5月9日(木)    3日目

 昨夕は次第に雲が広がり、ホテルに着いた途端、ザァーッとひと雨あり、天気の行方が心配でしたが、朝起きて外を見ると・・・快晴です!朝食を済ませ、外に出ると、真っ青な空、爽やかな冷気・・・気分爽快です。

  

 今日も8時に出発し、グランドキャニオンへ向かいます。国立公園エリアに入ると、そこは意外にも森林地帯で、駐車場近くには赤松の林がありました。ということは、秋にはマツタケが沢山出てくると・・・ところが、国立公園とあって採取は厳禁。で、シカがせっせと食べるんだそうで、なんとも勿体ない!

  

                (赤松の林)

 茂みの中にはその鹿が姿を見せました。

  

 さて、肝心の大峡谷。約4千万年前からコロラド川の浸食によって始まり、約2百万年前にほぼ今日の姿が出来上がったそうで、長さ400km、幅6〜29kmに及ぶという広大なエリア。通常ツアーの観光は峡谷の南側(サウスリム)で、我々が先ず行くのは「ブライトエンジェルロッジ」。

 ・・・「標高2100mありますから、空気が薄いので、ゆっくり歩いて下さい」と、ケイさんの注意を受けて進むと、目の前に現れた大パノラマ!・・・これまで写真やTVの映像で何度も見てきましたが、まさに“百聞は一見に如かず”であります。・・・どうやってもコンパクトデジカメではその雄大さを捉えきれません!

 

  

(ロッジと、その展望台で)

 

(ビジターセンターの暖炉の石組は二十億年前からの各地層を採取して積み重ねてあるそうです)

 2つ目の展望スポットは「マーサポイント」・・・初代国立公園局長の名前をとったもので、日の出に絶好のスポットらしい・・・此処からも絶景が楽しめます。

    

 雄大な景色を堪能し、バスに戻ると大峡谷の南側をぐるっと回って400mほどの高度を下っていきます。途中大平原の中に“割れ目”が見えてきました。近くまで行けば峡谷を刻むコロラド川の流れを眼下に見ることができるのでしょうが・・・残念!

    

 バスはリトル・コロラドリバーに架かる橋の手前を左折して停車。「キャメロン・トレーディングポスト」に到着です。

  

「トレーディングポスト」は開拓時代にインディアンと開拓者が物々交換をした場所。この辺りからはナバホ族の居留地になります。

「インディアン居留地=Reservation」とは、日本人にとって馴染みのない概念で、日頃日本のマスコミなどで話題になることもありませんが、合衆国内務省BIA(インディアン管理局)の管轄下にある、インディアン部族が「保留」する土地で、そこでは部族の自治権が認められている。

インデァン部族が「領有」するとも説明されるが、「Reservation」とはいずれ(インディアンをアメリカ市民として同化させた上で)「保留」を解消するという意味合いも含まれており、歴史的に見てもインディアンと白人たちとの「居留地」に関する取り決め(条約)の歴史は白人たちの裏切りの歴史であり、インディアン達は白人の強欲と暴虐により、豊かな先住地を追われ、不毛の地へと追いたてられる悲劇の繰り返しであった。

現在ナバホ族はアリゾナ州北東部からニューメキシコ州にまたがる砂漠地帯に「ナバホ・ネーション」として、居留地としてはアメリカ最大の面積を領有しているが、これにも彼らの苦難の歴史が込められている。

〜〜西部開拓時代、平和条約を結んでも止まない白人たちの暴虐に対し、ナバホ戦士たちも反抗を繰り返す。時は1864年、これに業を煮やしたリンカーン大統領はナバホ族約9000名に対し居住地から300マイル離れたニューメキシコ南東部の不毛の高地=アパッチの強制収容所へ徒歩での移動を命令。これが“ロング・ウオーク・オブ・ナバホ”と呼ばれるもので、20日以上かかった500kmを越える苦難に満ちた徒歩の長旅の途中で、老人・女・子供等数百人が死亡し、死体は路上に放置されたという。(奴隷解放の父として、アメリカ国民から最も尊敬される大統領であるリンカーンは、先住民たるインディアンに対してはかくも冷酷であったということで、彼の意外な本質を物語る証拠である)

ナバホ族の歴代酋長たちは「我々を元の住まいに帰せ」と抗議を繰り返し、1868年になって(=リンカーンの死後4年経過したアンドリュー・ジョンソン大統領の時)合衆国政府もついに強制収容の非を認め、新たな平和条約を結んで、彼らを元の土地に戻したのである。・・・こうした経緯があって、部族結集したナバホ族が現在最大のインディアン居留地を確保しているのである。

で、此処キャメロントレーディングポストはレストランと大きな土産物センターから成っています。本日の昼食は「ナバホ料理を召し上がっていただきます」ということでしたが・・・

  

ナバホ・シチュウ  )  (ベイクド・サンドイッチ&野菜・ピクルス)

 「ナバホ料理」とはこのミニカップに入ったシチューのみ(=アッサリとした味です)でした。サンドイッチはパサパサで、飲み物が無いと喉を通りません。ところが何故か我々のテーブルのみソフトドリンクがやってきません。「ン、これはきっと忘れてるに違いない!」と判断して、ウエイトレスを呼んで催促しますが、サーブされるまでにかなりの時間がかかりました。(ただ大人しく待っていたら来なかったことでしょう!)・・・全てナバホの人達で運営してますから、日本人的なCSを期待してはいけないことは分かっているのですが・・・。(因みに土産物センターでも「お勘定」にものすごく時間がかかったそうです。)

時間があったので、橋の上に行ってみます。リトル・コロラド川は干上がって赤茶けた泥の河になっています。でもケイさんによると、泥の下に地下水脈が流れているということです。

  

 再びバスに乗ってモニュメントバレーを目指します。どちらを見ても不毛の大地が広っています。バスは真っ直ぐな道を、時速130kmくらいでスッ飛ばしていきます。

    

 次第に雲が広がってきました。と、そのうち大粒の雨が降り出しました。こんな乾燥地帯でも雨が降るんです!

 やがて、面白い形をした岩山が見え始めました。

  

2時間余り走って、漸くカイエンタの町へ。幸いというか、この辺りで雨がやみました。(ラッキー!)。バスはカイエンタの町をやり過ごして、左に「ふくろうの岩」、右に「エル・キャプテン=酋長の岩」が見えてくると、いよいよバレーの入り口です。(以下5枚は車窓から)

    

(フクロウ岩は明るくしてみると、本当にフクロウそっくりです!)

    

そして、モニュメントバレー展望台へ!・・・雨上がりの青空の下に・・・少年のころ、ジョン・フォード監督の西部劇で見た、あの光景が目の前に広がります!大感激です!

  

    

 有難いことに、3つの岩の近くまで、1時間半あまりのトレッキングが出来るのです。「雨が上がって、ほんとうによかった!)先ずはナバホの家=ホーガン。彼らは終始狩猟民族であったアパッチやスー、コマンチと違って、途中から農耕を覚えたので、こうした泥を固めた家に住んだのでしょう。

    

ホーガンの脇を通って緩やかな坂道を下っていきます。バスの中で添乗員さんの配慮で此処を舞台にした「黄色いリボン」(=ジョン・フォード・1949年作品)を楽しみましたが、映画の中では、この辺りには草木1本とて生えていませんでしたが、今はトゲのある草等がけっこう生えています。ケイさんに「映画では草などなかったんですが?・・・」と尋ねると、「6年前は全く草はなかったんですが、この辺りの湿度が上がって、アッという間に草が生えて来たんですよ!」と。この状態なら、映画のシーンのように馬が疾走するわけにはいきません!

まァ、それはともかく、次第にあの3つの岩へと近づいていきます。・・・もう圧巻としか言いようがありません!

      

(レフトミトン)                        (ライトトミトン)             (メリックビュート)

    

(足もとには様々な植物が自生しています。右は鋭いトゲのある草で要注意)

 

 もう大満足で、夕闇迫る中をカイエンタの街に戻ります。

    

(雲が多くなり、奇麗なサンセットを見ることが出来なくて、残念!)

 カイエンタは人口どれくらいなのでしょうか? 緑の殆ど無い乾燥地帯にスレート葺きの小屋のような住宅が点在する、一寸見には寒村の風情。ところが広場には(偶々というか)移動遊園地が来ていて、駐車場には沢山の車が並んでいました。バレー観光で結構潤っているということかもしれません。

 ホテルは「カイエンタ・モニュメントバレー・イン」。昨日と同じように管理棟を中心に幾つかの2階建の宿泊棟があります。ケイさんから「朝起きたら。靴を履く前に中をチェックしてください。サソリが入っているかもしれませんから・・」なんて脅かされました。室内はまあ普通です。

  

 部屋に入って、室内のチェックを終えると、直ちに廊下の向うのアイスメーカーから氷を取り、アイスペールで缶ビールを冷やしておきます=ナバホ居留地ではアルコールが一切禁止されているのです。

・・・開拓時代、白人から労働の報酬の一部としてウイスキーを貰ったナバホ族の男たちが泥酔して道端にブッ倒れて寝込んでしまい凍死するなど、飲酒の弊害が目立つようになったので、ある酋長が「キチガイ水禁止令」を出し、その禁止令が今日も生きているということだそうです。

(ケイさん)「部屋でこっそり飲むのはかまいませんが、くれぐれも他人に見られないようにしてください。以前、ベランダで飲んでいて通報されて、「注意が徹底していない!」と、ガイドが3日間拘留されたことがあります」

〜〜というわけで、昨日午後立ち寄った店でビールを購入し、今夜シャワーの後で、グビッと飲もうという魂胆なのです。

今夜の夕食は・・・

  

(サラダ・バー)           (チキン・グリル)、そしてデザートはアイスクリーム

メインはグリルド・チキンのでっかい半身が、ド〜〜ンと!鶏嫌いの私に挑戦するように・・・これには“参りました!!”ですが、幸いというか、サラダ・バーがあったので、お代わりしてモリモリと頂きます。こんな乾燥地帯のど真ん中で、新鮮な野菜が食べ放題というのは、考えてみれば最高の贅沢といえるかもしれません。

本来なら、食後は旅のお仲間とゆっくり談笑すればいいのですが、デザートを食べ終えると、そそくさと部屋に戻って、シャワータイム。熱いお湯が出るうちに急がなくちゃぁ!・・・。その後の良く冷えたビールは美味しかったです!  

 

5月10日(金)    4日目

 昨夕ホテルに着いた頃は雲が広がっていましたが、朝起きると空は雲ひとつない快晴です。今日も8時出発でアンテローブキャニオンの基地となるページの町へと向かいます。例によって遠くに荒涼たる丘陵の見える大平原を走っていきます。その中に忽然とタワーが見えてきました。近くにまるごと石炭の山(=ブラック・メサ)があって、そこから掘り出した石炭用のサイロだそうで、此処から列車でペイジの町まで運ぶそうです。石炭埋蔵量は豊富で、ナバホの人たちは格安で購入することが出来て、貴重な燃料源となっているそうです。

    

やがて、遠くに白い煙が立ち上るのが見えてきました。(ケイさん)「火力発電所の煙で、あの煙の下がペイジの町です。煙はほぼ真っ直ぐに上がってますから、今日は風がなさそうで良かったですね!」

 そして、ペイジの町へ到着。先ずはトイレ休憩で「スーパー」へということで、バスを降りるとそこは「ウォルマート」。地域密着対応ということでしょうか、生鮮食料や総菜が豊富に並んでいました。そして驚いたことに、この町にはもう一つ「セーフウエイ」もあるんです!

(ウォルマート)

50年ほど前のペイジには人影は無く、ただ荒野が広がっているばかりだったそうです。それが、1956年からコロラド川のをせきとめてダムの建設が始まり、巨大なパウエル湖が出現しました。ダムの建設基地となったのがペイジで、それから50年後の今日、アウトドア・ライフが大好きなアメリカ人ファミリーがパウエル湖で遊ぶ一大レジャー-基地となっているようです。道沿いには湖に浮かべるボートハウスとトレーラーが数多く並んでいます。

大通りを走ると、なんと12もの教会が並んでいます。全て宗派が違っているそうで、全米各地から集まった作業者の宗派ごとに教会を建てたようで、労働者は、苛酷な工事作業の週末には教会で安息を求めたということでしょうか?

で、パウエル湖のレジャーの他に、近年海外からの観光客に人気うなぎのぼりなのが、“スロット・キャニオン”(=極めて幅の狭い峡谷)のアンテローブ。

そこへ行くには未舗装の悪路を通らなければいけないということで、基地で専用トラックに乗り換えます。幌付きとはいえ、まるで「囚人護送車」のようです。

  

 「振り落とされないように手すりをしっかり握って下さいね!」・・・トラックは猛スピードで(・・・というか、風が顔にモロ当たるのでそう感じます)スッ飛ばします。岩場や例の発電所のを通り過ぎて、赤土のロードへと入ります。

    

 (ケイさん)「皆さんは本当にラッキーです。普段だと、この辺りは乾燥していますから、トラックが巻き上げる砂煙でもう大変なんです。それがアンテローブ観光の最大の泣き所です。ところが昨日雨が降ったので、地面が固められて、殆ど砂埃が立っていません。因みに昨日は立ち入り禁止だったそうです。大雨だと鉄砲水が発生することがあって危険なんですネ」

 トラックを降りると、最狭部は幅30cmくらいの洞窟状の峡谷ですから、グループ毎に時間差で次々と中へ入って行きます。

  

 〜〜と、そこにはなんとも幻想的な光景がありました。

      

 (上写真右・・・鉄砲水で流されてきたのでしょうか、壁の間に木の枝が引っ掛かってました)

 一行は興奮気味にパチパチと写真を撮りながら、30分ほど進むと、峡谷を通りぬけました。再び同じ道を戻って幻想の旅の終了です。

    

 下はちょっとお借りした写真。真夏の正午頃に天空から差し込む日光でこのような神秘な現象がみられるという。(私もTVの旅行番組で見ました)

尤もケイさんによると、写真に収めるには、地面の砂を空中に放り上げるそうで、皆がそこかしこでこれをやると、砂のきめ細かな粒子が空中に漂ってエライことになるそうで、「くれぐれも砂を空中に放り上げないでくださいネ!」と。

 

 次は「ホースシュー・ベンド」へ。小高い丘の麓でバスを降りると、炎天下の強烈な日差しを浴びながらエッチラ・オッチラと丘を上ります。

30分ほどで登りきると、眼下に「割れ目」らしきものが見えます。今度は砂地に足を取られながら歩くこと10分。到着しました。崖っぷちから下を見ると・・・

      

 コロラド川が馬の蹄鉄(=horse shoe)の形に大きく蛇行しています。それにしてもこんなに見事に蛇行するもんなんでしょうか!・・・気の遠くなるような年月の激流でこうなったのでしょうが、現在は上流にダムが出来て水量を調節しており、穏やかな流れなので、今後この景観はずっと保たれるでしょう。

辺りは自然のままで、崖には手摺なんてありませんから、恐る恐る崖っぷちまで歩いてそっと下を覗き込みます。足の裏がムズ痒くなってきます。写真を撮るのもおっかなびっくり・・・。

昼食は近くのレストランで、なんと中華ブッフェ。ツアーは皆此処へ来るのか、他の日本人ツアーも加わって大賑わい。

酢豚、海老野菜塩炒、鶏から揚げ、炒飯、焼そば、焼売、春巻、酸辛湯等々品数豊富で、味も日本の大衆食堂並みの水準はありました。こんな場所で中華レストランを経営・・・中国人の逞しさはスゴイと感心。

 

 (ケイさん)「時間があるので、予定外ですが、グレン・キャニオン・ダムへ寄りましょう」・・・ダムは、1956年に着工し、それから10年の歳月をかけて1966年に完成したもの。せき止められたコロラド川はパウエル湖となり、乾いた大地の真ん中に豊かな光景を広げています。パウエルとは1869年に初めてコロラド川の探検に成功した隊のリーダー、パウエル少佐の名前をとったもの。

    

ダムの川下に架かる橋を渡って、カールヘイデン・ビシターセンターに立ち寄り、ダムを眺めます。アメリカで、コンクリートのアーチ型ダムとしては(見物できなかった)フーバーダム(221m)に次ぐ高さ(216m)を誇るだけあって、なかなか壮観です。

因みに湖を少し上から俯瞰すると、下のようになるそうです。映画「猿の惑星」(1968年)の冒頭、テイラー機長(=チャールトン・ヘストン)以下が乗った宇宙船が不時着したシーンがこの辺りで撮影されたそうです。

 

 次は、ブライスキャニオンを目指して走ります。右手の湖側を見ると、あたかも“岩窟神殿”のような面白い様相の岩山がありました。

  

地平線の遥か彼方まで見渡せますから、近場は青空でも、進んでいく先のずっと向うには灰色の雲があって、その先の黒雲の下に雨が降っているもの分かります。一帯は乾燥地帯ですが、どこかでは雨が降っていたりするんですね。

途中カナブという町を通り過ぎます。赤い岩山と緑の木々を背景にした奇麗な町です。西部劇のロケによく使用され「リトル・ハリウッド」と呼ばれ、今でも当時のセットが残っていたりするそうです。ユタ州最南部に位置し、人口僅か5千人という小さな町なのに、飛行場があったりするのは、周辺人気観光地への玄関口ということなのでしょう。

  

 カーメル・ジャンクションにある「トレーディングポスト」で休憩の後、バスは右に折れて山道を上がっていきます。赤い山肌と樹木の緑のコントラストが鮮やかです。おや、奇妙な形の岩山が見えました。

    

宿に近くなった頃、大粒の雨が降り出しました。先刻見えていた黒雲の下に入ってしまったようです。

 こりゃ大変!と思っていたら、宿に着いてバスから降りる時には、雨が上がりました。今夜の宿は「ベストウエスタン・プラス・ルビーズ・イン」。ブライスキャニオン観光客の多くがこのホテルに泊るようで、かなり規模が大きく、木材をふんだんに使ったカントリースタイルのロッジ・ホテルです。

  

                      (カントリーースタイルのロビーもゆったりと)

  

  

 広いダイニングは各国からの客で大賑わい。夕食はブッフェで、一見品数豊富ですが、あまり美味しいものはありません。ともかく野菜だけはしっかり頂きます。

  

 食後、廊下の奥の扉を開けると、室内プールがありました。

  

 土産物ショップを覗いてから、部屋に戻り、水着を持って再びプールへ。旅行仲間で、行動の素早いY夫人が既に元気に泳いでいました。その行動力にはもう脱帽です。

「日本からデスカ?」3人組の若い女性から声が掛かりました。なんでもタイ人で、このホテルでメイドとして働いており、今日は休日なんだとか。「日本語勉強しましたが、忘れマシタ。日本ダイスキ、日本語もっと覚えたいデス」ということで、少しおしゃべり。一人は石田すみれ(純一の娘)似の可愛いこチャンで、時間に余裕があれば、会話を楽しみたいところでした。(しかし、タイからこんな山奥まで働きに来るとはたいしたもんです)

プールは若い人たちで混んできたので、ジャグジーに移動。Yさんが話しかけた若いカップルは「ドイツから団体でやってきた」とのことで、様々な国の人が此処(ブライスキャニオン)へやってきていることを実感。

 

 クローズ(21時)間際になったので、トイレに行くと、奥にシャワー設備があり、熱い湯が出たので、此処でサッパリとして、ご機嫌で帰室。妻に「今夜はゆっくりとお風呂を楽しめただろう?」と聞くと、「お湯がちっとも熱くなかったのよ!」ということで、プールのシャワーが正解でした。

 妻はダメもとで持参したタブレット(エクスペリア)が、こんな山奥でもWiFiをキャッチできたというので、息子たちにせっせとメールを送っていました。いやはやITというのはスゴイ揉んです。

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