3日目(3月6日・金)                   

ヴェネツィア/2日目

 今日も快晴です。(ようやくBIG NATURE CALLもありました!・・・ホッ)

今日は最近女性に人気の高い「ブラーノ島」へ出かけます。体験者のブログ写真を見て妻は「絶対行きたいわ!」と張り切っています。

昨日と同じようにバスでローマ広場、そしてヴァポレットでフォンダメンテ・ヌオーヴォへ向かい、そこで12番に乗り換えてムラーノ島経由ブラーノ島到着というコースです。

結構時間がかかった上、F・ヌオーヴォに到着して乗り換えようとすると、目の前で12番の船が波止場を離れようとしています。「お〜い!待ってくれ」と叫んでも船は無情にも出て行ってしまいました(当たり前か!)。なにしろ1時間に2本なので、次の船は30分待ちです。

そのまま待合所でいても仕方がないので、海岸通りから街の中へ歩いてみました。教会があったので、古めかしい扉を開いて中へ入ると・・・柱や壁は全て大理石で出来ており、天井などの装飾も華やかです。訪れる人とてなくひっそりとした教会の豪華絢爛さにびっくり。ヴェネツィア島内にはこうした無名(?)でも目を見張るような教会がゴマンとあるのでしょうね。

       

で、30分後にようやく乗船。運河内を走るヴァポレットより大型船ですが、船内は人でいっぱいです。ブラーノ島まで40分かかるとあって船内には水洗トイレもあってこれは助かりました。船は途中、ヴェネチアングラスの製造で有名なムラーノ島に寄りますが、降りる人は少なく、大半がブラーノ島を目指すようです。

 この島は人口2900人余りの小さな島で、島内を運河が巡っています。(見方によっては4つの小島から成るとも言えます.

   

左・写真の真ん中の小島がブラーノ島)

  さぁ、いよいよ上陸です。

(ブラーノ島の波止場)

   運河沿いにカラフルな家が立ち並んで、まるでおとぎの国へ迷い込んだかのようです。漁師たちが霧の中で帰ってきても自分の家が分かるようにとカラフルな彩りにした結果、このような景観になったということです。

       

       

    カラフルな家影が水面に映るところも被写体として面白いですね

 

   向こうにとんがり屋根の鐘楼が見えます。近づいてみると、かなり傾いて、今にも倒れそうです。ピサの斜塔よりもっと傾いている感じがします。

       

  鐘楼からぐるりと回ると、広場に出ました。鐘楼のある教会はサン・マルティーノ教会といって16世紀に建てられたそうです。中に入ろうとしたのですが、12〜15時はクローズで、残念! 広場の周りにはショップやレストランが軒を連ね、島の中心のようです。ムラーノ島がヴェネチアングラスなら、この島は“レース編み”の島で、レースショップが目立ちました。

       

 正午を回ったので、食事です。ネットで調べると一番人気が「アルガット・ネロ}(=クロネコ)なので、鐘楼近くの運河沿いに戻ってその店へ。次々と客がやってきます。

 案内された奥の部屋は明るくエレガントな雰囲気で、ウエイターの態度・物腰なども含め「トラットリア」というよりは「リストランテ」(=高級レストラン)といった趣です。お皿やグラスもお洒落。壁には沢山の絵が架かっていますが、先ほど見てきた景色もありました。

       

       

   クラッカーとパンが香ばしく美味しくて、パクパク食べているとこれだけでお腹がイッパイになりそう・・・とここまでは申し分なかったのですが・・・。

       

  オーダーしたのは、「シーフードグリル」と「リゾット」。グリルはメニューでは数種類の魚介類が列記されていたのですが、出てきたのは「介=貝」のみ・・・ベビーマテ貝とベビーホタテだけでした。

リゾットは2人分からということです(=1人前はダメ!)。作り置きではなく、注文してからその都度作るのでしょう、かなり時間が経ってから出てきました。多くの人がブログで「ゴーというハゼ科の小魚から出汁をとって旨みたっぷりで、本当に美味しい!・・・」といったコメントをしていたので、期待していたのですが・・・コメは固く(これはまぁ、本場のリゾットはこれくらい硬いのかもしれませんが)、そして具材は何も入ってなくて、魚の出汁の旨みはあまりなく、チーズの味が出てちょっとしょ(塩)っぱい。私たちにはガッカリの“本格リゾット”でした。

ついでながらこの3皿にボトルウォーターを加えてお値段は€65(=約8800円)!・・・う〜〜ん、値段からすると、やっぱり“リストランテ”ですね。まぁ、リゾートだからやむを得ないかもしれません。

 

食後も暖かな日差しをたっぷりと浴びながら小さな島の隅々まで散策して3時すぎの船でF/ヌオーヴォへ戻ります。帰りは待つこともなく乗り換えの船に乗ってフェローヴィアへ。スカルツィ橋が見えてきました。1932年に完成した新しい橋です。フェローヴィアで2番に乗り換えてグランカナルを進みます。昨日午後とは逆のコースです。

       

様々な建物を眺めながら、リアルト橋を潜ります。

       

さて、夕食は7時〜ですから、それまで何をしよう?・・・うまい具合というか、「アカデミア美術館」が7時過ぎまでオープンしているので、訪れてみました。此処は当然「ヴェネツィア派絵画」をコレクションしています。(入場料は€9)

18世紀に創設された美術学校(アカデミア)の建物を転用しているそうで、中に入ると照明は暗く、展示方法としてはユーザー志向ではありません。結構な料金を取るんだから、もうちょっと鑑賞が楽しめるように工夫すべきでしょう。

    

(ロレンツォ・ヴェネツィアーノ/受胎告知と聖人)(パオロ・ヴェネツィアーノ/聖母戴冠)(チーマ・ダ・コネリアーノ/聖母と聖人)

最初の部屋は初期ヴェネツィア派(14世紀後半)の作品。↑左がその代表格L・ヴェネツィアーノの「受胎告知と聖人」。14世紀後半になってもヴェネツィア絵画はビザンチン様式の影響が強かったが、彼はゴシック様式を積極的に取り入れていったという。

 次に目立ったのがジョバンニ・ベッリーニ(1430頃〜1516)。彼は第一期ヴェネツイア派を代表する画家で、父ヤーコボ、兄ジェンティーレと共に画家一家であった。聖母を数多く描き“聖母の画家”とも呼ばれる。

      

(双樹の聖母)   (聖母子と聖カタリナ、マグダラのマリア) (聖母子と洗礼者ヨハネと聖女)   (ピエタ)

    

         (受胎告知)   (サンジョゼッペ祭壇画)  (聖セバスティアヌスと三連祭壇画)

  続いて兄ジェンテーレの作品。どちらも大作です。因みに↓(聖十字架の奇跡)やその右の絵をみると、中央のリアルト橋が昔は木製の太鼓橋であったことがわかります。

(聖マルコ広場の行列)

    

(聖十字架の奇跡)                        (←左と似た構図の絵)

  次はティツィアーノ。ティツィアーノはジョバンニ・ベッリーニの下でジョルジョーネとともに修行。ジョルジョーネが腺ペストで1510年に30代前半で早逝したのに対し、彼は90歳近くまで長命を保つとともにあらゆる絵画分野に秀でて、ヴェネツィア派を代表する画家となった。の2作品は全く画調が異なっていますね。

  

(ピエタ)                 (聖母の神殿奉献)

  そしてジョルジョーネの「テンペスト」(嵐)・・・1508年頃に描かれたこの作品は西洋絵画最初の風景画と言われているそうです。旅立つ前TVの「美の巨人」で、“大傑作”として紹介されていましたが、私の感性が弱いのか、実物を見てそれほどの感動を受けませんでした。(ジョルジョーネさん、ゴメンナサイ)。ジョルジョーネは早逝したので、本当に彼の絵と判定されたものはほんの数点しか残っていないそうです。

  ほかの部屋に行くと、「大作」が増えてきました。

    

そして、巨匠ティントレット(1518〜94)。彼はティツィアーノの門下生となったが独立志向が強く、師の許を離れて独自の道を歩んだ。ティツィアーノの色彩とミケランジェロの人体表現を合わせたような情熱的な宗教画を描いたといわれる。

    

(奴隷を救う聖マルコ)    (聖マルコの遺体の運搬)            これも(聖マルコの遺体の運搬)?

  

(動物の創造)          (カインとアベル)

(↑この面白い構図の絵は横に「ドメニコ・ラバスティ&ティントレット」と説明がありました。)

  ティントレットと同時代のもう一人の巨匠がヴェロネーゼ(1528〜88)です。「レヴィ家・・・」はよく見ると中央は「最後の晩餐」ですね。

    

(聖カタリナの結婚)               (受胎告知)          (聖母と聖人)

    

(レヴィ家の饗宴)            (レパントの海戦)       (キリスト磔刑)

 ヴェネツィア派の特徴は鮮やかな色彩と、大作(=大キャンバス)が多いことですが、此処でのその代表例がヴィットーレ・カルパッチョ(1455〜1525?)。「聖ウルスラ物語」という9枚の大作品には目を見張りました。この絵画のために独立した部屋が設けられていました。

聖ウルスラとは・・・ケルン(ドイツ)発祥の聖女伝説で、中世には実在の聖女として崇敬された。・・・時代は4世紀末頃、彼女はドゥムノニア王国(南西イングランド)の王女で、異教徒の総督と婚姻の為、1万1千人の処女なる侍女たちとブリタニアから船出をする。嵐で漂着したガリアで、欧州全域を廻る巡礼の旅に向かうことを宣言し、ローマで教皇に接見の後、コローニュ(ケルン)までたどり着いたところでフン族に侍女共々虐殺された。彼女たちの遺骸はケルンで埋葬され、その上に聖ウルスラ教会が設立されているそうな。

現代ではもちろん全くの創作とされ、1969年に法王パウロ6世は「聖人」の見直しを行い、実在性の乏しい「聖人」を「聖人歴」から除外し、その時にウルスラも除外されたという。(法王も無粋なことをなさる・・・)

尚、カルパッチョはジェンティーレ・ベッリーニに師事しましたが、このウルスラ連作の大画面の描写は師の「聖マルコ広場の行列」に感じが似ていなくもない。

  

                            (1・イギリス大使の到着)                      (2・出発の挨拶をするイギリス大使)

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                    (3・イギリス大使の帰還)                   (4・巡礼への出発)

    

               (5・巡礼者たちと教皇の会見)              (6・聖ウルスラの夢)             (7・ケルンへの到着)

  

(8・巡礼者たちの殉教と聖ウルスラの埋葬) (9・聖ウルスラの称賛)

 〜〜こうやってヴェネツィア派の絵を見ているうちに6時半を回りました。美術館の外に出ると、日はどっぷリと暮れていました。ヴァポレットに乗って夕食へ向かいます。船べりから夕闇の眺めもまた一興です。

    

(アカデミア橋)   (サンタマリア・デッラ・サルーテ教会)  (リアルト橋)

カ・ドーロで下船し、「アイ・プロメッシ・スポージー」に略7時に到着すると、既に店内は混み合っておりどうやら6:30開店のようです。私の後からきた予約なしの日本人女性二人組は「1時間待ち」と言われていました。 (オフシーズンでもやはり予約が無難です)

  

(夜は人通りとてない横丁の店に次々と客が・・・)

    

(シーフードのフリット) (ムール貝とあさりの白ワイン蒸し) (イカ墨のスパゲッティ)

フリットは、海老・イカ・タコ・小鰯・キビナゴ(?)・小鰈・焼きポレンタ(=とうもろこしのペースト)・・・じつに沢山の種類が入っており、ボリュームたっぷりですが、サラッと軽い揚げ具合でパクパク食べられます。妻が是非にと言っていたイカスミ・スパは、スパゲティ自体がイカスミ練り込みで、本当に真っ黒け。これもスミのコクが出て美味しい・・・という具合で「アーモイタリア」の“一押し”を納得しました。(ハウスワイン500cc込で€52)

 満腹になって、再びヴァポレット〜バスで無事ホテルに帰って参りました。これでまる2日間のヴェネツィア観光終了です。(まだまだ行けなかっと処も多いし、あと2,3日居てもよかったかな!・・・。)

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