(1998・8/3〜8/8)

三宅島地図

 

8月3日(一日目)

島 へ !

 略30年振りの三宅島への旅である。前回は会社の独身寮の仲間と東海汽船に揺られてやってきた。今回は一人旅。飛行機で羽田から50分でっ飛び・・・眼下の海は青黒いー黒潮の流れだ。山裾を削るようにして造られた飛行場に降り立つとムッとするような湿りを帯びた熱気が漂う。此所(ここ)も東京都の内であるが、亜熱帯を思わせるような別世界が広がっている。

質実剛健を旨とした旅(早い話が貧乏旅行)である。バス停へと急いだものの、次のバスは2時間後、島の生活は飛行機なんぞに合わせてはいない。タクシ−で三宅最大の集落である阿古へと向かう。

溶岩に埋もれる阿古の街

昭和に入って三宅はほぼ二十年毎に大噴火を繰返している。17年、37年、そして58年と。58年雄山の中腹から噴出した溶岩は阿古の部落を襲いその中心部を壊滅させた。人は溶岩の上に再び町を築き、今もやはり島一番の集落であるという。

昨年までユ−スホステルであった素泊り宿へ着く。玄関のドアを叩くが返事が無い。裏へ回って声をかけても返答が無い。おかしいなぁ?・・・午前11時前、時間はたっぷりある、よし!それでは周辺のリサ−チをしておこう。朝飯と晩飯の場も確保しておかねばならない。

宿の前の幹線道路を左に折れて海に向かって下るとその先は阿古港。東京からの定期船は普段は三池港に着くが、風の具合によってはこちらに入る。立派な岸壁の反対側が錆が浜。やや風が強く、黒砂に打寄せる波が荒い。元に戻って傾斜のある道路を進む。この辺りは58年の溶岩が流れた筈だがきれいに整地されてその跡を感じさせない。鄙びた民家の佇まいが広がる、と思ったら更に進むと景色は一変する。

 溶岩流跡が圧倒的な迫力で眼前に迫ってくる。黒い濁流がコンクリ−トの建物を呑込んで海へと落込んでいる。旧阿古小学校で、大噴火の恐怖の何よりの「語り部」として当時そのままに残してあるという。校舎から校舎へ窓から窓へと繋がる溶岩は、恰も今眼の前でチロチロと赤い炎を出し、周りの全てを呑込み燃やし尽してゆっくりと流れているような生々しさがあり、思わずその場に立ち竦(すく)んでしまう。

恐怖(?)の館

宿へ戻ると如何にも人の善さそうな爺さんが迎えてくれる。「この前の噴火の時は運が良かったとしか言いようがない。うちの一寸先から溶岩に呑込まれたんだ。島の反対側には灰が降積もってそれは大変じゃった。うちの辺りだけが何ともなかったのよ」淡々とした口振りに火山との悠久の付合いが感じられる。噴火の被害から残っただけあって木造二階建ての建物は古い。不吉な予感がする。(果たして、あとでこの予感は不幸にも的中する)

・・・もともと今年会社の一斉夏期休暇は8/1〜8/9と決まっており、6月頃に「夏休みのことだけど、9連休になるからどうしようか?」と女房に話すと、「祐介(末っ子)が夏期特訓コ−スへ行くので家族旅行はムリですね」とアッサリ。「でもお父さんに9日間も家でゴロゴロされても困ります。だいいち毎日勉強に行く子供にもよくありません。ひとりで何処かに行ってらしたら」との誠に有難い(!?)御託宣。 

 しかし堂々と(?)一人旅が出来るのは有難い! とは言っても何しろ8月トップシ−ズンのことである。またハワイへ行くわけにもいかないしなぁ〜、国内でもリゾ−トでは一人で泊めてくれる処はまず無かろう、二人前払えば文句は無いだろうがそれでは質実主義に反するし・・・。

そうだ!三宅島にはユ−スホステルがある。これなら一人で堂々と泊れる。(ユ−スの宿泊は学生時代に充分経験済みでヘッチャラよ、三宅に行こう ということで、二ヵ月程前に電話をして、今年からユ−スを廃めて素泊り宿に変わったという「宿・工藤」に五泊六日の予約を入れたのであった・・・。

 「ところであんた、一人きりで六日間もこの島でいったいどうするだね?」

「ええ、まぁ…泳ぐとか、山へ行くとか…いろいろありますよ」  (オヤジだと思ってバカにするな!)

という訳で、先ずは本日これからの行動予定ーバスの時間を睨んで(なにしろ2時間に一本程度だからこれを押さえておかないと動きがとれないことになる)「長太郎池」へ行くことに決める。

長太郎池

満ち潮になると溶岩壁の先端の裂け目から波が入り、魚も出入りする。高台から見下ろした浅瀬はハッとする程透き通っている。早速シュノ−ケルをつけて潜ってみる。いるいる、ベラを筆頭に蝶々魚や可愛らしい熱帯魚が回遊し、底の岩陰には縞模様のやや大きいのが潜んでいる。

溶岩の岩に海草が生茂り、何種類かの珊瑚も育っている。小さい乍ら豊かな海の世界があり、大人にも結構楽しい遊び場となっている。三宅版ハナウマベイと言えようか?! 

お腹が空いたので高台2ある茶店に入ってラーメンを注文すると、”待っている間にどうぞ!”と小さな巻き貝の茹でたのを小鉢でだしてくれる。シッタカ(貝)の子供みたいな感じで楊子で拾い出して食べると結構いける。おいしねと言うと、「下の磯で幾らでも採れるんですよ」と嬉しそうな返事がかえってきた。

恐怖の館−2

数時間過ごして宿へもどる。チェックインの手続き時にフッと感ずるところあり、五泊の予定を取敢えず一泊だけにする。宿賃3,150円也を払い手続きを済ませて薄暗い階段を二階へ上がると、一部屋に二段ベッドが四組、懐かしの蚕棚である。狭い廊下を挟んで、ステンレスを張った洗面所とアンモニア臭漂うトイレがある。「大」へ入るには勇気と決断がいりそうだ。まるで昭和30年代辺りへタイムスリップしたみたいである。

今夜はこの定員八名の部屋に三人が泊る。(だからユッタリとして今日はあんたらついてるよ、とは親爺の弁)隣の部屋には若いカップルが入るそうだが、たいしたもんだなあと感心する一方、はたして今時の若い女性が我慢出来るかどうか、他人事乍ら一寸心配になった。 

宿は風呂はなく、シャワー。風呂に入りたければ徒歩十分弱で温泉センタ−があるというので、早速タオルを肩に同所へと向かう。脇道を入って暫く行くと突然視界が開け、目の前に海が広がる。斜め左に錆が浜を見下ろす溶岩台地の上にモダンな建物がある。

例の大噴火の後の景気付け、観光の目玉として建てられたものだろうか。海に面して露天風呂があり、湯は泥水のように濁ってまさに溶岩の下から沸いて出たかの如く、効能がたんとありそうな感じである。暮れなずむ大海原を見ながら潮風に吹かれて露天風呂に浸かっていると何とも心地よい、極楽、極楽!といったところだ。                

 サッパリとして出ると隣に和食レストラン「海雄亭」があったので入ってみると,小奇麗で味、値段ともまずまず。地元の人も来ているようでこれなら安心だ。天ぷら、刺し身のセットに生ビ−ルでご機嫌となる。これから晩飯はここで食う事に決める。

 すっかりいい気分になって宿に戻る。まだ寝るには早いので一階の広間(以前はミ−ティングル−ムに使っていたのであろう)でビ−ルを飲みながらナイタ−を観る。夏の醍醐味といいたいところだがなんとも暑い、蒸し暑い。団扇を仰ぐ手が忙しい。

「親爺さん、ク−ラ−とはいわないが、せめて扇風機くらいは欲しいところだねえ」

「見てのとおり、窓を全部開けておくと何時もは風が通って気持ちがいいものなんだが・・・・うーん今日は全く風がなくて申訳ないのう」

これで扇風機への淡い期待もはかなく潰えた。後は団扇と酔いしかない。暫くすると少し眠気を感じたので二階へ行くと二段ベッドの下段では既に二人が寝息をたてている。上の段で横になるが、風が全く入ってこない。街灯に照らされるがカ−テンを引くわけにもいかない。「イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・ナイト」である。

 輾転反側、まんじりともしないで夜を明かすとはまさにこのことか!。それにしても私より少し年配と見受けられる下の二人はじつに逞しい中年だ。引替えこちらは冷暖房に慣れてすっかりナマッてしまった。最早、少々の寒暑は物ともしない逞しい時代には戻れないのだと思い知る。これを堕落というべきか!てな感慨に耽りつつ少しまどろんだと思ったら夜が明ける。

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