真っ当な感覚の読者は感情移入できない。したがって読後感は悪い。又現代のハイテク技術の最先端を行く企業レベルにあっては、いくら特訓を受けたからといって、凡庸な社員がライバル企業の中枢幹部に短期間でのし上がれるほどイージーではない。ストーリーの前提そのものに無理があったといえよう。

 

中村 正軌

日本人で海外を舞台にした本格エンタメ小説に挑んだ作家が二人いる。

一人は中村 正軌。日本航空社員との2足の草鞋を履きながらのデビュー。(ということは深田祐介氏と同じで、当時のJALはよほど優雅であったのか!・・・なんて憎まれ口は叩かない・・・)

「元首の謀反」 文芸春秋

・・・東独空軍中尉が西独首相への密書を携えて国境監視線を突破。東独のホーネッカー書記長は奇策を用いて東西ドイツ統一を実現しようとしていた・・・日本人作家が、外国を舞台に、そして外国人のみを登場させたスケールの大きい本格政治謀略小説を書き上げたのは恐らく初めてであり、その内容の充実振りに加えて斬新性も評価されたか、処女作でいきなり直木賞(1980/下)を獲得してしまった。

二作目は「貧者の核弾頭」 文春文庫・・・通常“貧者の核弾頭”とは「細菌爆弾」のことであるが、ここではパキスタンの核開発を巡る陰謀劇をテーマに取り上げている。日本人にとって困難なテーマに取り組んでなかなかの出来栄えであらためて著者の実力を評価し、続く作品を期待したのであるが・・・。

その後は寡作で、「アリスの消えた日」(・・・一人娘を誘拐された角ミサイル開発担当のフランス空軍中佐とテログループとの闘いを描く・・・95年・ハヤカワ文庫)と、短編集「四つの聖痕」(両方とも未読)を出したのみで、文壇から忘れられた存在となってしまったのが惜しまれる。

これは、自己を押し出さないという、氏自身の誠実で控えめな人柄によるところが大きいが、もう一つ、「元首の謀反」で“民族の英雄”として描いたエーリッヒ・ホーネッカーが、現実には、その後のドイツ統一の過程において、過去の民衆殺害命令の咎で国家犯罪人として糾弾され、チリに亡命し客死したという事実によって、この傑作小説の拠り所を失ってしまったこともあるのではなかろうか?(この辺りが、事実とフィクションを交える手法の難しいところだ!)

 又、斯種国際謀略小説は執筆に先行して膨大なデータ収集の労力と費用が不可欠であるが、国内マーケットのみの印税収入では、多作への壁=限界が大きかったと推測されるのだが・・・。  

 

服部 真澄

 もう一人が、95年に「龍の契り」で世に出た服部真澄。彼女のほうは処女作でガッチリと読者を掴み、その後一作ごとにテーマを変えながら、コンスタントに作品を出しつづけている。

「龍の契り」(祥伝社)

 もともと香港返還反対の立場であったサッチャーが、84年に北京での返還調印にあっさりと(しかもなんと無条件返還に!)応じたのは何故か?・・・当時多くの人が抱いた疑問を主軸にして、壮大な政治経済謀略ストーリーを展開し、日本の女性がこんなスケールの大きいストーリーを描けるのか!と衝撃を与えて鮮やかに文壇にデビュー。

 イギリス、中国、日本、アメリカ各国の思惑が交差し、中国系3世のアメリカ女優、日本外交官、日系電気メーカー社長、各国諜報部員、中国要人等多彩な人物が虚々実々の駆け引きを繰り広げる中盤までの展開は誠に面白い。

 しかし、この当時の世間の「空気」でもあったのであるが、終盤に入って“中国礼賛”がちと鼻につき、ストーリー展開が甘くなってしまったのが惜しまれる。

「鷲の驕り」 (96年・祥伝社)

 二作目のタイトルは処女作を“ひいた”ものであろうが、内容には何の関連性もなく(些かセンスレスなタイトルといえよう)、今回は「特許」がテーマで、特に「サブマリン特許」の凄さ、怖さというものを認識させてくれた。著者は特許における米国と米国企業の怖さを日本人に警告したかったのかもしれない。

内容はといえば、米国が国防上秘密にしている或る特許を巡って、天才ハッカー、日本人コンピュータセキュリティ専門家、イタリア系マフィア、稀代の発明家と美貌の辣腕弁護士、ダイヤモンドシンジケートの総帥、野心家の米国副大統領、彼等一派に対峙するCIA長官、それに通産省と、様々な組織・人物が入り乱れ絡み合い複雑なストーリーが展開する。

テーマの着眼点と壮大な構想やよしであるが、もう少し登場人物を絞ったほうが、スッキリとして迫力のある「謀略小説」に仕上がったのではないだろうか。

なお余談ながら、主人公・笹生史(セキュリティ専門家)を筆頭に、エリク・クレイスン(発明家)、ジーン・ケアリ(弁護士)、トマス・リッポルト卿、ルース・ホーヴィング(副大統領)、ロッコ・オラルファ(マフィア)といった登場人物の名前は「合成化合物」みたいでどうもしっくりとこない。(なお、史の“剄”は本文中の漢字とは少し違います=検索しても出てこないような名前を使うな!“ケイシ”なら“圭史”あたりのほうが目にスッと入ってくる)

斯種小説はリアリテイを出す為に細部に神経を配ることが必要で、それは登場人物の名前においても然りである。ところが著者は敢えて逆をいっているのか、この後の作品も“妙な響き”の人物名(日本人名においても!)が続く。→例えば、次作の日本人は「反 健人」、「GMO」のヒロイン(?)は「三角 乃梨」とやっぱりちょっとヘンテコな名前だ!。

「ディールメーカー」(98年・祥伝社) 

 今回はタイトル通り(?!)、キャラクター版権を巡って、ディズニープロとマイクロソフトを彷彿とさせる企業の買収合戦がテーマ。例によって謀略、裏切りが入り乱れるが、飽くまで「民間企業」の世界の話であり、前作よりはスッキリとはしたものの、スケールと深みに欠ける店は否めない。例によって多彩な人物が登場するが、皆“ひとくせ”あり、どの人物にも感情移入し難いのがストーリー構成上の欠点である。

「バカラ」(00年・文芸春秋社) 

 週刊誌記者・志貴大希は違法バカラ賭博の魔力に囚われていくが、自己破産寸前のところでカジノ合法化を巡る巨大な陰謀に遭遇する〜〜で、この陰謀を廻るストーリーかと思いきや、例によって”複雑系”を好む著者は、政権党を廻る大疑惑を横糸に絡ませ、更に女性トップ屋をヒロインに、週刊誌業界を廻るインサイドストーリーを”裏糸”に紡いでいく。 著者初めての国内を舞台にした本作は、海外ものに比べて構想のスケールは劣るものの、(取材が文献上のみでないだけに)足が地に着いた感じがあり、登場人物の造形がしっかりとしている。数年後のホリエモンや村上某(いや孫正義か?)を連想させるような人物造形は流石である。

 ところで、本作では、巨大利権を生むカジノの合法化は直ぐそこにあるように描かれているが、それから7年近く経過した07年に於いてもまだ実現に至っていないのはどうしてなんだろうか?

「GMO」(03年・新潮社)→文庫版で改題して「エルドラド」

 毎回時代を掴んだテーマの着眼点のよさに感心するが、今回は「遺伝子組み替え」がテーマ。ワイン用葡萄の木を枯死させる寄生虫フィロキセラを廻る遺伝子陰謀劇かと思いきや(作者はワインコレクションを趣味としており、作品中でもワインに関する薀蓄が披露されている)、舞台はボリヴィアへと飛び、コカインを廻る陰謀劇へと展開する。なかなかの力作ではあるが、作者特有の欠点も目立つ。

一つは“一人称”語りによる文体としたために、ストーリーの展開が作者の意図したほどにはダイナミックにいかない。折角の素材なのに勿体ないといえよう。

二つ目は登場人物の誰もが(編集者の三角 乃梨を除いて)表と裏があり、その為誰にも感情移入できない。

三つ目は、例によって現地取材(この場合、ボリヴィア)を敢行していないため(多分諸文献を踏み台にしたのではないか?)彼の地の描写に深みが欠ける。 →斯種小説は“えそらごと”を“真実”に近づけるには周辺描写に徹底したリアリティが不可欠で、欧米の人気作家はこれでもか!というくらい周辺描写に精力を注いでいるのです。  

 

デイヴィッド・ローゼンフェルト

「弁護士は奇策で勝負する」04年4月・文春文庫) 白石 朗 訳

 タイトルはキワモノ的であるが、いやいや、かのグリシャムに勝るとも劣らない、堂々の法廷小説。

グリシャムに勝るところは全篇に溢れるユーモアと,ウイットとアイロニーに富んだ会話。例えば〜〜

相手(私の話をさえぎって)「ベラペラベラ・・・」

 私はだんだん腹がたってきて、早口に言った。》

私 「ぼくはビールが好きです」

相手「それは又,どういう意味かな?」

私 「意味はありません。ただ、あなたに途中で口をはさまれずに、文章をひとつ口にすることが出来るかを確かめたかっただけです・・・」  

〜なんて箇所は思わず噴き出してしまうが、同時に主人公の愛すべき無鉄砲さを巧みに描写している。

 尊敬して止まない父親のたっての頼みで、若手弁護士アンディは死刑囚の再審裁判に取り組む。明々白々たる証拠がそろい、依頼した父親自身が「判決は覆る見込みはない!」と断言した(なにしろ起訴したのは当時敏腕の主席検事だった父その人なのだ!)再審裁判をアンディは如何に闘うか?

 よく練った、綻びや破綻の全くない筋立てと謎解きに、小説の面白さを胆嚢させてくれる傑作である。

ヘンリー・ポーター

「スパイズ・ライフ」(05年2月・新潮文庫) 二宮 磐 訳

 近年では珍しいクラシックな雰囲気を漂わせたスパイ小説。〜〜着陸寸前の航空事故でただ一人生き残った主人公が死亡した親友の残した謎を追ううちに、ボスニア紛争の闇へと入っていく〜〜ニューヨークに突然彼の息子と称する青年が現れて、しかも彼は天才的なハッカーらしい。更にMI6(=イギリス諜報局)の胡散臭い元上司が現れて・・・というあたりはどのような展開になるのかと興味津々であるが、国連事務総長の支援を受けて必死で追い求める黒幕は実際にはそれほどの大物でもなく、結局ストリーは竜頭蛇尾となってしまう。読み終わって失望感は否めない。

 

ウイルバー・スミス

「虎の眼 飯島 宏 訳 (文春文庫 90年8月)

 いやあ、出版から10数年後に読んでもこんなに面白い海洋冒険小説があるとは驚きである!

 〜〜南インド洋の小さな島国セントメアリーで観光トローリング船を営むハリーは、ある日不振な3人組を乗せて沖合いに向かう・・・ここから東インド会社が運び出したムガール帝国の秘宝を廻って、善悪入り乱れそして謎の女性もからんでの争奪戦が展開される。海洋のディテイルをしっかり描きこんだ上に起伏に富んだストーリー展開は抜群の面白さで、意外性に富んだラストも鮮やかに決まっている。  

「虎の眼」に感服して、遅まきながらスミスの力量を認識。彼の作品こそ「正統派冒険ロマン小説」の最高峰といっても過言ではなく、それはその内容の充実度は何年経っても作品の鮮度が失われないことでも証明される。骨太のストーリー構成、人物設定の巧みさ&鮮やかさ、細部描写の正確さ等がこの“不朽性”の要因といえよう。

彼は北ローデシア(現在のザンビア)生まれのイギリス系白人で現在も南アフリカ在住という生粋の“アフリカーナ”であるらしい。道理でクィネルと同様にアフリカを舞台にした作品はお手の物ということになる。

あらためて彼の作品を探すと、文春文庫と講談社文庫に数点が見つかったので、スミスワールドに没入することになる。

「熱砂の三人」

 物語の始まりは第二次大戦前夜のダルエスサラーム(=旧タンガニーカの港町)。アメリカ人ジェイクとスノッブなイギリス武器商人ギャレス・スウェールズはエチオピア王族の要請を受け報奨金目当てで、そこに勝気で聡明な金髪美人ジャーナリスト・ヴィッキー・カンパーウェルが加わって、エチオピアにポンコツ装甲車を届ける旅に出発。折りしもエチオピア侵攻を狙うムッソリーニ政権下のイタリア軍は、アルド・ペッリ黒シャツ儀勇隊大佐を指揮官とする機甲師団を尖兵として差し向ける。これに対し、部族間対立を抱えながら、槍と鉄砲の旧式武器で迎え撃つエチオピア軍の総帥は御歳90歳の長老ラス・ゴラム。

砂漠を乗り越えエチオピア高原にたどり着いた三人は金を貰って“ハイ、サヨナラ”とはし難く、部族軍を鍛錬し、装甲車を駆って、イタリア機甲軍団との間に壮絶な闘いを開始する。

戦闘機から卑劣な毒ガスまでの近代兵器を駆使したイタリア軍がエチオピアを制圧し、ハイレ・シェラシエ皇帝を追放した・・・という歴史的事実を踏まえれば、物語はハッピーエンドとはいかず、一種悲劇的結末を迎えざるを得ないのであるが、本作は冒険とラブ・ロマン、更にユーモアに溢れた秘境冒険小説の大傑作で、特に登場人物の個性が際立って鮮やかに描かれているのが印象深い。名誉欲の塊で、そのじつ、大の臆病者のペッリ大佐の奇矯な振る舞いの数々や、ラス・ゴラム翁の怪物振りは読んでいて腹を抱えるほどに可笑しい。

気高く雄雄しいエチオピア民族の描写が素晴らしいし、幾度となく繰り返される両軍団の壮絶な戦闘描写はまさにスミスの真骨頂。その積み重ねが悲劇的なラストを盛り上げ、読者はギャレスの気高き精神に涙し、戦争の空しさに肺腑を抉られる思いがするのである。

蛇足ながら、三人の恋の行く末は、ふと、傑作映画「冒険者たち」(=アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラとジョアンナ・シムカス主演、ロベールアンリコ監督1967年作品)を思い出した。

「リバー・ゴッド(上/下)」

 スミスが華麗なる「エジプト王朝ロマン」に挑んだ。このジャンルにおいては既にクリスチャン・ジャックが「太陽の王ラムセス」を始めとする一連の作品群で他の追随を許さぬ不動の地位を固めているが、スミスは彼なりの巧みなストーリーテリングの力量により、(歴史考証や歴史観に粗雑さは否めないものの)豪華絢爛の歴史大ロマンを創出することに成功した。

 万能の天才・奴隷タイタのモノローグにより、美貌と気高く逞しい精神力に溢れた女王ロストリスと、恋人の若き将軍タヌスを中心に、ヒクソスの侵攻とナイルの源流をたどってのエチオピア高原域内への苦難に満ちた退却行、彼の地で力を蓄え軍備を整えて今度はナイルの激流を下り、再びテーベの都を奪還するまでの波乱万丈の大河ロマンが展開される。やや雑なところもあるが、古代エジプトの時代背景風俗描写もなかなかのもので、大きな舞台で登場人物が活き活きと躍動し、とりわけ独白者タヌスの天才多才と八面六臂の活躍、そしてロストリスの強い意志と気高さ(そして愛おしさ)が、タイタの実らぬ愛への熱い想いとともに強い印象を残すのである。

 更に、曲者スミスは最後に意外な(4千年の時空を超えた!)仕掛けを設けてあり、それは次の作品「秘宝」を読んでのお楽しみとなる。

「秘宝(上/下)」

 始まりの舞台は現代のカイロ。ロストリス女王の墓を発掘し、壁の中に埋められたタイタの巻物を発見し、そこに秘められた謎を解こうとしたエジプト考古学者アル=シッマは何者かに惨殺され、残された美貌の妻ローヤンは、英国貴族で“トレジャーハンター”のニコラスに助けを求める。

 〜〜こうして、4千年の歴史の謎を巡って、ナイル源流=ヌビアの奥地からエチオピア高原にかけての大自然の中で、タイタの謎を解こうとする主人公二人、これを追う邪悪な一味、更にゲリラ集団やコプト教教団もからんでの大冒険が展開される。圧倒的なスケールの大きさ、そしてインディ・ジョーンズとダーク・ピットを掛け合わせたようなスリリングでスピーディな、それこそ息もつかせぬストーリー展開は、冒険小説の醍醐味を満喫させてくれる。スミス畢生の大傑作である。  

「飢えた海」

主人公ニコラス・バーグは、義父の後を継いで育て上げた海運会社を、妻子共々までも宿敵の財務担当ダンカン・アレクサンダーに奪われ、サルベージ・タグの(船主兼)船長として再起を期すべく大海原へ・・・古巣の観光船が南極海で遭難の情報をキャッチし、九死に一生を得るような苦難の果てに同船を救出する・・・。

冒頭にいきなりクライマックスが来たかのごとく、大荒れの南極海での救出劇の迫真の描写は圧巻で、過去読んだ海洋アクションで最高の出来栄え。後半の超弩級ハリケーンの中での100万トン・タンカー救出劇のシーンも凄まじばかりで、スミスが、、海洋冒険小説作家としての傑出した力量を持つことを示したと言えよう。

また、海難救助ビジネスの仕組み・・・「ロイズオープン方式」と「日雇い契約方式」の違いとか、勝手救助に向かうサルベージタグ同士、或いは救出タグと船主との虚々実々の駆け引きなどの詳細で正鵠を得た描写は、普段馴染みのない世界を披露してくれて知的好奇心を沸き立てる。

その反面、ストーリー展開や人物造詣はありきたりで、スミスほどの作家としては些か物足りない。ヒロインの海洋生物学者サマンサの直情径行振りは些か辟易で、色情狂かとも思える元妻シャンテルの行状共々、いくら美しいと称えても、もうひとつしっくりとこないのだ。

蛇足ながら、100万トンのスーパーマンモスタンカーは小説の世界だけのこと。実世界において史上最大のタンカーは、1979年に住友重機・追浜造船所で建造された「シーワイズ・ジャイアント」(現ノック・ネヴィス)=564千トンで、今(04年)はペルシャ湾に海上備蓄設備として浮かぶこの巨大タンカーも、一篇の小説になるくらい数奇な運命を辿ったらしい。

 

「フリーのいかさまハンター」という異色の主人公を創出して、ギャンブルの世界のクライムノベルに挑むのが、

ジェイムズ・スウェイン

「カジノを罠にかけろ」 05年3月  文春文庫  三川基好 訳

 舞台はラスベガスのカジノ「アクロポリス」。ブラックジャックで大勝を続ける謎の男がいる!オーナーの依頼を受けた“イカサマ破りの達人”トニー・バレンタインが謎の解明に挑む。

 カードゲームがよく分からない読者にはイカサマと謎解きのスリルが隔靴掻痒の感があるが、登場人物の描写が秀逸で前者の部分を補って余りある痛快な作品になっている。特にフロリダの住いのやさしい隣人メイベル、ウルトラどら息子のゲリーの存在が秀逸で、又カジノのオーナー、ニック・ニコクロポリスの強烈な個性も印象的だ。

「ファニーマネー」  06年2月

 アトランティックシティ刑事時代の親友がカジノ不正事件を調査中に爆殺された・・・トニーは仇を討つべく古巣の街へと舞い戻り、クロアチア人のイカサマ集団を追い詰めるが、事態は意外な方向へ展開していく・・・。

 ギャングに追われるドラ息子ゲリーとその婚約者==若くて美人で聡明で心優しいヨランダ、元気いっぱいの隣人メイベル等も前作以上に脇で活躍し、登場人物の多様さとあいまって一段と手の込んだストーリー展開となっている。

 

スチュアート・カミンスキー

「我輩はカモじゃない」  94年6月 文春文庫  田口 俊樹 訳

中年の悲哀をかこちながらハリウッドスターの為に骨身を削る私立探偵トピー・ピータースを主人公にしたシリーズ。本作品ではマルクス兄弟の一人チコがばくちの借金12万ドルの返済を迫られるが、本人は身に覚えが無いということで、ピータースが真相の解明に挑む。

実在のスターたちを次々と登場させ、その人物像をいきいきと浮かび上がらせて、映画ファンの琴線に触れるところが本シリーズのミソである。  

 

マリ・デイヴィス

「鷲の巣を撃て」 (04年) 真野 明裕 訳 二見書房

 最近(08年)もトム・クルーズ主演で「ワルキューレ」というドイツ将校達によるヒットラー暗殺計画をテーマにした映画が話題を呼んだが、小説でも映画でも“ヒットラー暗殺もの”はよく登場する。史実として暗殺計画はあったと謂われるし、若し成功していたら第二次大戦の犠牲者は大幅に減少していただろうから、万人の心底にこの“願望”があり、根強いテーマとなって多くの作者がこのテーマに挑むのである。

 さて、デイヴィスの本作品はというと、〜〜英国特殊工作部欧州課の中尉ロビン・ラスティ(=幼少時代をドイツで送った)が、上司・クリクルマーシュ少佐の立てた計画を実行すべく、ドイツ人大尉になりすましてドイツ国内に潜入し、苦心の末、ヒットラーの身辺に迫るが・・・といったストーリー。

 歴史的事実として、ヒットラー暗殺は無いので、フィクションで勝手に成功させてしまうわけにはいかず、どこまで成功の寸前にまで迫るかが著者の力量の見せ所となるが、本作品は当時の背景を丹念に描き、登場人物を躍動させてじつに面白い作品に仕立て上げている。ヒットラーと愛人エヴァ・ブラウン、チャーチルなどの性格描写は秀逸。

 そして、ゲーリング航空相、ゲッペルス党宣伝部長、ヒムラー警察長官などヒットラーを取り巻くナチス首脳陣の醜悪な様相も読者をしてナチス憎しの思いを募らせるのである。

 此処からは余談・・・当時のドイツは、どうしてヒットラーごときに独裁を許したのかと不思議でならなかったのですが、最近分かりました。それは、実は今の日本もアッという間に「小沢独裁」になっているからです。

 そもそも民主党の本質は、自民党の最も醜悪な部分(=角栄〜金丸〜小沢と続く金権・蓄財体質)と、反日左翼の中核たる日教組(=代表が輿石)と自治労の野合ですから、これはもう最悪です。かつて小沢は海部俊樹を総理に担いだときに「トップは軽くてパーがいい」と豪語しましたが、今のポッポ総理はまさにその通りです。鳩山は海部よりも悪い、いや日本政治史上、最低の愚鈍な総理大臣であります。

 そんな男がシャッポですから、民主党は小沢のいいなりで、又彼の周りには、ヒットラー取り巻きのような輿石(山梨県教組のドン)、山岡(まさに、小沢の腰巾着。出自不明の怪しげな国対委員長)、細野豪志(モナとの路上チュー事件で蟄居していたところを小沢に拾われた)が囲み、選挙に絶対的地盤を持たない議員を恫喝して好きなように引っ張りまわしています。

 独裁は民主衆愚政治体制において、アッという間に確立するのです。

 

マシュー・ライリー

 さて、又々恐るべき新顔が登場した。英・米の作家が席巻するこの世界では珍しいオーストラリア人で、しかも極めて完成度の高い処女作を脱稿したのが23歳(1997年)というからまことに驚きだ。

 

「アイス・ステーション」 上/下(06年)  泊山  梁 訳  ランダムハウス

 南極の米国ウィルクス観測基地の氷の下で宇宙船が発見された! この宇宙船を手中に納めようとフランス部隊とイギリスSASの精鋭が襲いかかり、基地を守るべく派遣されたスコフィールド中尉率いる海兵隊第16偵察部隊との間で、極寒の雪と氷の大地で死闘が繰り広げられる。

  ど肝を抜くような大胆なストーリーで、まさに息つく暇もないジェットコースター・ノベル。こんなに大風呂敷を広げてどうなっちゃうの?と読んでるほうが心配になるくらいであるが、伏線も上手に生かされて、最後には収まるところに収まって、ストンと腑に落ちる。

  処女作にして完成度の高いストーリーテリングぶりには、“参りました!”というほか無い。

 

「エリア7」 上/下 (07年)  松田 貴美子 訳  ランダムハウス

  ユタ州砂漠の地下深くに築かれた空軍第7号秘密基地を視察に訪れた大統領一行を反乱軍が捕虜にし、政府転覆を図る。護衛に同行したスコフィールド達は、絶望的な状況で如何に窮地を脱するか?・・・彼らに許された時間は僅か5時間という設定で、前作を凌ぐ、スピーディで、ダイナミックで、壮絶なアクションが展開される。

 

「ターゲット ナンバー12」 上/下 (07年) 松田 貴美子 訳  ランダムハウス

  イスラムテロリストがシベリアの旧ソ蓮軍基地を乗っ取り、核ミサイルを人質に立て篭もった。ロシアの要請を受けて現地に向かったスコフィールド達は謎の敵の罠に嵌り、あわや部隊全滅の危機に陥る。漸く倒した敵から入手したリストで、スコフィールドは、自分が暗殺のターゲットになっていることを知る。群がる“賞金稼ぎ”の攻撃をどう防ぎ、黒幕に迫るか?・・・例によって壮絶な闘いがスピーディー&ダイナミックに展開される。

 尤も、「国際的秘密結社」というのは、この種ストーリーにはよくある設定で、「既視感」は否めず、前2作品の奇想天外ぶりに比べると、些か物足りなさが残る。又、主人公に勝るとも劣らない助っ人の登場も疑問である。如何なる困難があろうとも、主人公の力と、部下たちとのチームワークによって困難を克服するのが、本シリーズのミソであり、安易な助っ人のサポートは、かえって興趣を殺ぐことになってしまう。

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